カナちゃんが死んだ




「ポン、ポン、ポーン。ポポンポポーン」

 するりと滑らかに、鼻歌を口ずさんでいる。中学の頃、音楽だけ評定が『5』だったのがマリコの自慢だった。

「ポン、ポン、ポーポーポーポーポポポン。ポーポーポーポーポポポン。ポーポーポーポポポーポポポポーン。あっそうだサキちゃん」

 隣に歩くサキちゃんは本から顔を上げない。よく、前を見ずにまっすぐ歩けるものだとマリコは感心しているのだ。そのことを以前褒めたら、「別に」としか返ってこなかった。サキちゃんなりの照れ隠しだろう。

「今日、宿題のプリント見せてくれてありがとね。立たされずにすんだよ」

「別に」

「いやあ、本当に助かったよお、こう見えて地球がビックバンで生まれた時の衝撃波ぐらいに感謝しているんだよ」

「別に」

「そうだ! お礼になんかおごるよ! どこ行くー? ミラノにする? エクソシストにする? それとも、ドナルドハーゲンコーヒーとか?」

「別に」

 マリコはプッと笑った。「またまたー。そうやっていつもサキちゃんは遠慮したがるんだからぁー。こんな日なんて、年に十回あるかないかのビックチャンスなんだよー? それを逃していいのー?」

「別に」

「ああ、そうだ。そういえば、今日なんでカナちゃん休んだんだろうね。サボりかな」

 マリコ、カナちゃん、そしてサキちゃんの三人はいつも一緒にいるグループだ。なんのグループかといえば、答えられない。しいていうなら『気の合う同志』『三国同盟』『類が呼んだ友』。まあ、とにかくいつもいる仲ってことだ。

 そして、マリコはひらめいた。

「そうだ、カナちゃんに行こう。どうせ仮病で漫画読んでるところだろうからさ。なんかご馳走してもらおうよ、ね?」

 さぁ、レッツゴー。二人は伴って、いつもの帰路とは別ルートを通った。


        〇


 カナちゃんの家かどうかが、一瞬分からなかった。

 いや、二度見三度見しても、理解が追い付かなかった。マリコはサキちゃんの顔と家を交互に往復し、ようやく十回目ぐらいで、「ここ……カナちゃん家だよね」と問うた。少し声が震えているのが、自分でも分かった。

 威風堂々と顔を上げたサキちゃんの目が、現実を透視し冷徹に判断するかのごとく、寂しげになっていた。

 普通の自宅とは明らかに外観が違っていた。白黒のカーテンが掛かった壁。傍らに植えられた白い花。『忌』とまさに忌々いまいましく黒の墨で書かれた提灯ちょうちんが門の両脇に取り付けられていた。

「まさか……ね」

 もうビックリしたあ! とサキちゃんの肩をボスンボスン叩いた。「なに早とちりしてるのよ! きっとカナちゃんの家族の葬式だよ! まさか昨日までピンシャンしてたあの子が今日になって突然いなくなるなんて」

「あら、カナのお友達?」

 弱々しい女性の声が、後ろからかけられた。

 聞き覚えある。カナちゃんのお母さんだ。

「さすが、もう知れ渡っていたのね……。よく来てくれたわね……。でも嬉しいわあ、カナにもちゃんと友達がいてくれたなんて……。きっと喜ぶわよ……」

 嗚咽を漏らし始めたお母さんは、確かにカナちゃんのお母さんだった。しかし、以前会った時とは打って変わって細くやつれ、頬がこけ落ちていた。なにより、黒のスーツに身を包んだその恰好が、マリコを底のほうへ突き落していった。

 マリコはかばんを力なく落とした。目の前にある光景がすべて夢のように感じていたからだ。


        〇



 カナちゃんは綺麗に横たわっていた。

 窓側に面した布団の上で、ぐっすりと、息をせずに眠っていた。体は全部白い布に覆われて、首の上だけあらわになった状態である。

「……寝ているんですか?」

「だと……いいんだけどね」

 と、お母さんは、カナちゃんの耳元に口を近づけた。「カナ。お友達が来てくれたわよ。良かったわね」

 丸い声に、カナちゃんはピクリとも反応しなかった。お母さんは残念そうにしながら、「起きてくれないわね」と呟いた。現実なのか、これが。

 傍から見れば、本当にただ眠っているようだった。二度と永遠に動くことがない。そのことが、マリコの実感として与えられなかった。今、ちょいと触れたら、むくりと動き出す。そういうロボット的な現象だと……。

「……少し、近くで見ていいですか?」

 泣き顔で、お母さんはこくりと頷いた。

 マリコはゆっくりとカナちゃんの顔に近付いていった。綺麗だった。メイクをしているからだろう。肌が真っ白で、閉じた目のまつ毛も丁寧に整えられていた。そういえば、あまりカナちゃんメイクしている顔みたことなかったな……。大抵おおざっぱな女の子だったから。しょっちゅうお弁当をひっくり返していたり。貸した漫画のカバーが翌日ボロボロで返ってきたり。シャーペンの芯をいつも折ってたり……。

 不意に、ポロリと水があふれ出てきた。

 マリコは手で覆った。必死に隠そうとした。だめだ、止まらん。無理に笑った。笑った。笑おうとした。思い出を遠く彼方へ追いやろうとした。カナちゃんを考えると、もう、止まらなくなってしまうから……。

「くっ……」

 声が漏れた。つられて、うっうっうっとお母さんも嗚咽を漏らした。ごめんなさい、でも、しょうがなくて、カナちゃんの声とかしぐさとか笑った顔とか困った表情とか怒った様子とかがもう二度と見れなくなると考えると……どうしようも、どうしようもなくなってしまう。

「カナちゃん」

 マリコの一言だけの呟きは、虚空に消えていった。

 と、その時、閃光が見えた。一瞬の、でも確かな。

『パシャリ』

 ともう一度。

 泣き顔を上げた。

『パシャリ』

「サキちゃん――なんでカナちゃんをスマホで撮ってるの?」

 パシャリ。パシャリ。サキちゃんの連写は続いた。幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も――。

「フ」

 パシャリ。

「フフフ」

 パシャリ。

「ふふっふふっふ」

 パシャパシャパシャパシパシパシパシシシシシシシシシシシシシ――。

「ぶあっはっはっはっはっぶあっははっは」

 マリコは笑い転げた。

「ちょ、サキちゃん――タンマ、タンマ、ってあひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」

 ダメだ。ツボにはまった。マリコは腹を抱えて、床に転がった。

 すると、お母さんからも笑いが漏れてきた。「くっくっくっくっくっ」

 マリコは指でカナちゃんをさした。

「し、死んでるー!!」

「「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」」

 二人同時に、床で笑い転げた。

お母さんはぜーぜーと息を上がらせていた。「ちょ、マリコちゃん。そろそろ……あれにしないと……」

「なに勝手に死んでんねん!!」

「「ああっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!」」

「はー、別の意味で泣けてきた」

 よいしょ、っとマリコは立ち上がった。

「それじゃ、これからマリコ直伝の踊念仏おどりねんぶつを披露いたします」

「よっ、一遍上人いっぺんしょうにん!」

「あーそれ、あそれ、あそれ、あそれあそれ。ナムアミダブツーナムアミダブツー」

 マリコは、寝床の周りをよれよれと踊りだした。お母さんは息のこもった拍手をくれる。よれよれよれ、と踊念仏を踊りまくる。

「マリコ」

 サキちゃんがいった。

「どうしたの?」

「これ」

 と、いって差し出したスマホには、Twitterの画面が。すぐ前に投稿されたツイートがすぐ目に入る。

『ガチの死体だよー(笑) 加工してないよー(笑)』

 二人はまた、笑いが止まらなかった。

 すると、部屋のふすまが開いて、「おーにぎやかにやってるな」とお父さんが入ってきた。「きっとカナも喜んでいるだろうよ」

「あらお父さん。さっきまでマリコちゃんが踊念仏を踊ってくれたのよ」とお母さん。

「えぇ! ここに時宗の教えを持ってくるのは困るよ。ウチは浄土真宗本願寺派なんだから」とお父さん。

「大丈夫、大丈夫。時宗も浄土真宗も同じ浄土教出身ですから」とマリコ。

 確かにそうだな、とお父さんは納得した。

「そうだ、お二人さん。せっかく来たんだ。なんか食べていくか」

「ええ、いいんですかあ! 悪いなぁ、はははは」

 せっかくだからカナちゃんと一緒に食べようってことで、布団の近くにお膳が運ばれた。ご飯とみそ汁、お肉と野菜という定食セットのようだった。

「いただきます! ングング……おいしい! こんなおいしいものを食べれないなんて、ほんとカナちゃんはバカだなぁ」

「あら、マリコちゃん。ご飯粒が口から出たわよ」

 あっ、とマリコはすぐ口を手で覆った。飛んだ食べカスの行方を捜すと、なんとカナちゃんとほっぺたにちょうど付着していた。もちろん、それをピッと指でくっつけた。

「三秒ルールです」

 マリコはグッと指を立てた。お父さんもお母さんも、不器用にグッと返してくれた。


        〇


「はー満腹満腹。食った、食ったー」

 カナちゃんの家を出た時には、もう夕焼けが煌々と輝いていた。明日も晴れかな、なーんて思いながら。

「お母さんもお父さんも優しかったよね、サキちゃん。きっとカナちゃんも天国で喜んでいるよ」

「マリコ」

「ん?」

 と、再びサキちゃんはスマホを掲げてきた。マリコはツイッターをじっとみる。

 さっき上げたツイートに、いいねは一つもついていなかった。代わりに、返信が二つ下にくっついていた。

『通報しました』

『よく勝手に人のご遺体をネット上に晒せますね。あなた正気ですか? 誰だかは知りませんが、このようなことをしてうんたらかんたらうんたらかんたら』

 ふん、とマリコは鼻を鳴らした。

「よくいうよ。普段は死ねだの殺すなど平気でいう人がさ。本当に死んじゃったら、ないものにして、避けようとしているなんてね。

 少なくとも、私たちが楽しむぶんにはよくない? だって、私たちまで心が沈んでいたら、カナちゃんも悲しくなるだけでしょ」

 マリコは、静かにスマホを下ろさせた。

「だからさ、サキちゃん。やっぱり他人に晒さないほうがよかったんじゃない? 知らない人に死をいじられたら、それはそれでムカついちゃうし」

 サキちゃんは、スマホを鞄に入れた。

「いいの。自己満足だし」

 そういって、また本のページをぱらりと開いた。

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