第五十一話 宰相とミスティア②

白蘭宮に戻ったミスティアが通されたのはとある一室。

 ユリウスに呼ばれるのは決まってこの部屋である。


 呼び出されると円卓に向かい合うように二人で座り、話しをしながらお茶を飲む。

 出されるお菓子がまたミスティア好みだし、お茶の好みも似ているため、味を誤魔化すような真似をしなくて済む。


 いつもと同じように話をしながらお茶をすると思ったが、違和感が拭えない。

 カップの数が多すぎる。


 カップはミスティアとユリウスに一つずつで足りているのだが、ユリウスの手前に二つの紅茶が置かれている。


 そうしてミスティアの隣の空席にもカップが置かれ、これも紅茶入りだ。


「他にもどなたかいらっしゃるのですか?」


 ミスティアの質問にユリウスは答えない。


 空席だが、椅子が引いてあるので誰かが座っていたのかとも思ったが、そうでもなさそうで、ますます分からない。


 もしかしてこれを全部一人で飲むのかとも考えたが、冷めるし、美味しくはない。

 冷めた紅茶はすぐに淹れ直させる宰相は猫舌ではないし、足りなければ代わりを頼む人だ。


 二人しかいないテーブルに四人分のカップが置かれている状況が不思議でならない。


 そしてケーキも四人分用意されていて、ミスティアのケーキ以外手つかずだ。

 レモンの風味のするケーキは口当たりがよく、お茶に合う。


「そのお茶は宰相様が飲まれるのですか?」


 問いに答えはなく、代わりに視線が返ってくる。


「お前……ノア・アンベラに目を付けられたらしいな」


 ミスティアの質問は無視してユリウスは言う。 



「そのようですね」

 カチャリと音を立ててカップを置くユリウスの声音は硬い。

 鼻からは上は仮面で覆われ、表情が分からない。


 メイドからは美丈夫だと聞かされたが、本当にそうなのか確かめたくなってしまう。


 ミスティアは紅茶に口に運び、仮面の男をじっと見つめる。

 どうにかその仮面の下を拝むことは出来ないだろうか。


「お前、聞いてるのか?」


「もちろんです」


 もちろん、聞いている。


「厄介な連中に目を付けられたな」

「そうですね」

「もう少し真剣に考えろ。あいつらは強欲で執念深く、他人を貶めることに躊躇いがない。カフローディアに近付く者は悉く城から追い出された」

「私はまだ追い出されてませんので」

「運が良かっただけだ。今頃ノア・アンベラは歯噛みして次の策を考えているだろう」


 ミスティアは湯気の立つお茶のカップに自分を映す。


 あんな目に遭ったのに呑気に頬を緩めている自分がいた。


『君は何を着たって綺麗でしょ。いつもと変わらず……』


 しどろもどろになりながらもキースはミスティアにそう言った。


 照れながら必死に言葉を紡ぐ彼は非常に可愛らしい。

 普段はクールで清廉、高潔な雰囲気の彼が見せる意外な一面にミスティアは嬉しくて仕方がない。


 彼の特別な一面を見ることができて、褒め言葉も聞き出せて満足だった。


 綺麗だって思ってくれてるんだ……ふふっ。


 言わせた感は満載だが、やはり嬉しい。

気を抜けばだらしなく緩む頬を何とか引き締めようとするが、難しい。お陰でユリウスからは奇怪な物を見る目で見られているがどうでもいい。


「……毒を飲んでおかしくなったんじゃないのか?」

「大丈夫です、問題ありませんので。それよりも……」


 ミスティアは緩みそうな頬を引き締めて、ユリウスとの会話に集中する。


「アンベラ家の黒い噂、詳しく教えて下さいませんか? 主に領地と事業に関することで」

「……何のために?」


 ミスティアの言葉にユリウスは訝し気な声を発する。


「材料が欲しいんです。私にはそういうのを調べられる伝手がありませんので」

「何をするつもりだ?」

「もしかしたら、貴方の可愛い可愛い、カフローディア様の命を狙う者を捕まえられるかも知れません」


 ミスティアの言葉にユリウスを取り巻く空気が揺れる。


 幼い頃から毒を盛られる機会が誰よりも多かったというカフローディアはその度に苦しみ、恐怖に怯えて来た。幼い頃は何度も生死の境を彷徨ったと聞く。


「……本当か?」


 ユリウスの声が緊張で震える。しかしその声には微かに歓喜を含んでいた。

 テーブルの上に置かれたユリウスの拳が微かに震え、カップの中身に波紋を作る。


「ノア・アンベラが関わっていると? あの娘はカフローディアの妃になるために必死なはずだが?」

「ですが無関係ではないと思うのですよ。確証を得るために情報が欲しいんです。貴方の大事なカフローディア殿下のために」

「…………お前……」


 含みを持ったミスティアの発言に何か言いたげな様子でユリウスは言葉を切る。


「顔を隠すならフルフェイスの仮面をお勧めしますよ。顎や耳、歯並び、遺伝的な身体的特徴が現れますし」

「…………」


 ユリウスは唖然として沈黙する。


「ですので、協力して下さい」


 ミスティアは言葉を失ったままのユリウスを放置して立ち上がり、自分が座っていた椅子の位置を整えた。


「私を強請るつもりか」


 ミスティアを見上げ、ユリウス言う。


「お願いしてるんです。嫌だなんて言わないで下さいよ。殿下の命が掛かっているのに。でも、そうですね……拒否されるのであれば……」


 ミスティアはスッと冷たく目を細める。


「あの時、貴方を助けなければ良かったと私は酷く後悔するでしょうね」



 顔は笑っているのに、その目の奥は冷え切った氷のようだ。


「私にそんな風に思わせないで下さい」

「…………」


 そして何かを諦めたかのように脱力した。


「良いだろう。だが、一人での行動は避けろ」

「…………善処します」


 ミスティアは視線を泳がせる。


 一人でも特別不便なことはないし、今回のような事件が起こることは稀だ。一人で行動する方が本当は気が楽で好きなのだが。


 そこで思いついた。


 キースを付けてもらえないだろうか。


 四つ葉宮でのやり取りを思い出す。

 キースはミスティアにこの事件をどう考えてるのか訊ねた。

 彼の視線は一度もミスティアを見ることはなく、上を向く訳でもなく、延々と床を彷徨っていた。


 人は考え事をする時には視線が上を向く。


 ずっと床に視線を落としていた彼はどこか落ち着かない雰囲気でミスティアの話を聞いていた。


 もう聞いていたのかも分からないけど。


『カフローディア殿下に毒を盛ったのは別人だろうね』


 やけにきっぱりと言い切ったことにミスティアは驚いた。

 私ならノア・アンベラと毒物の関係を調べる。


 カフローディアが盛られた毒とミスティアが飲んだ毒が同じものだと分かったのは偶然だが、毒そのものが希少で一般的に流通していないマドラスという陰草花だ。


 簡単に手に入る代物じゃない。


私であればノア・アンベラと毒の関係をすぐには切り離さない。

もしかしたらノア・アンベラはカフローディアと婚姻を結ぶ以上の目的があるのかもしれないし、アプローチの手段として利用したことも考える。精神的、身体的に弱っている相手へ付け込むのは恋愛において効果的だし。


 けれどもキースはきっぱりと毒を盛ったのはノア・アンベラではないと言った。

 何か隠してる気がする。


 一緒に過ごす時間が増えればどっかでボロも出る気がする。


「言っておくがウォークはダメだ」


 ミスティアの言わんとしていることを察したユリウスが先手を打つ。


「……まだ何も言ってないのに」

「仕事が回らなくなる」


 ブラック企業め。


 一人抜けるだけで仕事が回らなくなるギリギリの人数しかいないのか。ここは。


 ミスティアは心中で毒づきながら部屋を出た。


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