<二度あることは三度ある>
とある金曜日午後九時頃――自宅
「ただいまー」
ドアを開けるときの掛け声のように、つい言ってしまう。私がそれを始めたわけじゃないんだけど……実家でいつの頃からかそうなっていたまま。前に防犯のためだって聞いたことがあるけど、こんなくたびれた人間に対しても効果があるのかは不明なままだ……
いつかの理由はハッキリしないが、いつしか社会人。一人暮らしを始めた今でも自然と続けてしまっている。
今でも、それを言うとなんとなく帰ってきたなと感じる。気持ちがやっと休まってくる感じがする。
ああ、そういえば小学生の頃、幽霊から『おかえり』と言われるような気がしていて、怖がってた時期があったっけな。
――少し前まで、幽霊でもいいから言ってほしいと思ってたっけ。
靴を脱ぎ、リビングへの廊下を進む。
扉をゆっくりと開く。
もうすぐ炊き上がりそうかな。
すでに白米特有の甘い香りが部屋中に広がっている。家事を済ませる、という理性を打ち砕きすべてを投げ出したくなる欲求が身体の奥底から湧いてくる。
しかし、いったん気持ちを鎮め上着を脱ぐ。
――何故なら私は大人なのでやることはやるのだ。
「ただいまー」
今度はささやくように、眠る米村に声をかける。小柄で華奢な体型のため、五・五合炊き炊飯器の中でも眠れる彼女は、排気口から微かな寝息とともに白米特有の甘い香りを放出している。私の帰宅時間に合わせて、炊き上がりまで中で眠っていることが多い。
米村が眠っているうちにこっそりと風呂に入り、日ごとに決まっている箇所の掃除や洗濯を済ませてしまう。
――なぜなら私は大人なので、やることはやるのだ。
一通りの日課をこなし、なんとなしにテレビを見ていると、炊飯器から炊き上がりのメロディが鳴る。その音をアラーム代わりに米村も目覚めるのだ。
炊飯器へ向かう。自動で保温モードへと切り替わっている炊飯器をOFFにし、ワンタッチのフタを開ける――
ふたを開けた瞬間、熱い湯気とともに濃縮された白米特有の甘い香りが一気に開放され、私を包む。
全身にパチパチと火花の散るような感覚が広がる。
「おはよう
白い炊き立てご飯の上で湯気に包まれていた米村がだんだんと見えてくる。真珠光沢を放つ長くて白い髪に、白い肌、なぜならお米の妖精だから。
なんだか熱そうだが、米村が言うには『お米の妖精だから平気です』と。
「あ、おはようございます」
とろんとしたまぶたをなんとか持ち上げ、上半身を起こした米村は、右半身にご飯粒をつけたまま小さいあくびをする。
いつも通り、うとうとと眠そうな米村に付いたご飯粒をとる作業を手伝う。米村は髪から肌まですべてが真っ白なので、少しご飯粒が見つけづらい。
寝起きの米村が余計なデンプンを流すため、水の張ったガラスのボウルを用意する。そして米村が水浴びしている間、残り物のカレーを温める。
次に、水浴びの終わった米村を白いタオルの上で適当にころがして、余分な水分をとる。
――このとき、強く押すなどして水分を抜きすぎないよう注意すること!
その後、いつもの白いワンピースを着た米村と、カレーの入った小さい鍋を食卓に持っていき、夕飯の準備が整う。
基本的に妖精は飛ぶこともできるらしいが、前に米村に聞いた話では、寝起きで飛ぶ気にはならないらしい。なので寝起きは私が運ぶことになっている。
白い器に盛ったご飯粒は一粒一粒が立っており、ツヤツヤと真珠のような輝きを放っている。鍋からカレーを皿によそい白色の器に褐色でコントラストをつくる。炊き立てご飯の甘い香りとスパイスの香ばしさが混ざり合い鼻腔をくすぐる。
「いただきます」
「どうぞ。めしあがってください」
なんだか誇らしげな米村が両手を前に突き出す。私は手を合わせる。
米村が夕飯を作っているわけではないが、彼女と一緒に炊いた米は水分と一緒に〈妖精的な謎のエネルギー〉を吸収するらしく、そういうわけで米村の中では自分が調理したということになっているのだ。
この〈妖精的な謎のエネルギー〉については、少し前に毒ではないかと確認したとき『体にいいと思います』と右上を見ながら言っていたので、大した効果はないと思われるが、最近は少し目が疲れにくくなったような気がする。
ちなみに味も変わったようには感じられないし、飛べるようにもなってない。
食欲を刺激されるままにカレーライスを食べ進めていくと、米村はうっすら頬を赤く染めて照れくさそうにしている。
米村は一緒に炊かれた米からしばらくの間、微小な感覚の共有を受けるらしい。
初めてのときほどではないが、まだ米を咀嚼される際の刺激には慣れていないように見える。
米村との初めての食事では、連続して刺激を与えないように食べ進めたため、小一時間ほどかかってしまった。それでも私はなるべく炊き立てを食べたいので、米村には諦めてもらったのだ。今では気にせず食べ続けられるまで慣れている。
「カレーライスはおいしいですか?」
「うん。いつもよりお腹すいてたのもあるけどね」
顔をうっすらと赤く染めた米村がたずねる。
私は軽く返事をして、再びカレーライスを食べ始める。
繰り返すが私は大人なので、気を遣いすぎないという術を身に着けている。
「そういえば、会社でみこっちに聞いたんだけど。会社から帰るときに、なんかの妖精が飛んでるの見たって。光ってたとも言ってたかな」
「なるほど……まず、みこっちさんが突撃していった話でなくて安心です」
「はは……」
みこっちとは私が勤めている会社の同期で同僚である。妖精の存在について知っていて、それどころか彼女も妖精と暮らしている。
それが判明したのは以前みこっちの家に遊びに行った日。
帰宅早々のこと。
――ただいまー。
――おかえりなさいです……ん?……あ!? ほかの炭水化物の匂いがするのです!……パスタです、パスタくさいのです! 私以外の炭水化物と接触しましたね!
端的に言うと米村に浮気を疑われたことがある。
その後、それとなく炭水化物の話でさぐりをいれたところ、みこっちも妖精と暮らしていることが判明したのだ。
こんな感じに。
――ああ、お昼ご飯どうしょうかなあ……
――ん?
――ごはん、ラーメン――いや、パスタだな。パスタっておいしいよね。ミートソースとかペペロンチーノとか……
――んん?
――パスタの妖精がいたら直接感謝したいなあ……
――ふふ、なにそれ。
ちなみにみこっちはパスタの妖精〈パスタ〉と暮らしている。
「火や雷に関連する妖精であれば、光ったりするかもしれません。そうであれば好戦的な個体が多いので、ほかの妖精との〈相撲〉の最中だった可能性があります」
「食べ物に関係ない妖精もいるんだね」
「そうです」
ほんのり頬を赤く染めた米村が答える。
妖精の中には好戦的な個体もいるらしく、そのような妖精を中心とした『流血は基本の相撲』が行われることもあると米村から聞いたことがある。
ただ、その流血相撲とやらは妖精界の厳格な取り決めに基づいて行われるから、相撲を望まないのであれば巻き込まれることはないらしい。
米村の話では『ルール違反をすると偉い妖精に怒られる』とのことで、人間の私には厳しいのかどうかがわからないが、違反者が出ないレベルで恐ろしいことらしい。
相撲の結果によって妖精の影響を受けている人間側にも何らかの影響が出てしまうためとかなんとか……
「そっか」
「はい」
米村から妖精について色々と聞いてはいるが、正直なところ……妖精とは何かなんてことはどうでもいい。流血相撲についても。いつも通り米村とご飯が食べられればそれで。
「そうだ。明日の朝ごはんは納豆ご飯にしようかな」
「…………」
米村が硬直する。
以前、納豆ご飯を食べたとき、納豆とご飯をかき混ぜる刺激によって米村は一度限界を迎え、『ご飯に負のエネルギーを吸収させる』と脅されたことがある。
ちなみに米村はそのあと、食べるときの刺激によって二度目の限界を迎えたため、私は次のご飯が最後にならないことを祈ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます