気づかれたくなかった
嫌な夢を見た。少々憮然とした気分になりつつ、与えられた見慣れない部屋の天井を眺める。私が住んでいた城の、客室だ。なんとなく懐かしいような、別にそうでもないような。
溜め息を吐き、身支度を整える。孤児院から持ってきた数少ない荷物の大半が、服やら靴やらの服飾品だ。頼めばヴィルさんが用意してくれた気がしなくもないが、そこまで頼るのは人として駄目でしょ。あと普通に借りを作りたくない。元々アナスタシアがどれだけ龍族に負い目を持ってるのかって話だよ……。本当にやだ。
目が覚めてからしばらくして、ヴィルさんが部屋を訪れてきた。曰く、ヒューの研究室に案内してくれるらしい。それってヒューがするべきことじゃないのか、なんて言葉は呑み込んだ。
「……ヒューバートは、変な奴だっただろう?」
「まあ、世間一般的な龍族の印象との類似点は少ないような印象ではありましたね」
彼の率直な質問を聞き、できる限り湾曲した表現で返す。私の伝わりにくい言葉に、ヴィルさんは普通の顔をして頷いた。
「そうだろうな。だが、アレはあれでいて優秀な男だ。変わってはいるが」
こうして並んで歩いていると、アナスタシアだった頃を少しだけ思い出す。今はそんなことできないけれど、よく手を繋いで歩いていた。私が人の子にしても脆弱すぎたから、彼は、手を繋いだだけで私の手が砕けるんじゃないかなんて馬鹿な心配を、よく。
「……だから、心配することはない。短命の原因の解明など、アレならば軽くこなしてみせるだろう」
「ヴィルフリート様は、お優しいのですね」
彼が言うような心配なんてしていなかったが。ヴィルさんは、なんの関わりもない人の子に対してこんなにも心を砕くような人だったか。少し考えて、思い出す。
(……私を助けたのは、ヴィルさんだったもんなぁ)
見ず知らずの死にかけたガキを助けて自分の子供のように育てる人だ。私みたいな弱っちい存在も気に掛けてくれているのだろう。ああ、優しいなぁ。ひどい。
笑顔のまま表情を固めていると、ヴィルさんが軽く溜め息を吐いたのに気がついた。首を捻る。私の疑問符には触れることなく、彼は呆れたような顔で私の目を見つめた。アナスタシアだった頃、よく見ていた表情だ。
「お前は、不平不満を口にしないな」
今の流れでどうしてそうなったのだろう。自分の言動は棚に上げ、曖昧に微笑む。
「そうですか?」
「あと数年で死ぬかもしれないと言われても普通に受け入れ、あまり態度が良くない龍族に対しても受け流し、……陛下の言動も気にしていない」
そうかもしれない。いや、内心では多少苛立ってはいるけれど。表に出すほど腹立たしいわけでもないし。自分の寿命については結構前から諦めているし。
諦念というか。無関心というか。
「陛下?」
とりあえず、彼の言動には特に触れないことにした。代わりに、不思議そうな表情を作って聞き返す。ほら、昨日のレオンハルト、私に名乗ってなかったじゃん……。名乗られたら名乗り返せよ、と思わなくもない。
「英雄王の墓前で会話をしたと聞き及んでいる」
「ああ、あの偉そうな方ですね」
「……一応弁明しておくが、偉そうじゃなくて偉いんだ」
んたこたどーでもいい。そんな無為な会話を繰り広げていると、ヴィルさんが足を止めた。
気がつくと、ずいぶんと王宮の隅っこに来ていたらしい。人の気配が感じられない。
「この扉の向こうに階段がある。その先がヒューバートの研究室だ」
「一緒に来てはくださらないのですか?」
「悪いな、俺はあいつに嫌われててな――入るなと言われているんだ」
そうだったっけ。そうだったかも。まあいいや。一瞬浮かんだ疑問を軽く放り捨て、扉を開ける。
「じゃあ、しばらくしたら迎えに来るな」
ここに来てからほとんど付きっきりだなぁ。結構上の立場のくせに。
「騎士団の団長様が私ごときに構ってていいんですか」
ずっと考えていたことをポツリと呟く。嫌に響いたその声に口元を押さえ、振り返る。ヴィルさんは、変な顔をしていた。そこらの虫が流暢に言葉を話したのを見たような。そんな、突拍子もない現実に向き合ったような顔を。
「……もう、団長じゃねぇよ。百九十五年くらい前からな」
感情を押し殺したような声に、一瞬頭が真っ白になった。
――しくじった。そうだ、そういえばそうだった! 彼はイヴリンに対して自分の肩書きを一度も言ってなかったじゃないか。それが田舎の小童に対する配慮なんかじゃなくて本当に名乗るべき肩書きがなかったというなら。
知らないはずの情報を、しかも古いそれを口にするなんて初歩的なミスにもほどがある。多分顔面蒼白になっている私に向けて、ヴィルさんは、ふと表情を和らげてみせた。
それはそれは綺麗なその笑顔を、見て。私はそっと扉の向こうに身体を滑り込ませた。
紛れもなく、敵前逃亡であった。
「――てめぇあとでちゃんと話聞くからな覚えてろよこのド阿呆!!」
そんな怒声――もう完全にバレてますねこれ――を聞きながら、階段を駆け下りる。ヴィルさんが騎士モードもとい体外的な猫被りを剥ぎ取ったところを考えると、やっぱり完全に確信されている。自分の馬鹿さが嫌になってきた。
なのに。緩む頬を押さえ付ける。……どうしてこんなにも懐かしくて、嬉しいんだろう。何だか泣きたいような盛大に笑いたいような気持ちになって、階段に座り込んだ。
「……イヴはいったい何をなさったのですか?」
ヒューの研究室。……かつて暴虐王が拷問を楽しんでいた地下室に足を踏み入れた瞬間、ヒューは変な顔で私に問いかけてきた。ヴィルさんの声大きすぎじゃない……? あと、ヒューはどうしてここを選んだの?
頭を抱えたくなる気持ちを堪え、笑顔で首を横に振る。触れてくれるな。触れないで。今まだ心の整理できてないから。
「黒髪黒目が短命である理由について、実は私には心当たりがあります。まあ、ただの仮説なのですが」
「中々大胆に話を逸らすのですね、そういうところも素晴らしい、惚れ惚れします」
彼の言葉は聞かなかったことにして、口を開く。ヒューの言動は触れない方が無難だと、アナスタシアの頃から知っている。
「黒髪黒目が呪われている、とか。そういうことではないと思うんですよ」
私個人の感情はさておき、と心の中で呟きながらそう述べた。ヒューは表情を引き締める。先程までの狂信者じみた顔ではなく、ひとりの研究者の顔つきだ。
「まあ、呪いと言っても差し支えない気がしますけどね。体内に保有する魔力の量が多すぎるからこそ死に至る――それが私が辿り着いた結論です」
ヒューは、息を呑んだ。おいおい、考えたことがなかったのか、本当に。その虚をつかれたような反応に苦笑しつつ、顔の横にある髪をいじる。
この黒は。身体の中に、途方もない量の魔力を持っている証。本気で爆発させたら世界は無理でも大陸一つくらいなら地図から消せる程度の、人間には勿体無いくらいの魔力。脆弱な人間の身には余る、ちから。
「そ、れはおかしいのでは? 確かに黒髪黒目の人間が持つ魔力は膨大ですが……龍族の中にも同等の魔力を持つものがおります。それが原因で死んだとは聞いたことが――」
「人間と龍族では、体内に保有する魔力の循環、放出の機構に違いがあることをご存知ですか?」
アナスタシアは結構な魔術馬鹿だったから、魔力や魔術、精霊術や魔法に至るまで幅広く学んでいた。王位を退いたあとは研究者になりたかった、とかいう小さな夢も、あった。
その記憶が、知識が、今の私の命の期限を正確に示している。
「……ああ、アナスタシア嬢が言っていた――。はい、存じ上げております」
まだ、覚えているのか。私がアナスタシアだった頃、ヒューとはよく魔力について語り合っていた。力……武力こそが全てだと考える龍族において、魔力を至上とするヒューの考え方は理解され得なかったから。彼は頭はおかしいけれど、その分賢くもあった。
「龍族は、確かに黒髪黒目の人間と同等かそれ以上の魔力を保有していることがありますが。……彼等は、身体が耐えきれなくなる前に放出できるんですよ。呼吸のように」
そもそも、身体が保有できる魔力の量自体が違うのだと思う。人間とかいう脆弱な種族は、魔力を操ることも下手ならその身体の構造自体も膨大な魔力に耐えられない。
だから、死ぬのだ。
「魔力過剰による身体崩壊。……いえ、治癒魔術の行使による魔力暴走の方が知名度は高いでしょうか」
結論を、口にする。多分、私は笑っていた。口の端を少し上げ、目を細め、この世界を嘲るように。笑っていた。――嗤っていた。
「聞いたことはあるでしょう。元々魔力を持っていない動物に魔力を注いだら、身体が崩れ落ちて死ぬと。それと同じだと思いますよ?」
――黒髪黒目の人間が、短命なのは。
空気が凍る。ヒューは、何だかひどく泣きそうな顔をして私を見つめていた。苦笑して、意識的に表情を切り替える。
いけない、いけない。これはただの八つ当たりだ。彼には何の責もないんだから、こんな意地悪してはいけない。
「まあ、ただの仮説ですよ。これが本当なのかどうかを、これから確認するんでしょう?」
「え、ええ。はい。そう、ですけれど」
「どう確かめていけばいいのかはよく分からないので、ヒューに任せたいです。そもそも私はただの田舎娘ですので、さっきのは無知な子供の浅慮だと笑い飛ばしていただいて結構ですよ」
「――いえ」
す、っと。彼の目が細められた。私の目の奥を、心の底を覗き見るような鋭い視線。それを真正面から受けて立ち、ただ笑う。
「無知な子供では、ないでしょう。あなたは」
「いいえ、無知な子供ですよ。私は」
多分、色々と勘付かれたかなぁ。まあいいか。もういいや。なんとなく投げやりな気分になりながら、彼の泣きそうな顔に目を向けた。さっきの鋭い視線は一瞬で消え失せた。その代わりに、なぜか懐かしむような――憧憬のような。後悔のような希望のような。瞳の色が様々な感情を映して曖昧に揺らぐ。
そして、一度強く目を閉じたあとその瞳に浮かんでいたのは、覚悟だった。
「あなたがそれを望むというのなら、私は――いえ。僕は何も言いません」
「なんのことですか?」
お? 陛下に対する裏切りかな? 背信だ、謀反だ。
ちょっとワクワクしながら、とぼけてみせる。ヒューは昔のように瞳を煌めかせて、私の手を握る。彼のこういう切り替えの早いところは……あまり嫌いじゃなかった。
「短命の原因はきっとあなた様の言った通りでしょう。それを仮説として、では、どうすればそれを改善――いや。あなた様が長生きできる方法を! 共に!! 考えていきましょう!」
共に、の部分に力入り過ぎじゃない? 軽く遠い目になりつつ、その手を握り返した。
「はい、喜んで」
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