伝えたかった


 からん、ころんと瓶を鳴らす。オフィーリア嬢にもらったお見舞いだ。色とりどりの飴玉が、瓶の中で跳ねて音を立てる。食べ過ぎのお見舞いに飴を渡す、そのセンスが好き。にへらと笑って、瓶を机の上に置いた。


(……さて、夜だ)


 今日は別に昼寝もしていないのに、なぜか目が冴えている。いや、理由なんて分かりきってるんですけどね。ちょっと恥ずかしいから濁したいじゃない。

 部屋から出るか出ないかを考えすぎて、昨日と同じ時間になってしまった。私の気持ちとしては出て話したい。でも、それが現実逃避だと批判する自分もいて。更に言えば、話せば話すほどバレるリスクが高まるし。

 ……気付かれても構わないとは思っているけれど、積極的に気付いてもらいたいわけではない。そもそもね、私は短命がどうにかなったら孤児院に帰りますし。どうにもならなくてもあと九ヶ月くらいで死ぬし。


 つらつらと言い訳じみた考えを続けるが、視線は扉に固定されている。身体は正直だった。


(……別に、話せるだけで幸せだとか、そういう乙女じみたことを言いたいんじゃなくて)


 彼が。私の言葉で笑ったり、不機嫌になったり、呆れたり。そういう、当たり前な反応を返してくれるだけで。今もまだ好きだなんていう、単純なだけの心が疼く。

 そう、私はあの頃、恋をしていました。今もまだ。

 ……好きな人を卑怯な手で倒すような感じの恋をでしたがね。魔力量に物を言わせた上に、もらっていたハンデを全力で使って倒した。ああ、あの日のことはまるで昨日のように思い出せる。私の全力程度では彼が死なないという前提で練り上げたあの魔術は今でも私の最高傑作――。


(いや、今考えることはそこじゃない)


 首を横に振る。そして、息を吐いた。


(レオンは、私とアナスタシアが同一だと……きっと気づいている)


 魂自体が同一だと、確信しているのだろう。今朝のヴィルさんとの会話で、そのことに気がついた。気がつけた。彼の態度が柔らかくなったのは、それが要因だったのだ。


「――だから」


 過去はまだここにある。


「だか、ら?」


 誰も彼も、まだ、あの日に時を止めたまま。


「……私は」


 まだ、向き合うことなんてできていないまま。こうやってずっと逃げ続けるつもりなのか。頭が痛んだ。視界が眩む。私は。


「――好きだから、幸せに、なってほしかった」


 扉の前でしゃがみ込む。私の本音なんて、本心なんて、大したものじゃなかった。だって、それだけだったの。それだけの、ことなのに。

 あなたの、さ。呆れたように息を吐く仕草が好き。私が追いつくまで待っていてくれるところが好き。歩幅を合わせてくれるところが。不器用な笑顔が。私よりも少しだけ低い体温が。……何もかもが、きっと。

 好きなのに。うまく、いかないなぁ。


 は、と嘲るように息を吐いて、扉に触れる。昨日の時間は、もう過ぎてしまっていた。

 だからきっと、今から出歩くことに意味はない。彼だって私を待ってなどいないはずだ。もう寝てしまおうと、視線から扉を外し。


「――寝ている、のか」


 そんな声が聞こえてきた。また、扉を凝視する。ひゅ、と。息を呑む引きつったような音がして、自分の動揺に気がついた。

 だって、これは間違いなく、レオンの声だ。どうして、私の部屋に。


「……しかたない、か」


 動揺と混乱に思考が支配される。そんな中で一つ。ただ、その声に滲む諦念をどうにかしたくて、扉に手を置いた。


「起きて、いますよ」


 扉の向こうからは、彼の息遣いが感じられるようで。ひどく苦しくなる。私は馬鹿だ。何度も繰り返した罵倒を、心の中でもう一度吐き捨てた。

 今日は寝たことにしてしまえばよかったのに。レオンがなぜか、ただ私が寝ていたことだけが原因とは思えないほど、暗い声を出したから。


「……あの、ですね。別に、あなたと会いたくなかったわけじゃなくて」


 我ながら、言い訳じみたことを。会いたくなかったわけじゃなくて、なんだと言うのか。言葉を続けることができない私の前で、扉が少しだけ振動する。彼も扉に触れたのかもしれない。


「貴様は、声も感情豊かだな」


 レオンのそんな呆れたような声も、感情豊かだ。


「ごめんなさい」

「別に構わん、気にするな。貴様は案外と人目を気にするようだから、夜の方が話しやすいかと考えただけだったんだ」

「……案外と、は。余計です」


 不満を漏らすと、彼は小さく吹き出した。くつくつと笑う声に合わせて、扉が僅かに振動する。


「……このままでいいから、少し話をしてもいいか」


 彼らしくもなく控えめな懇願だ。ちょっと目を瞠った。扉越しでいいのか。


「扉、開けますよ」

「開けなくていい」


 私の提案は一蹴されてしまった。顔が見えないと感情が読み取りにくいから、あまり嬉しくはないけれど。……どうしてだろう、開けなくていいのではなく、開けてほしくないみたいな。まあいいか。


「そうですか、じゃあ、このままで」


 額を扉に当て、目を閉じる。呼吸音が、扉越しに聞こえてきた。


「……お前と、話をしたかったんだ」

「へぇ、嬉しいです」

「おい、もっと声に感情をこめろ」

「わぁい、嬉しいです!」


 何だこの会話。なんだか可笑しくて、ちょっと笑ってしまった。ああ、くそ。懐かしいなぁ。……いつだったか、私と彼が喧嘩したとき、こんなふうに扉越しに話をしたっけ。部屋に閉じこもる私に向かって、何度も何度も声をかけてくれて。

 あの時の喧嘩の原因は、何だったっけ。思い出せないから、下らないことだろうな。


「っはは、……よかった」

「何がですか?」

「いや、こっちの話だ」


 この雑な誤魔化し方だよ。目を閉じたまま息を吐き、まあいいやと気にしないでおく。

 しかし、話をしたいってなんだろう。何を話せというのか。自慢じゃないが、私には面白い話題なんて一つもない。最近何かあったっけ。ヴィルさんの服に向かって吐いたこととか? いや、あれはもう忘れたい。


「……俺は、お前を見ていると」


 私が話題の引き出しのなさに絶望していると、唐突な話題の変換がなされた。何が言いたいのかはよく分からないが、とりあえず大人しく聞いておくことにする。


「なぜだろうな。昔の記憶が、優しいものだったと思い出せるんだ」


 なんて。なんて、柔らかな声で語るのだろう。安堵したような、震える声でそんなことを言うのだろう。何か伝えようと口を開いて、でも、伝えるべき言葉が見つからなかったことに苦しくなった。


「ずっと、忘れることは恐ろしくて、思い出すことは苦しかった。記憶に鍵をかけ、アナとの約束だけを守り続け、喪失から目を逸らした。だというのに、お前があまりにもアナに似ているから」


 ――同じように、俺を見るから。

 そう零された声に滲んだ感情の色が何なのか、私にはとんと理解できなかった。理解したくなかっただけかもしれない。ただ、優しいだけの声ではなかったことだけは、なんとなく。


「それは、謝った方がいいんですかね」

「自分が悪くないのに謝ろうとするな」


 叱られてしまった。苦笑して、目を開ける。


「ねえ、レオンハルト」


 あなたに、さ。伝えたい言葉がたくさんあったはずなんだ。でもね、もう、あの頃伝えられなかった全部は意味をなくしてしまったから。


「ごめんなさい」

「謝るな、と言ったが」

「自分が悪くないときは、でしょう。私は私が悪いことをしたと思っているから、謝ったんです」


 置いていってごめんね。何も伝えられなくてごめんね。好きだって、最後まで言えなくてごめんね。……弱くて、ごめんなさい。

 レオンは、謝罪の理由を言わない私を訝しんでいるようだったが、問い質したりはしなかった。そういうところ、ずるいなぁって思う。


「……俺は、お前に感謝しているんだ」


 おや。予想外の言葉に、目を瞬いた。言葉を失う私に向けて、彼は言葉を続ける。


「アナを、思い出せた。だから、ありがとう」


 レオンが、人にお礼を言った……!? これは天変地異の前触れかもしれない。我ながら限りなく失礼だな。


「私は何もしてませんよ」

「だからこそ、だ」


 強く言い切られる。きっと、今の彼は、昔のように強い瞳をしているのだろうな。ここに来て最初には加で見たような、あの、淀んだ目じゃなくて。それを見られないのが少し残念かもしれない。


「……そうですか。じゃあ、どういたしましてとでも言っておきますかね」

「そうしておけ」


 わぁ、感謝してる割に偉そう。苦笑して、扉から一歩離れる。その気配を察知したように、向こうから声をかけられた。


「何だ、もう寝るのか」

「夜ふかしは美容の天敵らしいので」

「はは、そうか。それなら俺も寝るとしよう」

「美容に気を遣う龍王陛下ですか……斬新でいいですね」


 適当な応酬が終わった瞬間、込み上げてきた欠伸を噛み殺す。少し気が抜けたからか、眠くなってきた。


「……では、おやすみなさい、レオンハルト。あなたに夜の女神の祝福があらんことを」

「ああ、おやすみ、イヴリン。良い夢を」


 就寝の挨拶を最後に、足音が遠ざかっていく。その規則的な音を聞き届けながら、ベッドに潜り込んだ。






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