第四十二話 陰草花とあの日の君
横になればどっと疲れが押し寄せて来る。
大した問題もなく四つ葉宮の庭は完成した。
自分でもかなり良い出来栄えだと思う。
建築士達に作らせた東屋と家具職人に頼んだテーブルと椅子を並べれば一気に雰囲気が出た。
大きめのテーブルはシンプルだが、四隅に綺麗な形に彫り込み、椅子のデザインは流石に一から考えている余裕がなかったので既存の品を見繕った。
茶菓子は定番の焼き菓子から東の島国にある少し変わったお菓子まで種類を多めに用意をし、お茶にも拘った。
東屋でお茶を飲みながら庭に視線を向ければそこに広がるのは大きな岩を中心に敷き詰められた白い小石だ。岩から水面の波紋が広がって見えるように工夫をしてある。白く美しい石に、数と配置を計算して植えられたのは菖蒲である。鮮やかな紫が白い石の波に映え、全体が洗礼された雰囲気へとまとまった。
セレーヌは特に池と池に泳ぐ魚をとても気に入ってくれた。
ここ数日、使いっぱなしだった脳みそをようやく休めることが出来そうだ。
「これも君のおかげだよ……」
重たくなる瞼の裏にキースの顔を思い描く。
「そう言えば、石鹸と軟膏は使ったかしら?」
ミスティアはベッドから起き上がり、机の引き出しを開ける。
引き出しにはウォークを押し倒した時に採取した毛髪が白い布に包まれている。そしてその毛髪は根元に近い色が金色であった。
そしてシャマルから受け取ったアンベラ家のハンカチもある。
「変な薬で染めてるから肌荒れなんて起こすんだよ」
キースの元へと小言を言いに行きたくて堪らないが、それはぐっと堪える。
ミスティアはキースから採取した毛髪を特殊な薬剤に漬けた、経過を見た。変化はないかと思われたが、黒い毛髪の一部が剥がれ、金色の部分が現れる。
元々、キースの髪は金色なのだ。それを何か特殊な染料で染めているに違いないのだが、それを調べるのには少し時間が掛かってしまった。
鮮やかで艶のある黒色を引き出し、水や汗にも強く、色落ちしにくいものとなると、市販品にはない。そもそも髪を染める習慣がないので髪専用の染料がほとんど売られていない。加えてすぐに色落ちするため、使い勝手が良くない。
しかし、キースの髪を見るとしっかり艶のある黒に染まっている。細くい髪にもしっかり染み込む特殊な染料で色落ちしないもの。
それを考えると市販品は除外して、黒色を出す染料を作るための原料の方を考えた。
しかし、黒はない。混ぜて黒にすることは可能だが、あの艶やかさは出ないし、色落ちもする。
ミスティアは小箱を取り出し、そこに入った植物の種を手に取る。
「陰草花で染めたものだったとは思わなかった」
陰草花とは生き物の血を栄養にして生育する植物の総称だ。
世間にもその存在を知る者は少なく、流通もない。
生き物の血がある所でのみ育つ、特殊な植物達は生育環境が限られるからだ。
そして陰草花達は人を惑わす美しい花と強い毒性を併せ持つ。
今ミスティアが手にしているのは陰草花の白雪姫と呼ばれる『白冷花』というものだ。
これは鉱山を買い取ったシャマルが自生していたのを見つけて、譲り受けたものである。
白く可憐な花を咲かせるが、種に強い毒性がある。そしてこの白雪姫の花とそっくりな花が存在する。
それが『赤湿花』という陰草花だ。
これは血のように鮮やかな赤い花を咲かせ、花弁に強い痒みを引き起こす毒があり、種を擦り潰すと赤黒い汁が出て衣服に付着すると落ちない。
そして白冷花と赤湿花は見た目は色が違うだけのそっくりな植物だが、毒の性質が真逆である。
汗や水に耐性があり、強い痒みやかぶれを引き起こし、黒色の染料になりそうなもの。
全て条件は揃っている。
ミスティアはシャマルからもらった白冷花の種を大量に使用し、すり潰した汁で作った軟膏と石鹸をキースに送ったのである。
赤湿花の毒性を白冷花の毒性で打ち消し、中和することで、痒みと湿疹は収まる。
こんな所でシャマルからもらった種が役に立つとは思わなかったミスティアは同級生に重ねて感謝した。
「一体、誰がこんなので髪を染めようなんて言ったのかしら」
そのせいでキースは苦しんでいるのだ。
そもそも市場に出回らない陰草花類がどういったルートで手に入れたのかも気になる。
『死者の愛でる植物』などと言われる陰草花はその花を咲かせる場所に必ず死の痕跡がある。
そんな植物を入手し、原料にして染料にしている輩がいる。
加えて気掛かりなのはシャマルが受け取ったというアンベラ家のハンカチだ。
艶のある黒、色落ちしにくく、水に強い。だが、痒みやかぶれを引き起こす。
「シャマルの手が白冷花の軟膏で回復したということは」
このハンカチの染料もキースの髪の染料と同じ成分で違いない。
「アンベラ家はどこで陰草花を?」
ハンカチなどの布を染めて大量に配ったと聞いた。
ハンカチ一枚を染めるのにかなりの量の赤湿花の種が必要になる。
陰草花が大量に自生している環境はほぼないと言って良いのに。
一昔前の大勢の人間が血を流した戦場ならまだしも、今現在、陰草花が大量に自生するような環境はないのだ。
疲れて頭が回らない……。
目を閉じれば瞼の裏にキースが顔を覗かせる。
金色の髪をなびかせて、こちらを向いて穏やかに笑う彼はアイシャンベルクの制服に身を包んでいる。
今よりも表情が柔らかく、あどけない彼がとても懐かしく思えた。
『君はそれを楽しむことが出来る知識と技術がある。僕にも他の人にもないものを君は持っているんだから』
そう言ってミスティアを諭すように言うのはあの頃のキースだ。
『周りが何を言おうと、君にしか出来ないことがあることに誇りを持って』
一語一句、息継ぎの場所さえも覚えている。
あの日の彼の言葉がミスティアの心を救ってくれたのだ。
あの時の彼の言葉がなかったら今の自分はいないのだ。
息苦しくて仕方なかった。
毎日、毎日、息が詰まった。檻の中に閉じ込められて首輪を嵌められた動物のようで心が苦しくて仕方なかった。
仲の良かった友達とも引き離され、育った環境から強引に連れ出され、檻の中に閉じ込められたミスティアは苦痛と戦い、心が壊れる寸前だった。
あの時の自分を救ってくれたのは他の誰でもない、キースだ。
「次は私が君を助けるから」
彼と再会してすぐに気付いた。
あの時の私と同じ目をしていることに。
自分が置かれている環境が不満で、苦しくて仕方がない、目に見えない鎖で繋がれて自由になれない心、燻ってもやり場のない気持ちと自暴自棄になりそうな衝動、全てを諦めて失い始めた感情、まるで昔の自分を見ているかのようだった。
今度は私が貴方の心を守るから。
必ず、彼を苦しみから解放する。
ミスティアは強い決意を胸に秘め、拳を強く握り締めた。
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