プロローグ 月夜の後に

冷たい風が頬を切り、体温が奪われていくのを感じる。


 広がる静寂と闇の中で細くなった月がぼんやりと周囲を照らしていた。


 王都の外れを馬車を囲むように四頭の馬が走り抜ける。


 馬車の先導をするウォーク・フェルナンデスは馬の手綱を握り、焦燥感に駆られていた。


 馬車の荷台にある黒塗りの大きな箱の中身がそこから破り出ようと暴れている。


 次第に大きくなる不気味な呻き声に鳥肌が立つ。


「副隊長! もう駄目です! 間に合いません!」


 馬車の手綱を握り、背後で暴れる荷を見て、悲痛な部下の声にウォークは唇を噛み締めた。


「くっ……ここまでかっ……!」


 本来であればこんな事にはならなかったのに。


 部隊連絡の手違いでこんな所まで遺体を運ばなければならなくなってしまった。


 時間が切迫しており、本来であれば一緒にいるはずの付き添いですらも乗せずに、無我夢中で馬車を走らせていた。


 目的地はもう視界に入る所にあるのだ。


「あと少しなのにっ……!」


 その時だ。


 けたたましい音を立てて荷台の箱が破られた。

 破られた箱の破片と手向けの花がバラバラと辺りに散らばる。箱の中から出て来た物にみなが息を飲んだ。


「副隊長!」


 箱の中から出てきたのは化け物だ。厳密には化け物になろうとしている、が正しい。


 大きな黒い箱、敷き詰められた白い花、刻まれた国印、中に収められていたのは心臓が止まり肉体機能を失った人間だ。一度止まった心臓は二度と動かず、再び時の流れに乗ることはなく、朽ちるのみ。


 しかし、今目の前にいるモノは死してもなお、その朽ち始めた身体で時間を刻もうとしているのだ。


 あとわずかで二十四時間が経過する。


 ウォークは心を決めて手綱から剣へと持ち替えた。


「離れて! 距離を取るんだ!」


 ウォークの声に馬車に乗っていた部下は荷台との連結を外し、速やかに距離を取った。


 操縦者を失った荷台は数十メートルほど走った末に道端の樹に衝突する。


 荷台は派手な音を立てて大破し、荷台から外れた車輪が地面を転がり、離れた場所でカランと倒れた。


「ぐあぁぁぁぁぁぁっ」


 化け物が呻き声を上げる。


 もがき苦しんでいるように見えるその光景に鳥肌が立つ。


 歪に曲った身体、壊れた人形のように曲がる関節、身体から噴き出す悪臭、生き物ではないのに生きようとする怪物。


 ウォークは懐中時計の秒針を確認した。

 化け物になるまで残り五十秒を切った。


 ウォークの中で諦めと悔しさの感情が交差する。


 安らかに、眠ったままの姿でお連れしたかった。


 しかし、それが叶わない以上は自分の成すべき事は一つだけだ。


 化け物が振り向いた。

 獲物を狙う獣のようだと言えばまだ聞こえが良いかもしれない。


「これまでか」


 呟きと同時に剣の柄を握る手に力を込めた時だ。


『時間を失った放浪者よ』


 まるでハープのような美しい声が闇を裂いた。

『喜び、怒り、悲しみ、楽しさ、あらゆる全ての感情は己が中にあり』


 次第に近づいて来る声に化け物が反応する。


『身体を動かすは心の臓、精神を動かすは己が魂、時間を刻むは時計の針』


 月の弱光と闇色のローブを纏い、化け物の前に進み出た人物の口上に魅せられ、化け物が静止する。


 もがき苦しんで完全な化け物になろうとしていたモノが落ち着きを見せているのだ。


 そして胸を前に開いた。


 自分から心を差し出しているかのような光景にウォークだけでなく、部下達も目を剥いた。


『求めず、欲せず、終焉を得て安らかに眠れ』


 化け物の胸元に手を伸ばすと眩い光が放たれる。

 白い光が目に刺さるようで、思わず目元を覆った。


 眩んだ視界が明瞭になる頃には化け物の姿はなく、まるで何もなかったかのように静けさだけが広がっていた。


 静寂の中には化け物の代わりに手を胸の上に組み、安らかに横たわる女性と、女性の前に跪いて祈りを捧げている黒いローブの人物が一人。


 手向けの白い花の花弁がふわりと宙を舞い、同時に風が黒いフードを攫う。


 ウォークは白い花弁の中にあったアメジスト色の瞳に息を飲む。


 呼吸を忘れ、時間を忘れ、美しい瞳に吸い込まれるような感覚を覚える。


 そして思い出した。昔、同じような感情を抱いた過去を。


 辺りは気付くとそこには静寂が広がっていた。

 地面には白い水仙の花が散っている。先程まで瑞々しかったはすの水仙の花は見頃を終えて生気を失い、地面に散っていた。散った花弁を白い光の道が照らしていることに気付いた。


「夜明けか……」


 呟くと部下達も次々と顔を上げて光の道の先を追いかける。


 青白い月が姿を消し、朝日が姿を現した。


 長かった夜がようやく開けていたことにウォークはようやく気付いたのだった。

 


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