第二十一話 一年の猶予
「美味しいね、これ」
感想は素直に出て来た。
ミスティアの淹れてくれた水出しのハーブティーは彼女の言う通り、すっきりとした味わいでレモンの香りが爽やかに香っている。
「でしょ? あ、この前手に入った粉末ミルクがあるんだけだ使う?」
「粉末ミルク?」
ウォークに差し出された缶には黄色みがかった白い粉が入っていた。
「指でちょっと舐めてみて。甘いのよ」
言われた通りに試しに舐めてみるとほんのり甘くミルクのような風味がある。
「輸入品なんだって。私は苦手なお茶を出された時に味を誤魔化すのに使うんだけど」
ウォークは粉末のかと入った缶の蓋を閉じてミスティアに返した。
「このお茶にはいらないかな。このままで充分美味しいよ」
「なら良かった。私もこのお茶には合わないと思うし」
「でもさ……何でこれに入れるの?」
ウォークは手に持つ容器をまじまじと見つめる。
「私物の茶器が今手元にないんだよね。他に調度良さそうなのがなくていつもそれ使ってる」
そう言ってミスティアが掲げて見せたのはビーカーである。
もうメモリも消えていることから相当使い込んでいる。
「茶器ぐらいメイドに頼みなよ」
「めんどくさい」
ミスティアには白蘭宮に入った日から侍女を付けると言ってある。
しかし、ミスティアは必要ないと言って必要最低限の世話しかさせず、使用人を寄せ付けない。
食事はこの部屋でするのでここに食事を運び、衣類の洗濯ぐらいしか使用人を遣わないので使用人が泣いていると報告を受けている。
入浴は隣にある浴室で済ませるか、使用人がしようする大浴場を使用しているようで特に不便はないようだ。
「呼ぶだけでしょ」
「それが面倒なんだって」
「そう……」
ウォークは諦めた。
「気が向けば使用人に声を掛けて。喜んで仕事してくれるはずだよ」
白蘭宮の使用人は男女共に年齢層が高く、女性は特に母性溢れる者が多い。
ウォークは宰相ユリウスの近衛騎士なので白蘭宮に部屋を貰っている。
日中は政務処理をするユリウスのサポート兼護衛をしているので夜は解放されて自由に動ける。
ユリウスに付き従い、初めてここを訪れた時から使用人達は優しく接してくれる。
上辺だけの親切ではなく父性や母性を感じる温かさがあり、ウォークは何だかいたたまれない。
ユリウスに接する使用人達も彼が幼い頃、もしくは若い頃から仕えている者が多く、ユリウスが彼らを信用しているのが見ていて分かる。
ミスティアを構いたくて仕方ない使用人も多く、ミスティアの好みや好きな食べ物を聞かれたりもする。
使用人達には歓迎されているのでここでの生活なら彼女は問題なくやっていける。
「でももしかしたらここを追い出されるかも知れないんだよね。私、時計師の能力値が低い
みたいで」
「時計版の針が動いたんだから君は間違いなく時計師だよ。ここを追い出されるとしても一年の猶予はある。だから焦ることはないとユリウス様からの伝言。それまでは心配
せずにここで過ごせと」
「一年……」
「それまでの間に時計師としての実用性を認められれば時計師としてやっていけるけど……」
ウォークはここで言葉を濁す。
ミスティアの能力値は一だ。普通であれば実用性はないと切り捨てられる数値だ。
しかしウォークは疑問が残る。
シャーロット様の心時計を止めたあの夜、ウォークは大きな力を感じた。
しかも彼女は時魔化の始まった人間の心時計を止めた。時魔化する大きな力をおさえつけて時計を止めたということだ。
だとすれば彼女の能力値は低いはずがない。
だが時計版の長針は一時を指していた。
彼女の性質は特異を示す十時を指していた。
そうであれば彼女が時計師の能力発動するための条件を探るのが難しくなってくる。
時計師としての能力が認められなければ彼女は時計師ではなくなる。
「ユリウス様は君を自身の専任の時計師にするつもりだった」
王族には高齢になると自身が死亡した際に心時計を止める時計師を任命できる。
時計師としては誉れ高いことであり、専任の時計師に選ばれることは一族の名誉とされる。
「まだ専任を決めるのは早いと思うけど、だからこの部屋を与えられたわけね」
「……それだけではないと思うけど。名目上の理由だろうね」
まだまだそんな年齢ではないし、長生きしてもらいたい。
毎日のようになだれ込んでくる政務書類をユリウスなくして誰が捌けるのだろうか。
ウォークも数ある政務室の一室に専用の机を置かれてからは腰が痛い日々を送っている。
僕の本職は護衛騎士のはずなのに……という不満を言っている暇もない。
「とにかく一年間の猶予があるわけだね?」
「そういうことになるね……だけど……」
だけど一年間の猶予があったとしても能力値が一では厳しい。
シャーロット様の心時計を止めた夜のことを思い出しても一なんてことはないはずなのに……。
抗議してみるか? 測定のやり直しをするよう要請してみるか?
いや、彼女は能力発動の条件が揃えば並みの時計師以上の力を発揮する、そういうタイプの時計師なのではないか?
能力値が低くてもそういうタイプの多く時計師はいる。
ミスティアもその可能性はゼロじゃない。実際、彼女の性質は特異を示した。
ウォークは思考を巡らせる。
「一年あれば十分だわ」
「え?」
ミスティアは勢いよく立ち上がり、身体を伸ばした。
「今ここを追い出される訳にはいかないんだけど、一年あれば問題ないわ」
「どういうこと?」
ミスティアは口元に弧を描き、目を細めた。
「私、ここでやりたい事があるの」
「やりたい事?」
「そう。それも色々」
ウォークは嫌な予感がした。
「あ、でも手始めに君のことも知りたい」
次第に距離を詰めてくるミスティアに椅子ごと後退したい気分だ。
「ぼ、僕はもう行くよ、ユリウス様の伝言も伝えたし……え⁉」
ミスティアからの視線を振り切り、立ち上がろうとしたが足を払われて浮き上がった腰は再び長椅子に沈んだ。
「まだ何もしてないでしょ?」
「えっ⁉ ちょっとま……⁉」
ぐいっと肩に手を置かれたと思ったら重みを感じ、そのまま長椅子に押し倒される。
「そもそも逃げようとしなければここまでしてないからね」
そう言いながらウォークに馬乗りになったミスティアはウォークを見下ろす。
腰や脚に柔らかい感触を覚えてウォークは居たたまれない。
仕舞にはミスティアから柑橘のような甘い香りが漂ってきて、密着している部分もあり、一気に体温が上がるのを感じた。
顔の側に置かれた手がウォークを閉じ込めた。
アメジスト色の瞳がじっとウォークを見つめていた。
吸い込まれそうな瞳の美しさと、滲み出る独特の妖艶な雰囲気に身動きが出来ない。
ゆっくりと伸びてくるミスティアの指がそっとウォークの唇を撫でる。
「っ……ミスティア……」
「黙って」
抗議の声を上げて彼女から離れなくては。
そう思うのに彼女の存在が大きすぎてそれが出来ない。
触れられた部分が甘く痺れて力が抜けるような感覚を覚える。
すーっとウォークの首元に顔を埋めて息を吸い込む音が聞こえ、身体が硬直した。
少しだけ掠めるように触れた鼻先と、身体に感じるミスティアの重みが、彼女がどれだけ近くにいるのかを実感させる。
ウォークの髪にミスティアの指が触れる。
「駄目だ!」
ミスティアの手を振り払ったがもう遅い。
はっとした時にはもう遅く、ミスティアの手がウォークの髪を掻き上げて赤い湿疹をさらけ出していた。
「……醜いでしょ……これ」
髪の生え際や頭皮に広がる湿疹は赤く、潰れたり膿んでいるものもある。
「今はかなり落ち着いているけどね」
ミスティアを優しく押しのけると、彼女はそれ以上はせずに大人しく退いた。
「薬は?」
「……効く薬があればとっくに良くなってるはずなんだけどね」
ウォークは立ち上がり、ミスティアに背を向けた。
「じゃあ、宰相の伝言は伝えたからね」
「あっ! ちょっと待って」
ミスティアの顔を見る事無く、ウォークはそのまま部屋を後にした。
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