第十三話 憶測と確信の狭間

 翌日、目が覚めた頃には外は明るく、日は高い位置にあった。


 昨夜の衝撃的な出来事を考えると身体は疲労を感じているのになかなか眠る気に慣れなかった。


バスルームの浴槽にお湯を張り、オレンジの香のオイルを垂らした。湯船に浸かるとふわりと香るオレンジの匂いに癒される。


 身体が温まると一度浴槽から出て石鹸を泡立てて頭皮と髪を洗う。この石鹸にはミントとハーブなど植物エキスと蜂蜜を練り込んである。少しだけ蜂蜜を入れてあるので洗い上がりの髪もきしみにくく、毛先もパサつきにくい。風呂からあがった後は化粧水と美容液で保湿する。保湿効果と炎症を抑える働きのあるアロエやカリン、美白によいアセロラのエキスを分量に気を付けて配合してある。


 流石にお粉や頬紅、口紅などは難しいが、化粧水やクリーム、石鹸などはミスティアの手作りだ。


 最初は薔薇の花弁をお風呂に浮かべたり、香りの強い金木犀の花で香水を作って遊んだのが始まりだった。色んな植物の花や種子、根などをすり潰したり、煮詰めたり、子供の遊びも成長するにつれ本格化し、ミスティアの作る化粧水や軟膏は肌に優しく肌も綺麗になるとご近所では評判だ。


 花屋なのにミスティアの趣味で作った化粧品目的で来る女性客もいるぐらい。

 お手製の化粧水で保湿し終える頃には空の向こうが薄らと明るくなっていた。


 夜明けが近いと思うと恐怖も薄れ、ようやく眠りにつくことができた。


 まだ寝たばかりな気がするけど、もう昼前か……。


 時計を見れば短針と長針が十の所で重なっている。


 睡眠時間は充分なはずなのに身体の疲れが取れないのはいつもと違う時間に寝たせいで体内時計が狂ったせいなのか、それとも昨日の出来事を精神的に引き摺っているせいなのか。


 両方か……。


 ミスティアは昨晩のことを事細かにカフローディアやリーズ達に説明した。

 あんな恐怖体験をさせられた側なのに私が容疑者として怪しまれたのは納得できない。


「不可解なことが多すぎるし」


 図書棟入口の結界石は破壊されていた。図書棟を出る時にミスティア自身の目で確認済みだ。そして何故か外側からドアが板や紐で固定されて塞がれていたらしい。


 板をかんぬきのようにして取っ手に通し、釘で打ち付けて紐で取っ手を固定してあったらしい。それをリーズ達が破壊して図書棟内に入り、中にいた時魔を殲滅したということだ。


 わざわざ結界石を壊して時魔を図書棟内におびき寄せた?

 しかも時魔が建物内に入ったのを見届けてから扉を塞いだ?


 時魔は人を喰らう以外には破壊しかしない。

 人を追いかける過程で扉や窓を破壊することはするが自分達で工具を持ち、すたこらせっせと扉を塞いだなんて馬鹿な話はない。想像すると笑える。


 それから図書棟内の灯りがミスティアがいた部屋以外は全て消えていたことも何らかの作為が働いているように思う。


 自分がいた部屋の灯りが消えれば流石にミスティアも気付いた。中央ホールの惨事には部屋から距離もあるので誰かが叫び声を上げても気付かなかったかもしれないが。


「私を閉じ込めようとしたのか……?」


 ここで重要なのはミスティアを狙ったものなのか、偶然にもミスティアが事件に巻き込まれただけなのか。


 忘れてたけど……私が時計師になったのはシャーロット様の心時計を止めたことで何者かが意図的にミスティアの捕獲を早めた為、カフローディアが先回りして時計師になる手続きをしてくれたからだ。


 私を捕まえたかったのか、殺したいのかどちっだ?


 捕まるならまだしも今回は本気で死ぬかと思った。もしかしてどっちでも良いのか?


 背筋がぞっとする。


 コンコンコンと部屋のドアが叩かれた。


「はい?」


 ミスティアがドアを開けるとそこに立っていたのはカフローディアである。


「無防備にドアを開けないないでくれ。何かあったらどうするんだ」


 眉根を寄せるカフローディアに開口一番に小言をもらう。


「いや、だって私の所に来るのって限られてるから……」

「白蘭宮は基本的に出入りする者を制限しているが怪しい奴が紛れていることも十分考えられるんだ! 以後自衛するように!」


 耳元で叫ぶように言われて思わず耳を塞いだ。


「はいはい、分かりました気をつけます!」

「それに……いや、まぁいい」


 何か言い掛けてカフティは口を噤んだ。


 ミスティアは首を傾げたが、追及はしないことにする。


「眠れたか?」

「眠れたけど眠れたかといえば否」


 後ろに控えていたリーズにはそう答えた。

 一緒に並んでいる三つ子達も苦笑いである。


「何か分かったことある?」


 まぁ、立ち話もどうかと思うので全員を部屋に通す。


 テーブルを囲むようにカフティはミスティアの横に座り、向かいにはリーズが座る。


 ミンクスはカフティの後ろに控え、アロンとマイセンはリーズの後ろに控えた。


 ウォークはいないのね。


 ウォークがそこにいないことに少しだけ安心する。


 思わず頬にキスをしてしまったことをミスティアは反省した。


 何故、あの状況でキスしたのか……。


 そんな場合じゃないだろう。どう考えても。


 思い出すと恥ずかしくなってきて、ウォークに会えないことを残念に思う気持ちと良かったと思う気持ちが交差する。


「まず、昨晩の事件だが犠牲になったのは図書棟の司書達だ。夕方五時半に退勤した者が数名いたがそれまでは特に変わったことはなかったらしい」


「その退勤した人は勤務形態的な問題で五時半に退勤してるんだよね?」

「あぁ。城の外に住んでるからな。この時期は五時半に退勤と決まっているんだ。残っている者達で今月分の新書を棚に並べる作業をしていたらしい」

「へぇー。じゃあ、今日行けば新刊が棚に並んでるはずだったわけだ」


 ミスティアの趣味の一つに読書がある。


 好きなジャンルは冒険ものや推理小説。女性に人気な恋愛小説などにはあまり興味がないのでたまに勧められるがほとんど読まない。


 図書棟には新旧含めて国中の本が運ばれ、長期に渡り保管されている。


 ってことは、絶版されたあの小説の続きもあるのでは⁉


 一瞬そんなことも頭によぎったが今は関係ない。


 話に集中しなきゃ。


「月に一回、出版社中から発売される新刊が納品される日だったんだ。量が多いもんだから午前と午後の二回に分けて納品される。午後の分が昨日は夕方に届いた。よくあることみたいだが司書達の作業も遅くなるから毎回文句を言っていたな」


「ただでさえ量が多いからな。昔、一度だけ手伝ったことがあるが、相当疲れる。効率よく作業しないとその日で終わらないしな。月に一度のこの作業が毎回憂鬱だと言ってたなぁ」


 文句もでるだろうとリーズは言う。


「他の人達は何時に退勤なの?」

「今の時期は六時だな」

「なるほど」


 六時半になれば完全に日が落ちる。日没と同時に時魔は活動をはじめ、日の出前に姿を隠す。昼間はどこにいるのか、詳しい実態は分かっていない。


 ミスティアはカフティの言葉に頷く。


「異変が起きたのはその後ってことだが。まだ途中だが気になることがあった」

「気になること?」


 気になることだらけなんだけど。


「滅した時魔はみな衣類がなかった」

「は……? ん? でも、そういえば……」


 時魔は元々人間だ。死んだ状態にもよるが大抵は衣服を着ていて、装飾品をしている者も多い。


暗かったし、そんなにじっくりと観察している余裕はなかったがミスティアを襲った目がない時魔も衣類がなかったように思う。


 ミスティアはそう伝えた。


「あとは身体に欠損があった。はっきり記憶しているのは左目と右手の指が確か……二本か三本」


 片目が抉れたような状態だった。


 襲ってきた時魔を思い出すと背筋が冷えるが、時魔はもとは人間だ。好きで時魔になったわけではなく、ただ死んだ時に心時計を止めてもらえなかっただけだ。


「お前を襲った時魔もか?」

「え? そっちも?」

「あぁ。俺達が対峙した時魔も身体の一部が欠損した時魔がいた。指や耳、目だった」


 その言葉にミスティアは驚愕した。


「そんな偶然ないよね。衣服がなかったってことは死んでから服を脱がされた可能性が高い。身体に欠損部位がある時魔も今のご時世、そうそういないでしょ」


 カフローディアとリーズは顔を見合わせて何かを確信したかのように頷く。


「あと、『目を返せ』って言ってた」


 時魔はもともと人間だ。時魔になれば理性は失われ、欲求のままに行動するようになる。その欲求というのが時魔自身が失った肉体、心臓である。それらを欲して時魔は人間を襲うのだ。


 時魔達は衣服がなく、身体に欠損がある個体が確認されている。


「何者かに殺害されて、衣類を脱がされて放置されたってことでは?」


 ミスティアの考えにリーズは天を仰いだ。


「やっぱりそう考えるよな……」

「身体に欠損部位がある時魔が一体だけではないのならそれまでの過程で拷問があった可能性がある」


 ミスティアは淡々と言う。


「拷問を受けた後で殺害されて時魔になった……」


 カフローディアが嫌そうな顔でこめかみを押さえる。


「気になることはそれだけじゃないけどな」

「リーズは他に何が気になる?」


 渋い顔をするリーズにミスティアは問い掛ける。


「入口の結界石を壊すのは簡単だが、どうやって時魔をおびき寄せたのかも分からん。都合よく時魔がそこらにいたとして、時魔を建物内に誘導する必要があるだろ?」


「しかし、時魔は人の気配のする方へ移動しますよね。今回のようにホールに人が集まっていたら入口を開いて置けば勝手に侵入するのでは?」


 マイセンが口を開いた。


「なら、外からの扉の細工はどうする? 扉は板と釘で打ち付けてあった。実験してみたが、釘を打てばかなり響いて中にいる人間が気付くはずだ。それに時魔は人の気配に敏感で手あたり次第に喰らおうとする。あれだけ時魔がいたのにそれが可能だと思うか?」


「そうですね……自分なら難しいかと思います」


 三つ子達はそれぞれが同じ顔で同じ仕草をしている。


「それに、時魔が現れた時間帯に何でまだ退勤していなかったんだ?」

「それも分かってません」


 カフティの言葉にリーズは首を降る。


 はぁっとカフティとリーズは大きな溜め息をつく。


「たぶん、時魔は外から入って来たんじゃない」

「「何だって?」」


 ミスティアの言葉に、カフティとリーズの疑問の声が重なる。


 三つ子も首を傾げてミスティアを見つめている。

 ミスティアは少し躊躇したが話しておくべきだと思った。


 あの時と状況が酷似していること。


 身の毛もよだつ出来事はいつまでたってもトラウマで蓋をしてしまいたいミスティアの記憶だ。


「時魔は最初から建物の中にいた。恐らく、大きな荷物に隠して運ばれた」

「待て待て待て。何者かが時魔を飼い慣らして荷物に入れて大人しくしてろって言いつけてここまで運ばれたってことか?」


 時魔は人を襲うんだぞ?


 馬鹿馬鹿しいと言うようにリーズは言う。


「その時はまだ時魔じゃなかったとしたら?」

「……何だって?」

「カフティ、本はここに届く前に検品するんでしょ?」


「あぁ。新書は出版社からここに届く前に業者に集められる。何せ量が多くて重量もあるから専門の業者にずっと頼んでいる。そこで一度確認をして検問所で検品する。その後に城の手前で検問と検品をしている」


「本は三回はここに来る前に検品される。そこさえくぐり抜ければ可能だと思わない? 膨大な量の本を毎月。それも午前と午後の一日に二回も。何十年も続く面倒な確認作業がどっかでおざなりになっていたとしたら?」


ミスティアの言葉にカフティは眉間のシワを濃くした。


「だが時魔はどうなる? ティアの言うとおり、検問はまぬがれたとしても……」


「遺体の腐敗は死後一日から二日で始まる。時魔化が始まるのは二十四時間が経過してから。昨晩の事件の発生が司書達の退勤時間の六時位で考えると一昨日の六時前後に数人を殺害し、衣服のない状態にして荷物に紛れさせる。午後の荷物が城に入る時間をあえて遅らせて時間を調整する。時間になれば時魔化が始まり、司書達を襲い始める。逃げようとしても出入口は外から閉ざされてるし、外にも時魔がいる事を考えると外にも逃げられない。でも出入口付近に血の跡は少なかったよね?」


「あぁ……お前の足跡だけだった」


 ミスティアは時魔を見た時にすぐに向かったのは出入口だ。しかし、足元が血でぬかるんだ感覚はなく、血の匂いもしなかった。帰り際にも確認しているので間違いない。誰も玄関に逃げてはいないのだ。


「普通は逃げようと出口に向かうはず。でもその痕跡がないなら司書達は自分で身動きができない状況にあった可能性もある」


「それはどういう状況だ?」

「そこまでは今の段階では分からない」

「待て。何で司書達は時魔が出現するような時間にまだ退勤していなかったんだ?」


 リーズが口を挟む。


「それに、扉の細工は? 誰かに気付かれるのでは?」


 アロンが疑問を口にするとミスティアは答える。


「退勤時間は時計に細工をすれば可能。遅れて届いた荷物に気を取られてせわしく動いていると多少遅れていたり、止まっていたりしていても案外気付かない。忙しさに加えて、文句を言いながら作業していると……どう? ホール自体も音が響きやすい造りだし、中が賑やかならその音も紛れるのでは?」


 淡々と説明するミスティアに全員が絶句する。


 ミスティアの思考に全員が目を丸くした。


「確かにティアの言う通りなら説明はつくが……」


 カフローディアは信じれれないというようにミスティアに視線を向ける。


「根拠はあるのか? 全部憶測か?」


 リーズがミスティアを見据える。


「俺達の中に図書棟内に人を閉じ込めてあらかじめ運んでおいた遺体を時魔化させて襲わせたって発想はなかった。礼騎士も騎士達も時魔をどうやっておびき寄せて自分の身を守りながら出入口を塞いだのかを考えていた」


 お前の発想は異常だ、と言われているようだった。


 自分に実は容疑が掛かっていることは知っている。カフローディアがとりなしてくれているが、その疑惑は完全に晴れたわけではない。


 今の発言は自分の首を絞める発言だったことも理解していた。


 リーズはミスティアに疑惑の目を向けている。

 ミスティはゆっくりと目を閉じた。


 瞼に焼き付いた光景は昨晩以上に衝撃的で幼いミスティアを戦慄させた。


 ミスティアは意を決して双眸を開く。


 今はもうあの日の私ではない。あの日の恐怖も昨晩の恐怖ももう過ぎたことだ。


「昔の話を聞いて欲しい」


 誰にも話していない昔話。


 できれば忘れてしまいたかった恐怖の出来事だ。

 ミスティアの脳裏にミスティアを背に庇い、引き裂かれた少年の姿が思い起こされた。

 



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