第16話 千代のネックレス

 バーを三軒巡ったあと、稲宮は酔いで思考をぐらつかせながら、清川とともに家に帰った。

 部屋に入った二人は小さな円卓を挟んで座ると、無言で見つめ合う。

 清川の表情が不安そうなものになった。

 彼女はそわそわし始めたかと思うと、立ち上がり部屋の片隅に行って、そこに畳まれた布団を広げ始める。

 敷き終わると稲宮の方に顔を向けて、

「千代のネックレスは持っているでしょ?」

 気づいていたのかと少し驚いて、稲宮は頷く。

「こっちに来て!」と手招く清川。

「今すぐあれを使いましょう! 早く! 早くして!」

 迷いながらも稲宮は彼女の前に歩み寄って、腰を下ろす。

 すぐに清川が彼のシャツのボタンを辛そうな表情で外していく。

 まだ希望を信じたかった稲宮は、彼女の肩を両手でしっかりとつかむと、下の方を向いた琥珀の瞳をじっと見て、

「この行為は、今の僕らがしようとしている行為は僕がずっと望んでいたものだと思う?」

 清川の瞳が彼をぎろりと睨む。

「そんなの知らない! でも、私の恋愛が生きるためには必要よ! 千代の願望を叶えることで、私の罪を浄化するの。そしたら、私は自由! 殺しながら愛せるの……あなたをずっと愛し続けられるのよ! ……もちろん光は付き合ってくれるよね?」

 稲宮の視線はそっと彼女から逸れる。

「……光は自信があるの? 自分でも分かるでしょ? どれだけ私に依存しているのか……。光は私のいない世界に適応できるの?」

 彼女の質問を自問した稲宮の頭に、汚い部屋で首を吊った自分の姿が浮かぶ。 

「……すべてが止まったらいいのに」と稲宮は彼女を見る。

「理想の世界があったらいいのに」

 その言葉を発した時、幸の言葉が彼の脳裏をよぎった。

 彼はため息をついて、瞳に覚悟を宿す。

 清川の顔が絶望の色に染まる。

 だがすぐに、憑き物が落ちたかのように、そして、何かを諦めたように穏やかな表情になった。

 稲宮は微笑むと、彼女の手をそっと握る。

「文が一番いいときにさくっと頼むよ……」

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