生まれたくなかった


「おはようございますシスター今日もいい天気ですね!!」


 人間の魂が巡らないって嘘だったんだね!! 世の中糞かよ。今日も今日とて心の中で絶叫しながら笑う。世の中の不条理もありふれた悲劇も飲み干して、私は私として生きるのだ。

 こんにちは皆さん私の名前はイヴリンっていいます、皆からはイヴって呼ばれています。ずっと昔にはアナスタシア・エヴェリナ・ダフネって名前でした。ずっと昔の王様です。なんでその記憶があるんだよおかしいだろ。


 なーんて、そんな疑問も煩悶もちょっとした絶望も、結構、いや大分前に通り過ぎた。何を隠そう、私は人生十周目である。ひどい。アナスタシアとして生きて死んでから、実に八回死んだ。そのくせ、アナスタシアよりも長生きしたことは一度もない。更にひどい。神様ってもしかして私のことが大嫌いなんじゃない……? 私は神なんて信じてないけど。

 なぜだか分からないが、人生一回ごとに寿命が一年ずつ縮んできたとかいう事実もあるし。五回目辺りからは、あの激痛が身体を襲ってくる予兆のようなものが感じられるようになってしまった。おかげで私には四回も自害した経験……記憶? がある。いやさ、あんなにも痛いなら死んだほうがましだってば。



 あの時。アナスタシアとして死んで、この魂が巡って。最初の転生のとき……私は、龍族と会おうとした。でも、もう会えなかった。彼等は人間の王族よりも偉く、崇高で、簡単に会うことはできない存在だから。私がそうしたから。だから、一回だけ会おうとして……それが無理だったから、すぐに諦めた。

 私は弱いから。私は弱い……人間だから。美しい記憶になってしまったアナスタシアを、そのままにしてしまうことを選んだのだ。会いにはいけない。行かない。わたしはもう王様ではない。私は英雄なんかではない。そう誤魔化した。


 諦めるための理由があったから、私は龍族の彼等のことを忘れることにした。あるいは、自分が自分だと信じてもらえないことが怖いだけかもしれないけれど。もう、決めた。決めてから実に百五十年くらい? 二百年弱? そろそろ寿命という概念の存在しない龍族の中では反抗期かな。世界に対して反抗したい気分だし。


「……イヴさんは、今日も元気ですね」


 私がつらつらと考えていると、背筋をしゃんと伸ばした老齢の女性が苦笑混じりにそう言った。綺麗に歳をとったという印象で、簡素に纏められた白髪も品がいい。私がこんなふうに歳をとりたいと思って止まないこの女性は、この教会……もとい孤児院のシスターだ。

 そう、私は捨て子である。産まれてすぐに捨てられた。アナスタシアのときでも五歳までは育て……育て? られたのに、今生の私はどういうことだ。

 ちゃんと親に育ててもらえた人生なんて一回もありませんでした。家族愛が足りない。


「そりゃあ元気ですよ! 空が青くて風は澄んでいて、花壇の花は綺麗に咲いていてシスターは美しい。今日もいい日な予感がするので、私は元気なのです!」


 いやぁ、私が死んだ日のような素晴らしい春の青空だなぁ! いろいろと吹っ切れてしまった私は、満面の笑みでシスターに話しかける。彼女は、困ったように微笑むけれど、そこに嫌悪の色は……ない。

 彼女に駆け寄ると、視界の端で、私の黒い髪が揺れた。黒髪。人間としてはほとんど見られない、色。龍族にはちょくちょく見られたけれど、人間の黒髪は前世でも私しかいなかった。一定以上の魔力を持っていると、黒髪になるらしい。

 ちなみに、一定以上というのはイコールで途方もない量と繋がっている。私が捨てられたのはそういうことだ。人間って、強大過ぎる力を恐れる節があるよね。分かる分かる。これでも龍族の王が黒髪なおかげで当たりは優しくなったんだけどね。

 あ、髪と目の色だけはアナスタシアと同じです。十回ずっと黒髪黒目。なんでだよ。魔力が強すぎて飼い殺しもできなくなって捨てられたアナスタシアと同じとか呪われてんの? 呪われてるんだろうなぁ。私自身からして呪ってるんだから。


 シスターは、近寄ってきた私の頭をそっと撫でてくれた。ああ、優しいなぁ。私の髪に触れるなんて、優しい。


「イヴは、なにか欲しいものがありますか?」

「……急にどうかしたんですか?」


 慈悲深い微笑みを浮かべた彼女の顔を見上げ、首を捻る。はて。私は何か褒められるようなことでもしたのだろうか。分からない。


「もうすぐ、十四歳の誕生日でしょう?」


 ああ。なるほど。完全に忘却の彼方にあった事実を思い出し、頷く。誕生日とか死が近づいてくるだけの日じゃん。あと一年で死ぬのか……私。悲しいとか辛いとかはないけれど、シスターには申し訳が立たない。こんなに慈しんで育ててくれたのに、シスターよりも先に死ぬなんて。まあいつものことなんだけど。


「そうですね。欲しいもの……あ! メリッサの靴が小さくなってきたので、新しいものを――」

「イヴのものでお願いできますか。あと、靴に関してはもう買ってあります」


 誤魔化せなかったか。でも、あと一年で死ぬ身に何か買ってもらうものなぁ。いや、死なない可能性もなくはないけれど。十中八九死ぬから。これで死ななかったら今までの九回の死が何だったのかって。


「えぇと……。また今度でいいですか?」


 顔色を伺いながら、そう問いかける。シスターは少し呆れたような顔をしていたが、頷いてくれた。優しさ。




 悲しかったことも、苦しかったことも、嘆きも。平穏な日常の中に埋もれていく。王様だった頃が夢だったかのように。龍族の皆と語って、笑って、確かに共にあったことが幻だったみたいに。アナスタシアが死んでいく。それはきっと、当然のことだ。だから。だから。

 過去のことなんて、忘れてしまうと、決めたのだ。




「ここに、黒髪黒目の子供がいると聞いたのだが」


 ある夏の日。誕生日プレゼントを盛大に誤魔化したおおよそ三ヶ月後のこと。赤い髪と橙色の瞳の、顔に傷のある厳ついけれど顔の整った男が急に教会を訪ねてきた。魔力の波動が明らかに人間ではない。

 まあそれ以前の話、その顔に見覚えがあった。私は隠れて頬を引きつらせる。龍族の中でも精鋭である騎士団の団長じゃないですかーやだー。

 ほんっとうにやだ。やめて。ようやく前世(九個分)の記憶と折り合いをつけて生きていけるようになったから、急に来ないで。せめて前々から手紙を出すとかしておいてよ逃げるからさぁ! 会う気はないです。

 しかし、なんで真っ黒な服を着ているのだろうか。少し首を傾げる。私の知る限りでは、龍族の騎士団の制服は白だったと思うのだけれど。返り血が分かりやすくていいという理由で。わぁ戦闘狂。なぜ返り血を目立たなくさせたのか……。洗濯班から苦情でも出たのかな。分かる。


「……あの子に、なにか御用ですか?」


 シスターは私を庇うように隠し、彼と相対した。龍族の男――ヴィルフレッドは、片眉を上げる。理由をどう説明しようか悩んでいるようだ。顔は怖いけどヴィルさんいい人だから……。だが会いたくはない。


「人族の黒髪黒目は、誰一人として長生きをしない。その理由の解明と、できることなら改善のために……我等のもとに来てもらいたい」

「長生きを、しない……?」


 人族の黒髪黒目の大半は私なんだけどね! 長生きしないどころか早死にしても早すぎるよね。……その理由の、解明かぁ。

 私としてはなんとなく理由も分かっているんだけど、改善は無理じゃないかな。言わないけど。行かないけど。シスター頑張って。私はシスターのところで死にたい。


「ああ。おおよそが二十歳前後で死んでいる。最も長くて、二十五歳だ」


 ヴィルさんは、二十五歳と言ったときに少しだけ顔を歪めた。泣きそうに、苦しそうに、悼むように。なんだ、それ。二十五歳で死んだのは、私だろ。もう百年以上立っているのに、まだ、そんな顔をするの。心臓付近に痛みが走った。多分、罪悪感とかいうあれだ。


「二十歳、前後……」


 呆然とした声。シスターが、私を振り返った。もとから白い肌をしているけれど、今はいつもよりもずっと血の気が失せている。


「イヴが、そんなにも早く、死ぬ?」


 泣きそうな顔。震えた声。いつも穏やかな笑みを絶やさない彼女らしからぬ顔に、少なからず動揺する。動揺ついでにヴィルさんに見つかってしまった。いっけね。


「ああ、その子が」

「……はじめまして、龍族のお方。私はイヴリンと申します」


 見つかってしまったならしょうがない。潔く前に出て、笑顔で一礼をした。スカートの端を持って、膝を軽く曲げて、顔は上げたままの――あれ? 孤児院の子ってここまで礼儀作法できてたっけ。癖でやってしまった。迂闊かよ。


「シスター、このお方は私に用がある様子です。客間で、お話を伺いましょう」

「イヴ、あなた……」

「私は、シスターが好きですよ」


 初めて母のような温もりを与えてくれた人。だから、大切だから。

 私はあなたに嘘を重ねた。あなたに愛されることが嬉しくて、普通の少女であることが幸福すぎて。きっと、この嘘は最期まで貫き通せるはずだ。……シスターの中で、は。私はきっとずっとイヴのまま。


「私も、……イヴが大好きですよ」


 だから死なないでと。神に祈るように彼女は囁いた。




 教会の中にある客間で、私と彼は向かい合っていた。虚勢だと自分でも理解しながら笑いかける。


「イヴリン、か。お前はどうしたい?」


 そんな第一声に、笑顔は一瞬で引きつった。どうしたい、ときたか。……ヴィルさんは、ただ真っ直ぐに私の目を見つめている。これは私の返答を聞くまで待機する構えだろう。龍族の皆さんはそういうところ本当にさぁ。


「まずは、具体的なお話をお聞きしたく思います」


 息を小さく吐き、感情を整えた。彼の燃え盛る炎によく似た瞳が、興味深そうにくるりと色を灯す。出会ってしまったならしょうがない、……アナスタシアと私が同一だと、最期まで悟られないように騙さなければ。


(……死なないでくれ、アナ)


 だって、英雄は死んだのだ。ここにいるのは、ただ少しばかり多く魔力を持っているだけの小娘だ。



「アナスタシア・エヴェリナ・ダフネという女を知っているか」

「英雄王のことですよね、存じ上げております」


 私のことだし。……それ以前に、英雄王の名は一般常識だ。子供が一番最初に語られる物語は英雄王の話であり、この国の方方で演劇やらなんやらが作られている。正直なところ、そういうものを見たり聞いたりするたびに、私そんなにすごいことしたっけ? みたいな気分になる。なってきた。


「彼女は、傑物だった」


 うわぁすっごく褒められてる。戦慄く私を他所に、どこか遠くを見ながら、彼は呟いた。傑物とか初めて言われたわ。こいつ、アナスタシアが生きていたときは阿呆だの狂人だの身の程知らずだの散々に言ってくれたくせに。高度なツンデレかな? 嬉しくもなんともない。もっとアナスタシアが女の子だったって思い出して。思い出した上でこれかもしれない。


「正しく、覇王の器だった。彼女の闇に皆が光を見た。本当に、人間にしておくには惜しい……女だった」


 私を形作る言葉のすべてが過去形だ。その事実に今更気がついて、思わず笑ってしまった。覇王の器。なんて、過大評価もいいところ。必死で、無我夢中で、がむしゃらにやっただけのこと。

 それでも、人が私に英雄の姿を見たのなら。 


「なぜ死んだのか。なぜあんなに若くして死ななければならなかったのか。なぜ、アナだったのか。我等にとって人間の中では唯一の同胞がなぜ。絶望し現実から目を逸らしそんなことを何度も考えた、何度も問いかけた。その答えが、……お前の中にあるとするなら」


 ふ、と。視線が虚ろから離れ、私に向く。煌々と燃え盛る炎を、私はその瞳の中に見つけた。変わらないもの。変わっていない、もの。


(たったの二百年足らずでは、変えられないもの)


「俺は、俺たちは知らなければならないんだ。アナスタシアのことを、過去にするために。アイツが望んだ未来のために」


 その、いっそ射抜くような鋭い視線を見つめ返して、私は笑った。なんだかひどく泣きたくて、愉快で、笑うしかできなかった。彼の瞳が揺らぐ。ああくそ。なんで私のことを過去にしてくれないんだ馬鹿共め。

 でも、もしも。私が黒髪黒目の早死の原因を解明できたら彼の中で何かが吹っ切れてくれるなら。私は。――アナスタシアは。


「……そういうことでしたら、協力させていただきます」


 潤む瞳を見られないように、頭を下げる。なんでこんなに目が熱いのか、もう自分でも分からない。彼の戸惑うような気配と、小さく息を吐く音。


「お前は――」

「イヴとお呼びくださいませ。皆がそう呼びます」

「イヴは、死神と仲が良さそうだな」


 なんかアナスタシアだった頃にも似たようなことを言われた覚えがある。いやぁ、多分褒められてはないんだろうな。


「……どういう意味でしょうか」

「なんとなく、な。……イヴとよく似た目の人間が、そうだったから」


 それってもしかして英雄王とか呼ばれた誰かさんじゃないですかぁ? やめろ。変なところで私と私を重ねるな。私の目的は、アナスタシアの存在を触れることができない過去に閉じ込めて、死んだことの痛みを忘れてもらうことだから。長生きができるようになったら、それはそれで嬉しいんだけど。

 嬉しいだけではない、かな。私は、多分、自分の命が長くないから、全部他人事でいられたのだ。もし。普通にお婆ちゃんになるまで生きて。生きるなら。誰かと恋をして結婚して、子供を産んで孫を見て? は、なにそれ。


(今更、普通に、幸せになんて)


 この手が血に濡れていることも。英雄王なんて呼ばれた存在が、ただの人に頼ってばかりの小娘だったことも。たったひとりの友達をひどく傷つけたことも、……忘れて?


 結局のところ、私だって何も過去にできてない。

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