崩したくなかった
ヴィルさんがレオンのところに行ってしまったので、自室のベッドに横になりながら本を読んでいた。英雄王の話だ。なんだこの高度な自虐……。今、暴虐王の首を持って国民の前に姿を現したところなんだけど、私こんなことしてない。
それどころか、さっきから私の行動がいちいち大袈裟になっていて笑えてくる。誰だよこれ書いたの。この歴史家私の性別忘れてない? 表現がいちいち雄々しいんだけど。アナスタシアじゃなくてアナスタージウスさんとかじゃないこれ?
現実との違いを探すという楽しみ方にシフトチェンジしていると、急に騒がしい足音が響いてきた。そのままの勢いで、扉のノブが動く。
「生きてるわよね!?」
ノックもせずに扉を開け放ったのは、先程私に難癖をつけてきたオフィーリア嬢である。第一声がそれか。アナスタシアに対してさんざん語っていた淑女らしさはどうした。せめてノックをしろ。色々と言いたいことはあるが、表情が心配を伝えてきているせいで文句を言うつもりにはなれなくて、曖昧に笑うに留めておいた。
「え、っと……。あなたは、さきほどの」
「オフィーリアよ! ああ、そんなことはいいの。体調はもう平気? 悪かったわね、あなたがそんなに脆いなんて思わなくて」
い、いい人だ……! よく考えたら、アナスタシアに対してもこんな感じだった気がする。陛下に馴れ馴れしくしないで! でも、あなたに覚悟があるっていうんなら、私と決闘なさい! 私に勝ったら認めてあげるわ! ……面倒くさいような、素直で可愛いような。私の数少ない友人の一人だった。
「……医者には見せたかしら?」
「ただの食べ過ぎですので、一日もすれば治りますよ。……心配してくださって、ありがとうございます」
そう伝えて微笑むと、オフィーリア嬢は安堵したように息を吐いた。
「よかった……」
本当に、心から心配していたような表情に軽く困惑する。優しさ、とか。そういう、それだけではなくて。もっと、深い何かを感じたのだ。気のせいかもしれないけれど。いや、やっぱり気のせいにしておこうか。
「……貴女、陛下のこと、どう思っているの?」
お見舞いなのか、飴玉の入った瓶を差し出しながら彼女は聞いてきた。どう。……イヴリンとしては、レオンハルトとはほとんどまともに話していないのだけれど。それを踏まえると。
「めちゃくちゃ偉そうだなーって」
「分かる。……じゃなくて!」
分かるのかぁ……。一度神妙な顔で頷いたオフィーリア嬢は、すぐに首を振った。そういうことじゃないらしい。
「あんなに楽しそうな陛下、あの子が死んで以来だったのよ」
「あの子?」
「アナスタシア。……私が唯一、陛下の隣に立つことを認めた女よ」
どこか憮然とした表情で、彼女はそう断言した。認めてくれてたの? とか、イヴには言えないか。
龍族にとっての決闘というものは、実はすごく重大な意味を持っている。勝者こそが正義で、弱さは罪だと。実力主義拗らせたというか、力こそ至上って考え方が一般的だというか。まあそういうことだ。私は龍族にはなれない。身体が弱いからね。
「だから、……同じことを繰り返すんじゃないかって、怖くなってしまったの」
八つ当たりよね、ごめんなさい。そう呟いた彼女は、私の知っている苛烈なお嬢さんではなくなっていた。年相応の落ち着きを身に着け、素直に言葉を紡ぐこの人を。私は知らない。
「……いいえ。なんとなく、お気持ちは分かります」
我ながら、平気な顔してよく言うものだ。私が死んだあと、どれだけの涙が流れたのだろう。考えたくも知りたくもない事実を直視しなければならない時がにじり寄ってくる感覚に、心臓が軋んだ。
「貴女……イヴリンといったかしら」
「はい、イヴリンと申します。家名はございません」
「いいのよ別に。龍族にも家名なんてないわ」
そうだね、知っている。龍族にとってはすべての龍が家族だから。区別しない。アナスタシアだった頃、私もその大きな家族の一員だったけれど――昔の話だ。
「貴女は、少し……あの子に似てるわね」
懐かしむように目を細め、オフィーリア嬢は呟いた。まあ、同一人物ですからね。
「髪と目の色、だけではなくてですか?」
「そういうところも、似てる」
誤魔化すように聞き返すと、彼女は呆れたように零した。溜め息と共に耳飾りが揺れる。真っ黒な石をはめ込んだそれは、輝くはずもないのに煌めいていた。
「まったく。陛下の気持ちが分かりそうで……嫌になるわ」
「あはは……。心配しなくていいですよ、どうせ、研究が終わったら帰りますし――」
そもそも、研究が終わらなかったとしても。九ヶ月後の誕生日頃には私は死ぬ。声に出さず脳内で呟いた。だから、二十年の年月を重ねたアナスタシアのようにはならないと。ちょっと日和見かもしれないけれどそう思う。
帰る。その言葉に何かを思ったのか、オフィーリア嬢は私の顔を見つめた。
「貴女は」
真っ直ぐに私を射抜く視線は、空色をしている。陛下の深い青とは違い、爽やかな晴れ渡る色彩だ。
「人間、なのね」
その呟きにどんな感情がこもっていたかなんて知らないで、私はただ笑って頷いた。
「大丈夫ですか? イヴ嬢」
ただの食べ過ぎだって言ってんのになんでわざわざ見舞いに来たのか。ちょうど本を読み終わったタイミングでやってきたヒューを胡乱に見ながら、そんなことを考えた。
そして。見舞いとは思えないその手に持った分厚い紙の束は何なのだろう。あー聞きたくないなぁ! 笑顔を作りながら、そっと扉の方に手を向ける。お帰りはあちらです。
「大丈夫ですので、研究の続きを――」
「あなた様の仮説の検証を行いましたので、資料にまとめさせていただきました」
これだから有能な変態は。内心で盛大に罵りつつ、差し出された紙束を受け取った。重い。ぱらぱらと捲ると、一日二日で書いたとは思えない詳細な考察が。ええぇ……。肉体崩壊が人間に起こった事例とかどこで見つけてきたの……。
溜め息を吐き、ヒューの顔をちゃんと見る。目もとには濃い隈ができていて、少し顔色も悪い。なんなら、私よりも彼の方が病人らしいくらいだ。呆れた。
「ヒュー、あなた、寝てませんね」
「申し訳ございません。あなた様に教授いただいた事実を検討していたら興奮して眠ることができなくて!」
違うな。恍惚と語る彼を見上げながら、冷静に確信した。それと同時に呆れのような感情が込み上げてくる。
「嘘ですね」
溜め息の代わりに、その欺瞞を突きつけた。彼は一瞬硬直するが、すぐに何事もなかったかのように取り繕う。ああ、まったく。
「え? いや、本当に興奮で――」
「私が死ぬのが怖いんですか」
問いかけではなく断定として、吐き捨てた。一秒でも一瞬でも早くどうにかしなければという執念は、きっと、恐怖に似ている。私にも覚えがある感情だから、分かってしまった。彼の目を真っ直ぐ見ていると、深緑がゆっくりと逸らされていった。図星の反応だ。
「ヒュー」
「……笑ってくださいよ。あなたをまた喪うと思ったら、怖くて眠ることができなかったんですよ。僕は」
僕、か。昔の口調に戻っている。無意識か……いや、意識的だな。私がアナスタシアだと確信しているからこそ、切り替えているのだろう。
「ちゃんと、ヴィルフリートやレオンハルト陛下とは違い、諦めもついていました。死者は戻らない。死人は帰らない。龍族の中では僕が一番よく理解しているはずです。アナ嬢はもう笑わないし怒らない。そう受け入れて、生きてくることができたのです。なのに……いや、だからこそ」
そんな中私が突然目の前に現れたのは、彼にとってどれだけの奇跡だったのだろう。そして、どれだけの恐怖だったのだろう。ヴィルさんにバレて投げやりになっていたのが申し訳ない。もう知られてもいいやって勢いだったから……。
「――苦しい。まるで、何も壊れていなかったみたいにあなたがいて。呆れたり、真剣に語ったり、笑ったりすることが。幸福すぎて、眩くて、また喪うのが怖くなったんです」
私は何も言えなかった。この、いつも魔力のことしか考えていなかった狂信者が、私が思うよりよほど私のことを想っていたことに。ひどく動揺してしまった。私の様子には気づかず、ヒューは必死にも見える形相で言葉を続けていく。
「何かをしていないと。動いていないと、瞼の裏に蘇るんですよ。指先から崩れ落ちて肉片となってしまった、あの、あなたの遺体が!」
「待ってその話詳しく」
アナスタシアと私を完全に一致させたのはもういいや。そこじゃなくて、え? なに。私の死体そんなことになってたの? やだ怖い。
ヒューと私の間にある温度差に関してももう謝罪しかできないけど、今の私にとってはそこよりも重要なことがある。
「……遺体の話ですか?」
「はい。え? 私の死体って肉片になってました?」
動揺しすぎて、私までアナスタシアを私って言ってしまった。ヒューはそんなことはどうでもよさそうに、私の死体の状況を思い返している。
「はい。ちょうど、そう……魔力暴走による肉体崩壊のように」
「確定してるじゃないですか!!」
私の今までの死因確定したじゃん! 先日私が言ったことの裏付けあるじゃん……!
別にそれが解決に繋がっているかというとよく分からないけれど、目に見える形で証明がなされたというのは大きい。というか、ヒューは私の死因を分かってもよかったのでは。
「……人間特有の病かと思いまして」
「あー、龍族と人間の身体構造の違いのせいで……。って、無いですよそんなの! あなた達は、もっと、人間に興味を持ってください!」
完全なる八つ当たりである。でも、でもさぁ! ヒューが私の死体を見て死因に辿り着いていたら私ここに来る必要なかったかもしれないし。でもヒューを責めることもできない。
荒ぶった感情を抑えるために、受け取った紙を捲ってみる。
「……あー、やっぱり自殺以外は死後に肉体が壊れてるのか」
そして、ようやくあの激痛の原因が分かった。身体が崩壊している痛みだったみたいだ。……冷静に考えるとくっそ怖いわ。考えるのやめよう。やめる。やめました。
しばらく私が資料を読むのを見守っていたヒューは、少し声を低くして私に声をかけてくる。
「……あの、今更ながら。一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんですか? 私としてはさっさと寝ることをおすすめしますけど」
顔を上げると、顔色が悪いながらも満面の笑みを浮かべたヒューが、すぐ近くににじり寄ってきていた。ベッドの上だから逃げられない。
「あなたは、アナ嬢で……間違いないんですよね」
疑問ではなく、最早断定されてしまった。まあそうだろうな。と一度頷いてから――口元に人差し指を当て、片目を瞑ってみせた。
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