マウンティング『天才』



 小説家である僕は、ここ最近売り上げに苦しんでいた。自信作と思って世に出した作品はいまいちパッとしない。リアリティを出すために取材や調査に時間をかけて作り出したものは重箱の隅をつつかれるように批判され、ネットでの評判は散々だ。時間をかければかけるほど自分の感情が否定されているような気持ちになり、筆が進まないこともしばしばあった。


 ところが、こんな僕にも幸運というものは巡ってくるもので、数年前に出版した小説がなんと映画化されることになったのだ。僕は大いに歓喜した。実写化は小説家として、いや自分が人生の中で目標としてきたといってもいいほどの夢であったのだ。担当編集者からそのことを聞かされたとき、すぐに親に電話をした。田舎の母親はひたすら、「よかったねえ、よかったねえ」と涙ぐみ、父親は「ようがんばったな」と言葉をかみしめていた。「直木賞とったわけじゃないんだから、大げさだよ」と僕は謙遜したものの、心配かけた身としては恩を返せて安心した喜びが大きかった。


 数か月後、さらに驚くべきことに、僕のもとへ某雑誌企画の対談依頼がやってきた。相手は映画で主人公を務めるイケメン俳優D氏だ。ドラマや映画に引っ張りだこで、世間でも名高い彼と会えるなど、一生に一度あるかないかだろう。僕は人と話すことは苦手だが、それよりもこの千載一遇のチャンスをものにしたい感情のほうが高かった。それほど間を置かずに、対談を了承した。


 そして当日、僕は緊張した顔つきでスタジオに立っていた。この日のために高いスーツを買い、普段は入らない高い美容室で髪を切ってもらった。少しでも、良い印象を見せるためである。また、うまくいけば親しい関係になって後々の人脈に活用できるのではないかという淡い期待もあった。


 やがて、D氏が颯爽と現れてきた。すごい、と同時に緊張状態が一気に高まった。


「初めまして」僕からいった。「田中ダイスケといいます。よろしくお願いします!」


 するとD氏は値踏みするような目でこちらを覗いた後、カラッとした笑顔に切り替えた。


「こちらこそ。ところで、君はどこの大学を出ているんだい?」


「えっっ?」突然の質問に、僕は狼狽えた。


「いや、私は国立医大卒なんだけど、作家さんて高学歴のイメージがあるからさ。あなたはどうなのかなって」


「えっと……」僕は卒業した二流大学をボソボソと答えると、D氏は「ふぅん」とだけ相槌を打ち、そのままそばのソファーに腰かけた。


 変な空気のまま対談が始まってすぐ、D氏は自分の趣味について話し始めた。なんでも、最近自身のYouTubeチャンネルを開設して好きなゲームの実況とかをしているとか。熱心に動画投稿の利点を語る彼に、僕は必死で頷く。最初に学歴で評価が下がったので、それを挽回しようと思ったのだ。だが、ゲームをやらない身としては彼から発せられる専門用語が理解できず、よくわからないままに頷いているだけだった。


「ところで、私は最近深夜アニメも見ているんだけどね」


 おっ。僕は心の中でガッツポーズをした。アニメに関しては、ついていける話題である。


「あのー、今流行りの『ブライド・シスターズ』とかね。あれはいいアニメだよねぇ」


「あ、あはは……」


 くそっ。僕は地団駄を踏んだ。よりによってそのアニメの話題を出すか。確かに世間では大人気で二期も決定している作品だが、僕はその世界観に合わず途中で観るのをやめてしまった。どうしよう。D氏に合わせるべきか。いや、僕は小説家である。アニメも小説も媒介は違えどストーリーを構築している点ではいっしょ。ここで曲げては、自分に負けた気がするのだ。


「……すいません、実はそのアニメ途中で観るのをやめてしまって」


「へぇ。またどうして?」


「うーん、なんか肌に合ってなかっていうか……」


 怒られるかな。そう身構えたものの、D氏は目を落として、「君変わっているね」というだけだった。


 その後も内容はD氏中心の話でもちきりだった。


「私こないだスーパーで買い物した帰り、河原を通ったらカラスがいたんだよね。そっと様子を見ると、じっとうずくまっているだけでね。お腹すいたのかなって思って、でもカラスが普段何を食べるか分からなかったから、とりあえずレジ袋の中からニンジンと玉ねぎとジャガイモをカラスに与えたんだよね。食べてほしくって。そしたら、何を怒ったのか野菜たちを一切食べずにそのままパァッて飛び去っちゃって。しまいにはフンもお見舞いしやがって。ははは。おかげで夕食はカレーのルーだけ。ルーライスなんつって」


 どこか笑いのツボを押さえていない話を聞かされること小一時間、僕は我慢ができずに、「ちょっと、映画の話をしましょうか」と笑顔を心がけて提案した。


「あー、君が書いた小説の?」


「はい」


「あ、私ねぇ。小説っていったらねぇ、中川佳樹なら一時期全小説読む勢いでハマってたんだけど、はい」


 僕は衝撃を受けた。な、中川先生……。先生の出版している本は、百冊に近い量だぞ。それを全部、全部なんて——無理だ。違う。違うと言ってくれ。小説までコケにされたら、僕は……。でも、反論できない。だって、向こうのほうが絶対才能があって人望があってのちに名を遺す人なんだから。


 —―。


「僕は!」


 気づいたら、立ち上がっていた。「ぼ、僕のえ、えと……その、しゅ、趣味は……


 小説を書くことです!」



 沈黙が走った。


 D氏は真顔であった。ただこちらの挙動をじっと瞳の奥から覗いていた。


 そして、ニコッと唇を伸ばした。


「いいね!」










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