向いてなかった


『体内に保有する魔力が原因なら、それを龍族同様に放出できるようにすればいいのでは?』


 ヒューから手渡された書類には、そんな結論が記されていた。私の協力がなければ実験すらできないことだ。だから、彼の書いたあの膨大な紙束には、解決方法への言及はほとんどなかった。ほぼほぼ私の仮設の検証に終始していたとか……いや、あの短時間で書いたのならそれでもすごいけど。

 大体私がかつて考えた結論と同じだな、と思う。つまり、誰が考えても解決方法はこれしかないのだろう。もっと斬新かつ実現可能な発想はないのか。ないか。


 とにかく、私は彼に貰った紙束を両手に抱えて、研究室の前に来ている。さっさと入ればいいなんて自分でも思ってるけど、いや、さぁ。ほらね?

 私がアナスタシアだって断言しちゃったことで、彼の態度が変わるのかとか。そんなことは全然考えてないんですけど。私がヒューに対してどんな態度を取るべきかは決めかねてる。

 ヴィルさんくらい適当にすればいいのかもしれないけど。ヒューは魔力に対する狂信のせいで私に対して夢を見てるというか。幻滅させちゃったら可哀想かなって。――思ったり思わなかったり。


「イヴ嬢、いつまでそこに立っているつもりでいらっしゃるの、で」

「ぅえ!」


 向こうから扉を開けてこられて、心臓が大きく跳ねた。ああ、はい、そっか。龍族って、人間ごときよりもよっぽど気配に敏感だから。私がここにいるのに気付いてたんですね。そっかそっか。……恥っずかしいなぁ。


「……先日はお見舞いありがとうございました、ヒュー」


 軽い羞恥を覚えつつ、先ずは笑顔で礼を言う。ヒューはなぜか驚いたように目を見開いていた。どうしたどうした。私がお礼を言うのは変か。


「その、格好は、どうなさったのですか」

「ヴィルさんの趣味です。……似合ってませんか?」


 ああなるほど、彼が驚いたのは服と髪か。ヴィルさんによって誂えられた格好を見下ろし、そっと嘆息する。そこまで動揺するほど似合ってなかったと思うと、少しだけショックだ。


「いえ! とてもお似合いでございます。かの夜の女神でさえもあなた様の美しさの前では己を恥じずにはいられないことでしょう! 本当に……ヴィルフリートの見立てだというのは癪に触りますが」

「そこまで褒めてくれとは言ってません」

 

 夜の女神様ったら私に対する褒め言葉に頻出しすぎでは。惜しみのない賛辞に苦笑しつつ、研究室の中に足を踏み入れる。


「ヴィルさんのことがお嫌いですか?」


 同時に顔を見ずに問うと、彼はまとう空気を一変させた。


「――はい、大嫌いですよ」

「ふぅん」


 低く冷たい声を受け流し、椅子に腰掛ける。私から聞いておいてひどい態度かもしれないが、ここまで露骨に嫌悪を顕にするとは思ってなかったのだ。つまり、ちょっと動揺した。


「ヒューは、他者を嫌うほど興味を持っていないと思ってました」

「……基本的には、そうでしたよ」


 嫌いな理由を口にするつもりはないらしい。まあいいか。いつも通りに思考を止め、彼の顔を見上げる。表情の削げ落ちた顔は、無感情のくせにひどくその淀んだ内心をよく表していた。


「まあ、いいんですけどね」


 苦笑し、持ってきた紙束を机の上に広げる。


「これ、読みましたよ。肝心の放出方法は一切考えていないみたいですが」


 軽く話を逸らすと、ヒューもそれに応じて表情を引き締めた。


「魔道具によって体内魔力を常に一定に保つことができればよいと考えたのですが……肝心の構造が一切思い付きませんでした」

「この正直者」

「イヴ嬢でしたら、斬新かつ画期的な発想が出てくるのではないかと思いまして」


 この謎の信頼よ。照れ臭そうに笑う彼には悪いが、私も全然思い浮かばない。ここ最近は魔力やら魔術からはとんと離れていたし。


「……片田舎の孤児に何を期待しているんですか」


 ぼやきつつ、親指を唇に当てる。彼の発想に対しては真面目に考えてみることにした。思考停止と諦めの早さは私の欠点だけれど。もういいかと放り投げる前に、ちゃんと思考しないと。流石に自分の命までさっさと諦めちゃ駄目だろう。いやすでに結構諦めてたけどね。

 こんなにも、必死になられると……私も真剣にならないと申し訳が立たないし。


「イヴ嬢は、以前からとても頭が良くていらっしゃいましたので」

「龍族が魔力に対して興味ないだけだと思いますよ。私なんて、人間としては愚かな部類です」


 体内の魔力を一定に保つ。前提として、魔力の循環放出機構に異物を紛れ込ませるのは危険……だな、うん。だったら、どうすればいい。外側に取り付ける形のアクセサリーかなにかにして、常に魔力量を計測し一定以上になったら放出させれば?

 いや、その放出法はどうする。魔石で吸収するのが最善か。いや、魔石で吸収できる魔力量には限りがある。だったら――。


「あなた様が、研究者になることができるような世界だったらよかったのかもしれませんね」


 ――魔力を制限なく吸収する器とは。……世界そのもの? 魔石をただの通過点もしくは媒体として、世界に垂れ流すのは。いや危険だ。常に魔力垂れ流しでは、私自身が危険物になる。歩く兵器は洒落にならない。人間の体内にある魔力は魔術などの形を取るならともかく、純粋な魔力のままではただの毒だから。知ってる。

 でも待って、龍族の魔力は常に放出しているのになんで。ああ、そうか。龍族が持つ魔力が世界に満ちている本来の魔力と同種だからこそ、無害なまま放出できているのか。ずるいな。


「いえ、研究者が夢だった頃もありますが……私には向いてない気がします」


 人間と龍族の違いが多すぎてなんの参考にもならない。いったん龍族のことは思考から外そう。

 要するに、私の体内にある魔力を無害な状態で世界に放出できたらいいと。常に、一定に保てるように。ここまできて、思考が振り出しに戻ってしまったかもしれない。


「ですが、あなた様は、王にこそ向いていらっしゃいませんでしたよ」


 体内の魔力量の計測、及び一定以上になったときに術を作動させるのは不可能ではない。ここはどうにかなる。だから、魔力の放出のみに思考を集中させろ。

 魔術を行使するのが一番手っ取り早く安全な方法ではある。だが、とんでもない速さで回復する魔力を消費し続けるのに相応しい魔術なんてない。なんだ、国でも滅ぼせっていうのか。無茶言うな。


「そうですね、私もそう思います」


 周りに害が及ばなくて、魔力垂れ流しでも構わないような魔術があればいいんだけど。今は思い浮かばない。


「やはり、研究者には向いていると思うのですが」


 会話とは剥離していた思考を現実に引き戻すと、ヒューがどこか呆れたような顔をしているのが見えた。なんだその顔。眉をひそめると、彼はふっと笑みを浮かべる。


「イヴ嬢は、思考の切り捨てが上手でいらっしゃるから」

「なにか口に出てしまっていましたか?」


 だとしたらそれなりに恥ずかしい。さっきまでの思考にまとまりがなかったことなんて自分でもよく分かってるし。結論が出てから話したいんだけどな。

 ちょっと焦ってしまった私をよそに、ヒューは首を横に振る。


「イヴ嬢が無表情のときは、深く考え込んでいるときで。一瞬強く目を閉じるのは、浮かんだ考えを切り捨てるときですから」


 そうだったのか。私が知らない私の癖を把握されている事実に震えた。というか、ええぇ、無表情になってた? 本当に?


「表情豊かな人間だと常々言われるんですけどねぇ」

「普段は、思考停止してるからでしょうね」


 そうかもしれない。レオンやヴィルさんの前で思考を深化させることはほぼないし。


「それで、どのようなお考えを?」

「まだ何もまとまっていませんよ」


 嘆息し、手のひらを空に向ける。


「魔力量の計測、一定値以上になると術を作動させること、……までは実現可能だと思いましたが。肝心の放出方法が思い浮かびません」


 そもそも、私の持つ魔力の量は文字通り桁違いだ。回復量もしかり。故に、途方のない魔力をどうやって使い続けるのかということが論点になる。魔力をそのまま垂れ流しても構わなかったらそれが一番楽だけども。

 と、いうことを軽く口にして。ヒューの反応を伺ってみた。


「……ええと、それは、今考えたことで相違ございませんか?」

「どうしてそこを疑われないといけないんですか?」


 引き攣った笑顔を向けられて、首を捻る。読んだときは軽く流していたので、事実ちゃんと考えたのは今だし。


「イヴ嬢、絶対に今まで真剣に考えたことありませんでしたよね?」


 あれまあ。私が解決方法を探る前から諦めていたことがバレている。そりゃそうか。彼の書いた紙には解決に至る道筋はほとんど書かれていない。私がちょっと考えただけでここまで近づいたのは――。


「……別に、死んでも良かったんですよ」


 ぽつり、と。どうしようもない本音を口にする。ヒューは目を瞬いた。なんだ、そこまで分かっていた訳じゃなかったのか。


「どうでもよかったんです。アナスタシアは間違いなく死んだのだから。今ここにいる私を望む人も特にいない。親も、友達も、……アナスタシアではない私には、何もなかったんですよ」


 だったら、どうでもいいかなと。この国が平和になったのも肌で感じることができたし、もう、いいかと。


「ですが」


 縋り付くような声色に、少し目を瞠って彼を見る。鮮やかな新緑のその瞳が、射抜くような強さで私を見つめていた。


「――ですが、もう、駄目です」

「あ、はは。そうですね、もう……何もなくなんかないですもんね」


 死んでもいいなんて、言えなくなってしまった。もういいか、なんて諦めてはいけなくなった。軽くとはいえ覚悟していた私としては、ひどいなぁなんて思う訳で。

 だって、ひどい。私だってたくさん苦しい思いをしたし諦めたくないことだってたくさんあったし死にたくなんてなかったのに。今更。喪ったはずの全部目の前に差し出してくるなんて。ひどい。


「こわい、なぁ」


 死ぬのが怖いとか、そんなんじゃなくて。何も解決なんてしてないのに、また大切なものが増えていくのが怖い。だって私は知っている。私が、私以外の何かを切り捨てるのが下手くそだって、知っている。

 慣れていたはずなのに。一人で過ごす夜も、罵倒も、嫌悪も。そのくせに、ほんの少し懐かしさに浸るだけで、自分が弱かったことを思い出してしまう。


「イヴ嬢は」

「なんですか?」

「生きなければ、ならない方です」


 目を細める。きっと、この男は本気でそう思っているのだろう。知ってる。ヒューにとって私――黒髪黒目の人間がどんな存在なのか、私は知っている。


「……はい、ごめんなさい」


 今更だが、認めよう。私は彼等の想いを侮っていた。どうせ忘れると、永遠にも等しい時間に流されて私のことなど埋もれてしまうと、見くびっていた。


「謝罪が欲しい訳ではございません。ただ、一つだけお願いしてもよろしいですか」

「なんです?」

「死ぬことを受け入れないでください」


 無茶を言うものだ。……本当に、無茶を言う。私がどれだけ頑張ってこの人生を、この理不尽を受け止めてきたか、知りもしないくせに。

 でも、必死にも見える表情のせいで、文句を言えなかった。ああ、腹が立つ。どうしてこんな時だけまともな人みたいになるんだ。いつもみたいに、トチ狂った魔力狂らしくあればいいのに。


「……私だって、死にたくなんかないですよ」


 ぽつり、言葉を落とす。まごうことのない本音だった。受け入れて、納得して、そういうものだと諦めた。なんて嘘。まあいいやと放り投げるなんてできなかった。だって人を殺すのは怖いよ。自分のことでも、怖い。でも、あのひどい痛みに襲われるくらいなら死んだ方がマシで。

 本当は、死にたくない。自殺も怖い。シスターを置いていきたくなんてないし、ヴィルさんやヒューをまた悲しませたくない。

 なんて、どうしようもない、本心だ。


「受け入れてるはずが、ないでしょう。馬鹿なことを言いますね、ヒューは」


 呟いて、それでも笑った。ヒューは、一瞬だけ傷ついたような顔をしたあと、すぐに取り繕ったように笑みを浮かべる。そう、それでいい。


「申し訳ございません」

「謝罪はいらないので、ほら。放出方法について考えますよ」


 にっこりと、感情を誤魔化して。そこからはもう、短命を解決する方法の議論に終始した。

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