考えなかった
あまりにも暇だ。やることが本当に何もない。なんだこれ。本でも読めたらいいのだが、孤児院からはそんなもの持ってきてないし。……報酬もらったら買おうかな。とにかく暇。
(……早起きって、いいことじゃないんですねぇ)
嫌なことを知ってしまった。やることがない早起きに価値はない。朝食までは結構な時間があるし、どうしようか。
少し考えて、部屋から出ることにした。朝食まで散歩でもしよう。そろそろ散歩のネタも尽きそうなのが、私のやることの少なさを物語っている。なんか手伝えることあったらいいんだけどなぁ……。
魔術関連なら結構できることもあるし。ああでも、龍族の皆と関わるのも止めておきたいし。なんだこの堂々巡り。まあいいや。
(……ああ、失敗した)
散歩を初めてそうそうだけど、もう部屋に戻りたい。龍族の皆さんは朝が早いということを忘れていた。私にとっては健康的すぎる時間も、彼等にとっては通常の朝。つまり、視線が痛い。
「どうし……こ…な時間に……」
「よく……ける……」
ひそひそひそひそうるっさいなぁ! 脳内で吐き捨て、すぐに首を横に振る。なんだろう、嫌な夢を見たせいで感情が揺らぎやすくなってる気がする……。我ながら苛つきすぎだ。
ちっ、と軽く舌打ちをして、人気の少ない方向へ向かおうとして。
「おや、このような時間にお会いするとは奇遇……いえ、まさしく運命でございましょう! おはようございます、イヴ嬢。本日も実に麗しくてあらせられる」
朝からやたら陽気な声が、私を引き留めた。振り返ると、ヒューがいつもの笑みを浮かべて私のすぐ側に立っている。気配全然感じなかったんだけど……怖……。
「ヒュー、あなた、朝から元気ですねぇ」
そう返して苦笑すると、心なしか辺りのざわめきが大きくなった。なんだ。私がヒューとわりかし仲がいいことに不満でもあるのか。あるわな。
「イヴ嬢は、朝に弱くていらっしゃるのですか」
「弱い強い以前に、今は普段ならまだ寝ている時間ですね」
「左様ですか……。それはつまり、本日ここで出会えたことは非常に稀有な事態であり、すなわち運命だと! そうおっしゃりたいのですね!」
「違います」
本当に朝から元気だなぁ。塞いでいた気分が少し晴れた気がして、軽く笑みを作る。
「……ああそうでした。昨日お伺いしました、魔道具の作り方なのですが」
「魔力濃度の測定、特定条件下での魔術発動との紐付け方法ですね。最終的に書き込む術式は説明しましたが……書き込みに問題でもありましたか?」
ヒューは、どこか引き攣った笑みを浮かべた。何だその顔。私が変なことでも言ったか。
「簡単な術だとお伺いしましたが、少々複雑過ぎませんか? いえ、どの術式も役割があることは存じているのですが、簡単とはどういう意味なのかというすり合わせを行いたいです。切実に、切実に!」
……? ちょっと困惑しながら彼の言葉を反芻する。魔道具というものは往々にして複雑怪奇なところがあるし、人一人の命をながらえさせると考えると、まだマシなほうだと思うのだけど。
私がアナスタシアだった頃よりも、魔道具辺りは発展しているはずだし、……この程度ならまあいけると判断したんだけどな。
「簡単でしょう。ほんの五十六程度の術式しか組み合わせていないのですから」
「……えっ」
「え?」
ごじゅうろく。と、彼の唇が音を出さずに動いた。五十六、と私は繰り返した。沈黙が落ちる。そして、ふっとヒューは乾いた表情を作った。
「待ってください。それを? あの少しの時間で? 考えたと?」
「術式自体は既知のものですよ? 単なる組み合わせの問題です」
「…………この世界に存在するすべての術式を、覚えているとでも?」
疲れたように額に手を当てるヒューを見て、にっこりと笑う。
「アナスタシアが生きていた時代までものでしたら、すべて」
アナスタシアが生きるためには、この身体に存在する膨大な魔力に対して『知る』しかなかったのだ。だから、今もなお。私の頭には知識が残っている。記憶力には少々自信あり。
ヒューは、どこか虚ろな顔をして。
「……しばらくお時間をいただけますか」
とだけ呟いた。いいよ。何なら私も試作品作るから。
いつもの時間、ヴィルさんが朝食を部屋に持ってきた。結局、昨日は急用って聞いたあと会えなかったからなぁ。なぜか、この短時間だけでちょっと長い間顔を合わせていなかった気分になる。
ここに来てからかなり長い時間一緒にいたから。……これは駄目な感じだ。何が駄目かよく分からないけど、なんか駄目。私はここ二百年ほど人とほとんど関わらず生きてきたんですけどね。
朝食のパンを千切りながら、ヴィルさんの顔を見上げる。
「それで、急用ってなんだったんですか?」
私の問いかけに、ヴィルさんは明らかに動揺した。いや、表情は変わってない。だけど、千切ることなくそのまま口に運んでいたパンが、テーブルの上に落ちた。
取り繕うように笑顔を浮かべ、彼はパンを拾う。
「秘密だ」
「――ふぅん?」
気になる。じっと燃える色の瞳を見つめていると、僅かに視線が逸らされた。……ふぅん、へぇ?
単なる興味ではない。ヴィルさんがこうやって動揺するということは――私に知られたくないことは、大体私に関係あることなのだ。そういう人だ。だから、私は私のために『急用』とやらの内容を知らなければならない。
「……ヴィルさんが隠し事するのは、私のためだって分かってるんですけどね」
苦笑する。私を罵倒することさえ、いつだって私のためだった。血の繋がりもない私みたいな子供のために、よくもまあこんなに。
ああ、でも。
「私、もう、子供じゃないんですよ」
「知ってる」
「だから、そう必死に守ろうとしなくても――」
「――俺には、イヴがいっちばん可愛いんだ」
話の方向が四十五度くらい変わった。眉をひそめ、ヴィルさんの表情を見る。なんか、変な顔だ。少なくとも、可愛いと思っている養い子に向ける表情では、ない。
「だから、今度は守らせてくれよ」
あるいはそう。憎悪にも似ているような。なにか、私の知らない、昏い何かを孕んでいるような表情を見て。
……アナスタシアの死が、どれだけの傷になったのか。私がまだ理解しようとさえしていなかったことに気がついた。
「えっと、守るのはヴィルさんの勝手なのでとやかく言いませんが……私のためにって隠し事をされるのは、腹が立つので止めてくださいね?」
まあ、だからといってそこには触れませんがね! 突いたらとんでもないものが出てきそうな藪をそっと思考から外し、流す。ヴィルさんは少し虚をつかれたように目を瞠ったが、すぐに呆れたように笑みを零した。
「……じゃあ、勝手に守らせてもらうことにすっかな」
「で、隠し事は止めてくれますよね」
笑みを深められる。……なるほどなるほど。言う気は全くない、と。小さく溜め息を吐き、パンを口に放り込む。
「ヴィルさんのそういうところはちょっとだけ嫌いです」
「おう嫌え嫌え、――俺はてめぇに嫌われようが別に構わねぇからな」
うわぁ、何言ってんだこの人。眉をひそめると、ヴィルさんはどうでもよさそうに手を振った。
しかたがない。ヴィルさんはこうなると強情だから……また今度問い詰めるか。聞かないという選択肢はない。ということで、話題を変える。話題……話題? つい昨夜、話題の思いつかなさに絶望した矢先に……? なんの試練だ。人付き合いをほとんどしてこなかったイヴリンさんに何を求めている。
「えっと、……話は変わりますが、レオンのことなんですけどね」
「この話の流れでそこに飛ぶところ流石だな」
「彼、私に感謝してるって」
ヴィルさんの苦言をさらりと流す。ありがとう、と。万感の思いのこもった感謝の言葉を思い出した。思い出せたことが嬉しいと。記憶が優しいものだったと。その言葉を聞いて、本当に嬉しかったのはきっと私だ。
「……よかった、な」
「よくないです。いや、いいんですけどね。よくはないです!」
我ながら支離滅裂だ。いいけどよくない。レオンがアナスタシアのことを吹っ切って、前を向いて生きていけるならそれは素晴らしいことなんだけど。
「……結局、彼の感情は、アナスタシアに対する執着でしかないんですよ」
ヴィルさんに聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の感じで呟く。目の前の顔が歪められたから、多分聞こえたんだろう。気の弱い人なら気絶する程度の形相である。
「嫌なのか?」
「駄目なんですよ」
私は基本的にレオンのことが大好きだから幸せになってほしいけれど。その隣に私がいる未来は描けない。だから、私以外に大切なものを見つけれくれればいいんだけど。
「あのクソガキはきっと、てめぇを手放す気はないぞ」
「気のせいじゃないですか」
「ついでに言うが、俺もてめぇを手放す気なんざさらさらない」
うっわぁ。頭を抱え、テーブルに突っ伏す。オフィーリア嬢が見たら叱られるだろうけど、今はマナーとか忘れたいから。もう食べ終わったし。ここには私とヴィルさんしかいないし。
「……でも、私は短命がどうにかなったら帰りますよ」
「は? 帰れると思ってんのか?」
言い訳じみた言葉を一蹴された。待って? ……待って。すごく不穏。
「帰ることができないんですか!?」
「いやそうだろ。むしろ帰る気があったことに驚いたわ」
「え、ええぇ……。私、シスターに、いってきますって言ったんですけど」
ただいまは言えない、と。そんな馬鹿な。一体誰がなんの権利があって決めたんだ。愕然とした私を、ヴィルさんは鼻で笑う。
「――あんな村、帰る価値があんのか?」
ぱちくり。擬音にしたらそんな感じだろう。目の前の存在が一瞬、知らない何かに見えて、強く瞬きをした。異質な色をした、揺らぐ炎を掻き消すように。彼が本気でそう思っているのが分かったからこそ、私は理解ができなかったのだ。
帰る、価値。価値とかそういうの考えたことなかったんだけど。
「シスターに、ただいまって言わなきゃいけないんですよ」
首を捻りながら、言葉を探す。そうしながらも、なんとなく、私とヴィルさんが分かり合えることはない気がした。
「あと、誕生日プレゼント……今年は結局なにも、言えなくて」
何がいいかな、って。盛大に誤魔化したけど。ちょっと頭の片隅には残っていた。ほしいものなんて一つも思い浮かばない事実に打ちのめされちゃいそうだったけど。
「それに、まだ……恩を返せてないんです」
愛してくれた。慈しんでくれた。抱きしめて頭を撫でて心配してくれた。私みたいな存在にそうしてくれた彼女に、私は何も返せていない。
「だから、帰らなきゃ」
「あんな場所に返すはずないだろ」
理由にもなっていない理由を重ねても、やっぱりヴィルさんには伝わらなかった。そりゃそうか。私でさえ、よく分かっていない。ただ、ここにずっといるという選択肢だけは、最初から存在していないのだ。それだけは確かだ。
「……その孤児院は、イヴのことを守ってくれていたのか?」
静かなくせに威圧感に満ちた声は、どこか悲しげでもあった。言葉に詰まる私に、彼は容赦なく畳み掛ける。
「蹴られたり、石を投げられたり、目を抉ろうとされたり? だったか。んな場所にてめぇを返す道理がどこにあるっつーんだよ」
あー、そんなことも言ったね。不用意に情報を漏らした自分の馬鹿さに苦笑して、そんなことを覚えていてくれたことに泣きたくなった。
「……あ、はは。でも、私はここにいる訳には」
「誰が決めた」
それでも。どれだけ嬉しくても、幸せでも、叶えてはいけない未来がある。彼の優しい詰問を受け止め、ただ。
「――私が、決めたんです」
笑って、そう宣言した。
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