第二話 始まりの足音

「ティアまた泊まり?」


 客間を出るとドアのそばにいたアンが言う。


「うん。夕方迎えが来るって。それまでに使いそうな道具用意しとかないと」

「花はどうする?」

「使いそうな花は予約札つけとく」

「必要なら庭園で摘んで来るよ?」

「いや、大丈夫かな。足りなければ城の庭園で調達するよ。知り合いいるし」


 王宮の庭園で仕事をした際に知り合った王宮庭師にロンハーツという青年がいる。


 カフティに王宮で仕事をするなら紹介すると言われて知り合った。花や用具の手配、王宮での勝手が分からないミスティアのフォローをしてくれている。


「ところで……ティア」

「うん?」


 にっこりと微笑むアンにミスティアは首を傾げた。


「あんた、昨日、夜、何してた?」

「え……」


 ミスティアはあまりの気迫に身を強張らせた。


「昨晩、東の大通りで高貴な女性を納めた棺桶が通ったのだけれど死後二十四時間が間際に迫り時魔化し、完全に化ける寸前で時計を止めた時計師がいるらしいんだけど……」


「え、昨日? 高貴な? 女性?」


「表立っては王宮の時計師がギリギリの所で時計を止めたって事になってるけど、本当に王家に縁のある女性の心時計を止めた時計師を探してるわよ」


「嘘でしょ⁉ まさかあれが国王陛下の伯母のシャーロット侯爵夫人⁉」

「やっぱりあんたか! あれほど夜に一人で外出するなって言ってたのに!」


 昔からアンには暗くなってからの一人での外出は禁止されていた。


 耳にタコができるほど言われてきた。


 どうしても必要なら自分を連れて行け、そう言われてきたのである。


 しかしミスティアもいい大人だ。女の子だって飲んで騒いで夜遊びするご時世にそれはないだろう。


 そんな風に軽い気持ちでいた罰が当たったのかも知れない。


「待って! 貴族の、しかも王族縁の人物なら死に際を看取る際に時計師が付き添うはずでしょ?」


 貴族達は自分達が時魔という化け物になる事を嫌がり、一族からも時魔を出すことを一族の恥としている。心肺停止してすぐに心時計を止められるように時計師を雇い、死に際を看取らせるのが普通だ。


「私が遭遇したのは時計師どころか親族も付き添ってなかったよ⁉ ただの葬儀屋が独り身の遺体を運んでいるのだとばかり……」


「大雨で河川が増水して回り道をしてこちらに向かったから予定より大幅に到着が遅れたのよ。本来は付き添うはずの親族すら乗せずに必死に馬で駆けて来たみたいよ。王宮時計師達も向かったのだけど見事に入れ違い。リミットが間近に迫り、棺を壊して時魔が出て来た所に遭遇したんじゃないの。棺を運んでいたのは葬儀屋じゃなくて王宮の騎士だよ。気付かなかった?」


 気付かなかった。


 ミスティアは頭を抱えた。


「顔は見られてないのね?」

「う、うん…・…外套のフード被ってたし、暗かったから」


 見られていない……はずだ。


 正直、昨日の夜の状況をはっきりと思い出せないのだ。


 仕入れの帰り道、愛馬の様子がおかしかったのだ。この町に近付く度に歩みが遅くなり、現場付近で過剰に興奮して危うく落馬しかけたのははっきりと覚えているが。


 けたたましい音と嫌な気配が近くにあった。


 建物の曲がり角を左に折れた大通りで時魔になる寸前の遺体があったのだ。完全な化け物に変えてはいけないと思い咄嗟に腕を伸ばした。


 周りに誰がいたのか、何人いたのか、男か女かも覚えていない。


「眠かったのと月の光がぼんやりしていたのは覚えてるけど」


「まぁ、顔を見られていないなら問題ないわ。あなたが時計師の力を持った花装飾師だってことは私とオーナーしか知らないんだから」


 アンの言うように私が時計師の力を持っていることを知っている人物は限られる。アナと親代わりのオーナー、亡くなった祖母ぐらいのものだ。


「そうよね? 他にバレたりしてないわよね?」


 小さく整った顔をグッと近づけて迫るアンにミスティアは冷や汗を感じながら視線を逸らした。


「だ、大丈夫! 大丈夫だよっ!」


 ミスティアの脳裏に先程のカフティとの会話がよぎる。


 カフティがミスティアにした真の質問はこの事なのではないか、などと思ってしまう。


「ならいいけど。とにかく、気を付けなさいよ。特にあのカフティ。ただ単にあんたにホの字じゃなさそうだし」

「わ、分かってるよ」

「時計師は貴重。あんたが時計師だと分かったら国が放っておかないわ。多額の金と引き換えに自由を制限される籠の鳥になってしまう」


 時計師の存在は貴重だ。国から出る死者に対して死者を弔う時計師の割合は低すぎる。


 仕事は多忙を極め、多額の給金と引き換えに自由を失う。時には金儲けの道具として危険に巻き込まれる事も多い。


 それを危惧して時計師の力を隠す者も多い。

 ミスティアもそのうちの一人な訳だが。


「篭の鳥になんかさせないわよ」

「ならないから安心なさいな」


 自分よりも背の低いアンの頭をポンと叩く。


「それからティアが思っている以上にあの男、身分が高いわよ。手籠めにされないように用心なさい」


「天使みたいな顔してサラッととんでも発言するんじゃありません」


 全く天使のような容姿でなぜこうも口が悪いのか。


 これでは男もなかなか寄り付かないぞ、と娘の行き遅れを心配する父親のような気分になる。


「それで、これだけ口を酸っぱくしているにも関わらず、一人で深夜に外出した理由は? もしや男……」


 語尾が次第に小さくなるアンにミスティアは首を振った。


「違う、違う」


 ってか、仮に男だったとしても何故にそこまで引きつった顔をされなければさらないのか……。


 ミスティアは机の上に置いてあった小箱に腕を伸ばして引き寄せた。


「何?」


 アンが首を傾げる。


 ミスティアは小箱の蓋を開ける。小箱の中に小指の爪くらいの大きさで菱形をした種が詰まっていた。


「陰草花の種……それもこんなに沢山……」


 この国にはこの国でしか生殖できない特殊な動植物が存在する。その動植物を陰草花類と呼ぶ。


この国特有の風土なのか、特殊な磁場なのか、詳しいことは解明されていないがこの国でしか生育できない希少な植物がこの国には存在する。


 時魔という特異な化け物が存在することにも関係があると言われているがミスティアには大した興味はないのでよく分からないが。


「これは誰から貰って来たの?」

「同級生で造園会社を継いだ男の子。何でも石を得るのに広く買い取ったのが古い鉱山だったみたいなんだけど、その山に沢山生えていたらしい」


 その彼に会うためにわざわざ早朝から馬を飛ばし、深夜に帰宅をした為に眠くて仕方ない訳だが。


 鏡を視れば薄らとクマが出来ている。


「そう言えばどうにかして王宮のお抱えになりたいとか言ってたわね」

「随分と目標が高いのね」

「案外、彼ならあるかもしれないわ」


 学生時代から研究対象は主に石。道に転がる石から宝石まで興味の対象は広く、造園会社を営み、得意とするのは石を使用した庭造り。石の性質や特徴を活かした設計が貴族にウケており、景気が良いようだ。


「思いがけず沢山手に入ったけど、育てるのは慎重にしないと」


 陰草花類はこの国でしか生育しない植物であり、そのほとんどが希少である。


 陰草花は希少であるため、一般的にもほとんど知られていないのだ。故に、植物図鑑などにも陰草花の記述はほとんどない。


 未知の植物などと言われていたりするぐらいだ。


「これは何っていう名前の花なの?」

「白冷花。別名、陰草花の白雪姫。小さいけど白くて綺麗な花が咲くの」


 昔、咲いているのを一度だけ見たことがある。


花弁だけ乾燥させた状態のものはよく目にするが育てるのは初めてだ。


「普通に植えて育つの? 陰草花類は特殊なんでしょ?」


 陰草花類はこの国でしか生育しない珍しい植物だ。


 生育環境も生育方法も極めて特殊である。


「肥料の代わりに血が必要。少量の血を数日おきに土に沁み込ませることで強く育つ」

「でも、その花、鉱山に生えて……」


 そう言い掛けてアンは気付いた。


「昔、その鉱山で大勢人を巻き込んだ事故があったらしいの。だから廃鉱になったらしい」

「多くの人の血が沁み込んだ環境だったから自生してたのね」


 陰草花の大きな特徴は生き物の血を吸収して生育するという点だ。


 水と肥料を栄養に育つ陽草花類とは異なり、肥料の代わりに生き物の血を栄養源にして育つ。


「種類によって生育に必要な血の量は違うけど、この花は極々少量でも強く育つの」


 鉱山で亡くなった人達がどれぐらいなのかは分からないがこの花が自生するには十分な量だっただろう。


「まぁ、外出の理由は分かったわ。でも、出掛ける時はちゃんと伝えてくれる? 巷では時計師の不審死が相次いでいるみたいだし」

「不審死? 何だそれ」

「時魔に襲われたって噂されてるけど、本当の事は分からないわ。それに……」

「どうしたの?」


 歯切れの悪いアンの言葉にミスティアは首を傾げる。


「今回のシャーロット様の件、河川の増水だけが理由じゃなさそうなのよね。何か裏がありそうなの」


 そう言ってアンは形の良い眉を顰めた。


「アンのその情報ってどこ情報なの?」

「ひ、み、つ」


 得意げにウィンク交じりに言うアンは可愛いが答えになっていない。


「とにかく本当に注意して。出来れば一人で外出は控えてよね。時魔は時計師を襲う性質があるんだから」

「気を付けるけど。大丈夫よ。私の力はいつでも使える訳じゃないし」


 念を押して心配してくれるが杞憂だ。


 時計師の力があると言っても、ミスティアはその力をいつでも発揮できるわけではない。


 昨夜はとにかくこのままではいけないと思い、咄嗟に身体が化け物の前に躍り出た。


 あの時、あの瞬間は自分にはできるという謎の自信が身体を動かしたのだ。


 そうでなければ見ないフリをして素通りしていた。 


 瞼の裏に焼き付いているのは屍の海だ。陽の光がほとんど入らない薄暗い部屋に閉じ込められた頃には既にその光景が広がっていた。


時計とは逆に回り始めた沢山の心時計の音が頭の中に刻まれている。


 彼らの時計を止めようと思っても何も出来ず、ただただ、逆に刻まれる時計の音に恐怖した。

次はお前の番だと告げているかのような錯覚を覚え、着々と自分の番が迫って来るのを感じた。

 思い出す度に吐き気が込み上げてくる。


 何もできない、無力とはこの事だ。

 必要な時に仕えなければ何の意味もない。


 今だからこんな風に考えられるのだ。その時の私は目の前に広がる光景にただただ恐怖し、震えていることしか出来なかった。


 実際、あの時自分は死んでもおかしくなかった。幾つもの屍と同じように時計の針を逆に刻んで化け物になってもおかしくはなかった。


 真っ赤に染まる視界と恐怖が心を埋め尽くす状況の中、ミスティアは生き延びた。 


「ティア!」


 意識が暗い場所に沈みかけていたミスティアははっと我に返る。


「あぁ、何?」

「顔色が悪いし、クマが目立つわ。カフティも帰ったし、少し休みなさい」


 アンの提案にミスティアは素直に頷いた。


「とりあえず、少し寝る」


 起きたら早速調達した花の種を植えよう。


「寝る前になんか胃に入れておきなさい。今適当に見繕って部屋に行くから」

「ありがとう。牛乳が飲みたい」

「あいよ」


 微笑むアンの横顔にミスティアはほっと肩を撫で下ろした。


「あと、これ」


 そう言ってアンから差し出されたのは白い封筒である。


 赤い蝋に向日葵の印が押されている。


「店長がティアに渡してって。誰から?」

「かなり前に知り合った人かも。初めて手紙もらった」

「ふーん。月に何枚も仕事以外で届くけど返事したことあるの?」

「書いたこともあるよ。まぁ、返事書く相手はもう決まってるし、いい友達だよ」


 どうにも自分は他の女の子とは違い、手紙をもらって色めき立つことはあまりない。


 ミスティアは自分から好きな人に手紙を送ってアプローチしたい質だし、好きな人以外からどんなに情熱的な手紙をもらってもどうにものれない。


 なので相手からあからさまに好意を感じれば返事は書くが、次のやり取りを期待させるような返事はしないようにしている。


 生存確認で手紙を寄越す友人には返事を書くがほとんど決まった面子である。


「ふーん」


 自分から聞いておいておきながら面白くなさそうな顔をしてアンは出て行った。


 アンの足音が部屋から遠ざかったのを確認してからミスティアは封を開いた。


 綺麗に折られた手紙を広げるとほぼ白紙、文字は中央の一行に収まるだけだ。


『時の流れに逆らわず、己の心の趣くままに』

「……は?」


 広い紙にたった一行、たった一言。


 ミスティアは首を傾げた。


「何が言いたいのさ?」


 全く持って意味が分からない。


 ミスティアの不満は部屋の中で溶けるように消える。

溜め息を付きながら便箋を封筒に戻し、机の引き出しからキャンドル用のライターを取り出した。


「私、ただの花屋なんだけど」


 ひとり呟いて封筒に火を付ける。火は端からゆっくりと手紙を飲み込み、僅かな燃えカスが本来であればアロマキャンドルが置かれる受け皿へと落下する。


 ライターを引き出しにしまうと、ミスティアもベッドに寝転んだ。


 嫌な予感がする。


 感覚的なことなので自分でもはっきりとは分からない。


 疲れているのにどうにも眠気がやって来ない。

 程なくしてアンがホットミルクを持ってくれた。


 温かいミルクを飲み干し、再び横になってもしばらくは寝付けない状態が続いた。



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