第十四話 あの日の記憶
「昔、一度だけ誘拐されたことがある。四歳くらいの頃。気が付いたら見覚えのない、暗い大きな建物にいたの」
ミスティアは双眸を伏せ、過去の記憶を遡る。
「一番初めに力を使ったのはその時だったはず」
ミスティアが初めてその特異な力を使ったのは幼少の頃だ。
「私はここよりも北方にあるニギナリアに住んでいたの。十六になる年に王都に移り住むことになった」
王都アルマよりも北方に位置するニギナリアという町でミスティアは育った。
ここよりも寒暖差が激しい土地で夏の暑い時期が短く、冬の寒い時期が長い所だ。
猛暑日が少なく、夏場は比較的過ごしやすいが場所によっては冬場の雪が多く、春になっても雪が消えないような所だ。
「なんだ、お前この辺りの育ちじゃないんだな」
「そうそう。緑が多くてこの辺りにはないような植物が多い、山際の地域で育ったの。王都には毎年、夏と冬の二回は必ず祖母と一緒に遊びに来ていたんだよ」
夏は短く、冬場は長く、休みを利用してこの町の外れにあるタイラーの別荘に遊びに来ていた。
タイラーのお店と別荘を行き来し、祖母はタイラーの仕事を手伝っていた。
祖母が仕事をしている間、ミスティアは別荘の周りに広がる森や小川で遊び、草花や動物と触れ合うのがとても好きだった。それと同時に田舎であるニギナリアに住むミスティアには王都はとても煌びやかで賑やかな場所に映った。人も建物もお店も多く、田舎では手に入らないような可愛い雑貨や美味しいお菓子などが並ぶお店に目を奪われたものだ。
別荘では森を探索して遊び、町にあるタイラーのお店についていく時は賑やかな町並みに心を躍らせる。夏と冬のこの二回がミスティアは常に待ち遠しかった。
「あれは夏に王都に来た時、お店に同い年位の男の子がやって来たの」
「ほうほう」
興味深そうに身を乗り出したのはマイセンだ。
「金髪の、笑った顔が可愛い優しい男の子だったの」
カフローディアは面白くなさそうに聞いていた。
ある日の昼下がり、花を求めてタイラーの元へやって来た男性は一人の男の子を連れて来店した。
色白の肌に金色の髪がキラキラと輝き、綺麗にお辞儀をする姿がとても印象的だった。店長のタイラーに行儀良く挨拶する幼い少年を前に、あまり人見知りしない性格だったミスティアだったのだが何故だか急に恥ずかしくなりタイラーの後ろに隠れたのをはっきりと覚えている。
「マセガキかよ」
少し赤くなった頬に手を当てて恍惚とした表情で語るミスティアに リーズは言う。
「それ以来、男の子は頻繁にお店を訪れてくれて、私は一緒に遊んだわ」
近所を探索したり、川辺を一緒に歩いて花を摘んだり、雨が降る日は店の中で本を読んだりして過ごした。短い時間ではあったが濃密な時間だったと思う。随分前のことなのにこんなにもはっきりと覚えているのだから。
「あれは確か私がニギナリアに帰る前日だったと思う」
ミスティアは翌日にはこの地を離れることを少年に伝えた。ミスティアは彼にはもう会えないことが酷く悲しく、寂しかった。しくしくと涙を流すミスティアに少年はミスティアの手を取って花の咲く川辺を一緒に歩いてくれた。大して身長の変わらないミスティアの頭を優しく撫でてくれたりもした。今思い返せば、泣いている女の子を慰める方法など幼い少年が知っているわけがないので、少年の彼はとても優しい男の子だったのだろう。
「今はさぞかし素敵な男性になってるに違いない」
「ティアの初恋は分ったから。先に進もう」
今まで無言で聞いていたカフローディアが脱線しかけた話の軌道を修正する。
少年と一緒に庭園で散歩をしていたはずなのに気が付いたらミスティアは少年と冷え冷えとした暗く広い建物の中にいた。
天井が高く、白い霞んだような光がガラスを通して差し込み、壁に張り付いた十字架がこの場所が教会であることを教えてくれた。
ミスティアの横には少年が眠ったまま横たわっていた。しかし、横たわっていたのは彼だけではない。祭壇の周りには子供も大人も男女も関係ない、無数の人が倒れていた。
祭壇からは赤黒い液体が白い祭壇を染め、凝固を始めていた。立ち込める死の匂いにミスティアは恐怖で震えた。ミスティアが揺すり起こすとすぐに少年は目を覚ました。
少年はミスティアの手を引き、二人で外に出ようと扉の前に立つが、扉はビクともしない。
窓は鉄格子が嵌り、硬く施錠されており、幼い二人の手が届く高さではない。
踏み台のような物もなかった。
恐怖と不安で怯えるミスティアを安心させてくれたのは一緒にいた少年だった。
自身も不安で怖かったに違いないのに、泣くミスティアの手を握り、励ましてくれた。
どれぐらいの間、血の匂いが充満する部屋にいたのか分からないが、それは突然起こった。
頭の中でカチカチと時計の針が時間を刻むような音が聞こえてきたのだ。最初は規則正しい綺麗な音だと思った。だがその音は次第に大きくなり、不気味さを増していった。
そして不気味な音と共に周囲にも異常が起きていた。
床に横たわる人々が急に動き出し、もがき苦しむように暴れ始めたのである。その光景はまさに人が化け物にない変わる瞬間だった。
順番に化け物に成り代わる屍を目の前に幼いミスティアは声を上げることすら出来ず、その光景を見ていることしか出来なかった。
ミスティアは何故か化け物が自分だけを見ている気がして震えた。恐怖のあまり立ち上がることも、声を発することも出来ず、目を固く閉じて悪夢から覚めたいと願う。しかし身体に暖かい重みを感じて目を閉じると少年がミスティアに覆い被さるように倒れていた。
少年の服が破け、裂けた服から覗く白い肌に赤い液体が滴っている。
少年はミスティアを化け物から隠すように抱き締めた。そしてミスティアは少年がミスティアを庇って怪我をしたことを理解した。
守らなければ。
この男の子を、身を挺してまで自分をを守ってくれたこの男の子を、私が。
その瞬間、身体が沸騰したかのように熱を持ち、周りの空気が激しく震えた。何かが窓ガラスを強く揺さぶり、閉ざされた木製の扉が木目から避けそうなほど軋んでいた。
そして轟音と共にガラスが砕け、扉が木片と化し、白い光のようなもので満たされた。
この男の子を守らなくては。この男の子を死なせたくない、その想いだけでミスティアの中は一杯だった。
「それが初めて力を使った記憶だよ」
その出来事がきっかけで自分が人とは違う特異な人間だと自覚した。
ミスティアはそのことを人に言ってはならないと祖母とタイラーから耳にタコができるほど言われていたし、自分でも人に知られてはいけないような気がしていた。
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