第二十話 ウォークの動揺

 ミスティアはユリウスと一時を過ごした後、自室に戻った。

 与えられた部屋は豪華であまりにも広く、使い心地は抜群に良いが、未だに慣れない。

 奥にある寝室に続くドアをくぐり、クローゼットの中にある鞄を引っ張り出す。

 鞄の中身は薬品や乾燥させた草花が大小様々な瓶に入り、綺麗に整理されて収まっている。

「足りないんだよなぁ」

 瓶を一つ一つ確認するが、目当てのものが入っていない。

 この鞄の中身はミスティアが管理しているもののほんの一部でその他はタイラーの店に残されたままだ。

 ミスティアは机の引き出しにあった紙とペンを手に取り、一筆したためて封筒に収めた。

 後で三つ子に頼んでタイラーに届けてもらうためだ。

「でも待てよ……」

『時計師の能力が認められなければ時計師の称号を剥奪される』

 ユリウスの言葉にミスティアは頭を悩ませた。

 時計師の肩書がなくなるのは別に構わない。

 しかし、そうなると王宮にいられなくなる。

 今、王宮を追い出されてしまえばリオネイラ家に関する調査も時計師狩りの事件にも関われなくなってしまう。

 コンコンコンっと部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 鞄をしまって寝室を出たミスティアは部屋の入口扉を開けた。

「はいはーい」

「つっ……」

 扉を開けるとそこにはキースこと、ウォークがおっかなびっくりした顔で立っていた。

「いらっしゃい。どうしたの?」

「……どうしたの、じゃないよ。安易に扉を開けないで。白蘭宮は警備は硬いけど、それでももしもの事があるかもれない。危ないから相手を確認しないうちに開けちゃ駄目だ」

 眉間にシワを寄せて少し怒ったような声音で言う。

 ミスティアにとってはデジャヴだ。

「そう言えばカフティにも言われたな」

「学習してよ」

「歩く音で大体分かるよ。今だって扉の前で行き来する足音がちゃんと聞こえてた」

 歩き方は人によって癖がある。歩幅、速度、体重の掛け方、踏み切る音、着地の仕方、美しさを意識しても個人差が出る。

「たまに区別しにくい人もいるけど、君はとても歩き方が綺麗で癖がない。癖がなさすぎるのが特徴だから。君だと分かれば問題ないわ」

「……」

 ウォークは少し驚いた後に、困ったような表情を見せる。

「まぁ、立ち話もなんだし、入りなよ」

 ミスティアはウォークを招き入れて椅子に座るように促す。

「水出しのお茶があるんだけど飲んでみない? ハーブとレモンを使ってるから気分がすっきりするのよ」

 そう言ってミスティアはウォークにお茶を勧める。

 何となく断るの申し訳ないと思い、ウォークは勧められるがままに注がれるお茶を見つめた。



 ウォークがミスティアの部屋の扉を叩く直前。

 先ほどユリウスから肝心なことを伝え忘れたとミスティアへの伝言を頼まれた。

 図書棟の事件から数日が経ったが、あの日以降、ミスティアとは顔を合わせていない。

 ミスティアを追いかけて向かった図書棟の光景は壮絶なものだった。

閉ざされた空間、むせ返るほどの血の匂い、生々しい遺骸の数々はウォークの中にある古い記憶を呼び起こした。

 もしミスティアが襲われ、もはや誰であるかも特定できない肉片になっていたらと考えると腹の奥が煮え返りそうな気持になる。

 想像するだけで胸の奥がゾッとするのだ。そんなことになる前に、ミスティアを救い出せたことと、彼女が恐怖に震えながらも逃げようともがいていたことに心底安堵した。

 あの光景を見て絶望してしまえば最後、確実に死んでいた。

 しかし彼女は一人で閉じ込められた空間で逃げ回り、生き延びた。

 やはり強い女性だ。

 そんなミスティアが自分を見るなり安心して涙を流した。

 その姿を見た時、どうしようもなく胸が震えた。

 震える彼女の手を取り、落ち着かせるために背中を撫でると次第に落ち着きを取り戻し、縋るように自分に身を寄せる彼女がとてつもなく愛おしく思えた。

 そのまま力一杯に抱き締めてしまえたら、と邪な考えを何とか堪えていた。

 しかし、突然に彼女の唇が頬に触れた。

 しっとりと温かく柔らかい感触が今でも頬に残っているようで、ミスティアを思い出すだけで身体が熱くなる。

 こんなことを考えてはいけないのに……。

 ミスティアもあの時は突然のことで気が動転していたのだ。そうに違いない。

 恐怖で震え、涙を流し、助けが到着して安堵しただけだ。

 それがたまたま自分だっただけだ。

 あの場にいち早く到着したのが自分だっただけだ。

 自分が特別だったという訳ではないと自分自身に言い聞かせる。

 それでもあのキスは自分のものだ。

 そう思うと再び頭に熱が回るようで、彼女の部屋を前にしても落ち着かない。

 部屋の前を行ったり来たりしてようやく落ち着きを取り戻し、息を整えて扉をノックした。

 気配はあるが返事はない。

 着替え中だろうか?

 であれば声を掛けて少し待ってみよう。

「ぼ……」

『僕だよ』

 名乗ろうとする前に勢いよく扉が開いた。

「はいはーい」

 明るい笑顔が間近に現れ、ウォークはドキリと心臓が跳ねた。

「つっ……」

「いらっしゃい。どうしたの?」

 どうしたの? じゃないよ。心臓に悪いんだよ。

 僕はこんなに事あるごとに君に悩まされているのに、君は何でいつも通りなの。

 文句を言いたいのをぐっと堪えて代わりに不用心さを指摘した。

 その指摘も軽く躱されてミスティアに刺さった様子はなく、ミスティアに勧められるがまま注がれたお茶を飲むことになった。





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