第五十話 夢
「ねぇ、あっちには何があるの?」
ミスティアは歩きながら北の方にある森を指さす。
北の方向に広がる森が以前から気になって仕方がなかった。
ここに来てからというもの、地味に忙しく、ここ数日は特に多忙だったため、そんなことを考えている余裕はなかった。
だが、ようやく四つ葉宮の仕事からも解放されたことだし、森の中の散策に繰り出したい。
「向こうには時計師が住む十二棟の館があるよ。それから時計師王がいる神殿も。能力測定に入って来たでしょ?」
説明をしてくれるのは隣を歩くウォークだ。
王宮時計師は十二棟のいずれかに部屋を与えられ、そこで生活をする。
「神殿付近一帯が時計領って言われてる。住んでいる時計師以外はほとんどの人は近づかない。君も近寄らない方がいい」
「何で? 行ったら怒られる?」
罰則があるのだろうか?
以前、神殿に向かう途中でリーズと歩いていた時に見かけたスイカズラの花があった。あの時に神殿周りの雑草なら好きにしていいと許可ももらっているが、入ってはいけない場所があるのなら知っておかなければならない。
時間も空いたし、採取しに行きたい。
「時計領自体が森の深い位置にあるんだ。広いし、迷いやすい。薄暗くて風景もあまり変わらないから方向感覚を奪われる。方向音痴の君は行かないことを勧めるよ」
「あれ~? 何で私が方向音痴だって知ってるのかしら?」
ミスティアの茶化すような言葉にキースは『しまった』と言葉を詰まらせる。
キースは知っていてもウォークは知らないはずだ。
何とか言い訳を考えようとしているキースにミスティアは苦笑する。
「まぁ、良いわ。罰則はないなら大丈夫ね」
「止めときなよ」
「大丈夫、大丈夫」
「……なら、黄菊の館と胡蝶の館には絶対に近寄らないって約束して」
「黄菊? 胡蝶?」
ミスティアは首を傾げる。
「あそこには……」
「フェルナンデス」
ウォークの言葉を遮ったのはシュースタン・ボイルだ。
会話をしながらいつの間にか白蘭宮に戻って来た二人をまるで門番のように待ち構えていたのである。
壮年のいかつい雰囲気の彼がミスティアは苦手である。
自分に問答無用で手錠を掛け、連行しようとした男だ。
完全にトラウマになっているミスティアは廊下ですれ違ったり、顔を合わせても口を利いたことがない。
厳しそうな性格が顔のシワに現れている気がして、なおのこと苦手だと思う。
ミスティアはさり気なくキースの影に隠れて鋭い視線を避ける盾にした。
「「…………」」
悪戯をして叱られた子供のような様子のミスティアをキースとシュースタンは無言で見つめる。
「ゴホン、ロンサーファスは私と来なさい。ユリウス様がお待ちだ。フェルナンデスはカフローディア殿下に報告を」
わざとらしい咳をしてシュースタンは言う。
「承知しました」
素直に返事をするキースとは反対にミスティアもぎこちなく返事をする。
「では、行くぞ」
先に歩き出したシュースタンの後ろをミスティアが追う。
ピンと背筋が伸びたシュースタンの後ろを観念して捕まった脱獄犯のような哀愁を背負っているミスティアがおかしかった。
厳しいけど、悪い人じゃないんだけどな。
キースはそんな風に思いながらも、そのことを伝えられずにミスティアの背中を見つめた。
するとミスティアは一度振り返り、キースに告げる。
「またね」
「うん、またね」
小さく手を振り、名残惜しむように廊下に消えていく。
自分は反対方向の廊下を進まなくてはならない。
四つ葉宮から白蘭宮までは結構距離があるはずなのに、まるで一瞬で着いてしまったように感じる。
「大人しくしてて。お願いだから」
北の森に興味を持っていると知った時、キースは焦った。
あの森の中には確かに、ミスティアの好きそうな植物や動物も生息していて、彼女にとっては楽しい空間に違いない。
しかし、時計師領の十二棟には近づかないで欲しい。
特に黄菊と胡蝶の館には。
自分の忠告を素直に聞いてくれればいいが、読めないのがミスティアだ。好奇心の趣くままに行動してしまう彼女は基本的に人の言うことを聞かない。咎められない範囲のギリギリを好き勝手に動くのが得意なので、そのボーダーラインを越えてしまわないか心配で周囲をハラハラさせる。
本当に頼むから大人しくしていて。
キースは祈った。
今回の毒殺未遂は読み通り回避できた。
彼女ならあの毒を飲み干して、上手く言い逃れると信じていた。
本当は毒なんか飲んで欲しくない。けど、彼女の体質を利用するしかなかった。
いつか、謝らなければならない。
今回は上手くいったが、次は分からない。
ノア・アンベラが次はどんな手を使って彼女を陥れようとするか、今頃地団太を踏んで怒り狂っているだろう。
極力、ミスティアをノア・アンベラに近付けたくない。
黄菊の館にはノア・アンベラが。胡蝶の館にはあの女がいる。
どうか、彼女の身に何も起こりませんように。
キースは右手を左胸に当てて目を閉じる。
規則正しい心臓の音が、自分が生きていることを教えてくれる。
こんな風に自分の心音を確かめたことなどあっただろうか。
何故、こんなことをしたくなったのかも分からない。
だけど、心音を感じることができて嬉しさを感じる。
キースは自分の右横に視線を向ける。
今は誰もいないその場所にミスティアの存在がある気がした。
手を伸ばせば触れられる距離に、彼女の存在を感じていた。
無防備な手に触れて、握り締めることができたらどんなに良いか。
今の自分ではそれは叶わないけれど……。
「いつか……」
そんな日が来れば良いのに。
叶うことはないけれど、どうにも彼女の側にいると夢を見てしまう。
彼女の隣に並んで共に歩く自分を。
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