頼りたくなかった


 とりあえず、体調が万全ではないということで、今日は研究の手伝いは休むことにした。ヴィルさんの部屋で先日と同じように並んでソファーに座り、出してもらった白湯に息を吹きかけて冷ます。

 ヴィルさんの服は、着替えてもまだ黒かった。よく思い出してみると、レオンも黒い服を着ていた気がする。今の王都では黒が流行色だったのかもしれない。黒を身に着けている代表としては嬉しい限りだ。


「盛大にご迷惑をおかけしました……」

「だから気にすんなっつーの」


 まだ微妙に濡れている私の黒髪を、ヴィルさんの無骨な手のひらが撫でてきた。また子供扱いしてきて。子供だと思ってくれてるから吐いたことも許してくれるんだろうけれど。精神年齢が二百歳を越えた身にはきついものがあるような。ないような。

 ――しかし、困った。気が付いてしまった事実に眉を寄せる。服は最低限着回せるだけしか持ってきていないので、さっきの嘔吐のせいで明日の着替えがない。致命的な事態である。あと、お金もない。なんだこれ詰みか。同じ服を二日続けて着るしかない……? 嫌だよそんなの。


「なんだ? 変な顔して」

「すみません、着替えがないという現実と向き合ってました」


 元々、服は最小限しか持っていなかったし。そろそろ買わなければならないというのは思っていたけれど。……先立つものが無い。どれだけ財布の底をさらっても、ちょっとした布の切れ端くらいしか買えない。なんて貧乏なんだ。我が孤児院ではいつも寄付を募っています。でもそれが子供の小遣いになるわけではない。


「なら、俺が買ってやるよ」


 当然のように言い切ったヴィルさん向けて首を横に振る。それは嫌だ。そこまで世話になり尽くしだと死にたくなる。だからといって解決方法とかすぐに金銭を手に入れるなんて思い浮かばな――いや、待って。私、ヒューに協力料貰ってなくない? アイツ、私に報酬を払うべきじゃない?


「私、報酬とか貰えるんですかね?」

「……金なら俺が出すって」

「いや、ヴィルさんに頼ってばかりもいられないじゃないですか」


 ヴィルさんが顔を歪めた。いやそんな顔されても。そもそも私が聞きたいのは正当な報酬の話ですし。一番最初にするべき話をしなかった私の落ち度だけれど。


「陛下に聞け」

「え? ヒューじゃなくてですか?」


 思わず聞き返すと、ヴィルさんは嫌そうに手を振った。


「陛下だよ。黒髪黒目が短命である理由解明をヒューバートに依頼したのも、てめぇをここに連れてくるよう言ったのも」

「つまり、私はレオンハルト龍王陛下とお金を話しをしないといけない……?」


 無茶じゃないですかこれ。しかもさっき話したばかりだから、今から聞きに行くわけにもいかない。ええぇ……これ詰んでない? もうどうしようもないな。


「だから俺が買うって言っただろ」

「………………頼らせて、いただきます」


 断腸の思いで頭を下げると、ヴィルさんは満足そうに笑って頷いた。なんかもうヴィルさんが嬉しいならそれでいいよ。私の挟持なんて捨ててしまえってことでしょ知ってた。



 そして、服に関する話題は終わる。自然な流れで、先程触れたレオンの話に移っていった。


「それにしても、陛下が私を見つけて呼び出したってことですか?」

「ああ、俺は騎士を辞めてたが、陛下の勅命だったからやむを得ず」


 ヴィルさんが来たのは、団長だからではなく騎士ではなくなっていたからか。今更納得して、でも、ふと疑問符が浮かんできて首を傾げた。


「龍王のくせになんで私のことなんて知ってたんですかね? しかも短命とかまで」

「アナのことを引き摺って、黒髪黒目の人間の情報はずっと集めてたっぽいしな。もっと早く誰かに接触したかったらしいが……なぜか他はいつも会う直前に自害しててな」


 つまり、私は今までの人生でも龍族と接触の危険があったということか。危険……? 私にとってそれが本当に危険なのかと聞かれたらそうでもない気がするけれど、だからといって歓迎すべき事柄でもないや。

 あと、私これ言い忘れてたな。いっけない。


「あ、それも多分私です」

「あ"ぁ!? てめぇまーだ黙ってることあんのかよ!」


 怒られた。口元に指を当てて笑いながら、話忘れてただけだと言い訳をして続ける。


「えっと、人生十回目なんですよ。私」

「それは聞いた」

「五回目、あれ? 六回目でしたっけ。そのくらいから、死ぬ予兆が分かるようになったので、死ぬ前に自殺することにしてたんですよ」


 ヴィルさんは頭を抱えた。確かに訳分かんないだろうけど、私は真面目だった。死んだほうがましな痛みと苦しみなんて、あの時くらいしか味わわないし。……あの痛みは。本当に、人格破壊しそうな衝撃だった。


「だから、ある時期から黒髪黒目の自死が増えたのか」

「はい、そうだと思います」


 私以外の可能性もなくはないけれど、私以外に見たことはないし。少しだけ白湯に舌をつけると、ちょうどいい温度になっていた。少し飲み下す。


「……わりぃ」


 押し殺したような謝罪の声に、首を傾げながら彼の顔を見る。俯いていて見えなかった。


「ヴィルさんが悪いことなんて一つもありませんよ」

「もっと早く、お前を見つけ出せたらよかったのに」


 それはどうだろうか。少しだけ苦笑する。彼は、私の強さを過信している節がある気がしてならない。私が、もっと早く彼と再会しても、大丈夫だと無意識に確信しているような。今までの私が折れずに生きてきたと思い込んでいるような。

 無意識下の信頼は、重いよ。そんな言葉を白湯とともに飲み込んだ。


「どうして、ですか?」

「人を殺すのは、怖いだろ」


 ゆらりと揺れた視線が、私のことを捉える。ああ。ぱちぱちと弾ける火花を。揺らぐ炎を。私はまた彼の瞳の中に見つけてしまった。


「それが、自分だとしても。……てめぇはド阿呆だから、怖えんだろ」


 手を握られる。熱い。彼の体温は私よりもずっと高くて、触れた部分から溶けてしまいそうだといつも思っていた。今もそう思っている。


「――俺は。可愛いお前を、そんな選択をしなければいけないほどに追い詰めた現実が、……助けられなかった自分が、許せねぇ」

「……ヴィルさんって、馬鹿ですよね」

「あ"ぁあん!?」


 チンピラでも震え上がるような形相を真正面から見つめながら、ただ笑みを零した。なんだろう。……嬉しいなぁ。


「逃げていたのは、私の方なんですよ。ヴィルさんはもっと私を叱るべきです。お前が逃げてたせいで余計面倒になった! とかって」


 手を握り返す。大きい手だ。いつも私を引っ張ってくれた手だ。私をずっと守ってくれていた、手だ。大好きな『家族』の手を強く強く握り締め、私はにへらと笑う。


「それくらいでいいんですよ。困ったことに、見つかっちゃったのが今でよかったって、私は思っているので」


 前回は、人里離れた山の中でひっそりと暮らしていた。そんな生活では身なりに気を遣うこともできないので、……そこで龍族にあったらと思うと、すごく嫌だ。その前は、いろいろあって顔面に火傷を負ったし。今が一番マシだと思う。


「……アナ」

「今は、イヴですよ」


 呼び掛けた声に、今更な訂正をする。少し泣きそうに顔を歪めたあと、ヴィルさんは私の頬に手を伸ばした。


「……イヴ、俺はな。てめぇが一番可愛いんだよ」

「知ってます」


 ヴィルさんが私のことを目に入れても痛くないくらい溺愛してるのは、もうとっくの昔から知っている。馬鹿阿呆狂人、身の程知らず、などと暴言を吐きながらも彼が私から視線を逸らしたことがないことが何よりの証明だ。そして私にとってもヴィルさんは大切な家族である。胸を張って言い切ると、呆れたような目を細められた。なんでだ。


「イヴ以外に、大切なものなんて何もないんだ」

「やだ、もしかして謀反ですか?」

「お前が望むなら、陛下にだって逆らってやるよ」


 やだぁ……。完全に本気の声色だったので、丁寧に断りを入れておく。龍族特有の愛情の重さどうにかして……。一介の人間でしかない私にはちょっと理解できないから。

 私に同等の質量を求めてないことなんて、ずっと前から知っていたけれど。負い目に感じていたのは私だけだ。


「だから、次は守らせてくれ」


 真摯な。

 まるで、お姫様に忠誠を誓う騎士のような雰囲気で、彼はそう宣言した。は、と嘲笑のように息が漏れる。あるいは、泣き出す直前の息遣いに似ていたかもしれない。自分ではよく分からない。


「……もし、『イヴ』が死んでも、次のお前がいると信じて探し出してみせる。自殺なんて馬鹿な手段取らずに済むように、他の何かがお前を傷つけないように、守るから」


 まだ家族でいていいかと。掠れた、吐息のような声が、そんな馬鹿みたいなことを聞くものだから。私は笑った。笑うしかなかった。縋り付くように、彼に抱き着く。少しだけ花の匂いがした。城にある石鹸の匂いだ。


「――いいの? 私と、家族で」

「お前以外に、いらねぇよ」


 そっかぁ。……そっか、ぁ。滲む目元を見られたくなくて、ヴィルさんの服に擦り付ける。怒られた。でも、温かくて、暖かくて。久しぶりに、ちゃんと泣けた。

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