話したくなかった
「イヴ、これをやる。甘いものは好きだろう?」
体外的な猫を被ったヴィルさんが、例の果実の砂糖漬けの瓶詰めを私に手渡した。あー、これアレだ。たまにしか会えないから娘に物を与えて気をひこうとする父親だ! 以前街で見かけたことがある。
すごく失礼なことを考えつつ、笑顔で受け取った。素直に嬉しい。ヴィルさんがくれるものなら基本なんだって嬉しいけどね。バレたことで吹っ切れた私の心は強い。
「……ねぇ、あれ」
「例の……黒髪……」
「早く……かえ……」
そんな私の背後からは、龍族の皆の声が小さく聞こえてきている。わぁ、めっちゃヒソヒソされてる。初日から陰口は叩かれていたが、私が馴染んできたからかずいぶんと増えたなぁ。
そんなことで傷つくほど繊細な心の持ち主ではないので、ちょっと羽虫が多い程度の不快感である。つまり、傷ついてはいないけれど割と不愉快だと。そういうことですね。
「ああそうだ、ついでに食堂にでも行くか」
「え? 食事ならいつも部屋の方に――」
部屋に持ってきてもらっている、と言い切る直前。きらびやかな笑顔でヴィルさんが口を挟んだ。
「偶には一緒に食べてもいいだろう。もしかして、嫌か?」
「嫌ではないです! あ、けど」
龍族と同じ食事量だと絶対残す。食べ切れない。という主張をしようと口を開いたが。
「なら行こう」
遮られた上にやたら強い力で手を引かれ、伝えられなかった。なんでこの人こんなに焦ってるんだろう。ちょっとだけ首を捻り、まあいいかと大人しく後ろを着いていくことにした。
「――おい、イヴリンとかいったな」
と。その時だ。後ろの方から、やたら偉そうに声を掛けられた。と同時に、陰口が聞こえなくなっていたことに気がつく。ヴィルさんの顔を見ると、舌打ち寸前の表情だった。なるほど。
得心がいって、振り返る。
「はい、レオンハルト龍王陛下にお名前を覚えて頂けていたなんて、光栄です」
私に偉そうに声を掛けてきたのは、レオンだった。おそらく、ヴィルさんは私がレオンと会いたくないだろうと思って、引き離そうとしてくれたのだろう。優しい。大好きお父さん。
まあ、そんな心遣いは軽く無に帰すが。お偉いさんに呼び止められて無視とか無理無理。人間は権力におもねるものだよ。龍族が考えているよりもよっぽど権力に弱い生き物だよ!
レオンは、少し目を丸くしてから、すぐに不機嫌そうな面になって私を睨み付ける。これはもう、偉そうとかいう問題じゃない。私に対して失礼なだけなのでは……? 人間だからか? とうとう人間という種族が嫌いになっちゃったのかもしれない。私のせいか、すまんな。
「我のことを誰に聞いた?」
「こちらの、ヴィルフリート様に伺いました」
おい俺を巻き込むな、みたいな顔で私を見てくるヴィルさんはさて置き、レオンはなぜ私に話しかけてきたのか。軽く首を捻る。理由が全然分からない。先日の反応を見るに、私のことなんてそこらの塵芥みたいに思っていたと考えていたんだけど。
「……まあいい。貴様に聞きたいことがある。後で我の部屋に来い」
「えっ、普通に嫌です」
権力におもねるとは何だったのか。自分の失言に気がついて口を押さえたが、言ってしまった言葉は消えない。視界の端ではヴィルさんが額を押さえていた。
レオンはすごく不愉快そうに眉を上げたが、声を荒げることはなく。
「……今から食堂へ向かう、と言っていたか」
そうひとりごちると、盛大に溜め息を吐いた。苦渋の決断をするときの顔だった。
「ヴィルフリートも一緒でいい、少し話をできないか。食事をしながらでも構わないから」
すごく譲歩してくれてる。レオンが人に気を遣えるなんて……! 口元に手を当てた。今度は感動で。
「それでしたら、大丈夫です」
レオンに気を遣って貰えたことが嬉しくてつい許可してしまったが、何の話をしたいのか分からないままだった。まあいっか。まだ何も勘付いていないようだし、どうにかなるよきっと。
いいのかよ……、みたいな顔で見てくるヴィルさんは無視した。周囲の龍族は仰天したようにこちらを見ているが、それもまた無視しておく。レオンだけが、なんの感情も浮かんでいない仄暗い瞳で私を見ていた。
食堂も、私の記憶とほとんど変わりなかった。強いて言うなら、私の頃よりも利用人数が多いかな。賑やかなのはいいことだ。レオンが来たせいで賑やかどころではなくざわついているけれど。まあいいや。
「何を食べたい? 注文できる品はここに書いてあるが……」
「なんでもいいです」
「一番困る返答はやめろ」
「強いて言うなら、肉の気分ではありませんね」
王宮の食堂での食事は、ここに住んでいる人に限り無料で提供されている。私も今は住んでいることに変わりないので、同様に無料で食べられるらしい。
そんなこんなで、注文したサンドイッチと野菜スープ――他はほとんど肉料理だった――を受け取り、一角にあるテーブルについた。
「おま、そんなに少なくて大丈夫なのか?」
「龍族の皆様が健啖家ばかりなだけだと思うのですが」
なんで皿の容量の限界に挑戦したかのような量の料理を食べようと思えるんだろう。ここでは私以外のすべてがそれだけ食べ切るのだけれど。異種族の中に放り込まれた気分だ。現実とまったく相違ない。
レオンも、どこか訝しむような目で私の食事量を見ている。私からしてみれば、おかしいのはそっちの方なんだけどなぁ。
「――貴様らは、仲がよいのだな」
あっ違う。レオンが訝しんでいたのは私の食事量じゃない。私とヴィルさんの仲良しっぷりだ。
内心少し焦りながら、ゆっくりと首を傾げる。レオンハルトが何を言っているのか理解できないというふうを装って。
「そうですか?」
「ああ。我はヴィルフリートとそこまで会話できる……できた者を、他には一人しか知らぬ」
それも私じゃん……。アナスタシアと私を重ねて見て傷つくのはレオンなのに。しょうがないなぁ、という気持ちになりながら、それでもとぼけてみせる。
「ヴィルフリート様はお話しやすい方ですのに、不思議ですね」
「こやつが、話しやすい……? そんな言い分は聞いたことがないな」
ええぇ……。ヴィルさんは優しくて気遣い屋さんで話しやすい人なのに。なんで皆そんな。理由が分からない。ヴィルさんの顔を見上げ、少し考える。なぜかヴィルさんは少し強張った顔をしていた。
「顔が怖いからでしょうか……?」
あっ、視線が痛い。ヴィルさんの顔が騎士モードを消し去ってしまった、落ち着いてよ。いや、そもそも私としてはヴィルさんが他の龍族とあまり話さないって印象がなかったんだけど。冷静に思い返してみると、この人私としか話してないかもしれない。私とはめっちゃ喋るのになんでだ……。
「――っは」
考え込んでいると、空気が抜けるような声がした。思わずレオンの方を見るが、口元を手で覆い俯いているので顔が見えない。でも、その肩は震えているのが見えて。
「は、はは。ふっ。そうだな、こやつは顔が怖いからな、ははっ」
レオンは。
レオンは、笑っていた。
多分顔を見られていないだろうけれど、込み上げてくる色々を堪えて唇を噛み締める。私は、この瞬間、みっともなくも安堵したのだ。
愛した人が自分の死で不幸になったことを受け入れられなかった。一言でまとめてしまえば陳腐な悲劇だけれど、当の本人である私達にとっては凄惨な現実だ。だから、本当は、分かっていたのに怖かったから。
(――よかった)
レオンは笑える。まだ、なのかもう、なのかはわからないけれど笑えている。あの日の、絶望に濡れた表情を塗り替えるように、私は彼を見つめた。
「……ああ、愉快だ。こんなに愉快なのはいつぶりだろうか」
「俺はあまり愉快ではないんですけどね」
一頻り笑ったあと、レオンは顔を上げて少し晴れやかな顔をした。心なしか、瞳の淀みも薄くなっている気がする。ヴィルさんが不機嫌そうなのはまあどうでもいいや。だいたいいっつも不機嫌だし。
穏やかな顔で瞳を細め、レオンは私にしっかりと向き合う。私もずっと彼を見ていたので、お見合いじみた感じになってしまった。なんて。
「イヴリン、貴様……いや。先日は悪かったな」
――レオンが謝った!?
驚きのままに声を上げなかったことを褒めてほしい。表情はどうにかして取り繕ったが、内心はかなり荒ぶっている。いや本当に。レオンって謝れたんだ。このくっそ偉そうな龍王陛下って謝罪の言葉知ってたんだ。
「い、え。いえいえ。どうかお気になさらず。私もまったく気にしておりませんでしたし何なら忘れていましたし!」
「それはどうかと思うが」
勢いよく言い募ると、レオンは呆れたように目を細めた。おかしい。レオンが初対面の怪しい女相手にこんな砕けた態度を取るはずがない。さてはヴィルさんが何か漏らしたか? ――いや。ヴィルさんも目を丸くしてるところを見るに違う。
私が何か変なことを言ったのかもしれない。結論、多分自業自得。
「そ、れで。聞きたいこととは何でしょうか?」
このままでは墓穴を掘り進めるだけになりそう。流石に三つも四つも墓はいらないかな。しっちゃかめっちゃかな思考でそんな判断をして、盛大に話を逸らすことにした。ヴィルさんは呆れたように額に手を当てている。話を続けるよりは安全でしょ分かって。
レオンは少し虚をつかれたような顔をしたが、すぐに表情を引き締める。どうやら、真面目な話らしい。私も気を引き締めた。
「――貴様は、迫害を受けていたのか?」
……そんな顔して聞くことがこれ? 気が緩むのが自分で分かった。もっとこの国の未来に関わる話かとばかり。いや、今の私にそんなこと聞くはずないとは思ってたんですけどね。
なんとなく温度差を感じながら、首肯する。
「まあ、軽く」
「具体的には」
「あー、食事中にして面白い話ではありませんよ?」
結構血なまぐさいし、人間に失望しかねないし。何より私があまり思い出したくない。イヴリンに限定しても、色々されてきたからなぁ。
それを恨む気持ちは、我ながら驚くほどまったくない。慣れてしまって、心が麻痺してるのかもしれないくらいには。ああ、まあ、そうだよなぁと。それだけしか思わなかった、思わなくなっていた。
「俺も聞きたいな」
渋る私に、まさかのヴィルさんまでもが敵に回ってきた。ええぇ……。ヴィルさんは私の味方じゃなかったの。ジト目で見上げると、案外真剣な顔をした彼に少し目を瞠る。
「イヴは、周囲の人間に、どんなことをされてきたんだ?」
これは、話さないと後が怖いかな。諦めの溜め息を吐き、一度強く目を瞑る。
「眼球は、よく抉られそうになってましたよ」
息を呑む音がした。だから言うのが嫌だったんだよ、という本音を押し殺し、ただ淡々と事実のみを述べていく。
「殴られたり蹴られたりは日常でしたね。暴言だって、意識しないと言われてるって気づかないくらい当たり前に成り果ててました。まあ、十歳くらいの頃には収まってきましたが」
収まった、と言うと語弊があるか。ただ単に、シスターが私を守ってくれるようになっただけだ。人の悪意は消えないし、恐怖も殺意も、向けられ続けている。
だけれども。教会の。孤児院の、片隅。シスターは、なぜかひどく必死に私を守り続けてくれた。愛してくれた。
「――貴様は、憎んでいないのか」
「憎んではいませんよ。……彼等の気持ちだって、なんとなく分かりますから」
人間は、本当に弱いから。怖かっただけだ。自分たちを簡単に殺せてしまう存在が、まるで無害な子供の顔をしてそこに在ることが。恐れ怯え恐怖に震えて、だからこそ迫害した。その感情は当然のものだと思うから、憎み切ることはできない。
恨んではいるがな。だけれども。
「私を蹴った男の人は自警団の団長さんで、村ではよく慕われていました。私に石を投げつけてきた子供は、今は学園でとても優秀な成績を修めていて、将来は国のために働くつもりだとか。私の眼球に指を突っ込んできた女性は、薬師としてたくさんの人を救っています」
なにを。なにを、憎めるというのだろう。異物は私で、彼等は人として当たり前に怯えていただけだ。人間の形をしただけの化け物を排除しようという心の動きを、一体誰が責めるというのか。
「私がいなかったら、ただの優しい人たちのままでいられたんです」
それを知っていて、私はこの国を愛したのだ。人間が、排除されるべき同族に対して悍ましいほど冷たく当たれるのだと知っていた。それでも。
強いだけの強さが罪だと、一体誰が、言ったのだろう。
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