第三十八話 ミスティア式入浴法

 湯気がもくもくと上がる大浴場は無人だった。


 食事を済ませたウォークはミスティアからもらった入浴セットを持ち、大浴場に足を運んだ。


 白蘭宮の使用人用の大浴場は広い。白蘭宮は歴代の皇帝が若かりし頃に使用していた住まいであり、使用人の人数も他の離宮に比べてかなり多かった。よって大浴場も広く、使用人用の部屋や備品も多い。


日勤と夜勤の者がいるため、いつでも入浴は可能だ。しかし、人の少ない時間帯であるため、三つある浴槽のうち、お湯が張られているのは一つだけだ。


「えっと、まずは……」


 ウォークはミスティアのメモに書かれていた文章を脳内に呼び起こす。


① 湯船に浸かり、身体を温める。


 温かいお湯に肩まで浸かる。


「気持ちいい」


 思わず感嘆の声が漏れる。


いつもシャワーで済ませてしまっているので湯船に浸かることのないウォークは随分と久し振りに湯船に浸かった気がした。

あまり熱いお湯ではのぼせてしまうが、このお湯は丁度良い温度だ。

いつまでも浸かっていられそうだ。


 身体の強張りが解け、芯から温まっているのが感じられる。

 肌がほんのりと紅潮し始めた頃にウォークは湯船から身体を上げた。


② 洗面器にお湯を張り、髪と頭皮を洗う。


洗面器にお湯を張り、ウォークは屈んで頭をお湯に浸す。


この時、頭皮を擦らないように気を付けて、地肌にお湯がしっかりと触れる感覚で行うこと。

頭皮を擦らないように注意しながら、しっかりと頭皮までお湯で濡らし、一度頭を上げて髪の水気絞るように切る。


③ 石鹸をしっかり泡立てて、頭皮を擦らないように泡で地肌まで洗う。


石鹸を包んでいた布で石鹸を擦り、泡を立てる。

お湯を含んでもこもこと泡が立つとウォークはそっと頭に乗せる。髪に馴染ませ、強く擦らないように揉み込んでいく。


特に湿疹に触れないように注意すること。


④ たっぷりのお湯で洗い流す。


再び洗面器にお湯を張り、頭を浸す。擦らないように泡を落とし、頭皮にまでお湯が届くようにしっかりとすすぐ。


これを数回繰り返す。


⑤ 顔と身体を洗う。


ウォークは一度手を洗い、泡を落とす。


注意事項としては髪を洗った泡で顔や身体は絶対に洗わないこ

と。手を清潔にしてから顔に触れる泡を作ること。


ウォークは少し面倒だと感じながらミスティアのメモに従い泡を作る。

こめかみ、額の生え際はより優しく、擦らないように。すすぐ時も泡が絶対残らないようにすること。


身体まで洗い終えたウォークはもう一度湯船に浸かる。のぼせない程度に温まり、大浴場を出た。


 ミスティアの入浴法はまだ終わらない。


清潔なタオルでまず髪を拭く。優しく押さえるようにして水気を拭き取る。勿論、頭皮は決して擦ってはならない頭と顔は別の清潔なタオル拭くこと。顔は注意事項があるが、身体は適当でいいと書いてあった。顔に時間を掛けた分、身体は手早く済ませる。


⑥ 化粧水を顔、頭皮につける。


ウォークは清潔な手で化粧水を手の平に広げて顔全体になじませていく。


「化粧水なんて使ったことないんだけど……」


 金貨一枚分ってこれくらい?


 手の平に化粧水を出し、金貨一枚分の面積ぐらいになる。


 さらさらと零れそうになる化粧水に苦戦しながら、顔全体に馴染ませる。

 髪はなるべく水分を切ってから。


 手の平に先程と同じ量を取り出して、今度は頭皮に馴染ませる。

 ひんやりとした感触がじわっと頭皮に伝わっていく。


 ひんやりとするがヒリヒリする感覚はなく、ウォークはほっとする。


⑦ 軟膏を塗る


ウォークは手を洗い、清潔な手で小指の爪ぐらいの軟膏を取る。


塗る場所はこめかみと、髪の生え際の湿疹だ。

擦らないように優しく、軟膏を肌に乗せて、少し伸ばす。


白い軟膏が肌に馴染めば全ての過程が終了した。


「……そう言えば、痒みがない」


 思えば起きた瞬間に感じたのは清々しさである。


 ウォークは一昨日、髪を切り、髪を染め直した。

 髪を染めると湿疹や痒みに悩まされて、眠れぬ夜が続くのだが、今日はそれを感じなかった。


 不快感がなかったからこそ、疲労した身体は素直に眠り続けることが出来たのだろう。


 もしかして、寝ている自分にこの化粧水や軟膏を施したのかも知れない。そうして指を包帯で固定されていたのは無意識のうちに皮膚を掻きむしらないようにするためだったのかも知れない。


 こんなことは初めてだ。


「これ、どこで売ってるんだろう?」


 瓶や軟膏の瓶を見ても、ラベルはない。しかし、蓋の部分に文字が書いてある。


「イチゴジャム……復刻版……?」


 ウォークは首を傾げる。

 イチゴジャムが入っていた瓶に軟膏を詰めたのだろうか。


 そのイチゴジャムの瓶に薬を詰める辺りにミスティアの大雑把というか、細かい所を気にしない性格が垣間見える。


「もしかして……自分で作ったのか?」


 自分のために? この湿疹を気にしているのを知って?


 ウォークは胸に温かい者が這い上がって来るのを感じて、鼓動が早くなる。


 趣味で化粧水や薬を作っていると、学生時代に彼女は言っていた。


 なかなか評判も良いのだと。

 そんなに良いのなら、自分も使ってみたいと言うと彼女は嬉しそうに笑った。


 学生時代のやり取りを思い出し、ウォークから笑みが零れる。


⑧ 入浴時はこれらを必ずこれらを行うこと。


 頭皮と肌の汚れを正しく落とし、炎症を抑える化粧水と軟膏を塗ることで発赤と痒みを押さえ、膿んでいる所の治癒を早めます。


 軟膏は朝も湿疹部位に塗ること、と記されていた。


 ウォークはしっかりと瓶の蓋を締めて網籠に戻す。


 動力石を使用した髪専用の送風機で髪を乾燥させる。


 ミスティアメモには髪を乾燥させることも大切だと書かれていた。

 教え通りに髪を乾かし、網籠に使用済みのタオルを畳んで突っ込み、大浴場をでる。


 若干、痒みというか、むず痒さはあるが、大したことはない。


 風呂に入ると身体が温まり、湿疹部分が熱を持ち痒みを増すため、入ることを躊躇っていた。


 しかし、これぐらいの痒みや違和感で済むのであれば、入浴しても問題なさそうだ。


 少し経過を見てみよう。


 数日続ければ湿疹も良くなるかも知れない。


 身体が温まり、疲れも取れたウォークの気持ちが少しだけ上を向く。

 この湿疹とは一生付き合っていかなければならないと薬探しも諦めていたのだ。


 時間差で痒みが酷くなる可能性もあるが、それはないと信じたい。


 廊下を歩き、自室を目指す。


 ウォークが目を覚ましたのはミスティアの隣の部屋だ。


 流石に専属護衛でもなければ侍女でもないウォークが彼女の隣部屋を使う訳にはいかない。

 自室を目指して進んで行くと庭の方から声がする。


 窓から外を覗くと、ミスティアが男性と一緒に庭を横切っていく。


「誰?」


 身なりから騎士でも礼騎士でもないことは分かる。


 適切よりも少し親しみの感じる距離で並ぶ二人をウォークは凝視した。

 ミスティアの隣を歩く男の灰色の髪には見覚えがある。


 リダから受け取ったメモは二枚あった。


 一枚はミスティア式入浴法。


『シャマル・オースティンが四つ葉宮に来る。近寄らないで』


 もう一枚にはウォークに対する警告文が書かれていた。


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