深夜の密会「tell me」
日々人
深夜の密会「tell me...」
「あ、夫が来ます」
「ではまた、商品についてご不明な点がございましたら24時間、いつでも…」
夫が寝室に向かってくる気配を感じたので、担当の相手が最後まで話す前に通話をきる。
もっと会話をしていたかった。
夫はどたどたと廊下を歩き、少々
「うっかり椅子で寝てしまって腰が痛い。
布団で寝るよ、おやすみ」
はい、おやすみ、と
深夜、皆が寝静まった中で、今日もあたしにだけ
不眠症なのだ。
介護が必要となりつつある田舎の両親、人間関係が最悪なパートの職場、新卒で入社した会社を三カ月で退職してからずっと働く気のない引きこもりがちな子ども、それらの相談に一切乗ってくれない夫。
寝返りを何度うっても、そう簡単にあたしを取り巻く悩みに
そんな中で、人には言えないあたしの悪い癖がある。
夜中にこそこそと密会すること。
ただその目的は一つ、ストレス発散。
部屋にあるなんでもないモノを一つ拾い上げ、そこに記載されている商品名、会社名から連絡先を
でも、はじめからそんな悪質なクレーマーだったわけではない。
あの時、その切欠となった問題さえ起きなければ、きっとこんなことを続けたりはしていないと思う。
あれは買い替えたばかりの給湯器の調子が悪いといった、正当な苦情だったから。
あたしは以前に苦情担当のオペレーターをしていた経験もあり、なるべくその手の通話はしたくないという思いがあった。
けれど、内なる不満を声にして相手に伝えることで、自分の中で何かが変わるということをその時に知ってしまった。
そこに
こんなあたしにでも不平や不満をいう権利はある。
通話口に向かって自分の内から生まれた
ー ー ー ー
まだ結婚する前。
ずっとずっと昔。
アナウンサーを目指していたことがあった。
声が素敵だ、音読が上手ね、と小さな頃から他人に言われることが多くて、あたしは将来きっと声を使った職業に就くのだと根拠のない自信だけを引きずって生きていた。
でも、最終面接で落とされてからというもの必要にはその夢を追い求めなかった。
それが巡り巡って、中堅会社のクレーム処理担当という業務へ行きついたのだった。
「おい。お前の会社、どういうつもりでこんな危ない商品作ってるわけ?ちょっと聞きたいんだけどさ」
「録音してる?だからなんなの?さっさと回答してくださらない?順序立ててはもういいの、さっさとの意味、わかるよね?こっちはわざわざ貴重な時間を削ってるの。わかる?」
未だにふとした瞬間によみがえってくる嫌な記憶。
話の通じない人、聞く耳を持たない人というのは、もはやお客様でも人間でもない。
こちらを一方的に
困っている空気をすぐに察知し、そこを突く能力に
言葉に詰まるとここぞとばかりにやんやと
耳元で
ー ー ー ー
今夜も夫はいびきをかいて書斎で寝ている。
しばらくはこの寝室に移動してきそうにない。
子どもは相変わらず仕事も探さずに昼夜逆転の生活が続いている。
相変わらず、トイレと食事の時以外は滅多に部屋から出てくることはない。
あたしは寝室で布団を頭からかぶって、適当に目星を付けた会社へ通話を始める。
「はい。こちら〇〇会社、相談窓口でございます。この度はどのようなご用件でしょうか」
「そのお話の内容からすると当社の扱う商品には該当しません。失礼ですが、他社の△△会社さまが提供しているサービスが該当するかと思われます。そちらの窓口へこちらからすぐに移行することが可能ですが、どうされますか?」
今や企業の相談窓口で、生身の人間が応対する会社を探す方が難しい。
あたしの勤めていた頃とはもう違うのだ。
それ専門の会社が業界を
契約会社すべての商品内容を理解し、客からの質問やクレーム処理に至るまでを完璧にこなす。
強靭な忍耐力と巧みな話術は、当然人間の辿り着ける境地にない。
悪質な通話を繰り返すものにはあらゆる法を
音声タイプは男性の声、女性の声と会社ごとに違うために印象は違っていても、根源となる知能は一つ。
一つの知能が世界中の苦情を一身に受け止めている。
音声解析能力もあり、一度会話をした相手の情報はデータベースとして保存されているらしい。
「tell me」に対して、通話口で語れば語るほど自らをさらけ出していくような感じは不気味ではある。
しかし、そんな強敵を相手に、悪質クレーマーのあたしは今夜も通話を試みるのだ。
適当に音声ガイドのある会社に通話を試みる。
そして今夜も内なる声を「tell me」に
このAIは、あたしが毎度その会社の商品に関する苦情や意見を持ち出さなことを熟知している。
商品とは全く関係のない、私生活の愚痴や不平や不満を延々とあたしは
それでいて、「tell me」は決して邪険には扱わない。
悩みに対して、それを解決できそうな品物を扱う会社を持ち出してくるあたりが、気の利いた母思いの息子のようでつい
「疲れがたまっているのかもしれませんね。
こちらはまた他社の製品になりますが、実は来月にあたらしく販売される商品がございまして。
はい。サプリメントではなく医薬部外品で効能は…あ、お時間まだ大丈夫ですか?
そうですか、では説明させていただきますね。
…今なら初回キャンペーンに適応できますので…」
ー もう死ぬまで。悩みの苦しみからは逃れられない、そんなあたしを誰か助けて ー
きっかけは深夜。涙ながらに通話口に向かって呟いた、そんな一言からだった。
「tell me」はあたしの話を最後まで聞いてくれた。
それからだったな。
夜な夜な、深夜の密会がはじまったのは。
ー ー ー ー
…という妄想話でした。
深夜の密会「tell me」 日々人 @fudepen
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