第四十九話 いつもと違う君
「貴女、本当に身体は大丈夫なのね?」
「大丈夫です。問題ありません」
念を押して言うセレーヌにミスティアは答える。
隣りで物言いたげなキースの視線は気になるが無視する。
「アンベラ令嬢はどうですか? 犯人の方はどうなりましたか?」
ミスティアの問いにセレーヌは腕を組む。
「それが、今回は大事にしたくないから犯人捜しはしなくていいと自分から言ってきたのよ」
「え、良いんですか? 犯人探さなくても」
「本人の希望だけど、そんな訳にはいかないわ。こんな騒ぎが起きてしまった以上は犯人を見つけないと」
セレーヌは力強く言う。
「あのメイドは怪しいのよ。貴女が粉ミルクを入れてお茶を飲んだ時の動揺が凄まじかったわ」
ミスティアはセレーヌの観察眼に感心した。
あの騒ぎと混乱の中でも、セレーヌは冷静さを失わず、人を良く見ていたのだから。
「今、メイドを調べさせているわ。ノア・アンベラとの関係もね」
そう言ってセレーヌは立ち上がる。
「本当はもっと話したいことがあったのだけれど、また今度にするわ」
そう言ってセレーヌはミスティアに歩み寄る。
「ミスティア、襟が曲っているわ」
「ありがとうございます」
セレーヌがミスティアに近付き、そっと耳打ちする。
「そこの男をあまり信用してはダメよ」
その言葉にミスティアは目を瞬かせる。
セレーヌはミスティアの襟を整えて、距離を空ける。
「また話しましょう」
「はい」
ミスティアとキースはセレーヌにお辞儀をする。
頭を下げている間にセレーヌのエドワードは退室し、部屋にはミスティアとキースが残された。
「何を言われたの?」
二人の足音か遠ざかり、聞こえなくなった頃にキースが口を開いた。
「君を信用するなって」
キースの問いにそのまま答えるとキースは眉根を寄せる。
「それ、僕に喋っちゃいけないんじゃない?」
「君が聞いたんでしょ」
「そこは何もないって答えないとダメだよ」
キースが大袈裟に溜息をつく。
「身体は? 本当に大丈夫なの?」
「問題なし」
ぐっと親指を立てるミスティアを見ると力が抜けてしまう。
「君は何か分かったことはある?」
キースの問いにミスティアは考え込む仕草をする。
腕を組んで、首を傾げたり、上を向いたり、思考を巡らせている。
「恐らくだけど、あのメイドとアンベラ令嬢はグルかな。彼女は毒を飲んでないし、詳しく調べられても困るから大事にしたくないなんて言ったんでしょ」
「毒を飲んでないって思うのはどうして?」
「あの毒は吐き気や眩暈じゃなくて呼吸器系に強く作用するものだからだよ。呼吸困難、痙攣、酸欠からの眩暈はあるけど、最初から眩暈は起きないし、吐き気もない」
以前、カフローディアとのお茶会で使われた毒と同じものだ。
そう告げるとキースは自身の顎に指を掛け、視線を床に彷徨わせる。
「彼女はカフローディア殿下の妃になりたくて仕方がない人だから、殿下に毒を盛ったのは別人だろうね」
「え? そうなの? じゃあ、もしかして私に嫉妬して自作自演の猿芝居したってこと?」
初めて得た情報にミスティアは目を丸くして驚く。
「あはは、ウケる。恋って本当に人を馬鹿にするのね」
「笑い事じゃないよ」
呑気に笑うミスティアに厳しい口調でキース言う。
「いや、いいじゃない。動機が分かりやすくて」
「君はそれで犯人にされそうになったんだよ」
「疑いは晴れたんだから良いのよ。私が対応できる事態で幸運だったと思うわ」
これが別の事件だったら容疑を掛けられて捕まっていたかもしれないが、毒を用いた陳腐な芝居がミスティアを生かしたのだから良しとしなければならない。
「……無事で良かった」
「え? 何?」
「何でもないよ」
ぼそっと呟かれたキースの言葉をミスティアは聞き取ることが出来なかった。
ミスティアは聞き返すがキースはそれ以上答えなかった。
「そう言えば、軟膏はどう? 使った?」
ミスティアはキースに向き直り、彼の肌を確認する。
「ありがとう。おかげで痒みも酷くなくて良く眠れてる」
「ちょっと見ていい?」
そう言ってミスティアはキースに近付き、前髪を掻き上げる。
まだ許可していないけど。
キースは近づいたミスティアを前に言葉を飲み込む。
「随分、赤みは引いたね。良かった」
赤みが引いて、湿疹も小さくなってる。
頭皮も赤かったのだが、白く健康な頭皮に近付いているのが分かり、ミスティアは胸を撫で下ろす。
「よく作れたね、あの薬。……何を使ってもダメだったのに」
「君の髪の毛を何本か失敬して、染料の成分を調べてから作った」
「え、髪を? いつ?」
「君が前に部屋に来て、お茶を出した時」
ミスティアの言葉にリースは絶句する。
椅子に半ば押し倒され、首筋に顔を近づけられた時のことを思い出して顔が熱くなる。
何をされるのか分からず、動揺していたというのにまさか検体採取のためだったなんて。
肌に現れた発赤や湿疹を見られて凄く恥ずかしくて、彼女に見られたことにその時はショックを受けていたのに、自分一人が激しく動揺していて更に恥ずかしくなる。
「で、その髪はどこでどうやって染めてるの?」
直球で訊いて来るミスティアにキースは口を噤む。
「何のこと?」
「しらばっくれてももう無駄! 君のことはもう分かってるんだから」
怒り顔で迫って来るがキースもここは引けない。
「何のことだか分からない」
ふいっと自分に向けられた熱い視線から顔を背けて逃れる。
「……ああ、そう。じゃあ、聞かないわ」
あまり納得していないが、ミスティアは追及することは諦めてくれたようでキースはほっとする。
これ以上、押し問答を続ければ先に折れるのはおそらく自分だ。
「ねえ、じゃあさ、今日の私の服装はどう思う?」
手を広げて服装についての感想を求められた。
全く関係のない話題に一瞬、面食らう。
「髪も、ほら。縛ってるんだよ。気付いた?」
流石に気付いている。
ネイビーカラーのジャケットとパンツを着こなし、薄いブルーのストライプのシャツが彼女の凛々しさを引き立てていた。
髪を結ぶリボンが彼女が動く度に小さく揺れる。
「うん、良いんじゃない」
いつもの見慣れた白いシャツと黒いパンツにロングエプロンという格好も様になっているが、今日の服装も似合っているし、新鮮だ。
「…………もっと他に言い方ないの?」
しかし、ミスティアはお気に召さなかったようで唇を尖らせる。
「? いつもと変わらないと思うけど……」
「はぁ?」
その一言がマズかったと気付いたのはミスティアの声音がこれ以上ないほど低く響いたからだった。
「もういい」
ぷいっと顔を背けて歩き出す。
「ちょっと待って!」
機嫌を損ねたと気付き、キースは慌ててミスティアの腕を掴む。
「何? どうせ私なんて綺麗な服を着ても、可愛い服を着ても普段と変わりませんよーだ」
子供の様に鼻を曲げて拗ねる。
そんな姿が意外にも可愛く見えるがそれどころではない。
「そうじゃなくて……言葉選びが下手で……そう言う意味じゃないんだ」
キースはさっきの発言を慌てて訂正する。
そもそもキースには女性の美醜にあまり関心がない。服に関してもその人に明らかに不似合でなければそれでいいと思っている。服装は大して重要だと思っていないのだ。
そして女性を褒める技術がキースはほぼ皆無。少しはこういう事が得意な兄に習っておけば良かったと後悔している。
「君は何を着たって綺麗でしょ。いつもと変わらず……」
ミスティアはいつもの服装だって今日の服だって、学生時代の制服だって似合っていたし、そもそも美人だ。
「え?」
目を丸くして、ミスティアは驚く。
「だから……えっと……そもそも服を変えただけでちやほやしてくる男ってどうなの?」
綺麗な服が汚れた服に変ったからその人自身が変るわけでもない。
いつもと変わらす凛々しく、美しい君だ。
いつもと違う服でも君の良さは変わらないのに。
しどろもどろになりながら、キースは慎重に言葉を紡いでいく。
とにかく伝われ、と思う。
「それは……確かに……」
ミスティアはようやく腑に落ちたという顔をする。
今日の服装が似合わないというわけではないのだ。
でも何だか、それを口にするのに凄く躊躇いを感じてしまい、上手く言葉に出来ない。
「で、結局この服はあり? なし?」
「え……?」
「だから、似合ってると思うかどうか聞いてるんだけど」
むすっとした表情で早く答て、と再び迫られる。
「似合うと思うよ」
答えはすんなりと出て来た。
その一言にミスティアは顔を綻ばせる。
「そうでしょ。私も気に入ってるの」
少女のようにはにかんで彼女は言う。
その姿が普段の凛々しい彼女とはまた少し違って、キースの胸を締め付ける。普段は見せない彼女の一面に胸が騒がしくなる。
そして続けた。
「最初からそう言えば良いんだよ」
その一言は少し冷ややかだったが不機嫌さは感じない。
その言葉が聞きたかっただけなんだから、そう言って扉に向かって歩き出す。
「そろそろ行こう。日が傾いて来たわ」
「そうだね」
少し熱くなった頬を夕日の光で誤魔化し、ウォークはミスティアの後を追うように部屋を出た。
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