第3話 風邪

無事、義父の康彦さんへの挨拶も終わらせた4月も終わるころだった。


私の仕事場のマイ携帯が鳴った。春人からだった。


「もしもし、今仕事中なんだけど」


「悪い、悪い、あのさあオヤジが熱出して、それもかなり体調が悪いんだ、明日土曜だろ、俺仕事なんだ。花音、明日休みだろ、ちょっと様子を見てきてくんないかな?」


「うん、いいよ、私でよければ」


「OK、じゃ頼むよ」


そういうわけで私は原田の春人の実家へ向かうことになった。


ピンポーン、呼び鈴を鳴らしてインターフォンを待つ。


「はい?」あの甘いヴォイス。


「あ、あのう花音です。お体悪いと聞いたもんで」


「やあ。今行く。入って入って」


康彦さんはバスローブのようなパジャマで扉を開けた。


「春人からのさし向けだな、悪いね、大したことないんだ。上がって」


「お邪魔しまーす」私は康彦さんの甘いムスクのような香りを感じた。


「いやあ注文物件を多く抱えすぎて疲れたのかな、久しぶりに熱が40度まで

上がったよ」


「まあ大変、私今日はお義父さんのお世話いたしますね」


「お世話なんて老人じゃないんだから大丈夫。花音ちゃんも休みのところわざわざ来てもらって済まない。ゆっくりしてって」やはり康彦さんは優しいがどことなく元気が感じられなかった。


「お食事は?ちゃんと食べましたか?」私は訊いた。


「いやあー作るのが面倒でね、コーヒーで済ませたよ」


「ダメですよ、なんか食べなきゃ、わたし作ります」


「じゃあ適当に冷蔵庫のなかであるもんでいいから」


そういって私は冷蔵庫の中を漁る。運よく冷凍ご飯と卵があるので葱をくわえたたまご粥を作った。


「いやーうまい。生き返った気分だよ、ありがとう花音ちゃん奥さんみたい」


奥さんと呼ばれて少しドキッとした。


「あたし、洗濯物取りこんできます」私は慌ててベランダへと足を運んだ。


洗濯物を取り込んでいるとピリッと右手に痛みを感じた。


「痛い!」思わず声に出してしまった。


どうやら干してあった靴下に脚長ハチがひそんでいたようだ。


「ありゃこれは可哀そうに。どれ刺されたところを見せて」そう言って康彦さんは


わたしの右手の赤いところに口をあてがって毒を吸い出してくれている。


「ああ、お義父さま、大丈夫ですから」


私は素早く手を引っ込めた。


「もう大丈夫だと思うんだけど水で少し洗い流すといいね」


夫以外から久しぶりにされた秘め事に私は頭がくらくらした。


「悪かったね、驚かして。ハチの毒は吸い出すのが一番って聞いてたもんだから」康彦さんも少し動揺したよう。



康彦さんの熱は38度まで下がっていた。


その日はこの前の映画の続き「タイタニック」の後半を2人でソファーで見ることにした。

2人で感動のシーンを観て互いに涙した。私には夫・春人とは違った感覚が少しずつ


芽生えていることになんとなく背徳感を感じ始めたのはこのころだった。

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