第2話

 ◆―◆―◆―◆―◆


 ――コンコン。


「どうぞ」

「よっ! 癒花。遊びに来たぞ」

「あ、こんにちは悠君!」


 病室のドアをノックし中に入ると、癒花はベッドの上で花の図鑑を読んでいた。そして、中に入って来たのが俺だと知ると嬉しそうな顔をした。


(お、笑った。今日は元気そうだな。よかった)


 ホッと安心する俺に、癒花は首を傾げる。

 中々近づいて来ない俺を不思議に思ったのだろう。


「悠君、どうかした?」

「え? あぁ、いや。今日は元気そうだな~って思っただけ」

「そうなの! 今日はね、体の調子がすごくいいの♪」


 元気な顔でニコリと笑う癒花。癒花の笑みはいつも元気で明るく、太陽の下に咲いている夏の向日葵のようだ。

 だからこうやって癒花の笑っている顔を見ると、自然と俺も明るい気持ちになれる。

 それに、確かに今日は顔色も良いらしい。頬には血が通ってほんのりと赤くなっていた。癒花のその元気な笑みに俺も怪我をしていることなんて忘れ、つられて笑ってしまいそうになる。


(やっぱり、癒花は笑ってる方が一番だな)


 癒花は、心臓の病気で入院している。調子が良い日は、今日みたいに元気一杯だ。入院しているのが嘘のようにも見える。

 でも、反対に調子が悪い日は時々発作を起こし、とても苦しそうにしている。顔色は青く、呼吸も浅く肩で息をするようになり、心臓が痛いのか胸を押さえ蹲ることもある。

 最初は癒花もマメに俺の部屋に来てくれていた。

 しかし、ある日突然、癒花に発作が起こり俺の部屋で倒れてしまったことがあった。

 その時、俺は自分が怪我をして動けない事・自分が何も出来ない事を痛感して悔しかった。

 またいつ癒花が発作を起こすかわからない。だから、俺は足が少しでも歩けるようになると、癒花の体の負担にならないよう自分から癒花の病室へと行くようになった。


「癒花、今日は何をする?」

「う~ん。そうだなぁ」


 考えていた癒花は、何かを思い出したかのようにベッドの横にある黄色と青と赤の三段型の引き出しを漁り始める。その間に俺は丸い椅子を癒花のベッドに引き寄せ腰を下ろした。


「何探してるんだ?」

「うん、ちょっと……あ、あった!」

「折り紙?」


 癒花が引き出しから取り出した物は、桜の柄やちりめん柄の和柄折り紙と水玉模様の折り紙だった。勿論、普通の無柄の折り紙もある。


「あのね、最近、私、折り紙にハマってるの!だから、今日はこれで遊ぼう?あ、ちゃんと折り紙専用の本もあるんだよ。お母さんに買ってもらったんだ」


 そう言って、癒花は楽しそうな顔で折り紙の本を俺に見せてきた。

 表紙は既に折られている折り紙の写真が何個か載っているだけのシンプルな表紙だった。題名は『おりがみ大図鑑136』

 その名の通り、約136種類もの折り紙を折れる本らしい。


「よ、よ~し、難易度が高いやつを作ってやる!」


 正直、そのぶ厚さに思わず身を引いてしまいそうになるが、ここを耐えなければ男の恥というものだ。

 それに、折り紙にはちょっと自信がある。ここは癒花をあっと驚かせなければ!!――と思い、俺は腕を捲し上げ、意気込んで折り紙に挑戦した。


「ふふっ」


 そして、何故だかそんな俺を見て癒花はクスリと笑ったのだった。



 ――30分後。



「結構折ったなぁ」

「そうだね」


 ベッドに備え付けられているテーブルを見る。このテーブルは取り外し可能で簡単に引き寄せる事もできる。何かを作業する時、食べは時はテーブルを引き寄せ、それ以外は足元に移動させておく…というのも出来る便利な物だ。

 テーブルの上にはペンギン・チューリップ・指輪・苺・鶴など色んな形をした折り紙が沢山並べられている。

 勿論、中には失敗してクシャクシャになった悲しい作品も置いてあるが、そこは目の隅にやり無かった事にしよう。


「悠君って折り紙上手だね!こんなの作れるんだもん」


 癒花は俺が作った折り紙を興味津々な様子で一つ手に持った。どうやら、初めて見る形の折り紙らしい。


「これって、兎?」

「あぁ、それは、ふうせん兎っていうんだ」

「へぇ~。確かに、風船みたい。ころころしてて可愛い♪これも本に載ってたの?」

「いいや。俺が、元々作り方を知ってただけ」

「へぇ~、すご~い!悠君って、本当にすごいねっ!」

「そんなことないよ。幼稚園に通ってる妹がいるから、一緒に折り紙で遊ぶことが多いんだ」

「妹がいたんだ。羨ましいなぁ」


 小さな子供が物欲しそうに呟くように、癒花も羨ましそうに言う姿を見て、俺は思わず妹と重なりクスッと笑ってしまった。


「そうか?」

「うん。羨ましいよ。悠君といっぱい遊べるし。それに……」

「それに?」

「幼稚園に行けて羨ましい…かな」

「え?」

「私ね、幼稚園に行ったことがないの。というか、外に出たことがあまりないの。こんな体だから」


 そう言って癒花は自傷気味に苦笑する。その癒花の姿が俺にはとても悲しそうに見えた。

 俺は看護師から言われていたことを、ふと、思い出す。

 それは癒花と初めて出会い、癒花と遊ぶようになり始めた頃の事だ。検診に来たいつもの看護師から、俺は釘を刺されていた。


《いい?癒花の心臓は重い病気にかかっているの。だから、絶っ対に走ったり危険な遊びはしちゃダメよ?わかった?》


 俺自身もあの苦しそうな癒花の姿を見たんだ。無論、そんなことはしない。するつもりもない。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか?

 幼稚園にも行けず、外にも全然出られない。病室には何も無く、周りの人は大人達ばかり。

 病院は広いが俺には閉鎖的に感じられる。俺には絶対耐えられないだろう。

 俺は思った――癒花が願いたいことなら叶えてあげたい。負担にならないように俺が支えてあげればいいんだ、と。

 だから、俺は癒花に約束をした。


「じゃぁ、連れて行ってやるよ」

「え……?」

「俺が、いつか癒花を外に連れて行ってやる。だからさ、早く外に出れるぐらい元気になれよ!約束な」

「悠君…。うん!」


 癒花は目に涙を溜め嬉しそうな顔で頷き返事をした。俺はその返事に満足すると、癒花に笑いかけ椅子から立ち上がる。


「じゃ、俺もう戻るな。今日は、母さんが来るらしいから早めに戻らないといけないんだ。俺が部屋に居ないと煩いしな。怪我をして入院してるのよ、どうしてそうやって動き回るのー!って」

「ふふっ、わかった」

「また来るから、癒花も無理はするなよ?」

「うん! 悠君、ありがとうね」

「なっなんだよ、急にお礼なんて…」

「お礼言っちゃ駄目だった?」


 小動物のように首を傾げつぶらな瞳でジッと俺の事を見る癒花。

 俺は何だか気恥ずかしくなり、癒花から慌てて顔を逸らす。何となくだが、耳が熱いようにも思える。


「べ、別に駄目じゃないけど……急に言われたら恥ずかしいじゃん……」

「あははは!」

「なっ!? わ、笑うな! じゃ、じゃぁなっ!!」


 背中がムズムズする雰囲気に慣れず、俺は慌てて癒花の病室から出た。

 そんな俺の姿を癒花はクスクスと笑いながら見ていたのがわかった。

 何故わかるのかって?笑い声が部屋を出る直前に聞こえてきたからだ。


「たく、癒花のやつ笑いやがって…」


 不貞腐れた顔で自分の病室へと向かう。

 俺がいる病室と癒花がいる病室は離れている。どちらかの病室に行くには、必ずお互いの病室の真ん中に立っているナースステーションを通らなければいけない。

 ぶつくさと小さな文句を呟きながら、俺はナースステーションを通ろうとした瞬間、そのナースステーションで聞いてはいけないことを聞いてしまった。


「206号室の癒花ちゃん、もう後が無いんだって」

「え?! そうなの?!」


(え…?)


 癒花の名前が出てきて、俺は看護師にバレないよう慌てて壁に隠れ、看護師達の話しを立ち聞きする。


「しー!!声が大きいよ!」

「ご、ごめん…」

「担当の先生が言っていたのよ。もう、余命が短いって」


(っ?!)


 癒花の現状を知り、俺の心臓が早鐘する。頭の中でも警鐘が鳴っていた。


「まだ、12歳よ?これからが人生なのに…」

「それに、あの子、凄くいい子だもんね。癒花ちゃんの笑顔を見ると、こっちまで明るくなれて…」

「そうね。……これから癒花ちゃんに会うのが切なくなるわ」

「でも、私達は患者のためにいるんだもの。それを表に出しちゃ駄目よね。頑張らなきゃ」

「えぇ」


 俺は、フラフラとした足取りで自分の病室へと向かう。目の前には確かに道があるのに足が地面を着いていないように感じる。それでも、俺の足は勝手に自分の病室へと向かって動いていた。

 若しかしたら、俺の今の顔を見て、話しを立ち聞きしたことがバレているかもしれない。けれど、今の俺にはそんなことどうでもよかった。

 それどころでは無かったからだ。


「うそ…だろ…?」


《じゃぁ、連れて行ってやるよ》

《え……?》

《俺が、いつか癒花を外に連れて行ってやる。だからさ、早く外に出れるぐらい元気になれよ!約束だ》

《悠君…。うん!》


 ものの数分前の会話が、まるで、走馬灯のように頭に駆け巡る。

 焦燥していた心は次第に苛立ちを覚え、俺は無意識の内に血が滲むまで自分の手をぎゅっと握っていた。


「くそっ! 俺は結局、約束を……癒花を、外に連れ出すことは出来ないのかよっ!」


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