<気に入っているようなのです>

 マンション玄関の奥。その日陰の空間がオアシスに見える。

 よろよろしながらミコッチが住んでるマンションのエントランスに入る。まっすぐ伸ばしたはずの足が右へよろり、左へよろり。

 やっと着いた。

 膝に手をつき呼吸を整える。肩と頭の高さが並ぶので、トートバッグから頭を出している米村と目線が同じになる。お米の妖精らしい白い髪は日陰でもつやりと輝く。

 顔を横に向けると米村は小さな口を開いた。


「……あの」

「大丈夫、大丈夫だから」


 私を心配そうに見つめているじゃないか。とんだ失態をおかした。

 私は一度深呼吸をして精一杯の笑みを向けた――つもりではあるが口の端しか持ち上がっていない気がする。

 こめかみを汗が流れる。


「さあ、早くミコッチのもとへ行こう」

「えっと、そうですね」


 私を気遣うような間をおいて米村は答えた。

 できるだけ真っすぐ立とう。そして歩き出すんだ。私は意を決しオートロックの脇まで歩くとミコッチの部屋番号を押して待つ。

 すぐにスピーカー越しの声が聞こえた。


「はーい」

「やあ」

「貴様、なに者だヒゲメガネ。あとやけに姿勢がいいな」


 私はヒゲメガネをかけていた。駅から出たあとになんだか眩しいな、と思ってサングラスをかけようと思ったらこれだ。グラスがはまってないから日差しが目の奥に突き刺さり脳裏まで真っ白だったよ。そもそも今日サングラス持ってきてなかったよ。かっこつけて太陽を仰ぎ見たのがいけなかったのかもしれないけど。

 それにしてもこわいね、夏の太陽というものは。

 独り言をつぶやく私を気にせず米村が身を乗り出して壁のカメラに近づく。


「こんにちは。米村です。この人は怪しいですが不審者ではないので安心してください。米村は何度かヒゲメガネをとるように言ってみたのですがだめで、どうやら気に入っているようなのです」

「ああ、わたしが会社であげたやつだ。おっけーおっけー。よかった。よねっちゃんがいなかったら気づかなくて入れてあげられなかったよ」


 二人は「ははは」と笑った。一人はスピーカーの向こうだがのん気に笑う顔が嫌でも目に浮かぶ。もちろん米村なら目に浮かべても入れても大丈夫だ。

 というか早く開けてくれ。

 いや、それより私はヒゲメガネくらいで認識されなくなる存在なのだろうか。


「なんだか考え込んでしまっているので入れてあげてください。きっと暑さのせいかと思うので」

「大丈夫だと思う、いつも会社でもこういう感じだから。なんか近寄りがたいオーラを出してるせいできっと友達がいないんだな。少ないというか、いないんじゃないかと心配になるくらい」

「……ミコッチさん、どうかよろしくお願いしますね」

「まっかせなよ! わたしは元気な妖精と一緒に暮らしてるんだから、元気じゃない人間の変わり者くらいへーきへーき! どうってことない!」


 おっと、誰が人間の変わり者だ。元気じゃないのはあってる。

 そして米村、どうして私をそんな憐れむような目で見るんだい。

 どうして哀しそうに、それでいて優しく微笑むんだい。

 ……瞳に吸い込まれてしまうじゃないか。


「さ。行きましょう」

「あ。うん」


 スピーカーから「どぞー」と聞こえる。

 オートロックが開く。

 私は米村と奥へ進んだ。

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