<パスタとギリギリ・ボルケーノ>①
とある休日午前十一時――マンション前
最寄り駅から電車で二駅。徒歩五分ほどでミコッチの住んでるマンションに到着する。エントランスのオートロック前で部屋番号を入力してしばらく待つと、マイク越しにいつもの声が聞こえる。
『はーい!』
「あ、郵便でーす」
『いや見えるから、カメラで見えるから!』
雑なボケに対しても、ミコッチはちゃんとツッコミを入れてくれる。
そもそもカメラで私を確認できるのでここで会話する必要はないのだけど、ミコッチのマンションへ足を運ぶたび、ちょっとした挨拶ついでにこんなことをやったりしている。
ドアが開きエントランスの先に進む。
今日はミコッチと約束があって遊びに来ている。
ミコッチの部屋がある五階までエレベーターで上がり、通路を少し歩いて部屋の前まで着くとインターホンを押す。
数秒と経たないうちに開錠音がして直後にドアが開くと、髪を後ろで一つ結びにしたミコッチが現れる。みこっちはいつも、部屋着に意味不明なメッセージの書かれたティーシャツと、ハーフパンツを選んでいる。出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいるから羨ましい体型をしているな、と訪れるたびに思うのだけど、本人には秘密だ。きっと気を遣って私のことも褒めてくれるだろうが、それはそれで辛い。
「いらっしゃい!」
「うん。おじゃまです」
「どうぞどうぞ!」
促されるまま玄関に入りトートバッグをそっと下す。すると、やっと目覚めた米村があくびをしながら顔を覗かせる。そして目をとろんとさせたままふわりと宙に舞いって私の胸にぺったりと張り付く。寝起きの飛行は不安定でややおぼつかない。
私と米村が一緒に出掛けるときはいつもトートバッグの中に米村が入るので、そのまま持って移動している。すると移動時の揺れが心地良いのか、目的地に到着するときには大体眠ってしまっている。私が電車やバスで眠たくなってしまうアレと同じだろうか。
米村がみこっちの方へ振り向く。
「おじゃまします」
「おっす、
「はい。どうもなのです」
「おっ酢飯、なんてね!」
「…………」
冷や飯状態である。冗談がわかりにくい。
米村はじっとりした目でミコッチを見る。
米村もミコッチのことは嫌っていないものの、パスタちゃんのこともあるので遊びに来たときのテンションが低いことがある。しかしミコッチはテンションの低い米村がデフォルトだと思っているので、気にせず話しかけている。
ちなみにミコッチは嫌われるという概念を知らない。
靴を脱ぎ、私専用となった来客用のスリッパに履き替える。
廊下を抜けリビングまでくると、ちょこんとソファーの端に座ったパスタちゃんが昼のニュース番組を見ている。パスタちゃんがこちらに気付くと、いつも通りのお日様かと見まごうほどの笑顔を見せる。
「やっほー師匠!」
「やっほーです」
「やっほー
「どうもです」
鈴をぶんぶんと振り回したような元気な声でパスタちゃんが挨拶する。
パスタちゃんと私はもう何度も顔を合わせているが、初対面のときから彼女の天真爛漫な性格のおかげかすぐに打ち解けている。
米村は私より早くパスタちゃんと知り合っているらしいが、相変わらずの様子だ。
米村より頭一つ分ほど背は高いものの、金色のショートヘアと淡い茶色の大きな瞳により幼く見え、淡い黄色のワンピースがよく似合う。いつも元気なパスタちゃんの声を聞いていると、こちらも元気になるようだ。
ちなみにみこっちと同じく嫌われるという概念を知らない。
米村はというと、両手で私のシャツの胸元をつかみそっぽを向いている。
米村がパスタちゃんを嫌う――というより憎らしく思っている理由については、前に米村の愚痴を聞いたことがあるので大体知っている。
――パスタちゃんとの浮気を疑われた日。
「他の炭水化物の匂いがするのです」
「……他のとは」
「米村にはわかるのです。パスタです! あの忌々しいデュラム小麦のセモリナ粉の匂いはパスタなのです」
「あの」
「米村より少し背が高くて人気があって誰とでも仲良くできるようですが、お米の奥ゆかしさには到底及ばないのです」
「米村?」
「今度はあなたをお米以外の炭水化物に誘惑するなんて、許せないのです!」
完全に一方的な怨恨だが、パスタちゃんに対する米村はそんな具合である――
今日の目的を思い出す。
インドアでもアウトドアでも多趣味なミコッチが最近はパズルゲームにハマっていという。で、ここ数日格闘しているのがナンバープレイス――ナンプレだ。
そこで、なぜかナンプレが得意だった私がアドバイスをしていたのだけど、どうしても解けないという。それで今回直接どうにかするよう依頼がきたのだった。
自分で解かないと面白くないような気もするけど。
ちなみに私もミコッチの話を聞いてからというもの、しばらくぶりだったナンプレを会社から家に帰った後ちょっとだけやるようになった。
「じゃ、今日はよろしく!」
「どんな難問か、ちょっと楽しみ」
「おや。余裕ですねえ」
「もしかして重ね合わせパターンとか?」
「わからん」
リビングのテレビ横にデスクがあって、そこにパソコンなんかがあるが、本やノートが広げられているのでそこでやっているのだろう。
デスク前のチェアーに腰掛け、高さと背もたれの角度を調整していると、みこっちが冷たい麦茶を入れてくれる。
「ささ、どうぞ……」
「ありがとう」
「いいのいいの、よろしくお願いします!」
「はいよ。えーっと、どんなタイプかなっと……」
さて、ゲームが始まる――
「あれ?」
机の上に広げられている雑誌にナンプレの問題が載っていた。
「何?」
「これだよね、解けない問題って」
「そうだけど」
「……?」
問題は三×三マスが三×三ブロックのベーシックなタイプ。
「もしかして相当難しいとか?」
「いや、じゃあ始めるね」
左上から右下までの空いているマスに、順に数を入れていく。
「え? なんでそんな順番から入れられるの」
「ん。なんかわかるから」
「??」
私は長くナンプレを時間を共にしたためか、自分でもよくわからない頭の使い方が自動的にパッと行われるようになっていた。
半分くらい埋めたところで米村とパスタちゃんがデスクの上にやってきて、
「どうやら順調そうですね」
「簡単なの?」
「米村にはルールがわかりませんが、そのように見えます」
「ミコッチも頑張ろう!」
ミコッチは首を振り、
「いや、これは無理だわ。端から順とかちょっとよくわからない」
米村とパスタちゃんは首を傾げた。
そのうちすべてのマスが埋まり、
「よし、終わったよ」
するとパスタちゃんが、
「もっとやってみてほしいな」
「いいよ」
次のページのも解いた。
米村もどこか興奮した面持ちで、
「文字で埋まるとなんだか気持ちがいいのです。米村は続けて欲しいです」
「うん、わかった」
さらに次のページのも解き始める。
ミコッチはぼんやり「えぇ」と言っていた。
そして解き終わり、
「はい、おしまい」
米村は小さな手を叩いた。
「アツい戦いだったのです!」
パスタちゃんも文字の上を歩きながら下を向いて、
「すっごいなー!」
私はミコッチが首を傾げているのを見ながらコップを手に取り、小さくなった氷ごと麦茶を飲み干した。
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