第十一話 悪夢の夜
「心配した」
そう言ってミスティアを抱き締めたのはカフティである。
ミスティアはウォークとリーズ、駆けつけた礼騎士達によって保護されて王宮に戻って来た。城の敷地内にあるこのカフローディアやユリウスが生活するこの離宮は白蘭宮という。
時計師のミスティアは本来であれば時計師の住居である時計師領にある棟に住まうはずなのだが、王族と同じ住居で生活するという特例的な措置に周囲からはかなり訝しい視線を受けていることを改めて実感した。
白蘭宮に向かう途中でもヒソヒソと陰口を叩く声は何度かミスティアの耳に届いており、その度にウォークとリーズが睨み付けることで黙殺しているのが分かった。
まぁ、周囲の目が痛いことは理解していたけどね……。
宰相の愛人、王子を誑かす女、妃の地位を狙っている、などと宰相やカフローディアの名誉に傷が付くことを考えるとこのままではいけないと思うのだが。
白蘭宮に戻るや否や、ミスティアを抱き締めてくれたカフティにミスティアは思考を放棄した。
とても心配をかけてしまったようだ。
力強い抱擁に隠れて、カフティの身体は震えていた。
「本当に良かった」
呟くその声は安堵で震えていたことが分かる。
ミスティアはカフローディアの背中に腕を回して宥めるように背中をポンポンと叩いた。
そんな状況を目の当たりにして、礼騎士と騎士達は一部を除いて戸惑いながらも気を遣って視線を逸らしている。
王子の取り乱した様子にかなり驚いている様だ。
私も驚いたけど……。
こんなに心配してくれているとは思わなかったミスティアは今後は行動に気を付けなければと深く反省した。
「何だかなぁ……どう思うよ?」
ミスティアとカフローディアの熱い抱擁光景を離れてガン見していたリーズがウォークに問い掛ける。勿論、周囲に気取られないように小声でだ。
「迷子になった飼い猫が無事に帰って来た時の光景」
「ぶはっ」
思いがけないウォークの答えに、リーズが噴き出す。
静まり返っていた場ではよく響き、騎士達の注目を集めた。
ガン見していたリーズとは対象的にウォークはつまらなそうに視線を逸らしている。
つまらなそうというか、不機嫌そうだな……。
ウォークの顔には疲労の色が滲んでいる。
当然か……。
リーズは図書棟での凄惨たる光景を思い出す。
図書棟に向かう途中、図書棟方面が真っ暗になっていることを不審に思った見回り部隊と合流した。王宮の灯りは昼間でもなければ消えることはない。それはどの宮でも共通で図書棟も例外ではない。
しかし、図書棟の灯りは消えていた。
図書棟方面から感じていた時魔の気配は近づけばより濃くなった。だが、建物内にいる限り結界が守ってくれる。そう信じていた為、リーズの危機感はそこまで強くなかった。
だが、図書棟の前に来ると、自分の考えが甘かったことに気付かされた。
「どういうことだ⁉」
複数ある時魔の気配は図書棟の中から感じられたのだ。
「グラシエル卿! 入口が外から塞がれています!」
「外から板と紐で扉を固定されています!」
「はぁ? 何だって⁉」
部下からの報告に事態の異常さに焦燥感が膨れ上がる。
まさか、まだ中にいるんじゃないだろうな?
ミスティアに初めて会った時、リーズは不安定ながらも確かに時計師の力を感じ取っていた。微弱ではあるが時計師としての存在感があった。
クソっ! まずいぞ!
時魔は人間を襲う。それも時計師を好む。
嫌な汗が背中を伝う。
事件に巻き込まれて時計師という籠の鳥にされた不運な女、それがリーズから見たミスティアだ。自分で望んだ運命ではない。家族から強引に引き離され、やりたい事も行きたい場所にもなかなか自由にならないのが時計師だ。礼騎士のリーズは心を壊した時計師を多く見て来た。ミスティアはそうなって欲しくないと、なるべく不便を感じさせないように心を砕くつもりでいた。
『ティアを守って。何かあったら許さないわ』
リーズを睨み付ける小さな天使の顔が頭に浮かんだ。
泣き出しそうな彼女の顔がリーズの胸を締め付ける。
「くそっ、あいつとの約束が……」
「何の約束か知らないけど、さっさと君は正面から入って」
リーズの心情などお構いなしの冷たい声にはっと我に返る。
「あ? お前は? って……おいっ!」
聞き返した時にはウォークは既に走り出していた。
こちらを振り返る事なく、どこかを目指して一目散に闇の中を駆けていく。
「おい! 待て、ウォーク!」
一人でどうするつもりだっ! あいつ!
図書棟内に時魔がいるということは当然外にも時魔がいるはずだ。
複数の時魔と一人で対峙することはどんなに強い礼騎士でも避けたい。
ましてや、ウォークは礼騎士ではなく騎士である。
「自分が行きます!」
そう言って名乗りを上げたのはオスカー・エドモンドである。
礼騎士団に所属し、シャーロット様の最後を看取った者の一人だ。
シャーロット様の慈善事業に実家が援助を受け、その恩義から死期が間近に迫ったシャーロット様の護衛部隊に立候補していた。
その護衛部隊はウォークが隊長を務めており、その期間でオスカーはウォークと親しくなったと言っていた。
「頼んだぞ!」
「了解!」
駆け出すオスカーを背にしてリーズは正面玄関の扉に対峙する。
扉の向こうから禍々しい時魔の気配を感じ、緊張感が高まる。
泣き出しそうな金髪の小さい天使の姿が再び脳裏に浮かぶ。
アンが泣くのを想像するだけで自分が酷く情けない男に思えてしまい、自分を許せなくなる。
次に思い浮かんだのはミスティアの姿だ。
不運にも事件に巻き込まれて宮仕えする羽目になった普通の女だ。
アンにもカフティ王子にも彼女を任されてしまっている。
ミスティアのことは正直まだ分からないが、こんな所で死んでいいはずがない。
無事でいてくれよ。
「突破する!」
その言葉を合図にリーズは剣を振り降ろす。
「ミスティア! いるか⁉」
リーズの声に応答はない。その代わりに肉が腐敗したような匂いが生暖かい風に乗って身体に纏わりつく。
図書棟内に乗り込んだリーズ達は凄惨たる光景を目にして絶句した。
暗闇に紛れて蠢く無数の時魔は図書棟内にいた人間を食い荒らしていた。
扉を壊した瞬間にむせ返るような血の匂いに、吐き気が込み上げたほどだ。
一体、何が起こっているのか。目の前の状況を把握するより先に身体が動いていた。
剣を構えた礼騎士に一瞬怯んだ様子の時魔達に容赦なく切り掛かる。
「確実に仕留めろ!」
「「了解」」
礼騎士達が床を蹴る度に水が跳ねるような音がする。
それが水でないことも既に理解していた。
『キキィィィィ』
悲鳴のような奇声を上げる時魔達を次々と礼騎士達が倒していく。
「グラシエル卿! あいつが長です!」
礼騎士の一人が上を指さして叫んだ。
顔を上げると天窓を目指して上昇してる一際、身体の大きな時魔がいる。
月明かりに照らされた時魔がこちらを窺うように振り返った。
「天窓を破って逃げる気です!」
リーズは剣を構える。
「逃がさねぇぞ」
リーズが剣に意識を集中させると刀身が炎のような赤みを帯びる。
「焼き尽くせ」
剣を振り払うと剣先から炎が放たれた。
放たれた炎は時魔を捉えると時魔を包むように燃え広がる。
『ギイィィィィィ』
赤い炎に身を焼かれ時魔の悲鳴がこだまする。
もがき苦しむ悲鳴が徐々に小さくなると同時に微かな火の粉が降りて来た。
「時魔になれば礼騎士に滅される。滅されれば転生はない。土に還るだけだ」
リーズは続ける。
「せめて土に還してやりたかったな」
自嘲気味に呟き、床に散って消える火の粉を憐れんだ。
そうしているうちに室内が急に明るくなり、一瞬だけ目が眩んだ。
明るくなったことで自分の立つこの場所がどれだけ悲惨な状況がが鮮明になり、リーズと部下達は黙祷する。
「一体何があった」
本来の静けさを取り戻しつつあった図書棟の中央ホールに険しい声が発せられた。
リーズが部下と共に振り返るとそこに立っていたのはシュースタン・ボイルだ。
「この状況は一体何が……生存者は……?」
辺りを見回すシュースタンだが、この場に生存者などいる訳がない。
しかし弾かれたようにミスティアの存在を思い出した。
「説明は後でします! ミスティアは⁉」
この状況に気を取られ過ぎていた。
辺りを見回しても床や棚の上に残るのは残骸だ。故人を判別できそうな者は僅かであとはほぼ肉片になってしまっている。故人の特定どころか、性別の判断も困難だろう。
「グラシエル卿!」
中央ホールに飛び込んで来たのは先ほどウォークを追いかけたオスカーだ。
「ミスティアは⁉ ウォークはどうした⁉」
詰め寄るリーズにオスカーは困ったような表情で落ち着いて下さい、と宥めるように言う。
「無事だよ」
背中に投げかけられたウォークの声を聞き、リーズは勢いよく振り返る。
「あんまり大丈夫じゃないんですけどね……気持ち的に」
そこにはウォークに背負われて青白い顔で苦笑するミスティアの姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。