言えなくなった
朝日が照らす部屋の中、ヴィルさんが満足そうに笑って頷いた。
「……よし、俺の見立ては間違ってなかったみてぇだな」
その視線の先には、彼が買ってきた服に見を包み、なんやかんや言い包められて髪飾りまでつけられた私がいる。なんだこれ。この人いつ買いに行ってたの……。
ヴィルさんには、朝一番で部屋に押し掛けられてきた上に服を押し付けられたこの気持ちを理解してほしい。そして、寝起きのはっきりしない思考で昨日のことを思い出した私を褒めて。
……寝起きの乙女の部屋に押し掛けるのは普通駄目でしょ。これがヴィルさんじゃなかったら怒鳴ってた。
「この服、高かったんじゃないですか?」
孤児院から持ってきた服がただの雑巾に見えるほどに綺麗で作りのいい服を眺め、嘆息する。肌触りもいいし、風通しもいい。意匠も手の込んだもので、基本的に黒が多いのに暗い印象ではなく大人びた感じの……私の趣味にあっているのがとてもムカつく。正直、値段を考えたくもないし。
「俺は普段そこまで金も使わねぇからな。金額よりもてめぇに似合うかどうかが重要だろ」
「へーぇ、似合ってます?」
「神話で語られる夜の女神よりも、きっと綺麗だってくらいには」
最高級の賛辞を受け取り、ちょっと言葉に詰まった。ヴィルさんの目が狂っている可能性が高いし、そうでなくても保護者の贔屓目があるだけだとも思う。だけど、そこまで褒められると照れくさい。
「……で、いくらだったんです?」
照れ隠しにもう一度値段を聞くと、ヴィルさんはそっと視線を逸らした。疚しいところがある反応である。
「あー、そうだ、そうだった。イヴに渡さねぇといけないものがあるんだった」
「ちょっとヴィルさん!?」
白々しく話を逸らし、ヴィルさんは懐から何かを取り出した。白い、封筒? ……値段の話をそんなにされたくないのなら、今は触れずに置いておこう。今度じっくりと話すことに決め、封筒を受け取る。
そして、裏に書かれた文字を読んで――目を見開いた。
「――これ、どうして、ヴィルさんが!」
「……てめぇが住んでた村からここまでは、時間がかかるだろ。だから」
それは、手紙だった。シスターからの手紙。今すぐ開いて読みたい気持ちと、人の前でそんなことしちゃ駄目だという気持ちが混ざり合い、視線をあちこちに彷徨わせる。
ヴィルさんは少し呆れたような、嬉しそうな様子で溜め息吐く。
「俺のことは気にすんな、読めよ」
「はい!」
そう言われたら読まない訳にはいきませんね! いそいそと封筒を開き、中の紙を取り出す。手紙は三枚ほどに渡って書かれていた。
『イヴへ
この手紙が届く頃には、少しはそちらでの生活にも慣れてきているでしょうか。こちらではまだ、あなたが旅立った翌日なのに……不思議ですね』
この、少しだけ癖のある右上がりの文字は、シスターの文字だ。香水か香だろうか、ちょっとだけ柑橘類の匂いを感じ、頬を緩めた。シスターの部屋の匂い。
『身体は壊していませんか、龍族の方々に迷惑をかけてはいませんか。駄目ですね、心配なことがたくさんあって書ききれません。あなたとこんなにも長く離れているのは初めてのことで、私の方が緊張しているようですね。
イヴは、昔から元気で明るくて、いつの間にか人の懐に入ってくるような子でした。あなたならきっと、そちらでも上手くやっているのでしょう。そう思うと、少しだけ寂しい気もします』
一枚目は、そんなふうに私への心配と激励で埋まっていた。まだそこまで長く離れていないのに、懐かしさで胸がきゅっとする。
丁寧にたたみ直し、二枚目を開いた。
『あなたがいなくなって、メリッサやルカは寂しがっています。あなたのことを本当の姉のように慕っていたので無理もありませんね。あなたより年上の子たちも、どこか元気がないような気がします
イヴ、あなたが短命だと聞いたとき、私は背筋の凍る思いでした。誰よりも人のことを思い、優しく、慈愛に満ちていたあなたが死ぬなど。……私はあなたのことを愛しています。神に仕えるものとしては失格なほど。だからこそ、あなたが長く生きることができるならと手を離しました』
二枚目に綴られていたのは、シスターの心境と孤児院の現状だ。私は基本的にシスター以外とは関わってこなかったつもりだけれど、向こうはそうでもなかったのかな。
少しだけ疑問に思いつつ、三枚目に目を通す。
『イヴ、もしもあなたが辛い思いをしたり、悲しいと思ったりしたのなら。迷わずここに帰ってきてください。王都にあるネリネ孤児院に行けば、きっとよくしてくれるはずです。
龍族の方を疑う訳ではありませんが、念の為。覚えておいてください。万が一何かあったら、ネリネ孤児院にいるアリアというシスターに頼るように』
……なぜシスターがそこまで気にしているのかは分からないが、記憶はしておこう。私がレオンの気分を害して追い出される可能性も結構あるしね。……ヴィルさんが助けてくれる気もするけど。まあ、一応。
そうして、シスターからの想いの詰まった手紙を読み終わり、部屋に備え付けてあった机の引き出しにしまいこんだ。なお、この間ずっとヴィルさんは私のことを見つめていました。視線が痛い。
「ヴィルさん、ありがとうございます」
まあ、私が手紙を読んでいるところをじっと見ているところは突っ込みたいが、それよりも手紙を届けてくれたお礼を言っておこう。シスターが私のことを心から心配しているのが伝わってきて、気持ちも軽くなったし。元から結構軽かったなんてそんな。
「ああ、いや。気にすんな。俺がしたくてしたことなんだから」
「でも、嬉しかったので」
昨日吐いたこととか、レオンが謎に好意的なこととかがどうでもよくなってきた。いや、よくないか。よくないわ。レオンに関しては本当にどうにかしないと……。でも、私には無理じゃない? ぶっちゃけあれってどうにもならなくない?
「後でシスターにお返事書かなきゃ」
「それも持っていってやろうか」
独り言に、ヴィルさんは有り難い申し出をしてくれた。少しだけ考えて……首を横に振る。
「いえ、大したことは書かないので、ゆっくりでいいですよ」
ヴィルさんにこれ以上迷惑はかけられないと思って言ったのだが。顔をしかめられて、ちょっとだけ動揺する。
「俺には頼りたくないってか」
「というか、昔散々迷惑をかけたので頼るのは申し訳ないかなって」
ここから村までって結構遠いし……。ヴィルさんがいいと言っても、一度甘えてしまえばずるずるいっちゃいそうだし。
「それに、ヴィルさんとあんまり離れたくありませんし」
――ヴィルさんが息を呑んだ気配がした。その反応に首を捻る。ん? 私今何てった?
あんまり離れ、たくないって。……あ。あああ!
「い、今の無しです聞かなかったことにしてください!」
本当に、私は、一体何を言っているんだ。頬に熱が集まっているのを自覚しながら喚く。この歳で保護者が近くにいないと不安だなんてそんな。精神年齢二百歳くらいだよ? そんな……そんな。子供がえりが許される歳はかなり過ぎたぞ。
馬鹿、阿呆、間抜け。一頻りの罵倒を自分自身にして、頭を抱える。
「そうか、そうかそうかぁ! イヴは俺がいないと駄目か!」
私の動揺などさておき、ヴィルさんはひどく嬉しそうに声を上げた。恐る恐るその表情を確認する。……彼にしては珍しい、満面の笑みだった。
「……違います。今のは違います。違うんです! 昨日ちょっといろいろあって混乱してるだけです」
主に夜。レオンのせいで。いや、さぁ。あの執着は一体どうしたことだろう。アナスタシアの死で頭のネジが五六本飛んだのかもしれない。可哀想……。全部私のせいじゃん。
「いろいろ?」
……あ。昨日のこと、ヴィルさんに話してなかったや。レオンと話した内容を彼に伝えるか少し考えて。
「龍王陛下のことをレオンハルトって呼ぶことになりました」
結論だけを伝えた。細かい内容は伏せておきたい。私が思い出したくない。あと、ヴィルさんが知ったらまた怒るだろうし。これ以上怒らせたら彼の魔力が暴走しかねない。いや知らないけど。
「――はァ?」
素っ頓狂な声に、思わず視線を逸らす。おっかしいなぁ。一番怒られそうなところは省いたのに、もう怒られそうなんだけど。ヴィルさんの視線が痛い。
「夜、寝付けなかったので歩いてたら会ったので少し話をしましてね?」
「てめぇ、まーた考えなしに会話したな?」
バレた。いやバレるに決まってるか。呆れたような声に、怒気を感じなかったので視線を戻す。想像通りの呆れ顔が目に入った。なお、子供が見たら泣く程度の形相である。
「まあ、はい。……レオンハルトが、想定外に私のことを気に入ってしまったらしくて」
「そりゃそうだろ。見た目も中身もアナに瓜二つなんだからよ」
「普通似てたら嫌悪しません? 死人と似た人なんて、私は出会ったとしても話したくないですよ」
思い出が思い出でしかないことを思い知らされるのは、虚しいもの。内心で呟くが、ヴィルさんはちょっとよく分かっていないようだ。相変わらず繊細な気持ちを理解しないなこの人。
「ここまで似てたら、魂が同一だと思うに決まってるだろ」
と、思ったけど。続けられた言葉に少し納得した。納得と同時に頭を抱えた。
「あ、あ~! そういう!? 龍族特有の魂の輪廻的考え方!?」
人間の宗教では存在しない思考回路だから忘れてた……。レオンがイヴリンに対して好意的なのはそれが理由か。それしかないわ。
龍族は、その魂を巡らせる。というか、死という概念が存在しない。龍は死と同時に産まれるのだ。世界に存在する龍の総数は神によって定められており、肉体が壊れた瞬間に別の器として誕生する。だから、死がない。
そもそも肉体自体がくっそ頑丈で数千年は優に生きるくせに記憶を持ったまま生まれ変わり続けるってなんなのそれ。人間の脆弱さとの差がひどい。魂が巡るというのはすべての生き物に共通らしいけど、その記憶の保持を許されているのは世界の調停者であり神の代弁者である龍族だけ。
(――あれ、私のこれって魂が巡ってるんだよね? あれ?)
なんだか、今まで無意識に考えてこなかった何かを掴めそうな気がして、思考を加速させる。私とアナスタシアの魂が同一なのは確固とした事実だ。でもなぜ? なぜ、私は、記憶を失っていな――。
「イヴ、何考え込んでんだ?」
目の前で手のひらをひらひらされ、思考が霧散した。あれ? いや、本当に何考えてたんだっけ。思い出せないや。
まあいいか、といつものように思考を放棄し、首を横に振る。
「もしも、レオンハルトが私に気付いたらどうしようかなーって」
そんなこと全然考えてなかったが、適当に嘯いて誤魔化した。私の言葉に、ヴィルさんは真剣な顔をする。やだ、適当なこと言ったのに申し訳ない……。
「イヴはどうしたいんだ?」
「そうですね、気付かれちゃったら気付かれたでいいかもしれません」
私が一番怖いのは、『私』を否定されることだ。だから、彼が私をアナスタシアだと言い切ってくれるのなら、それはもう幸福なことだとも思う。
まあ、今の私にレオンハルトの隣に立つことができる理由なんて一つもないから、気付かれないほうがいいとも思うんですけどね。恋が叶わないこと、レオンと共に生きられないこと。私と彼の間にどうしようもなく高くて厚い壁があること。それをレオンに突きつけてしまうくらいなら、私はこのまま終わった方がいい。
「……好きだなんて、もう言えないんですけどね」
彼が。私を見つけてくれるなら。きっと、私は笑って自分がアナスタシアだと言える。でも、もう、あの日に呑み込んだ愛の言葉は永遠に失くしたままなのだろう。
「まあ、俺はイヴがしたいようにすればいいと思ってるがな。……俺にできることがあったら、なんでも言えよ?」
昔から変わらず過保護な私の保護者は、そう言って目を細めた。
でもね、本当に叶えたい願いは、もうどこにもないんだよ。この国のことさえ愛し切れなくなった自分の醜さを嘲笑うように。私はありがとうと呟いた。
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