第十二話 リーズとウォークの心境

「お前もあんまり無茶すんなよ」


 はぁーっと溜め息を付いてリーズは言う。


 図書棟は現場を保存するためにしばらく封鎖することになった。


 時魔の犠牲になったのは図書棟の司書達だ。出張していた者と既に退勤していた者、非番の者以外の十名近くが全員死亡したと思われる。


 故人の特定が可能な者はまだ良かったが性別も判別できない者もいた。


 今は見張りを置き、夜が明けてから医務官とその手の専門家を呼び詳しい捜査をする手筈を整えている。まだ時魔を警戒しなければならない。


「別に無茶なんかしてないよ」


 ウォークはいつもと変わらない平静を装って答えた。


「暗闇の中、一人で突っ走って樹に登りついて二階から建物内に侵入するのは無茶な所業だ」


 全てはウォークを追いかけたオスカーからの報告である。

 どんなに運動能力が高くても普通は出来ないし、やろうと思わない。


 小説でも最近見かけないシュチュエーションだったとオスカーは興奮気味に語っだ。


『あまりにも軽やかな身のこなしで他でもやってますよ、あれ』


 二階窓からの室内への侵入があまりにも手馴れすぎてるとオスカーは言った。


『きっと、人目を忍んで誰かと逢引きしてますね』


 常習犯の身のこなしだと断言するオスカーの顔は完全に愉快な者を見る目をしていた。


「あぁ、そう……」


 思わず、二階の窓から人目を忍んで人妻と逢引きするウォークを想像してしまった。


 ウォークに限ってそんなことはないと思いたい。


「他にも、夜の行動は二人以上が規則なんだ。知ってるだろ?」

「……あぁ」


 ウォークは気を付けると短く告げる。 


 本当に大丈夫か?


 日が暮れてからの行動は誰であっても極力慎むべきだ。

 基本的にやむ負えない理由がある場合を除いては日没が確認されてから外を出歩くことは禁止されている。


 礼騎士はその限りではないが必要な場合は二人以上での行動が原則だ。


 宰相の側付きのウォークであっても例外ではない。


 今回のように一人で疾風の如く駆けて行ったウォークを見ると今後も同じようなことが起こりそうで心配だ。


 そんなリーズの心配を余所に、ウォークはらしくない自分の行動を思い返していた。


単独行動が危険なのは重々承知なのだがあの時はそんなことを考えている余裕はなかった。


 とにかく早くミスティアの元に行かなければと、頭で考えるよりも身体の方が速く動いた。胸の中が不快感で一杯になり、焦燥感に支配された。一室だけ明るい部屋の窓にべったりと張り付いて離れない時魔を見た時は身体の血液が沸騰するような熱さを覚えた。その時魔がミスティアを狙っていること、ミスティアがそこにいることも何故かすぐに分かった。


 時魔がミスティアに触れようとしているのを目にした途端に頭が真っ白になった。


『触れるな』


 そう思った時には剣を握り、時魔に向かって投げつけていた。


 ミスティアの無事を確認できたとき、この上ない安心感で力が抜けた。

 この華奢な身体でよく一人で時魔と戦ったものだと感心した。しかしその身体は震えていて、ウォークを見るなりボロボロと泣きはじめてしまった。


 自分の手をきゅっと握り、堪えるようにきつく目を閉じても流れる涙は止まらない。


 その姿を見た時、胸の奥が苦しくなった。胸が苦しいのに反してどこか喜々としている自分がいることに酷く戸惑った。


 この自分よりも小さくて細い身体を抱き締めて、髪に指を絡ませて涙を拭えたらどんなに良いか。

 そんな邪な感情は持ってはならない。彼女には深く関わってはいけない、近づいてはいけない。そう頭では理解しているのに一度近づいたら離れがたい。


 せめてこの涙が止まるまでは……。


 そう思っていた時だ。


『どちらでも構わない』


 確かに彼女はそう言った。

 しっかりウォークは聞き取っていた。


 どういう意味だろうか?


聞き取れなかったフリをして聞き返した。

 疑問の代わりに帰ってきたのは柔らかな感触。

 それがミスティアの唇だと分かった瞬間に言葉にならない感情が膨れ上がる。


 何で、どうして、そう言いたいのに言葉が出て来ない。


 決して不快ではないのだが、その行動に衝撃を受けて混乱した。


 慣れない行為に身体が熱くなっていることが自分でもはっきり分かった。


 そうこうしているうちにオスカーが部屋に飛び込んできて、その頃にはミスティアの涙も止まっていた。


 オスカーがミスティアを背負うと申し出たがミスティアは自分で歩けると断ったものの、その歩行は見ていてとても危なっかしい。足腰にあまり力が入っておらず、フラフラしているのは明らかだった。


 人前で背負われるのは恥ずかしいから嫌なのかもしれない。


 だが、あまりにも危ないので見ていられず、ウォークが背負うと言うとミスティアは意外にもすんなりとウォークの背中に掴まった。


 そこでも心がきゅっと掴まれるような感覚を覚えた。


 移動中もずり落ちそうになる度にぎゅっと自分に掴まるものだがら身体の柔らかさが伝わり心臓に悪い。


 でも人に代わってもらうのも気が進まず、もう歩けると言うミスティアを降ろすのも気が進まず、白蘭宮まで運ぶことになった。


「疲れた」


 精神的に。


 体力的にはまだまだ動けるが今日はこれ以上何も考えたくないがそういう訳にもいかない。


「本当にな」


 リーズの言葉にウォークは深く頷いた。


「無事で良かった」

「はいはい。心配かけてごめんね」


 離れた所でまだ抱き合っている二人を見るとまたどっと疲れがくる。


 いい加減、離れたらどうなの。暑苦しい。


 そんな風に念じていたら通じたのか二人がようやく身体を離した。


 それを見ると少しだけ胸がすーっとする。


 カフローディアに向けるミスティアの瞳は優しく、その表情は柔らかい。


 彼女の穏やかな横顔を見ると疲れたウォークの心にもようやく平穏が訪れた。

 




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