第四十八話 シャマルとキース
お茶会はお開きとなり、集まった招待客が帰った頃。
「いいから吐くんだっ! 全部っ!」
気迫と焦燥感に駆られ、ミスティアに迫るのはシャマルである。
「いや、大丈夫だって。今更無理だよ」
どこに消えたかと思いきや、洗面器とタオルと水を持ってシャマルは再び現れた。適当な部屋に引きずり込まれたミスティアは胃の内容物を吐き出せと強要されている最中である。
「無理やり口をこじ開けて指突っ込むぞっ!」
「ほんっとうに勘弁して!」
ミスティアの顔を押さえて本気で指を入れようとしてくるシャマルからミスティアは逃げ回っていた。
「大丈夫よ! あれぐらいの量なら何ともないわ」
「大丈夫のわけないだろっ⁉ ぱっと見て二十グラム以上はあった! いくら毒物に耐性を付けたといっても、学院の訓練でも十グラム以上の毒物の服用はしてないはずだ!」
「私は大丈夫だって。人より毒の耐性強いから」
心配するシャマルにミスティアは言う。
アイシャンベルク学院で一部の生徒にのみ行われる特別な授業がある。
その一つが薬物耐性訓練の授業である。
「確かに、君は他の生徒に比べてずば抜けて強い耐性があったけど、そういう問題じゃないっ!」
いいから吐き出せと、ミスティアににじり寄って来る。
「心配してくれるのはありがたいけど、大丈夫、心配しないで、本当に」
このままだと本当に喉に手を突っ込まれて吐しゃ物まみれになる気がする。流石に人前でゲロまみれになりたくはない。
しかしシャマルも執拗にミスティアを追い回す。
「ぐえっ」
ミスティアはシャマルに捕まり、壁に押し付けられ、逃げ場を失う。
今部屋に誰かが入って来たら絶対に勘違いされる構図だが今はそんなことを気にしていられない。
シャマルも一度やると決めたらなかなか引かない、しつこい性格だ。
「捕まえた」
オレンジ色の瞳がミスティアを捕える。
整った顔がミスティアに近付いて来る。
この顔にゲロ吐くのは本当に遠慮したい。
「ほら、口開けて」
「絶っ対、嫌っ!」
ミスティアが力強く訴えた時だ。
バンっと部屋の扉が開き、床を蹴る音がした。
「おっと」
ミスティアとシャマルの間に振り降ろされた白刃をシャマルは咄嗟に避けた。
ミスティアの視界が広い背中で遮られる。
白い制服が目の前に広がり、その人物が誰か分かった瞬間、ミスティアは焦った。
「えぇ? 君、誰? いきなり何? 邪魔しないでくれるかな?」
「貴方こそ、嫌がる彼女に何をしてるんです?」
剣を振りかざしてシャマルを威嚇するのはキースである。
何で来ちゃったのさ!
ミスティアは膝から崩れ落ちそうになる。
シャマルはキースと学生時代に関わりがある。だから、接触を避けようと忠告したメモまで書いたのだ。
キースが通りそうな場所は避けて、四つ葉宮に拠点を置いて、シャマルをこの場所に縫い留め、多少は不便でも接触するリスクを回避したのにっ!
この四つ葉宮に何用事で現れたんだ、この男。
頼むから宰相の側で大人しく仕事をしててくれ。
ミスティアの脳内はキースへの不満で一杯である。
「大丈夫?」
シャマルに向けた厳しい声音とは逆にミスティアに掛けられた声は優しかった。
しかし、大丈夫ではない。
「シャマル、この人はウォーク・フェルナンデス卿よ。こちらはシャマル・オースティン男爵令息ね」
ミスティアが紹介することで互いに不届き者ではないことを認識してくれたようだ。
「……ミスティア、少し強引過ぎた。謝るよ」
シャマルは息をつき、キースが現れたことで冷静さを取り戻した。
一方、キースは厳しい視線をシャマルに向けている。
「何だか取り込み中みたいだけど、良いかしら?」
そう言って現れたのはセレーヌである。
「あぁん? フェルナンデスじゃねーか」
セレーヌの側には獣のような粗暴さを感じさせるエドワード・ビガージャックを伴っていた。
制服の前を大胆にはだけさせ、規則や規律を完全に無視したスタイルで両脇には剣を二本も刺している。
キースを見て、楽し気な表情を浮かべる。
まるで獲物を前にした獣ようだ。
「久し振りだな。たまには遊ばねぇか?」
そう言ってエドワードは腰差した剣に手を掛ける。
彼の『遊び』がただのお遊びではないことはすぐに察することができた。
「止めなさいっ!」
舌なめずりをする獣のように足を踏みだすエドワードの頭に向かってセレーヌは閉じた扇を振り上げた。
「いでっ! 何すんだよっ」
固い物同士がぶつかる音がした。
エドワードは頭を擦りながら、セレーヌを睨む。
「人前で恥ずかしいことしないで。フェルナンデス、悪かったわね。今日は私に免じて見逃して頂戴」
無言でキースはセレーヌに頭を下げる。
「あんたもフェルナンデスを見習いなさい」
エドワードはセレーヌの言葉に子供のようにふて癖れてそっぽ向く。
セレーヌはミスティアに向き合い口を開く。
「話がしたいんだけど、ここは人目につくから部屋を変えるわ」
「勿論です」
セレーヌはシャマルとキースに視線を向けた。
「僕はこれで失礼致します、王女殿下」
「貴方には改めて礼をするわ」
シャマルはセレーヌに頭を下げる。
「フェルナンデスは……」
「自分はカフローディア殿下に彼女を迎えに行くよう命じられております」
「護衛ってことね。良いわ」
ついてきなさい、と踵を返すセレーヌの後にミスティアは続く。
「シャマル、心配してくれてありがとう! またね!」
ミスティアはシャマルに小さく手を振り、別れを告げ、キースがその後ろに続いて部屋を後にした。
一人部屋に残ったシャマルは首を傾げていた。
先ほどのウォーク・フェルナンデスという人物に見覚えがあるのだ。
しかし、名前に聞き覚えがない。
一目見て、きっと大振りなダイヤモンドが良く似合うと思った。
美しく、硬度が高くて、その輝きで邪気を払う気高きダイヤモンドで飾り付けてみたい。
しかし視線で射殺そうとしているのではないかと思うほどの殺気を受け、シャマルは情けなくも尻込みしてしまった。
冷たく尖った氷柱の先端のように鋭利な視線には覚えがあった。
先日、白蘭宮の庭で背中に感じた視線によく似ている。
あの時の視線も彼のものかもしれない。
しかも貴族に向かって堂々と剣を抜く躊躇いのなさに彼の本気を感じる。
「ミスティアの恋人?」
いや、違うな。
彼女は穏やかで優しく包容力がある男性を好む。
あんな視線で人を殺せそうで、冷たい雰囲気の男性に興味はないはずだ。
かつての彼女の恋人達はみんなが決まって穏やかで、争いや諍いを好まず、ミスティアのことを側で優しい目で見守り、微笑んでいるような男達だった。
「そう言えば……」
恋人ではなかったが、一人だけウォークに似ている生徒がいた気がする。
彼は僕等と違って優等生でそれでいて鼻につく感じがなく、穏やかな人柄だった。
土いじりをするミスティアに優しい眼差しを向けていたことを思い出す。
彼に似合うと思った石もダイヤモンドだった。
緻密にカットされ、光を反射させて輝く、ダイヤモンドはとても美しく、陽の光の中では温かな光を纏うのだ。
「ないな」
金髪と黒髪では間違いようがない。
穏やかな彼と氷のような今の男が同一人物な訳がない。
それに残念なことに彼は死んだと聞く。
シャマルは頭を振って過去の思い出を掻き消した。
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