第三十一話 兄の憂鬱
四つ葉宮を出て使用人達が必死に作業している庭の様子を横目で見ながら、カフローディアはミスティアを探した。
「ミスティアはいるか?」
「見当たりませんね。探しましょうか?」
使用人達が鬼の形相で焼けた草を毟り、樹を切り、根を取り除いている。
視界に入る中にはミスティアはいない。
庭に一番近い部屋を会議室として使うと言っていたからあの辺りにいるかもしれないと思いながら視線を動かすが見つけることは出来ない。
会うのは無理か……。
最近は忙しくて同じ建物にいるのにゆっくりと顔を合わせることが出来ていない。
あえて使用人が頻繁に通る道を歩いて遠回りしてみたが無駄骨である。
「いや、いい。忙しいんだろう」
後ろを歩くミンクスに言う。
小さく息をつき、諦めて白蘭宮に向かって歩き出す。
焼けた庭のゾーンを抜けて、美しく彩りのある所まで進んだ所で声がした。
カフローディア達が歩いて来た道と他の道の合流地点から聞こえる声には覚えがあった。
「この声は……」
自然と進む足が速くなる。
背の高い植木に囲まれていて姿は見えないが確信していた。
丁度、この角を曲がれば……いるはず。
合流地点が近付くごとに声もはっきり大きく聞こえてくる。
「ティア!」
曲がり角から現れたのは期待した人物だった。
黒い艶やかな髪が揺れ、美しい紫色の瞳が大きく見開かれた。
「うおっ!……あ、王子殿下にご挨拶申し上げます」
ミスティアの声にカフローディアは肩の荷が少し降りたような気持ちになる。
今日はもう会えないと思っていたが……顔を見れて良かった。
「ご挨拶申し上げます。カフローディア殿下」
ミスティアの後ろにリーズがいたことに今更気付く。
そして二人は何かを運んでいる。
「……一体どうした? 誰だそれは?」
そう、二人が運んでいるのは人間である。
担架に乗せられて運ばれ、顔は目元をハンカチで覆われていた。
「あぁ、彼? ごめん、私が無理させ過ぎたみたいで……」
申し訳なさそうにミスティアが言う。
「失礼しますね」
ミンクスがそっとハンカチを持ち上げる。
そこには青白い顔をしてぐったりと双眸を閉じたウォークの姿があった。
「……死んでますね」
「死んでません。まだ」
ミスティアがミンクスの言葉を否定する。
「元々、忙しくてあまり寝ていなかったんだろうね……そこに私が追い打ちを掛けちゃったみたいで……」
設計図を描き、細かい説明を職人達にした後に糸が切れたかのように倒れたのだとリーズが補足した。
「死にました」
「死んでないから。まだ」
リーズの言葉をミスティアは否定する。
ウォークの人間離れした能力を目の当たりにしたリーズは心の中で手を合わせて、少し
でもウォークが浮かばれることを祈った。
二人はウォークを白蘭宮に帰還させる最中だと二人は言う。
「ウォーク、大丈夫か?」
カフローディアの声にうわ言のような返事があるだけだ。
大丈夫じゃないな……明日は休ませるか。
「ごめん、明日も仕事で忙しいんだろうけど……健康のために一日しっかり休ませてもらえないかなーなんて……」
短時間だがウォークの活躍は素晴らしかったとミスティアとリーズは語る。
「彼を失うのは国家の損失だから。彼が壊れたら今後十年、彼と同等の逸材は現れないよ」
「心配しなくていい。そもそも働き過ぎなんだ、ウォークは」
今までどんなに忙しくても倒れたことのないウォークがこんな状態だということは相当疲労が溜まっているに違いない。
ミンクスの話だと、有給にも関わらず仕事をしていたと言うし……。
休むのならばしっかり休んでもらいたい。
ウォークほど事務処理に長けた者は白蘭宮にはいないし、頭の回転も速く、能率が良い。
最近ではユリウスがしなければならない仕事をウォークに押し付けてサボっているのをカフローディアは知っている。
ウォークが倒れて出仕出来なくなったらユリウス周りの仕事が滞る。
それは困る。ユリウスの滞った仕事は決まって俺の所に流れてくる。
「明日は強制的に休ませる」
そう思えば一日しっかり休ませた方が自分達の首を絞めずに済む。
優秀な人材は国の財産だ。
「ありがとう! あぁ、本当に良かった」
「ミスティア様、私が代わりに持ちます」
そう言ってミンクスが担架の持ち手を受け取る。
「本当に良かった……しっかり休めるね」
そう言ってウォークの乱れた前髪をミスティアが指先で払う。
「こんなに深いクマがあったに気付かなくて本当に申し訳ない……」
ウォークの目元をそっとなぞる。
苦しそうなウォークの顔が一瞬だけ穏やかな表情になったような気がして、カフローディアは何だかイラっとした。
「ティアはどうするんだ?」
「数日、四つ葉宮にお世話になるから荷物を取りに白蘭宮に戻るわ」
「なら、一緒に行こう」
「分かった。でも、急ぐんじゃないの?」
随分と急ぎ足だったみたいだから、とミスティアは言う。
ティアがいると思ったら自然と早足になったなどと言える訳がない。
その時だ。
まるで背中を刺すような感覚を覚えて後ろを振り返る。
植え込みの向こう側に人影あった。
栗色の長い髪が植え込みの向こう消えていく。
今のは……まさか、ノア・アンベラか?
栗色の髪の者は多数いるがあれほど長いのは貴族の令嬢である彼女だけだ。
ティアといる所を見られたか。
背中に感じたのは確かに『憎悪』だ。
禍々しい感情を当てられて気分が悪くなる。
昔から人の感情に敏感なカフローディアは特に『憎悪』という感情には敏感だった。
今し方、感じた強い『憎悪』はミスティアに向けられていた。
背中に冷たい汗が流れる。
「どうしたの?」
ミスティアの言葉にはっと我に返る。
感情だけであればミスティアが傷付くことはない。
少なくとも、今は大丈夫だ。
「いや、大丈夫だ。せっかくだし、部屋まで送る」
カフローディアが手を差し出せば抵抗することなく、ミスティアは手を取った。
「そう? ならお願いしようかな」
ミスティアがはにかむ。
凛々しく、涼し気な目元の彼女だが、向けられる笑顔は見ていると安心する。
ノア・アンベラはすでに俺がミスティアを好いていると思っているはずだ。
このままではミスティアもかつての侍女や自分に近付いた令嬢達のように追い出されるかもしれない。
いや、そんなことにはならない。
ティアは必ず守る。それにティアは強い。
カフローディアは繋いだ手に力を込める。
もう大事な人を手放したくない、諦めたくないんだ。
心の中で何度も唱えた言葉を確認するように繰り返した。
「……君も休んだ方が良いんじゃない? 私の部屋でお茶でもどう?」
思いもしなかった申し出に気分は一気に浮上する。
「良いのか?」
「うん、あぁ、でも茶器がないな」
「持ってこさせる」
じゃあ、決まりね。
そう言って微笑むミスティアは繋いだ手をぎゅっと握り返す。
微笑むミスティアを見つめると膨らんだ不安が溶けていくようで心が軽くなるのを感じる。
「あぁ、ウォークは医務室へ運べ」
そうすれば部屋まではミスティアと二人で一緒にいられる。
ミスティアの部屋で少し休ませてもらえれば最高だ。
体よく、人払いをしようとしたカフローディアの思惑はミスティアによってものの数秒で打ち砕かれることになるのである。
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