第四十一話 薬の効果②
四つ葉宮のお茶会の前夜、ウォークは白蘭宮をひっそりと抜け出して森の中にある建物へ足を踏み入れた。
廊下を進み、光と声が漏れる部屋へと入る。
むせ返るような香水と酒匂いに鼻が曲りそうな不快感が込み上げる。
視界に入る光景にも眉を顰めた。
「遅かったわね」
大きなグラスに注がれたワインを煽りながら人間を椅子代わりにする女性の姿がある。
昼間以上に肌を露出させた煽情的な格好で男達を椅子や肘置き替わりにしてくつろいでいた。
男達の顔はユリウスのように目元を仮面で覆っている。
そして、自分達が何者かも分からないほど彼女によって壊された者達だ。
もしかしたら自分もあの男達のようになっていたかもしれないと思うと恐怖で震えそうになる。
自分に適正がないことに感謝した。
「申し訳ありません。人の目がありましたので遠回りしました」
「あら、そうだったの? さぁ、こっちにいらっしゃい」
女性の手招きに仕方なく応えて側に寄り、屈むように命じられる。
腕が首に周り、抱き付くより早く唇を押し当てられた。
ただでさえ、部屋の空気が悪くて頭痛がするのに、望んでもいないのに口付けられて吐き気も込み上げて来る。
たっぷり十秒は唇を合わせていただろうか。
ようやく唇を離され、ウォークは立ち上がった。
彼女も特異な性質を持つ時計師だ。
彼女が時計師の力を使えるのは夜の帳が降りている間のみ。
そして力は男の精気によってのみ補える。
「惜しいわね……若い貴方が相手をしてくれたらすぐにでも回復するのに」
「申し訳ありません」
ウォークに彼女の相手は出来ない。
相手をするための男としての機能がウォークは使えないからだ。
故に適正はなく、彼女の支配から逃れている。
「ねぇ、貴方もどう?」
そう言って彼女はワインを勧めてくるが首を振って断る。
「明日は朝からユリウス様に呼ばれていますので」
「それはいけないわね。ユリウス様のご迷惑になることだけは絶対に避けなさい」
だったら要件を早く言え。
昼間の仕事中、いつの間にか書類に挟まれていたメモを発見し、ウォークは眉を顰めた。
一日しっかりと休み、ミスティアの入浴セットのおかげで不快感がない睡眠時間を確保することができたウォークは仕事もはかどっていた。
四つ葉宮で行われるお茶会の準備も滞りなく進み、完成した庭は実に見事であった。
これを四日で作り上げたミスティアをはじめ、職人達の技術は称賛に値する。
ミスティアの活躍と称賛の声が歩いているだけで耳に入り、自分が褒められている時以上の心地良さを感じていたというのに。
最悪だ。
ウォークはなるべく態度に出さないように表情を取り繕う。
「あぁ……ねぇ、ウォーク。『あれ』はまだ見つからないの? こっちも探してるんだけど……」
そう言ってばちんと扇で男の尻を叩く。
「ああっ」
叩かれた男から掠れたような声が漏れる。
しかし、その声は苦渋でなく歓喜の声であることがウォークは信じがたく目を逸らす。
「見つからないのよね。どこに隠したのかしら?」
「分かりません。あの方はご自身のことを話しませんし、こちらも探っていますが未だに掴めていません」
彼女はじれったいと言わんばかりだ。
「あぁ、もう……上手くいかないわね」
苛立ちながら溜め息を零す。
「それで、自分に用とは?」
「あぁ、そうね。ノア、いらっしゃいな」
部屋の隅の椅子に座っていたノア・アンベラが近付いて来た。
ノアもこの部屋の雰囲気は好きではないようで顔を顰めている。
「遅いのよ、いつまで待たせるつもり?」
開口一番にウォークを睨み付けて言う。
そして女性はテーブルの上に小さな瓶を取り出して置いた。
黄色味がかった粉が入っている。
「人の恋路を邪魔する子がいるらしいのよ。ウォーク、どうにかならないかしら?」
あえて誰が誰の恋路を邪魔するのかまでは言わなかった。
小瓶に入った粉末がすぐに毒薬だと察する。
そしてそれを飲ませたい相手も。誰がそれを望んでいるのかも。
ミスティアの顔がすぐに脳裏に浮かぶが、ここで感情を出してはいけない。
「邪魔なのでしょう? 飲ませるのも良いですが、利用すれば良いのでは?」
「どうやって?」
ウォークの言葉に女性色香を振り撒きながら首を傾げる。
蕩けるような笑みに普通の男であれば心を射抜かれるのかも知れないがウォークには通じない。
「誰かが飲んだフリをして大袈裟に倒れればいい。騒ぎに乗じて排除したい者のポケットや足元に忍ばせて。邪魔者は毒物所持の現行犯で捕まり、二度と目の前に現れることはないでしょう」
場合によっては死ぬよりも辛い目に遭う、と述べる。
その言葉にノアは口元を引き上げた。
「ふふふ、名案だわ」
そう言ってノアは機嫌良く、笑う。
その無邪気とも言える笑顔の裏に残酷で無慈悲な思考を隠している。
ウォークは退室の許可を得て建物を後にした。
明日のお茶会は何かが起きる。
騒ぎを起こすのなら、きっと明日のお茶会だろう。
ミスティアの顔が再び脳裏に浮かぶ。
彼女がもし自分のこんな姿を見たらどう思うだろうか。
ウォークは無理やり吸われた唇を袖でゴシゴシと擦るとべったりと赤い口紅が袖に移った。
口紅は落とせても不快感までは拭えない。
ふわりと風が吹き、ウォークの黒髪を揺らす。すると微かに柑橘系の爽やかな香りが漂う。
ミスティアの用意してくれた洗髪料や石鹸の香りだ。
彼女の匂いが少しだけ自分の汚い所業を掻き消してくれる気がする。
「君なら大丈夫だと信じてる」
君の時計師としての特異な性質。
きっと気付いているのは僕だけだ。
どうか、信じることしか出来ない僕を許して欲しい。
ウォークは心の中でミスティアに許しを請うのだった。
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