第6話 "Conversations with God" Book 1:2章 :P44-51

━━━━━━━━━━━━━━━━

┌《注記》

・対話上の「ニールの言葉」には、文頭に「N:」を付けました。

└----------

━━━━━━━━━━━━━━━━

P44


(2)


第2章


「 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」(詩篇16:11)


N:私は人生すべての中で、神への道を探してきました。


知っている。


N:今や、それを見つけましたが、信じることができません。私はここに座って、自分にこれを書いているように感じます。


その通りだよ。


N:神とのコミュニケーションではないように思えます。


あなたは鐘や笛の音が聞きたいのか?そうして上げてもいいがね。


N:ご存じでしょうが、この本全体を冒涜と言う人がいると思います。特にあなたがそんなに賢くあられると、なおさらです。


説明しよう。あなたは、神は人生でただ一つの方法でしか現れないと考えている。


それは非常に危険な考えだ。


そう考えていると、神をあらゆるところに見い出すことは出来ない。


神が、一つの方法でしか現れない、一つの方法でしか語らない、一つの方法でしか存在しないと考えていると、あなたは、いつも私を見逃すだろう。


あなたは、全ての人生を費やして神を探しても、「彼女」を見つけることは出来ないだろう。


なぜなら、あなたは「彼」を探しているからだ。


私は、「彼」「彼女」を比喩として使っている。


冒涜的なこと、深遠なこと両方に神を見い出さないなら、あなたは物語の半分しか見ていないと、言われてきた。


それは偉大な真実だ。


神は悲しみと笑いの中にいるし、苦しみと甘美の中にいる。


すべての背後には、聖なる目的があり、それゆえにすべての中に聖なる存在がある。


N:私はかつて「神はサラミ・サンドイッチである」という本を書き始めました。


それは大変良い本になっただろう。私がインスピレーションを与えたのだ。なぜ書かなかったのかな?


N:冒涜のように感じたからです。少なくとも、ものすごく無礼だと感じたからです。


“すばらしく”無礼だという意味だろう!


神は「厳粛」でなくてはいけないという考えを与えたものは何だろうね?


神は上昇であり下降である。暑さであり寒さである。左であり右である。敬虔であり不敬である!


P44

━━━━━━━━━━━━━━━━

P45


神は笑うことができないとでも思うのか?


神が面白いジョークを楽しんではいけないとでも思うのか?


神にはユーモアがないと、あなたは思っているのか?


私はあなたに言う。神がユーモアを発明したのだよ。


あなたが私に話す時、ひそひそ声で話さなければならないのか?


俗語や乱暴な言葉は、私には使ってはいけないのか?


私はあなたに言う、あなたは親友と話すように、私に話していいのだよ。


私が聞いたことのない言葉があると思うのか?私が見たことのない光景があると思うのか?私が知らない音があると思うのか?


私がある者を見下し、他の者を愛するとでもあなたは思うのか?


私はあなたに言う。私は何ものをも見下すことはない。


私に嫌(いや)なものは何もない。


それは生命であり、生命は贈り物だ。言い表せない宝物だ。聖なるものの中でも聖なるものだ。


私は生命だ。生命は私だから。そのすべての側面は聖なる目的を持っている。


神の理解と承諾なしに、何も存在しない。何も。


N:どうしてこうなるのですか?人間によって創り出された悪は何なのですか?


あなたがたは、神の計画の外では、どんな物事も創造することはできない。思考、物体、出来事、それにどんな種類の経験も、創造することはできない。


神の計画は、あなたがたが望むものを、何でも創造できるようにすることだ。


そのような自由の中に、神たることの神の体験がある。


私があなたがたを創造したのは、その体験のためなのだ。生命そのものを創造したのも、その体験のためなのだ。


悪は、あなたがたが悪と言うから悪なのだ。


それでも、私はその悪を愛している。なぜなら、あなたがたが良いと知ることができるのは、あなたが悪と呼ぶものを通じてだけだからだ。


あなたがたが神の業を知り、行うことができるのは、悪魔の仕業と呼ばれるものを通してのみだからだ。


私は冷たさより熱さをより愛しているわけではない。低さよりも高さ、右よりも左をより愛しているわけではない。


それはすべて相対的なものなのだ。それはすべて存在の一部分なのだ。


私は「悪」以上に「善」を愛しているわけではない。


ヒトラーは天国に行った。


あなたがたがこれを理解できたら、神を理解できるだろう。


N:しかし、私は善と悪が存在し、それらは対立していると信じるように育てられました。そして神の目には、あるものはダメで、不都合で、受け入れられないと信じるように育てられました。


神の目には、すべてが「受け入れられる」。


どうして神が、存在するものを受け入れないことがあろうか?


物事を拒否することは、それが存在することを否定することだ。


それがダメだと言うことは、それは私の一部ではないと言うことだ。それは不可能なことだ。


しかし、あなたは自分の信念をしっかりと持ち続け、自分の価値観に忠実であり続けなさい。


これらはあなたの親の価値観であり、親の親の価値観だからだ。


あなたの友人やあなたの社会の価値観だからだ。


それらは、あなたの人生の骨組みを形作っていて、それらを失うことは、あなたの体験の編み物をほどくことになる。


それでも、それらを1つずつ調べなさい。一枚ずつ見直しなさい。


家を解体するのではなく、それぞれのレンガを見て、壊れているように見えたり、これ以上家の構造を支えられないものは取り替えなさい。


正邪についてのあなたがたの考えは、ちょうどそれと同じだ。


それらは、「自分とは何者か」という形を作り出し、その実体を創り出す考えだ。


これらを変更する理由はただ1つ、変更する目的はただ1つだ。もしあなたが、「自分とは何者か」にてらして、幸せと思えない時だけだ。


あなただけが、自分が幸せかどうかを知ることができる。


あなただけが自分の人生について、「これが私の創造物だ。私は大変満足している」と言うことができる。


P45

━━━━━━━━━━━━━━━━

P46


あなたの価値観が自分に役立つなら、持ち続けなさい。それを主張しなさい。守るために闘いなさい。


しかし、誰にも危害を加えない方法で闘うようにしなさい。危害は癒しにはならない。


N:あなたは、私たちの価値観はすべて間違っているとおっしゃりながら、同時にその価値観を守りなさいとおっしゃっています。この点はいかがですか?


私は、あなたの価値観は間違っているとは言っていない。しかし正しいとも言っていない。それらは単なる判断に過ぎない。評価、決定だ。


その大部分は、あなたではなく、他の誰かによってなされた決定だ。おそらくあなたの親だ。あなたの宗教だ。あなたの教師、歴史家、政治家だ。


あなたの真実に組み込まれた価値判断の中で、自分の体験に基づいて行なった判断は、ごくわずかしかない。


あなたがたがこの世に来たのは、体験するためなのだ。自分の体験によって、自分自身を創造することだった。


あなたがたは、他人の体験によって自分自身を創り出してきた。


罪というものがあれば、これがそれだろう。


他人の体験で、自分を創り出すことだ。


これがあなたがたが犯した「罪」である。あなたがたみんなが。


あなたがたは、自分自身の体験を待たずに、他人の体験を福音として(文字通り)受け入れる。


そして、実際の体験に初めて遭遇した時、すでに知っていると思っていることを、遭遇した体験に重ね合わせる。


もし、あなたがたがこれをしなかったら、まったく違った体験をしたかもしれない。


その体験は、あなたがたを教えた教師や情報源の方が間違っているとしたかもしれない。


ほとんどの場合、あなたがたは、両親や、学校、宗教、伝統、聖典が間違っているとは、見なしたがらない。


そこで、あなたがたは、他人に言われたことに賛成して、自分の体験の方を否定する。


人間のセクシュアリティに対する扱いを見ると、これがよく理解できる


性的体験は、人間の可能な体験のうちでも、最も愛らしく、エキサイティングでパワフルで、爽快で、新鮮で、活気溢れ、肯定的で、親密な、一体感のある、再創造的な物理的体験であることを、みんな知っている。


体験的にこれに気づいたのに、あなたがたは、他人が前に公表した性に関する判断、意見、考えを、自分の体験の代わりに受け入れてきた。


その他人はみんな、あなたがたの考え方に強い関心を抱いている。


これらの意見や判断、考えは、自分の体験とはまっこうから対立しているのに、あなたがたは、教師が間違っているとするのが嫌なので、自分の体験の方が間違っているに違いないと自分を納得させる。


その結果、あなたがたは、「性」についての本当の真実を裏切ってきた。それが破壊的な結果をもたらしている。


あなたがたは、金銭についても同じことをしてきた。


人生で、大金を持つたびにいつも、あなたがたはすばらしいと感じた。それを受け取ったことも、使ったこともすばらしいと感じた。


それは悪いことでも、邪悪なことでも、本質的に「間違っている」ことでもない。


しかしあなたがたは、金銭についての他人の教えがあまりに深く自分に染み付いているので、他人の「真実」のために自分の体験を拒絶してきた。


この他人の「真実」を自分のものとしたことで、あなたがたはその周りにいろいろな考えを形づくった。


思考は創造的だ。


あなたがたはこうして、金銭にまつわる個人的な現実を創り出してきた。


P46

━━━━━━━━━━━━━━━━

P47


その現実は、あなたがたから金銭を押しのけてしまう。なぜなら、良くないものを引き付けようと誰がするだろうか?


驚いたことに、あなたがたは神についても、この同じ矛盾を創り出してきた。


あなたがたの神についての心の体験はすべて、神は善であると言っている。


あなたがたの教師の教えはすべて、神は悪であると語っている。


神を恐れることなく愛するべきだと、あなたがたの心は言っている。


あなたがたの教師は、神は復讐心に燃える神だから、恐れるべきだと言う。


あなたがたは神の怒りを恐れて生きなければならない、と彼らは言う。


あなたがたは、神の存在に震えていなければならない。全人生を通して、あなたがたは神の審判を恐れなければならない。神は「正義」だと言われるから。


そして、神の恐ろしい正義に直面すれば、あなたがたは困ることになると、神は知っている。だから、神の命令に従順であるべきだ。さもないとひどいことになる。


何よりも、あなたがたは、「神が厳しく神の法への従順を求めているなら、なぜ神は、法が破られる可能性を生み出したのか」という理にかなった質問をしようとしない。


教師は、神はあなたがたに「自由な選択」をすることを望んでおられるからだと教える。


だが、一方でなく他方のものを選べば糾弾されるのなら、どんな選択が自由な選択だと言えるのか?


自分の意思でなく、他人の意思でなされたなら、「自由意思」とどうして言えようか?


あなたがたにこれを教える人々は、神を偽善者にしている。


神は赦しと同情であると言われる。だが、あなたがたが「正しい方法」でこの赦しを求めないなら、そしてあなたがたが「神のところ」に正しい方法で来ないなら、あなたがたの願いは聞かれないし、その叫びは聞かれないだろうと言われる。


正しい方法が1つしかないのなら、それもさほど悪くはないだろう。しかし、「正しい方法」は、教える教師と同じ数だけあるのだ。


したがって、あなたがたはほとんど、大人の生活の大半を、神に礼拝し、従い、奉仕する「正しい」方法を探して過ごす。


皮肉なことに、私はあなたがたの礼拝を欲してはいないし、服従を必要としてもいない。そして、私に仕えることさえ必要としない。


これらの行為は、歴史的に、支配者が臣民に要求する行為だ。


支配者は、通常、異常に自己中心的で、不安定で、専制的である。


それらは、どんな意味にしても、神々しい要求ではない。


世界が、その要求は偽物で、神の必要性や要望とは無関係であると今でも結論づけられないとは、驚くべきことだ。


神は何も必要としない。存在のすべては、まさに存在のすべてなのだ。


それゆえ、神には何の必要も不足もない。それが神なのだ。


ともかく何かを必要とする神を、そしてそれが得られなければ人々を罰する神を信じることにした場合、本当の私よりもはるかに小さい神を信じることになる。


あなたがたは、本当に劣った神の子たちということになる。


とんでもない、我が子たちよ。この本を通して、もう一度私は保証しよう。私は何も必要としない。何も要求しない。


これは私に欲求がないという意味ではない。欲求と必要性は同じではない(あなたがたの多くは、生涯、そう思っているが)。


P47

━━━━━━━━━━━━━━━━

P48


欲求はすべての創造の始まりだ。それは最初の思考だ。魂の中の壮大な感情だ。それは、次に何を創造するかを選ぶ神だ。


神の欲求とは何か?


第一に、栄光の中で、私は自分自身を知り、体験したいと思った。自分とは何者かを知りたいと思った。あなたがたや宇宙の世界すべてを創造する前には、体験することは、私には不可能だった。


第二に、私は、あなたがたが「本当の自分とは何者か」を知って体験することを願う。そのために私は、あなたがたが選んだどんな方法ででも、自分自身を創り、体験することができる力を、あなたがたに与えた。


第三に、私は、人生すべてのプロセスが、絶え間ない喜びや、持続的な創造、終わりのない拡大、そして今という瞬間における完全な満足を体験するものであることを願う。


私は、これらの願いが実現する完璧なシステムを確立した。その願いは今も、この瞬間にも、実現されている。あなたがたと私の唯一の違いは、私はこれを知っているということだ。


あなたがたがすべてを知った瞬間に(その瞬間はいつでも訪れ得るが)、私がいつもそうであるように、大きな喜び、愛、受容、祝福、そして感謝を、あなたがたも感じるだろう。


これらは神の五つの姿勢だ。


この対話を終える前に、私は、あなたがたの人生でこれらの姿勢を適用すれば、どのように神性に導かれるかを示して上げよう。


短い質問に対して、大変長い答えになったね。


そう、あなたがたの価値観が役に立っていると感じる限り、それを持ち続けなさい。


しかし、その価値観が、あなたがたの体験の場で、今までで最高かつ最良のアイデアをもたらしてくれるかどうか、思考、言葉、行動によってよく観察しなさい。


その価値観を1つずつ調べなさい。世間の目という光を当ててみなさい。


もしあなたが、自分とは何者か、何を信じているかを、動揺したり躊躇したりすることなく、世界に伝えることができるなら、あなたは幸せだ。


私とのこの対話を、さらに続ける理由はない。なぜなら、あなたは「自分自身」そして「自分の人生」を創造し得たからだ。それは改善する必要はない。あなたは完璧に達した。本を置いてもいい。


N:私の人生は完璧ではありませんし、完璧に近いこともありません。私は完璧ではないのです。私は実際には、欠陥のかたまりです。私はこれらの欠陥を直そうと、時には心底から、願っています。


N:そして、何が自分にそんな行動をとらせるのか、何が私を破綻させるのか、何が私を邪魔するのかを知りたいと願っています。それが私があなたの元に来た理由だと思います。私は自分で答えを見つけることができませんでした。


あなたが来てくれて私は嬉しい。私はいつも、あなたを助けるためにここにいた。そして今もここにいる。


あなたは、自分で答えを見つける必要はない。今までもなかった。


N:しかし、座って、あなたとこのように対話し、ましてや、神が答えているなどと想像するのは、あまりにも厚かましいように思えます。つまり、気が狂ったようなことを私はしていますよ。


そうか。聖書の著者たちはみんな正気であったのに、あなたは狂っているというのだね。


P48

━━━━━━━━━━━━━━━━

P49


N:聖書の著者たちは、キリストの生涯の証人であり、見聞きしたことを忠実に記録したのです。


訂正するよ。新約聖書の著者のほとんどは、生涯で、イエスに出会ったことも、見たこともなかった。


彼らは、イエスがこの世を去って何年も経ってから、生まれた。通りでナザレのイエスに会っても、彼らには分からなかっただろう。


N:でも...


聖書の著者は、偉大な信者であると同時に、偉大な歴史家だった。


彼らは、他の人々や年長者によって、自分たちや友人たちに伝えられた物語を書き綴った。それらは、年長者から年長者へと、最終的に書面による記録が作られるまで、伝えられたものだ。


そして、著者が記したすべてが、最終的な聖書の文書に含まれているわけではない。


既に「教会」が、イエスの教えの周りに生まれていた。


そして、力強い考えの周りに人々が集まるといつどこでも起こるように、教会や集団の中に、イエスの物語のどの部分を、どのように伝えるべきかを決定した特定の人々がいた。


この選択と編集のプロセスは、福音と聖書の収集、執筆、出版を通して続けられた。


元の聖書が書かれて数世紀経ってからでさえ、高位にある教会協議会は、どの教義と真理を当時の公式聖書に入れるべきかを、再度決めていたのだ。


そして、大衆に明らかにするには、どの教義が「不健全」あるいは「時期尚早」かも決定していた。


そして、他にも聖なる書はある。


そのどれもが、それ以外では普通といえる人々によって、インスピレーションを受けた瞬間に書かれた。その書いた人々は、あなたよりも狂っていたわけではない。


N:この対話の書が、いつか「聖なる書」になると、あなたはおっしゃっているのですか?


わが子よ、人生のすべては聖なるものだ。それから見れば、そう、これらは聖なる書だ。


だが、私はあなたが何を言いたいのかを知っているので、言葉であなたをはぐらかすことはしまい。


いいや、この手書きの文書がいつか聖なる書になるとは、私は言っていない。


少なくとも、数百年の間、あるいは言葉が時代遅れになるまでは、聖なる書になることはない。


分かるかな。問題は、ここで語られる言葉が、あまりにも口語的、会話的で、現代的であることなのだ。


人々は、もし神があなたと直接話し合ったとしても、隣人と話すように語ることはないと思っている。


神格化とまでは言わないにしても、言葉の構造に統一性があるべきだ、ある種の威厳や神聖さがあるべきだと思っている。


前にも言ったように、それが問題の一つなのだ。


人々は、神は1つの形でのみ「現れる」と思っている。


その形と異なるものは、すべて冒涜と見なされる。


N:私が前に言いましたように。


あなたが前に言ったように。


P49

━━━━━━━━━━━━━━━━

P50


しかし、あなたが質問したその心に思いを巡らそう。


なぜあなたは、神との対話ができることは、頭がおかしいと思うのか?


あなたは祈りを信じていないのか?


N:信じていますよ。しかしそれとは違います。私の祈りは、いつでも一方的でした。私は求め、神は沈黙したままでした。


神は祈りに答えたことがないのか?


N:いえ、ありました。けれど言葉で、ではなかった。祈りへのすごい直接の答えだと思えるいろんなことが、私の人生ではありました。しかし、神は決して私に語りかけはしませんでした。


そうか。じゃあ、あなたが信じるこの神は(この神は何でもできるのに)、話すことはできないんだな。


N:もちろん、神が望むなら、話すことはできます。だけど神が私と話したいなんて思うことはありえません。


これは、あなたが人生で体験する、あらゆる問題の根だよ。


自分が神に話しかけられるのにふさわしいと、あなた自身が思っていない。


自分には神に話しかけられる価値があると思わないなら、どうして神の声を聞くのを期待できるのかな?


私はあなたに言う。私は今、奇跡を起こしている。私はあなたにだけでなく、この本を手にしている人、これらの言葉を読んでいる人すべてに話しかけている。


彼らのそれぞれに、私は今話している。それが誰であるかをみんな知っている。


私は今、誰がこれらの言葉に、自分の道を見い出すかも知っている。


そして(私の他のコミュニケーションと同じように)、ある人々は聞いて理解できるが、ある人々は聞くだけで、何も理解できないことも、知っている。


N:ええと、別の話しなんですが。私は、この対話の文を出版しようと今思っています。


そう。それのどこが悪いのかな?


N:自分の利益のためにこれらすべてを作っていると言われませんか?疑われませんか?


あなたが書くのは、たくさんのお金を稼ぐことが動機なのか?


N:いいえ、そういうわけで始めたのではありません。私はこの対話を紙上で始めました。なぜなら、私の心は30年もの間、たくさんの質問に悩まされてきました。質問の答えは満たされず、答えに飢えていました。このすべてを本にしようと、後で思いついたのです。


私がそうしたんだよ。


N:あなたが?


そう。私がこれらのすばらしい質疑応答を、すべて無駄にすると思うのかな、え?


P50

━━━━━━━━━━━━━

P51


N:そうは考えませんでした。当初、私は質問に答えて欲しかっただけなのです。欲求不満や探し求めるのを終わりにしたかっただけなのです。


よろしい。じゃあ、あなたの動機に疑問をはさむのはやめて(あなたはひっきりなしにやっているが)、話しを進めよう。


P51

━━━━━━━━━━━━━


〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

"Conversations with God" Book 1:Chapter 2 :P44-51

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━━━━━━━

《Notice》

The words of Neale on the conversation are expressed by attaching "N:" to the beginning of the sentence.

━━━━━━━━━━━━━━━━

P44


(2)


Chapter 2


N:“Thou wilt show me the path of life: in thy presence is fullness of joy; at thy right hand there are pleasures forevermore.”—Psalm 16:11


N: I’ve searched for the path to God all my life—


I know you have—


N: —and now I’ve found it and I can’t believe it. It feels like I’m sitting here, writing this to myself.


You are.


N: That does not seem like what a communication with God would feel like.


You want bells and whistles? I’ll see what I can arrange.


N: You know, don’t You, that there are those who will call this entire book a blasphemy. Especially if You keep showing up as such a wise guy.


Let Me explain something to you. You have this idea that God shows up in only one

way in life. That’s a very dangerous idea.


It stops you from seeing God all over. If you think God looks only one way or sounds

only one way or is only one way, you’re going to look right past Me night and day.

You’ll spend your whole life looking for God and not finding Her. Because you’re

looking for a Him. I use this as an example.


It has been said that if you don’t see God in the profane and the profound, you’re

missing half the story. That is a great Truth.


God is in the sadness and the laughter, in the bitter and the sweet. There is a divine

purpose behind everything—and therefore a divine presence in everything.


N: I once began writing a book called God is a Salami Sandwich.


That would have been a very good book. I gave you that inspiration. Why did you

not write it?


N: It felt like blasphemy. Or at the very least, horribly irreverent.


You mean wonderfully irreverent! What gave you the idea that God is only

“reverent”? God is the up and the down. The hot and the cold. The left and the right. The reverent and the irreverent!


P44

━━━━━━━━━━━━━━━━

P45


Think you that God cannot laugh? Do you imagine that God does not enjoy a good

joke? Is it your knowing that God is without humor? I tell you, God invented humor.


Must you speak in hushed tones when you speak to Me? Are slang words or tough

language outside My ken? I tell you, you can speak to Me as you would speak with

your best friend.


Do you think there is a word I have not heard? A sight I have not seen? A sound I do

not know?


Is it your thought that I despise some of these, while I love the others? I tell you, I

despise nothing. None of it is repulsive to Me. It is life, and life is the gift; the

unspeakable treasure; the holy of holies.


I am life, for I am the stuff life is. Its every aspect has a divine purpose. Nothing

exists—nothing— without a reason understood and approved by God.


N: How can this be? What of the evil which has been created by man?


You cannot create a thing— not a thought, an object, an event—no experience of

any kind— which is outside of God’s plan. For God’s plan is for you to create

anything—everything—whatever you want. In such freedom lies the experience of

God being God—and this is the experience for which I created You. And life itself.


Evil is that which you call evil. Yet even that I love, for it is only through that which

you call evil that you can know good; only through that which you call the work of the

devil that you can know and do the work of God. I do not love hot more than I love

cold, high more than low, left more than right. It is all relative. It is all part of what is.


I do not love “good” more than I love “bad.” Hitler went to heaven. When you

understand this, you will understand God.


N: But I have been raised to believe that good and bad do exist; that right and wrong are opposed; that some things are not okay, not alright, not acceptable in the sight of God.


Everything is “acceptable” in the sight of God, for how can God not accept that

which is? To reject a thing is to deny that it exists. To say that it is not okay is to say

that it is not a part of Me—and that is impossible.


Yet hold to your beliefs, and stay true to your values, for these are the values of your

parents, of your parents’ parents; of your friends and of your society. They form the

structure of your life, and to lose them would be to unravel the fabric of your

experience. Still, examine them one by one. Review them piece by piece. Do not

dismantle the house, but look at each brick, and replace those which appear broken,

which no longer support the structure.


Your ideas about right and wrong are just that—ideas. They are the thoughts which

form the shape and create the substance of Who You Are. There would be only one

reason to change any of these; only one purpose in making an alteration: if you are

not happy with Who You Are.


Only you can know if you are happy. Only you can say of your life—“This is my

creation (son), in which I am well pleased.”


P45

━━━━━━━━━━━━━━━━

P46


If your values serve you, hold to them. Argue for them. Fight to defend them.


Yet seek to fight in a way which harms no one. Harm is not a necessary ingredient in

healing.


N: You say “hold to your values” at the same time you say our values are all wrong. Help me with this.


I have not said your values are wrong. But neither are they right They are simply

judgments. Assessments. Decisions. For the most part, they are decisions made not

by you, but by someone else. Your parents, perhaps. Your religion. Your teachers,

historians, politicians.


Very few of the value judgments you have incorporated into your truth are judgments

you, yourself, have made based on your own experience. Yet experience is what

you came here for—and out of your experience were you to create yourself. You

have created yourself out of the experience of others.


If there were such a thing as sin, this would be it: to allow yourself to become what

you are because of the experience of others. This is the “sin” you have committed.

All of you. You do not await your own experience, you accept the experience of

others as gospel (literally), and then, when you encounter the actual experience for

the first time, you overlay what you think you already know onto the encounter.


If you did not do this, you might have a wholly different experience—one that might

render your original teacher or source wrong. In most cases, you don’t want to make

your parents, your schools, your religions, your traditions, your holy scriptures wrong

—so you deny your own experience in favor of what you have been told to think.


Nowhere can this be more profoundly illustrated than in your treatment of human

sexuality.


Everyone knows that the sexual experience can be the single most loving, most

exciting, most powerful, most exhilarating, most renewing, most energizing, most

affirming, most intimate, most uniting, most re-creative physical experience of which

humans are capable. Having discovered this experientially, you have chosen to

accept instead the prior judgments, opinions, and ideas about sex promulgated by

others—all of whom have a vested interest in how you think.


These opinions, judgments, and ideas have run directly contradictory to your own

experience, yet because you are loathe to make your teachers wrong, you convince

yourself it must be your experience that is wrong. The result is that you have

betrayed your true truth about this subject—with devastating results.


You have done the same thing with money. Every time in your life that you have had

lots and lots of money, you have felt great. You felt great receiving it, and you felt

great spending it. There was nothing bad about it, nothing evil, nothing inherently

“wrong.” Yet you have so deeply ingrained within you the teachings of others on this subject that you have rejected your experience in favor of “truth.”


Having adopted this “truth” as your own, you have formed thoughts around it—

thoughts which are creative. You have thus created a personal reality around money


P46

━━━━━━━━━━━━━━━━

P47


which pushes it away from you—for why would you seek to attract that which is not

good?


Amazingly, you have created this same contradiction around God. Everything your

heart experiences about God tells you that God is good.


Everything your teachers teach you about God tells you God is bad. Your heart tells

you God is to be loved without fear. Your teachers tell you God is to be feared, for

He is a vengeful God. You are to live in fear of God’s wrath, they say. You are to

tremble in His presence. Your whole life through you are to fear the judgment of the

Lord. For the Lord is “just,” you are told. And God knows, you will be in trouble when you confront the terrible justice of the Lord. You are, therefore, to be “obedient” to God’s commands. Or else.


Above all, you are not to ask such logical questions as, “if God wanted strict

obedience to His Laws, why did He create the possibility of those Laws being

violated?” Ah, your teachers tell you—because God wanted you to have “free

choice.” Yet what kind of choice is free when to choose one thing over the other

brings condemnation? How is “free will” free when it is not your will, but someone

else’s, which must be done? Those who teach you this would make a hypocrite of

God.


You are told that God is forgiveness, and compassion—yet if you do not ask for this

forgiveness in the “right way,” if you do not “come to God” properly, your plea will not be heard, your cry will go unheeded. Even this would not be so bad if there were only one proper way, but there are as many “proper ways” being taught as there are teachers to teach them.


Most of you, therefore, spend the bulk of your adult life searching for the “right” way to worship, to obey, and to serve God. The irony of all this is that I do not want your worship, I do not need your obedience, and it is not necessary for you to serve Me.


These behaviors are the behaviors historically demanded of their subjects by

monarchs—usually ego-maniacal, insecure, tyrannical monarchs at that. They’re not

Godly demands in any sense—and it seems remarkable that the world hasn’t by

now concluded that the demands are counterfeit, having nothing to do with the

needs or desires of Deity.


Deity has no needs. All That Is is exactly that: all that is. It therefore wants, or lacks,

nothing—by definition.


If you choose to believe in a God who somehow needs something—and has such

hurt feelings if He doesn’t get it that He punishes those from whom He expected to

receive it—then you choose to believe in a God much smaller than I. You truly are

Children of a Lesser God.


No, my children, please let Me assure you again, through this writing, that I am

without needs. I require nothing.


This does not mean I am without desires. Desires and needs are not the same thing

(although many of you have made them so in your present lifetime).


P47

━━━━━━━━━━━━━━━━

P48


Desire is the beginning of all creation. It is first thought. It is a grand feeling within

the soul. It is God, choosing what next to create. And what is God’s desire?


I desire first to know and experience Myself, in all My glory—to know Who I Am.

Before I invented you—and all the worlds of the universe—it was impossible for Me

to do so.


Second, I desire that you shall know and experience Who You Really Are, through

the power I have given you to create and experience yourself in whatever way you

choose.


Third, I desire for the whole life process to be an experience of constant joy,

continuous creation, never-ending expansion, and total fulfillment in each moment of

now.


I have established a perfect system whereby these desires may be realized. They

are being realized now—in this very moment. The only difference between you and

Me is that I know this.


In the moment of your total knowing (which moment could come upon you at

anytime), you, too, will feel as I do always: totally joyful, loving, accepting, blessing,

and grateful.


These are the Five Attitudes of God, and before we are through with this dialogue, I

will show you how the application of these attitudes in your life now can—and will—

bring you to Godliness.


All of this is a very long answer to a very short question.


Yes, hold to your values—so long as you experience that they serve you. Yet look to

see whether the values you serve, with your thoughts, words, and actions, bring to

the space of your experience the highest and best idea you ever had about you.


Examine your values one by one. Hold them up to the light of public scrutiny. If you

can tell the world who you are and what you believe without breaking stride or

hesitating, you are happy with yourself. There is no reason to continue much further

in this dialogue with Me, because you have created a Self—and a life for the Self—

which needs no improvement. You have reached perfection. Put the book down.


N: My life is not perfect, nor is it close to being perfect. I am not perfect. I am, in fact, a bundle of imperfections. I wish— sometimes I wish with all my heart—that I could correct these imperfections; that I knew what causes my behaviors, what sets up my downfalls, what keeps getting in my way. That’s why I’ve come to You, I guess. I haven’t been able to find the answers on my own.


I am glad you came. I have always been here to help you. I am here now. You don’t

have to find the answers on your own. You never had to.


N: Yet it seems so… presumptuous… to simply sit down and dialogue with You this way—much less to imagine that You —God—are responding—I mean, this is crazy.


I see. The authors of the Bible were all sane, but you are crazy.


P48

━━━━━━━━━━━━━━━━

P49


N: The Bible writers were witnesses to the life of Christ, and faithfully recorded what they heard and saw.


Correction. Most of the New Testament writers never met or saw Jesus in their lives.

They lived many years after Jesus left the Earth. They wouldn’t have known Jesus

of Nazareth if they walked into him on the street.


N: But…


The Bible writers were great believers and great historians. They took the stories

which had been passed down to them and to their friends by others—elders—from

elder to elder, until finally a written record was made.


And not everything of the Bible authors was included in the final document.


Already “churches” had sprung up around the teachings of Jesus—and, as happens

whenever and wherever people gather in groups around a powerful idea, there were

certain individuals within these churches, or enclaves, who determined what parts of

the Jesus Story were going to be told—and how. This process of selecting and

editing continued throughout the gathering, writing, and publishing of the gospels,

and the Bible.


Even several centuries after the original scriptures were committed to writing, a High

Council of the Church determined yet one more time which doctrines and truths

were to be included in the then-official Bible—and which would be “unhealthy” or

“premature” to reveal to the masses.


And there have been other holy scriptures as well—each placed in writing in

moments of inspiration by otherwise ordinary men, none of whom were any more

crazy than you.


N: Are you suggesting—you’re not suggesting, are you—that these writings might one day become “holy scriptures”?


My child, everything in life is holy. By that measure, yes, these are holy writings. But

I will not quibble with you over words, because I know what you mean.


No, I do not suggest that this manuscript will one day become holy scripture. At

least, not for several hundred years, or until the language becomes outmoded.


You see, the problem is that the language here is too colloquial, too conversational,

too contemporary. People assume that if God were to talk directly with you, God

would not sound like the fella next door. There should be some unifying, if not to say

deifying, structure to the language. Some dignity. Some sense of Godliness.


As I said earlier, that’s part of the problem. People have a sense of God as “showing

up” in only one form. Anything which violates that form is seen as blasphemy.


N: As I said earlier.


As you said earlier.


P49

━━━━━━━━━━━━━━━━

P50


But let’s drive to the heart of your question. Why do you think it’s crazy for you to be able to have a dialogue with God? Do you not believe in prayer?


N: Yes, but that’s different. Prayer for me has always been oneway. I ask, and God remains immutable.


God has never answered a prayer?


N: Oh yes, but never verbally, you see. Oh, I’ve had all kinds of things happen in my life that I was convinced were an answer—a very direct answer—to prayer. But God has never spoken to me. I see. So this God in which you believe—this God can do anything—It just cannot speak.


N: Of course God can speak, if God wants to. It just doesn’t seem probable that God would want to speak to me.


This is the root of every problem you experience in your life—for you do not consider

yourself worthy enough to be spoken to by God. Good heavens, how can you ever

expect to hear My voice if you don’t imagine yourself to be deserving enough to

even be spoken to?


I tell you this: I am performing a miracle right now. For not only am I speaking to you,

but to every person who has picked up this book and is reading these words.


To each of them am I now speaking. I know who every one of them is. I know now

who will find their way to these words—and I know that (just as with all My other

communications) some will be able to hear—and some will be able to only listen, but

will hear nothing.


N: Well, that brings up another thing. I am already thinking of publishing this material even now, as it’s being written.


Yes. What’s “wrong” with that?


N: Can’t it be argued that I am creating this whole thing for profit? Doesn’t that render the whole thing suspect?


Is it your motive to write something so that you can make a lot of money?


N: No. That’s not why I started this. I began this dialogue on paper because my mind has been plagued with questions for 30 years—questions I’ve been hungry—starving to have answered. The idea that I would have all this made into a book came later.


From Me.


N: From You?


Yes. You don’t think I was going to let you waste all these marvelous questions and

answers, do you?


P50

━━━━━━━━━━━━━━━━

P51


N: I hadn’t thought about that. At the outset, I just wanted the questions answered; the frustration to end; the search to be over.


Good. So stop questioning your motives (you do it incessantly) and let’s get on with

it.


P51

━━━━━━━━━━━━━━━━


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る