第三十二話 ノア・アンベラ
はぁはぁと息を切らして庭を横切る人影があった。
あり得ない! あり得ない! あり得ない!
信じられない、あの女! 卑しい平民の分際でカフティ王子と気安く言葉を交わすなんて!
ノア・アンベラは人気のない建物の影に隠れると足を止めた。
どかっと足で怒りのままに建物の壁を蹴り上げた。
ミスティアに親し気に接するカフローディアは今まで見たことのないくらい優しい表情をしていた。
「許せないわ……!」
カフローディアと初めて会った時、ノアは自分はこの人と結ばれなくてはならないと思った。
父は第五王子であることに良い顔をしなかったが、彼は非常に優秀で行動力もある。
王族であっても簡単に入ることができないアイシャンベルク学院を卒業し、国の医療制度を整え、貴族と平民の間にある学力格差をなくすために教育機関の充実に力を入れるなど、国民からの評価も高く、皇太子にと望む声も多い。
そして何より、気高く麗しい。
眉目秀麗な彼の隣に立つのは私しかいない。
伯爵家の娘であるノアは幼い頃から皇太子妃になるために教育を受けて来た。
可憐な容姿は花の如く、ダンスを踊れば蝶のようだと周囲から称賛され、伯爵家の長女であり家柄も十分。
アイシャンベルク学院には届かなかったものの、貴族学院では女子生徒の中では一番の成績で卒業し、勉学に関しても申し分ない。
貴族の女性としての教養も勉学もできる。
加えてノアには時計師としての才があった。
能力が開花したのは十四になる頃。
時計師であることを国に申告し、出仕するのは国民の義務だが、貴族は金銭で免除を受けることができる。
時計師として王宮に入ればカフローディア王子と会える機会が増えると思った。
きっとカフティ王子が会いに来て下さるわ。
与えられた部屋は狭くて不便で息が詰まることも多く、後悔もあるが、カフティが近くにいると思えば耐えられた。
しかし、カフローディアがノアに会いに来ることはなかった。
伯爵令嬢で美しいノアには幼い頃から縁談は山のように来ていた。
美しい宝石やお花、高価なドレスや靴、時には土地を贈られて困ったほどだ。
そんな高価な贈り物をしてまでも自分を欲しがる男は山のようにいる。
誰もがノアを褒めたたえ、気を引こうと必死になる。
それなのに……!
カフローディアだけは上手くいかないのだ。
彼の側にはいつも側近達がいてなかなか二人っきりになることは出来ない。
彼は忙しくて女性と関わる機会が少ない。だから、私と一緒になることがいかに有益なことか分からないのだわ。
だからあんな女と親しくするのよね……側におくのにどっちが相応しいかなんて明らかなのに。
このままでは女性をよくしらない王子が卑しい平民の女に騙されてしまう。
初な王子のことだから、きっと誑かされたのだわ。
そうでなければ、能力値が一の時計師を自ら連れて来るなんて有り得ないわ。
汚らわしい女から王子を引き剥がさなくては。
このまま王子の子を身籠ったりしたら処理が大変になってしまう。
四つ葉宮の不審火は想定外だった。
こんなに大規模に火が回って駄目になるなんて思わなかったじゃない。
父が王宮へ来る日を狙って火事を起こし、父の協力で庭を整定する作戦だった。
しかし、思いのほか火の回りが早く、広い面積が焼けてしまい、父でも手に負えなくなってしまった。
しかも、その件にもミスティアが関わっている。
彼女が考案した庭の設計図は買収した使用人の話から、今まで見た事のないものだというのだ。
セレーヌ姫も王子もミスティアの図案を褒めたたえ、期待しているという。
本来であれば父が受けるはずの称賛だった。
どうしようかしら……。
庭を完成間際にめちゃくちゃにする? それとも……。
ノアは口元に歪んだ笑みを浮かべた。
奪えばいいわ。
そうすれば父の評価も上がり、家門の利益に繋がる。
いいえ、それでは逆に王子達の印象が悪くなるわ。
それならいっそ……。
ノアはふふふっと上機嫌に笑う。
「カエナ、いるんでしょ」
そう言うと建物の影から一人のメイドが姿を現した。
四つ葉宮のメイド服を着たノアと同じ年頃の少女である。
「はい……ノア様」
「お願いがあるの。聞いてくれるわよね?」
笑顔の裏で憎悪の炎が燃え盛る。
赤い雫が握り締められた拳からポタリと地面に落ちた。
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