『桜間彩乃は死ぬのか?』(前)


「なに?」


 桜間は言葉の意味を噛み砕くよう逡巡して、


「どういうこと?」


と聞き返した。


 彼女の表情からは感情が読み取れない。怒ってるようにも見えるし、困惑しているようにも感じる。


 ああ、そうだよな、と俺は頷いた。分かるよ。歩いていたら突然四つ角の影からナイフで襲われるなんて誰も想像しない。それと同じで、唐突に、まして関りが深いわけでもない同級生から告げられた死の宣告なんざ、無視して当然、応答してくる奴は「変わってる」とラベルを額に押し付けられる。


 そう、桜間彩乃はある意味で変わっていた。見た目階級ともどもはいたって「普通」だ。言い方を変えれば、「普通」を取り繕っているといえる。仲間と食事をしたり、共通の趣味で話したり、図書館で夜遅くまで勉強をしたりなど。


 じゃあ、どこが「異常」なんだ? 俺と誰もいない教室でこんな放課後に語り合ってる、というのも根拠の一つだが、少々ばかり弱い。ここ数日、暇ができたら横目でその原因を探っていたのだが、結局見つからずに今日にまで至る。


 昨夜、俺は夢を見た。キラキラと、輝いているような夢だった。俺は目を凝らすと、羽をはばたかせた天使がいた。ああ、ついに迎えが来たのか、そう夢の中で俺は覚悟したことであろう。


 しかし、奴は天国への案内人などではなかった。


「お前の周りにいる人間が、近々死ぬだろう」


 あやしげな声で、奴はいった。


「そうだな……ヒントをやるとすれば、お前が一番離したくないと思っている人間だろう」


 ヒッヒッヒッと天使は、自身の対極にいる奴と似た雰囲気で笑った。


「邪心をすてろよな」


 そこで、俺は目を見開いた。

 

 まやかしだ。たちの悪い妄想だ。でも、もし……。我ながら恥ずかしいことに、気持ち悪い妄想への危惧をしてしまったのだ。さて、誰かと考える。

 離したくない人。一番離したくない人。とどめておきたい人。手の内に収めておきたい人。大切な人――。


 五分ぐらい布団の上で熟考し、出した結論が「桜間彩乃」の解だった。家族も、ましてや友人なんていう虚像の塊も、俺には与えられていなかった。唯一、彼女だけが奴の提示した枠内に当てはまるのでは、と考えた。


 当然、桜間が余命なんちゃら月、病気と奮闘する女子なんていう証言は本人からも、周辺人物からも聞いたことがない。そう、みんなが認めるごく「普通」、オールマイティー、上りも下がりもしない女子高生なのだ。


 だから、俺は余計に興味が湧いてきた。「普通」な女子が「異常」な爆弾を抱えているなんて、無視することは不可能に近い。だけれでも、悲しいかな、今の俺には遠回しに悩みを聞き出したり心の内を吐き出させるような技量を持ち合わせていなかったのだ。それを身に着ける前に桜間が死んでしまったら元も子もない話だろう。


 そのような経緯で、放課後、いつものごとく口を動かしていた俺たちに合間が生まれたタイミングで、スパッと切り出した。


「桜間彩乃は死ぬのか?」と。


 どストレートな剛速球。どこが「スパッと」と表現できるのだろうか。投げた直球は重く、ずしりと突っ掛かっていた。


「どういうこと……か」


 俺は、彼女の返答に言葉が詰まる。あの妄想夢話を聞かせるのは禁忌なことは理解していた。


「なあ、桜間。これから死ぬ予定とかないのか?」


「え、大丈夫? 私が心配になるんだけど」


 彼女の目の細め方からして、本気で不安を抱いているようだった。


「大丈夫だよ。いたって真面目さ」


「じゃあ、なおさら心配になる」


 俺は、小さく笑った。「こっちが心配して訊いたはずなんだけどなぁ」


「逆に、なんでそんなこと訊くの?」


「お前がそろそろ死ぬから」


「何それっ。意味わかんない」


 桜間は顎に手をのせ、そっぽを向く。どうやら、少々怒らせてしまったようだ。


 俺は学校指定のバッグを手にし、右隣りの彼女の席に歩み寄った。


「勘違い、ならいいんだけどな」


「当たり前よ」吐き捨てるようにいった。「変な冗談はよしてね」


「ああ」


 それだけ答え、俺は教室を後にした。






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