第11話 似た者同士が対峙する

 御苑を出ると、しばらく住宅街が続き、その先に鴨川がある。

 稲宮は川のすぐそばにある叡山電車出町柳駅に着くと、目的の駅までの切符を買った。  

 電車に人はほとんどいなかった。

 自らを襲い来る者が乗車してくるかもと、稲宮は電車のドアが開くたびに身構えたが、結局、何事も起こることなく目的の駅に到着した。

 駅を出ると、廃病院を目指して進む。

 その道中で、二体の異形の者に出会った。一体は、口と右目から精液滴る男根を生やした三本足の男――その左目は、寂れた路地を照らす街頭の光を受けて宝石のような輝きを放っていた。もう一体は、切り落とされた自らの頭を盆に乗せて、ひたひたと歩く学ランを着た華奢な男だった。

 稲宮は左手に清川の手のぬくもりをよみがえらせることで、さっきの炎を現出させると、彼らを箒でさっと掃くように焼き消した。そのときに、清川の心から悲しみと、誰かへの罪意識を感じたが、稲宮は無視した。

 廃病院に着くと、濃くなっていく清川の気配を目指して、塀、病院の入り口を覆う鉄板、その他行く先を阻むあらゆるものを人間も含めて、炎で消しながら走った。

 廃病院の地下に造られた施設は広く、そして深かった。

 稲宮は数多の人間を炎で消しながら、清川の悲しみと罪の意識――その罪の意識の発生には、彼と寺山が関係してそうなことが徐々に浮かび上がってきたが、彼はそれを直視すると理想の清川が壊れそうだったので、やはり無視した――を感じながら走り続けて、ついに清川が眠る白黒の球体の浮かぶ部屋に辿り着いた。

 部屋は稲宮が前に連れてこられた時と同じように、天井自体から発せられる白い光で満ちていて、流動する白黒模様の球体が中央に浮かんでいる。その下には拳ほどの大きさの同じような模様の球体。透明な床の下には、清川が横たえられている。

 違うところはただ一つ。組織の人間が、球体の横に立つ髭の男以外にはいないことだ。

 男は稲宮から見て横向きに立っていて、床下で眠る清川の方へ視線を落としている。

 縁に青みを帯びた紅いオーラを左手にまとわせて、稲宮は男の方にゆっくりと歩く。

 彼の頭にはただ殺意だけがあった。

「……記憶が戻ったんだね。清川さんを助けにきたんだね」

 男は稲宮の方を向く。その顔には弱々しい微笑が浮かんでいる。稲宮はそのほほえみに殺意を少し削がれたが、男をきっと睨みつけてすぐに取り戻す。

「記憶を改変してから、清川さんと、君の家にあった都合の悪いものはすべて処分したのにね。……何か君たちにとって大切なもの、死んだ記憶を撫でるようなものが残っていたんだね。だけど、普通なら、何かきっかけがあっても思い出さないはずなのに……。やはり、清川さんと精神的に深くつながっている人は特別らしい。その証拠に、テラヤマサトルの娘も……」

「黙れ、耳障りだ」

 稲宮はオーラを炎に変えて、腕にまとわせる。

「……平和な世界が来るというのに……」

「文がいなければ僕の平和はない」

「わがままな子だね。もうすぐ起床している間にも、夢世界に侵入できようようになるんだ。起きている間にも記憶の改変ができようになるんだ。もうすぐなんだよ?」

 稲宮は男を睨みながら歩き続ける。

 突然、男はふっと笑うと、優しい調子で、

「稲宮くん、君は本当に私に似ているね」

 ばっと稲宮の頭に血が昇り、左手を覆う炎の勢いがごおっと強くなる。

「……殺す、絶対に殺してやる」

 どのようにして殺す? そんな疑問が稲宮の頭を巡る。

「君のは恋愛感情なんてものじゃないんだ。君が愛しているのは、君のなかだけに存在する清川さんだ。君の感情は、恋愛の皮を被った都合のいい崇拝だ。私も似たようなものさ……」

 稲宮は、四肢を少しずつ炎で消していくことに決めた。楽に殺したくはなかった。達磨にしたあとは、目、耳、鼻、そして歯と舌を消して醜く叫ばせ、大腸を消し、糞を身体の中にぶちまけてやることにした。

 だが、炎で男を攻撃しようとした時、

「何もしないで!」という清川の声が頭に響いた。

 びっくりして思わず炎を左手に収める。

「彼の思うようにやらせてあげて!」

 稲宮は気持ちが治まらず、再び炎を現出させようとする。

「私の言うことが聞けないの?」

 清川の声が再び響く。稲宮は、少し冷たいその口調に嫌われるかもしれないと恐怖を抱いて、おとなしく清川の指示に従う――だが同時に、何故か性的な快感も抱いた。

「……君がここまで来る時に、化け物がいただろう?」

 男は微笑をそのままに話し始める。

「あれは、清川さんの夢の具現化能力を研究して開発された、具現化薬を飲んだ者たちだ。具現化対象に込められた感情の強さが具現化の程度を決定する。恐ろしく破壊的な感情を込めた人間を差し向けたつもりだ――だけど、君がここに来ているということはうまくいかなかったようだね。……それと、この具現化薬には欠点があってね、清川さん本来の能力とは違って、使用者が自身の具現化物に取り込まれてしまうんだ……まぁ、私にとっては好都合かもしれないが」

 男はスーツのポケットから紅いカプセルを取り出す。

「私にも具現化ができることを知って、強い欲望が生まれたよ。たとえ、幸が望んだ平和な世界を実現できても、そこに二人はいないんだ。でも、これならってね……。稲宮くんのせいかもね。君がおとなしくしておけば、平和な世界が来たのに――本当だよ? 稲宮くんが欲望を抑えたなら、私も抑えるつもりだったからね」

 男が何かをしようとしているのを見て、稲宮は止めようとする。だが、清川に制されると、舌の先をぎゅっと噛んで衝動を抑えた。

「いいかい? 込められた感情の強さが具現化の程度を決定するんだ。私はあの日から同じ夢しか見ていない。私が望むものは私にとっての理想世界。世界は二人のためにあるんだ」

 男はカプセルを口に入れて飲み込む。

「そこには、この世界自体に対する憎しみが溢れているだろう。きっと二人以外の人間にとったら地獄だろうね……。君が欲望を抑えなかったからだよ……」

 床、天井、球体、そして男、部屋のあらゆるものが歪み始める。

 稲宮は自身の身体も歪み始めていることに気づいた。

 視界が濃い青に染まる。

 それからまもなく、彼の意識はその青に吸い込まれるようにして、ゆるゆるとなくなっていった。

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