第4話 "Conversations with God" Book 1:1章-3:P27-36

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┌《注記》

・対話上の「ニールの言葉」には、文頭に「N:」を付けました。

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P27


自分の外側よりむしろ内側に尋ねなさい。


「この災害に直面して、今、自分のどの部分を体験したいのか、どう自分はありたいのか」と、尋ねなさい。


なぜなら、あなたがたの人生のすべては、自分自身を創造する道具として存在し、出来事のすべてが、「自分とは何者か」を決定する機会としてのみ存在するからだ。


これはすべての魂にとっての真実であり、宇宙には犠牲者はなく、創造者だけがいることが分かる。


地球上に出現したマスター(師*筆者注)たちは、すべてこれを知っていた。


だから、あなたの知るマスターの誰もが、自分は犠牲者だと考えた者はいなかった。

しかし、多くのマスターたちは、実際には十字架につけられた。


それぞれの魂はマスターだ。だが、その起源や遺産を思い出せないものもいる。


しかし、それぞれの魂は、今という瞬間に、自分の最高の目的のために、そして最もすばやく思い出すために、状況と環境を創り出す。


だから、カルマ(因果*筆者注)の道を歩む他人の善悪を判断していけない。


他人の成功をうらやまず、失敗を憐れむな。なぜなら、魂の清算の時には、何が成功で何が失敗かは、あなたがたには分からないからだ。


それをどう利用するかをあなたがたが決めるか実証するまで、物事を災いとか、喜ばしい出来事とか言ってはいけない。


1人の死が何千人もの生命を救うとしたら、それは災いだろうか?


悲しみ以外何も起こらないなら、人生は楽しい事だろうか?


だが、これさえもあなたがたは判断すべきではなく、常に自分だけの考えにとどめ、他の人々にもそうさせなさい。


これは、助けを求める声や、ある環境や条件を変えようとする自分の魂の願いを、無視するということではない。


それは、何をするにせよ、ラベルを張ったり判断したりすることは、避けなさいという意味だ。


それぞれの環境は贈り物であり、それぞれの経験には宝が隠されているのだから。


かつて、自分が光であることを知っていた魂があった。

これは新しい魂なので、体験することを切望した。


「私は光だ」魂は言った。「 私は光だ」


だが、そのことを知ってもいたし語ってもいたが、それだけでは体験に代わるものではなかった。


この魂が現れた領域には、光以外、何もなかった。


すべての魂は偉大でり、崇高であり、そしてすべての魂は、神の素晴らしい光に満たされ輝いていた。


だから、問題のその小さな魂は、太陽の中のロウソクのようだった。


最も偉大な光の真っ只中にあって、その一部であった魂は、自分を見ることも、「本当の自分とは何者か」も体験できなかった。


さて、この魂は、自分自身を知りたいと、強く強く希望した。


その希望があまりに強いので、私はある日、尋ねた。


「小さき者よ、あなたの希望を満足させるには何をしなければならないか知っているか?」


「わあ、何でしょう、神さま?何でしょう?私は何でもやります! 」小さな魂は言った。


「あなたは私たちから離れなければならない」と私は答えた。


「そしてあなたは、自分自身に闇を求めなければならない」


「闇とは何ですか?神さま」小さな魂は尋ねた。


「あなたでないものだ」私はそう答えて、その魂は理解した。


こうしてこの魂は、それを実行した。すべてから離れて、他の領域に行ったのだ。


この領域では、魂はあらゆる闇を体験する力を持っていた。そしてそれを行なったのだ。


P27

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P28


しかし、すべての闇の真っ只中で、「父よ、どうしてあなたは私を見捨てたのですか」と魂は叫んだ。あなたがたが最も暗い時にいるように。


しかし、私は決してあなたを見捨てたことはなく、いつもあなたのそばにいて、「本当の自分とは何者か」をあなたに思い出させる、つまりわが家に呼び戻す、準備をしている。


それゆえ、闇の中の光になりなさい。闇を呪ってはいけない。


あなたでないものに囲まれているさなかにも、「自分とは何者か」を忘れないようにしなさい。


しかし、あなたが変えようと思っているときでも、その創造物を称賛しなさい。


最大の試練の時にすることが、あなたの最大の勝利になることを知りなさい。


あなたが創造する体験は、「自分とは何者」で、「何者になりたいか」の表明だからだ。


私は、小さな魂と太陽の寓話をあなたに話した。


なぜ世界がこうなったのかを理解し、誰もが、最も崇高な現実の聖なる真実を思い出した瞬間に、いかに世界が変わることができるかを、もっとよく理解させるためだ。


さて、人生は学校であり、人生で観察し体験することは、あなたの学びのためだと言う人がいる。


私はこれまでに語ってきた。あなたにもう一度話そう。あなたは学ぶためにこの人生に入ったのではない。


すでに知っていることを体験、実証するためだけなのだ。


それを実証する際に、あなたはその知識を活用し、自分の体験を通して自分自身を新たに創造する。


こうして、あなたは人生を正当なものとみなし、人生に目的を与える。あなたはそれを聖なるものにする。


N:あなたは、私たちに起こる悪い事は、すべて私たちが選んだものだとおっしゃるのですか?


N:世界の災難や天災でさえ、あるレベルでは、私たちが「自分とは何者か」の反対の面を体験できるように、自分たちが創っているということですか?


N:もしそうなら、私たちが自分自身を体験する機会を創り出すために、自分や他の人たちにとって、もっと苦痛の少ない方法はないのでしょうか?


あなたはいくつもの質問をしたが、すべて良い質問だ。1つずつ取り上げてみよう。


いや。あなたに起こる悪いことすべてが( 悪とはあなたがたがそう呼んでいることだが)、あなたがたが選んだものだということではない。


それはあなたがたが自覚して選んだ、というのではないという意味だ。それらはすべて、あなたがたの創造物なのだ。


あなたがたはいつも、創造のプロセスの中にいる。つねに。毎分。毎日。


どのように創造するかということは、後にしよう。


今のところは、私の言葉をそのまま受け取っておきなさい。


あなたがたは大きな創造する機械だ。考えるのと同じ速さで、まさに新しいものを創り出している。


出来事、事件、ハプニング、状況、環境は、すべて意識から創り出される。


個人の意識はすこぶる強力なのだ。


神の名において二人以上の人々が集まるとき、どれほどの創造的なエネルギが放出されるか、想像できるだろう。そして集団意識ならどうか?


集団意識は非常に強力なので、世界的、地球的な結果をもたらす出来事や環境を創り出すことができるのだ。


P28

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P29


あなたがたの意味することからすれば、これらの結果をあなたがたが選択しているというのは、正確ではないだろう。


私はそれらを選んでいないし、あなたがたも選んでいるわけではない。


私のようにあなたがたも、それらを観察している。そして、それとの関係で「自分とは何者か」を決めている。


世界には犠牲者も、悪人もいない。


そして、あなたがたは、他の人々の選択の犠牲者でもない。


あるレベルでは、あなたがたは、自分が嫌だと言うことを、すべて創り出した。それを創造したということは、それを選択したということだ。


これは高度な思考のレベルであり、すべてのマスターが早かれ遅かれ、そのレベルに到達する。


なぜなら、すべてのものに対する責任を受け入れた時にだけ、力によってその一部を変えることができるからだ。


あなたが、それは、何か、あるいは誰かがしていると思っている限り、それに対処する力を失う。


「自分がこれをした」と言うときにだけ、それを変える力が出るのだ。


他の人のすることを変えるよりも、自分のやっていることを変える方が、はるかに簡単だ。


何かを変える最初のステップは、自分がそれを選択したことを知り、認めることだ。

これを個人的なレベルで受け入れられない場合は、「私たちは一体だ」ということを理解して、自分が選択したことを認めることだ。


それから、物事が間違っているからではなく、もはや「自分とは何者か」を正しく表せないということから、変えるように努めなさい。


何かを行う理由は一つしかない。宇宙に向って、「自分とは何者か」を表明することだ。


こうすると、人生は自己を創造するようになる。


あなたがたは人生を利用して、「自分とは何者」で、どうありたいかを願ってきたように、自分を創り上げる。


また、何もしない理由は一つしかない。もはやその行為が、どうありたいかというあなたの表明とならない時だけだ。それはあなたを反映していない。(つまり、re-present ーあなたをふたたび存在させない...)


もし、自分を正しく反映したいのなら、永遠の中に映し出したいと思う自分像に合わないものを、人生の中で変えようと努力しなければならない。


最も大きな意味では、起こるすべての「悪い」事は、あなたがたの選択によるものだ。


間違いは、それらを選ぶことではなく、それらを「悪」と呼ぶことにある。

それらを「悪」と呼べば、自分自身を悪と呼んでいることになる。あなたがそれらを創造したのだから。


このラベルをあなたは受け入れられない。だから、あなた自身に「悪」というラベルを貼るよりも、自分がそれを創造したことを認めないようにする。


この知的で霊的な不誠実さによって、あなたがたは今あるような世界を受け入れている。


あなたがたが、世界に対する個人的責任を認めるか、あるいはそれを深く感じていたなら、世界は今とは、はるかに違う場所になっていただろう。


誰もが責任を感じていたなら、世界が変わっていたことは、確かな真実だろう。これは非常にはっきりしたことだが、非常に苦痛なことでもあるし、皮肉なことでもある。


世界の自然災害や災難-竜巻やハリケーン、火山や洪水-その物理的混乱-は、あなたがたが特別に創り出したものではない。


あなたがたが創り出したものは、その出来事が人生に与える影響の大きさの程度だ。


出来事は宇宙の中で起こるが、どう考えても、あなたがたが引き起こした、創造したと言うことができないものもある。


P29

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P30


これらの出来事は、人間の意識の集合によって創られる。すべての世界が、共同して、これらの経験を生み出しているのだ。


あなたがた各々がしていることは、何事であっても、個々の出来事を通して行動し、自分にとって、それらが何を意味しているかを決め、それらとの関係性の中で、「自分とは何者か」を決めることだ。


こうして、進化という魂の目的のために、あなたがたは、自分の経験している人生や時を、集団としても個人としても、創造している。


あなたは、このプロセスを経験するのに、もっと苦痛のない方法がないかを尋ねた。答えはイエスだ。しかし、あなたの表面上の経験は何も変わらないだろう。


あなたが地上の経験や出来事(あなたと他の人々の両方のだが)に関する痛みを軽減する方法は、見方を変えることだ。


あなたがたは、外的な出来事を変えることはできない。(その出来事は、たくさんの人によって創造されたもので、集団的に創造されたものを個人的に変更できるほど、あなたがたは十分に意識の成長はしていないからだ)。


これは生きる上での熟達への道である。


それ自体に苦痛はない。苦痛は間違った思考の結果だ。考え方の誤りだ。


マスターは、最もつらい苦痛を消すことができる。このようにして、マスターは癒しをする。


苦痛は、物事についてあなたが下した、判断からくるものだ。判断を除くと痛みは消える。


判断はしばしば、前にした経験に基づいている。あることについての考えは、それ以前の考えに由来する。


前の考えは、もっと前の考えから生まれ、その考えはさらに前の考えから、というように、積み上げられたブロックのように続く。そしてさらに、鏡の広間の中で、ずっと昔にさかのぼって、私が「最初の考え」と呼ぶものへ到達するまで続く。


すべての思考は創造的であり、最初の思考ほど強力な思考はない。


これが、最初の思考がしばしば「原罪」と呼ばれる理由だ。


原罪とは、物事についての最初の考えが間違っていることをいう。


物事についての考えが、二番目、三番となるにつれ、その間違いは、何重にも重なっていく。


あなたに新しい理解をもたらすのは、聖霊の仕事だ。それは間違いからあなたを解放することができる。


N:アフリカの飢えた子どもたち、アメリカの暴力や不公平、ブラジルで起きた数百人の命を奪う地震に対して、私が「悪」と感じるべきではないと、あなたはおっしゃるのですか?


神の世界には、「すべき」「すべきでない」ということはない。


したいようにすればいい。


自分を表現していることをしなさい。自己の壮大なバージョンで自分を表現することをしなさい。


悪と感じたいなら、悪と感じなさい。


しかし、それを裁いたり、非難してはいけない。物事がなぜ、何の目的で起こるのかを、あなたがたは知らないからだ。


覚えておきなさい。あなたが非難する事柄で、あなたは非難される。あなたが裁く量り(はかり)でいつか裁かれる。


それより、「本当の自分」という最も崇高な思いを、もはや反映していない事柄を変えようとしなさい。あるいは変えようとしている人々を支えなさい。


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P31


それでも、すべてを祝福しなさい。


すべてのものは、人生を通じての神の創造であり、それは最高の創造物だから。


N:ここでちょっと止めてもいいでしょうか?一息つかせてください。


N:神の世界に「すべき」や「すべきでない」ということはないと、あなたはおっしゃいましたが?


そうだよ。


N:どうしてそうなのですか?あなたの世界にないなら、どこにあるのですか?

いったいどこに...? 繰り返します。あなたの世界にないなら、「すべき」や「すべきでない」は、どこにあるのですか?


あなたの想像の中に。


N:しかし、私に正邪や良い悪い、すべきことすべきでないことについて教えてくれた人々は、すべてのルールは、あなたつまり神によって定められたと言いました。


それなら、教えた人が間違っているのだ。


私は、「正邪」、「良い悪い」を決して決めてはいない。


そんなことをしたら、あなたがたへの最大の贈り物を台なしにしてしまうだろう。


その贈物とは、あなたがたがしたいようにして、その結果を体験する機会だ。あなたがたが、「本当の自分とは何者か」というイメージの中で、自分自身を新たに創り出すチャンスだ。あなたがたの壮大な考えに基づいた、より高いあなたがたの現実を生み出す空間だ。


それらの贈り物を奪うことになる。


あることが-それは思考、言葉、行為だが-「間違っている」と言うことは、あなたがたにそれをしないように、と言うのと同じことだ。


それをしないように、と言うことは、禁止することだ。


禁止するということは、あなたがたを制限することだ。制限するということは、「本当の自分」を表現する現実を否定することだ。


そして、その真実を創造し、体験する機会をも否定することだ。


神はあなたがたに自由意志を与えた、と言っている人がいる。だが、その同じ人が、従わなければ、神はあなたがたを地獄に送るとも言っている。


そんな自由意志って、どんな自由意志だろうね?


神をばかにしてはいないかな? ましてや、神と人間との真の関係については、言うまでもない。


N:さて私たちは、私が議論したいと思っていた別のテーマに入りつつあります。それは天国と地獄に関することです。私がこの対話で知ったことからすると、地獄のようなものはないということでしょうか。


地獄はあるが、あなたがたの考えるようなものではない。あなたがたが教えられてきた理由で、地獄を経験するのではない。


N:地獄って何なのですか?


あなたがたの選択や決定、そして創造の、最悪の結果を体験することだ。


それは、神を否定する考え、そして神との関係で、「自分自身」を否定する考えの自然な結果だ。


あなたがたが間違った考えによって苦しんでいる、その苦痛が地獄なのだ。


しかし、「間違った考え」という言葉でさえ、誤った言い方だ。なぜなら、「間違ったこと」などはないからだ。


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地獄は喜びの反対だ。地獄は満足感がないことだ。


地獄は、「自分とは何者か」を知ってはいるが、それを体験できないことだ。


自分が本当の自分より小さく在ること、それが地獄であり、あなたの魂にとってそれ以上大きな苦痛はない。


だが、あなたがたが想像した、永遠の火の中で焼け死ぬとか、あるいは永遠の苦しみの中に置かれるというような場所としての地獄は存在しない。


私が何の目的で、そんなものを創るというのか?


たとえ私が、あなたがたは天国に値しないという、途方もない考えを抱いたとしても、あなたがたの失敗に対して何か復讐や罰を求める必要があるだろうか?


私があなたがたをただ見捨てるだけで、簡単にすむことではないか?


私のどんな復讐心が、筆舌つくしがたい永遠の苦しみをあなたがたが受けることを、要求するだろうか?


あなたがたが、それは正義のために必要だと答えるなら、天国で私とひとつになることを単純に否定するだけで、その正義の目的はかなうのではないだろうか?


際限のない苦痛を与えることなど必要なのか?


恐怖に基づくあなたがたの神学で構築されたような、死後の経験はないと、私は言う。


しかし、とても不幸で、不完全で、全的ではない、神の偉大な喜びから離れた、魂の経験はある。あなたがたの魂にとってはこれは地獄だろう。


しかし、私があなたがたを地獄に送ることはないし、地獄の経験をさせることもないと言っている。


自分自身を、自分の最高の考えから分離するときはいつでも、あなたがたは自分自身で地獄の経験を創り出す。


自分自身を否定するたびに、そして「本当の自分」を拒否するときにはいつでも、自分自身で地獄の経験を生み出す。


しかし、この経験でさえも決して永遠ではない。それは不可能だ。なぜなら、あなたがたが永遠に私から離れなければならないというのは、私の計画にはないからだ。


実際、そんなことは不可能だ。なぜなら、そのような事を実行するには、あなたがたが、「自分自身」を否定する必要があるだけでなく、私もそうしなければならないからだ。


私はそんなことは決してしない。


我々のうちのどちらかが、あなたがたについての真実を保っている限り、真実が最終的に打ち勝つだろう。


N:しかし、地獄がなければ、私がしたいようにでき、望むように行動できる。罰を恐れることなくどんな行動も起こすことができるのではないでしょうか?


あなたがたは、本質的に正しく生き、正しいことを行うためには、恐れが必要なのか?


あなたがたは、脅されなければ、「善良である」ことができないのか?


そして、「善良である」とはどんなことなのか?


誰が、それについて、最終的な決定権を持っているのか?誰がガイドラインを設定するのか?誰がルールを作るのか?


私はあなたがたに言う。あなたがた自身が、自分のルールを作るのだ。ガイドラインを設定するのだ。


そして自分が、どれくらいうまく、今やっているかを決めるのは、あなたがただ。なぜなら、「本当の自分とは何者」で、何者でありたいかを決めるのは、あなたがただからだ。


そして、自分がどれほどうまくやっているかを評価できるのは、あなたがただけだ。


誰もあなたがたを裁かないだろう。


なぜ、どのように、神は自分の創造物を裁き、それを悪と呼ぶのだろうか。


もし私が、あなたがたが完璧で在り、完璧に行動するよう欲したなら、あなたがたを完璧な状態に創造しただろう。


このプロセスの肝心なことは、あなたがたが、「本当の自分」を、そして本当にそうありたい自分を発見し、創造することなのだ。


しかし、他の者になる選択肢もなければ、あなたがたは本当の自分になることはできないのだ。


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P33


私自らが与えた選択肢をあなたがたが選らんだために、あなたがたを罰するだろうか?


あなたがたに、第二の選択肢を選らんでもらいたくないのなら、なぜ私は最初のもの以外の選択肢を創ったのだろうか?


これは、非難する神の役割を私に割り当てる前に、あなたがたが自分自身に尋ねなければならない質問だ。


あなたの質問への直接的な答えは、イエスだ。


あなたは、報復を恐れることなく、望むようにすることができる。


しかし恐れは、結末を自覚させてくれるかもしれない。


結末は結果だ。自然に起こる結果だ。これらは、報復や罰とは全く違う。


結果は単なる結果に過ぎない。自然法則が自然に適用されて、出された結果だ。


起きたことの結果として、予想した通りに起きるものだ。


すべての物質的な生命は、自然の法則に従って機能する。


これらの法則を思い出し適用すれば、物質的なレベルで生命を支配することができる。


あなたがたへの罰と思われるもの、あなたがたが悪とか不運とか呼ぶものは、自然の法則以外の何ものでもない。


N:じゃあ、もし私がこれらの法則を知り、従うなら、私は二度とトラブルことがなくなるのですか?あなたはそうおっしゃっているのですか?


あなたが「トラブル」と呼んでいるものとしては、自分自身を経験することは決してないだろう。


あなたは、どんな人生の状況も、問題と考えることはないだろう。恐れおののく環境に出会うことはないだろう。すべての心配、疑い、そして恐怖に、終止符を打つだろう。


あなたは、空想上のアダムとイブが生きたように、生きるだろう。つまり、絶対的な領域での身体から離れた霊としてではなく、相対的な領域での肉体化した霊として、生きるだろう。


しかし、あなたはすべての自由、喜び、平和と知恵、そしてあなたである霊の理解と力を持つだろう。


あなたは完全に自分を体現した存在になるだろう。


これがあなたの魂の目標なのだ。


身体に宿っている間に、自分自身を十分に実現すること、本当の自分のすべてを具現化すること、それが魂の目的である。


これがあなたがたのための私の計画だ。


これは私の理想だ。私はあなたがたを通して自分を実現しなければならない。


こうして、概念は体験に変わり、私は自分自身を体験的に知る。


宇宙の法則は私が定めた法則だ。


それらは完璧な法則であり、物質の完璧な機能を創り出す。


あなたは雪の結晶よりも完璧なものを見たことがあるか?


その精緻さや、デザイン、対称性、結晶としての一致性、かつ独創性-すべては神秘なのだ。


あなたは、自然の素晴らしい光景の奇跡に驚嘆する。


しかし、私が一つの雪の結晶でこんなことを行えるなら、宇宙ではどんなことができて、今までやってきたと思うのか?


あなたがたが、最大の物体から最小の素粒子に至るまで、その対称性、デザイン性の完璧さを見ていたとしても、現実では、その真実を理解できないだろう。


今、それが垣間見えていても、あなたがたは、その意味を想像したり理解することはまだできない。


しかし、あなたがたが、今、理解できることより、はるかに複雑で驚異的な意味があることを、あなたがたは知ることができる。


シェイクスピアは素晴らしいことを言った。「ホレ-ショウよ、天と地には、あなたの哲学で夢見ているものより、もっと多くのものがある」


P33

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P34


N:では、どうすればこれらの法則を知ることができるのですか?どうすれば学ぶことができるのですか?


学ぶのではなく、思い出すのだ。


N:どうすれば思い出すことができますか?


静かにしていることから始めよう。


外の世界を静かにすれば、内なる世界が見えてくる。


この内なる目はあなたが求めるものだが、外側の現実に埋没している間は、得ることはできない。


それゆえ、できるだけ多く、内に入るようにしなさい。


内に入って行けない時は、内から出て、外の世界と取り組みなさい。


この格言を覚えておきなさい。


あなたは内に入っていかなければ、何もなしに出ていくことになる。


自分のものにするために、一人称でそれを繰り返しなさい。「私は、内に入っていかなければ、何もなしに出ていくことになる」


あなたは全人生を何もなしで過ごしてきた。


だが、今はそうである必要はないし、今までも必要なかったのだ。


あなたでなくなることはできないし、あなたができないことは何もない。あなたが持てないものも何もない。


N:それは絵に描いた餅のような約束に聞こえますが。


神は他にどんな約束をすると思うのか?私がすばらしくない約束をしたら、私を信じるのか?


何千年もの間、人々は、本当にしては良すぎるという途方もない理由から、神の約束を信じて来なかった。


だから、あなたがたは、より小さな約束、つまりより小さな愛を選んだのだ。


神の最高の約束は、最高の愛から始まる。


しかしあなたがたは、完璧な愛を想像することができない。だから、完璧な約束も想像できない。完璧な人間もだ。


それゆえあなたがたは、自分自身でさえも信じることができない。


これらを信じられないということは、神を信じられないということだ。


神を信じることは、神の最大の賜物、つまり無条件の愛や神の最大の約束である無限の可能性を信じることだ。


N:ここで口をはさんでもよろしいですか?


N:あなたが気持ち良くお話しされている最中に、邪魔したくはありませんが、私は前に、この無限の可能性の話しを聞いたことがあります。それは人間の実際の経験とは合わないんですが。


N:平均的な人々が遭遇する困難さはおいておいて、精神的あるいは肉体的な限界をもって生まれた人の挑戦はどうなんでしょう?彼らの可能性は無限でしょうか?


あなたがたは聖書の中に、いろいろな方法で、多くの所に、そう書いている。


N:例を1つ上げてください。


聖書の創世記第11章第6節を見てごらん。


P34

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P35


「主は言われた、『民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう』」とそこには書いてある。


そう。さて、あなたはそれを信じられるかな?


N:それは、弱者、虚弱な人々、障害者、制限のある人たちの問題に答えるものではありません。


あなたは、彼らが選んでもいないのに、制限されていると思うのか?


人間の魂は、どんなものであれ、人生の挑戦に偶然に出会っていると思うのか?そうあなたは思うのか?


N:魂は、どんな人生を体験するかを、前もって選んでいるとおっしゃるのですか?


ちがう。それでは出会いの目的がそこなわれてしまう。


出会いの目的は、あなたの体験を生み出すことだ。それによって、今という栄光の瞬間に、あなた自身を創造することだ。


したがって、あなたは、事前に、経験する人生を選ぶことはない。


しかし、あなたの経験を生み出すための人物、場所、出来事、つまり条件や環境、挑戦や障害、機会や選択肢は選ぶことはできる。


パレットの色、収納箱の道具、お店の機械を、あなたは選択することができる。


これらを使って創るのは、あなたの仕事だ。人生の仕事だ。


あなたの選んだすべてにおいて、可能性は無限なのだ。


あなたが制限されていると言う身体に宿った魂は、十分な可能性は持っていないと思い込まないことだ。


あなたには魂が何をしようとしているのか、分からないからだ。


あなたは魂の課題を理解していない。


あなたは魂の意図について、はっきりとは知らない。


だから、すべての人と条件を祝福し、感謝しなさい。


こうして、あなたは神の創造物の完璧性を認め、それを信頼する。


神の世界では、偶然に起こることは何もない。偶然の一致というようなものもない。


世界は、あなたがたが運命と呼ぶ、無原則な選択に、巻き込まれたりはしない。


雪の結晶が、デザインにおいて全く完璧なものなら、あなたの人生の素晴らしさについても、同じことが言えると思わないか?


N:しかし、イエスでさえ病人を癒しました。病人の状態が「完璧」だったのなら、なぜイエスは癒したのでしょうか?


イエスは、病人の状態が不完全であると見て、癒したのではない。


病人の魂が、そのプロセスの一部として癒しを求めているのを見たから、癒したのだ。


イエスはプロセスの完璧さを見た。彼は魂の意図を認識し理解していた。


イエスが、精神的肉体的病気すべてが不完璧性を表していると感じたのなら、地上の全ての人々を一気に癒したはずではないか?彼にそれができなかったとでも思うのか?


N:いいえ、できたと思います。


よろしい。では、なぜイエスはそれをしなかったのか?


どうしてキリストは、ある者は苦しみを受けさせ、他の者は癒されるのを、選んだのだろうか?


さらに言えば、なぜ神はいつも人々の苦しみを放っておくのか?


この質問は前にも尋ねられたが、答えは変わらない。


P35

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P36


完璧さはプロセスにあり、すべての人生は選択から生まれるものだ。


選択に干渉したり、疑問を呈するのは、適切なことではない。


非難するのはもっと不適切なことだ。


適切なことは、それを見守り、そして、より高い選択を求め実践しようとしている魂を支援するために、何でも行うことだ。


それゆえに、他の人々の選択に注意深くありなさい。しかし批判してはいけない。


彼らの選択は、今のこの瞬間には、彼らにとって完璧であることを知りなさい。


だが、彼らがより新しい選択、別の選択、より高い選択を求める時が来たなら、助けてやれるようにしていなさい。


他の人々の魂と一つになりなさい。そうすれば、それらの目的や意図が、あなたにはっきりと分かるだろう。


一つになること、これが、イエスが癒した人々や、イエスによって人生に影響を与えられた人々全てが、行なったことだ。


イエスは、自分のところにやって来たすべての人々を癒し、救いを求めて、他の者を送って来た人々すべてを癒した。


彼は無秩序に癒しをしたのではない。


無秩序に癒すことは、それぞれの魂はそれぞれの道を歩むことができるという、宇宙の聖なる法則に反していたはずだ。


N:それは、頼まれなければ助けてはならないということですか?絶対に違うでしょう。でなければ、私たちは、インドの飢えた子供たちや、アフリカの拷問された大衆、あらゆるところにいる貧しい人々、しいたげられた人々を助けられなくなります。すべての人道的努力が失われ、すべての慈善活動が禁止されてしまいます。必死の思いで、個人が私たちに叫ぶのを、あるいは国民が助けを嘆願するのを、待たなければならないのですか?それまで、私たちが、明らかに正しいことをすることさえ、許されないのですか?


分かるだろう。質問自体がそれに答えている。


物事が明らかに正しければ、そうしなさい。


しかし、あなたがたは、「正しい」「間違っている」と呼ぶものについて、極端な判断を下していることを覚えておきなさい。


物事は、あなたがたがそう言うから、正しかったり、間違っていたりするだけなのだ。物事は、本来的には、正しかったり、間違っていたりはしない。


N:ないんですか?


「正しい」あるいは「間違っている」は、本来的な状態ではなく、個人的な価値観で、あなたがたが下した主観的な判断なのだ。


主観的な価値判断によって、あなたがたは自分自身を創造する。個人的な価値観によって、「自分とは何者か」を決定し、実証する。


あなたがたがこれらの判断ができるように、世界はまさに存在している。


もし世界が完璧な状態で存在していれば、あなたがたの自己創造のプロセスである人生は終了となるだろう。終わるだろう。


明日、訴訟がなくなれば、弁護士の仕事は終わるだろう。


明日、病気がなくなれば、医師の仕事は終わるだろう。


明日、疑問がなくなれば、哲学者の仕事は終わるだろう。


N:そして、明日、トラブルがなくなれば、神の仕事は終わるのですね!


そのとおり。あなたは完全に理解した。


何も創造するものがなくなれば、われわれ全ては創造を終えるだろう。


われわれ全ては、ゲームが続くことを期待している。


すべての問題を解決したいと言っていても、われわれはあえて問題のすべては解決しない。さもないと、やるべきことが何も残らないだろう。


あなたがたの産業と軍隊双方は、これを非常によく理解している。


これが、戦争のない政府を設立しようとする試みを、どこででも強く反対する理由なのだ。


P36

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"Conversations with God" Book 1:Chapter 1-3:P27-36


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《Notice》


The words of Neale on the conversation are expressed by attaching "N:" to the beginning of the sentence.


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P27


Inquire within, rather than without, asking: “What part of my Self do I wish to experience now in the face of this calamity? What aspect of being do I choose to call forth?” For all of life exists as a tool of your own creation, and all of its events merely present themselves as opportunities for you to decide, and be, Who You Are.


This is true for every soul, and so you see there are no victims in the universe, only creators. The Masters who have walked this planet all knew this. That is why, no matter which Master you might name, none imagined themselves to be victimized—though many were truly crucified.


Each soul is a Master—though some do not remember their origins or their

heritages. Yet each creates the situation and the circumstance for its own highest purpose and its own quickest remembering—in each moment called now.


Judge not, then, the karmic path walked by another. Envy not success, nor pity failure, for you know not what is success or failure in the soul’s reckoning. Call not a thing calamity, nor joyous event, until you decide, or witness, how it is used. For is a death a calamity if it saves the lives of thousands? And is a life a joyous event if it has caused nothing but grief? Yet even this you should not judge, but keep always your own counsel, and allow others theirs.


This does not mean ignore a call for help, nor the urging of your own soul to work toward the change of some circumstance or condition. It does mean avoiding labels and judgment while you do whatever you do. For each circumstance is a gift, and in each experience is hidden a treasure.


There once was a soul who knew itself to be the light. This was a new soul, and so, anxious for experience. “I am the light,” it said. “I am the light.” Yet all the knowing of it and all the saying of it could not substitute for the experience of it. And in the realm from which this soul emerged, there was nothing but the light. Every soul was grand, every soul was magnificent, and every soul shone with the brilliance of My awesome light. And so the little soul in question was as a candle in the sun. In the midst of the grandest light —of which it was a part—it could not see itself, nor experience itself as Who and What it Really Is.


Now it came to pass that this soul yearned and yearned to know itself. And so great was its yearning that I one day said, “Do you know, Little One, what you must do to satisfy this yearning of yours?”


“Oh, what, God? What? I’ll do anything!” The little soul said.


“You must separate yourself from the rest, of us,” I answered, “and then you must call upon yourself the darkness.’


“What is the darkness, o Holy One?” the little soul asked.


“That which you are not,” I replied, and the soul understood.


And so this the soul did, removing itself from the All, yea, going even unto another realm. And in this realm the soul had the power to call into its experience all sorts of darkness. And this it did.


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Yet in the midst of all the darkness did it cry out, “Father, Father, why hast Thou forsaken me?” Even as have you in your blackest times. Yet I have never forsaken you, but stand by you always, ready to remind you of Who You Really Are; ready, always ready, to call you home.


Therefore, be a light unto the darkness, and curse it not.


And forget not Who You Are in the moment of your encirclement by that which you are not. But do you praise to the creation, even as you seek to change it.


And know that what you do in the time of your greatest trial can be your greatest triumph. For the experience you create is a statement of Who You Are—and Who You Want to Be.


I have told you this story—the parable of the little soul and the sun—so that you might better understand why the world is the way it is—and how it can change in an instant the moment everyone remembers the divine truth of their highest reality.


Now there are those who say that life is a school, and that these things which you observe and experience in your life are for your learning. I have addressed this before, and I tell you again:


You came into this life with nothing to learn—you have only to demonstrate what you already know. In the demonstration of it will you function it out, and create yourself anew, through your experience. Thus do you justify life, and give it purpose. Thus do you render it holy.


N: Are you saying that all the bad things that happen to us are things of our own choosing? Do you mean that even the world’s calamities and disasters are, at some level, created by us so that we can “experience the opposite of Who We Are”? And, if so, isn’t there some less

painful way—less painful to ourselves and others—to create opportunities for us to experience ourselves?


You’ve asked several questions, and they are all good ones. Let’s take them one at a time.


No, not all the things which you call bad which happen to you are of your own choosing. Not in the conscious sense—which you mean. They are all of your own creation.


You are always in the process of creating. Every moment. Every minute. Every day. How you can create we’ll go into later. For now, just take my word for it—you are a big creation machine, and you are turning out a new manifestation literally as fast as you can think.


Events, occurrences, happenings, conditions, circumstances—all are created out of consciousness. Individual consciousness is powerful enough. You can imagine what kind of creative energy is unleashed whenever two or more are gathered in My name. And mass consciousness? Why, that is so powerful it can create events and circumstances of worldwide import and planetary consequences.


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It would not be accurate to say—not in the way you mean it—that you are choosing these consequences. You are not choosing them anymore than I am choosing them. Like Me, you are observing them. And deciding Who You Are with regard to them.


Yet there are no victims in the world, and no villains. And neither are you a victim of the choices of others. At some level you have all created that which you say you detest—and, having created it, you have chosen it.


This is an advanced level of thinking, and it is one which all Masters reach sooner or later. For it is only when they can accept responsibility for all of it that they can achieve the power to change part of it.


So long as you entertain the notion that there is something or someone else out there “doing it” to you, you disempower yourself to do anything about it. Only when you say “I did this” can you find the power to change it.


It is much easier to change what you are doing than to change what another is doing.


The first step in changing anything is to know and accept that you have chosen it to be what it is. If you can’t accept this on a personal level, agree to it through your understanding that. We are all One. Seek then to create change not because a thing is wrong, but because it no longer makes an accurate statement of Who You Are. There is only one reason to do anything: as a statement to the universe of Who You Are.


Used in this way, life becomes Self creative. You use life to create your Self as Who You Are, and Who You’ve Always Wanted to Be. There is also only one reason to un-do anything: because it is no longer a statement of Who You Want to Be. It does not reflect you. It does not represent you. (That is, it does not re-present you…)


If you wish to be accurately re-presented, you must work to change anything in your life which does not fit into the picture of you that you wish to project into eternity. In the largest sense, all the “bad” things that happen are of your choosing. The mistake is not in choosing them, but in calling them bad. For in calling them bad, you call your Self bad, since you created them.


This label you cannot accept, so rather than label your Self bad, you disown your own creations. It is this intellectual and spiritual dishonesty which lets you accept a world in which conditions are as they are. If you had to accept—or even felt a deep inner sense of—personal responsibility for the world, it would be a far different place. This would certainly be true if everyone felt responsible. That this is so patently obvious is what makes it so utterly painful, and so poignantly ironic.


The world’s natural calamities and disasters—its tornados and hurricanes, volcanoes and floods—its physical turmoils—are not created by you specifically. What is created by you is the degree to which these events touch your life.


Events occur in the universe which no stretch of the imagination could claim you instigated or created.


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These events are created by the combined consciousness of man. All of the world, co-creating together, produces these experiences. What each of you do, individually, is move through them, deciding what, if anything, they mean to you, and Who and What You Are in relationship to them.


Thus, you create collectively, and individually, the life and times you are

experiencing, for the soul purpose of evolving.


You’ve asked if there is a less painful way to undergo this process—and the answer is yes—yet nothing in your outward experience will have changed. The way to reduce the pain which you associate with earthly experiences and events—both yours and those of others—is to change the way you behold them.


You cannot change the outer event (for that has been created by the lot of you, and you are not grown enough in your consciousness to alter individually that which has been created collectively), so you must change the inner experience. This is the road to mastery in living.


Nothing is painful in and of itself. Pain is a result of wrong thought. It is an error in thinking.


A Master can disappear the most grievous pain. In this way, the Master heals.


Pain results from a judgment you have made about a thing. Remove the judgment and the pain disappears.


Judgment is often based upon previous experience. Your idea about a thing derives from a prior idea about that thing. Your prior idea results from a still prior idea—and that idea from another, and so forth, like building blocks, until you get all the way back in the hall of mirrors to what I call first thought.


All thought is creative, and no thought is more powerful than original thought. That is why this is sometimes also called original sin. Original sin is when your first thought about a thing is in error. That error is compounded many times over when you have a second or third thought about a thing. It is the job of the Holy Spirit to inspire you

to new understandings, which can free you from your mistakes.


N:Are you saying that I shouldn’t feel bad about the starving children of Africa, the violence and injustice in America, the earthquake that kills hundreds in Brazil?


There are no “shoulds” or “shouldn’ts” in God’s world. Do what you want to do. Do what reflects you, what re-presents you as a grander version of your Self. If you want to feel bad, feel bad.


But judge not, and neither condemn, for you know not why a thing occurs, nor to what end.


And remember you this: that which you condemn will condemn you, and that which you judge, you will one day become.


Rather, seek to change those things—or support others who are changing those things—which no longer reflect your highest sense of Who You Are.


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Yet, bless all—for all is the creation of God, through life living, and that is the highest creation.


N:Could we just stop here for a moment and let me catch my breath? Did I hear you say there are no “shoulds” or “should nots” in God’s world?


That is correct.


N:How can that be? If there are none in Your world, where would they be?


Indeed—where…?


N:I repeat the question. Where else would “shoulds” and “should nots” appear, if not in Your world?


N:In your imagination.


N:But those who have taught me all about the rights and wrongs, the dos and don’ts, the shoulds and shouldn’ts, told me all those rules were laid down by You—by God.


Then those who taught you were wrong. I have never set down a “right” or “wrong,” a “do” or a “don’t.” To do so would be to strip you completely of your greatest gift—the opportunity to do as you please, and experience the results of that; the chance to create yourself anew in the image and likeness of Who You Really Are; the space

to produce a reality of a higher and higher you, based on your grandest idea of what it is of which you are capable.


To say that something—a thought, a word, an action—is “wrong” would be as much as to tell you not to do it. To tell you not to do it would be to prohibit you. To prohibit you would be to restrict you. To restrict you would be to deny the reality of Who You Really Are, as well as the opportunity for you to create and experience that truth.


There are those who say that I have given you free will, yet these same people claim that if you do not obey Me, I will send you to hell. What kind of free will is that? Does this not make a mockery of God—to say nothing of any sort of true relationship between us?


N:Well, now we’re getting into another area I wanted to discuss, and that’s this whole business about heaven and hell. From what I’m gathering here, there is no such thing as hell.


There is hell, but it is not what you think, and you do not experience it for the reasons you have been given.


N:What is hell?


It is the experience of the worst possible outcome of your choices, decisions, and creations. It is the natural consequence of any thought which denies Me, or says no to Who You Are in relationship to Me.


It is the pain you suffer through wrong thinking. Yet even the term “wrong thinking” is a misnomer, because there is no such thing as that which is wrong.


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Hell is the opposite of joy. It is unfulfillment. It is knowing Who and What You Are, and failing to experience that. It is being less. That is hell, and there is none greater for your soul.


But hell does not exist as this place you have fantasized, where you burn in some everlasting fire, or exist in some state of everlasting torment. What purpose could I have in that?


Even if I did hold the extraordinarily unGodly thought that you did not “deserve” heaven, why would I have a need to seek some kind of revenge, or punishment, for your failing? Wouldn’t it be a simple matter for Me to just dispose of you? What vengeful part of Me would require that I subject you to eternal suffering of a type and at a level beyond description?


If you answer, the need for justice, would not a simple denial of communion with Me in heaven serve the ends of justice? Is the unending infliction of pain also required?


I tell you there is no such experience after death as you have constructed in your fear-based theologies. Yet there is an experience of the soul so unhappy, so incomplete, so less than whole, so separated from God’s greatest joy, that to your soul this would be hell. But I tell you I do not send you there, nor do I cause this experience to be visited upon you. You, yourself, create the experience, whenever and however you separate your Self from your own highest thought about you. You, yourself, create the experience, whenever you deny your Self; whenever you reject

Who and What You Really Are.


Yet even this experience is never eternal. It cannot be, for it is not My plan that you shall be separated from Me forever and ever. Indeed, such a thing is an impossibility—for to achieve such an event, not only would you have to deny Who You Are—I would have to as well. This I will never do. And so long as one of us holds the truth about you, the truth about you shall ultimately prevail.


N:But if there is no hell, does that mean I can do what I want, act as I wish, commit any act, without fear of retribution?


Is it fear that you need in order to be, do, and have what is intrinsically right? Must you be threatened in order to “be good”? And what is “being good”? Who gets to have the final say about that? Who sets the guidelines? Who makes the rules?


I tell you this: You are your own rule-maker. You set the guidelines. And you decide how well you have done; how well you are doing. For you are the one who has decided Who and What You Really Are—and Who You Want to Be. And you are the only one who can assess how well you’re doing.


No one else will judge you ever, for why, and how, could God judge God’s own creation and call it bad? If I wanted you to be and do everything perfectly, I would have left you in the state of total perfection whence you came. The whole point of the process was for you to discover yourself, create your Self, as you truly are—and as you truly wish to be. Yet you could not be that unless you also had a choice to be something else.


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Should I therefore punish you for making a choice that I Myself haw laid before you? If I did not want you to make the second choice, why would I create other than the first?


This is a question you must ask yourself before you would assign Me the role of a condemning God.


The direct answer to your question is, yes, you may do as you wish without fear of retribution. It may serve you, however, to be aware of consequences.


Consequences are results. Natural outcomes. These are not at all the same as retributions, or punishments. Outcomes are simply that. They are what results from the natural application of natural laws. They are that which occurs, quite predictably, as a consequence of what has occurred.


All physical life functions in accordance with natural laws. Once you remember these laws, and apply them, you have mastered life at the physical level.


What seems like punishment to you—or what you would call evil, or bad luck—is nothing more than a natural law asserting itself.


N:Then if I were to know these laws, and obey them, I would never have a moment’s trouble again. Is that what you’re telling me?


You would never experience your Self as being in what you call “trouble.” You would not understand any life situation to be a problem. You would not encounter any circumstance with trepidation. You would put an end to all worry, doubt, and fear. You would live as you fantasize Adam and Eve lived— not as disembodied spirits in the realm of the absolute, but as embodied spirits in the realm of the relative. Yet

you would have all the freedom, all the joy, all the peace, and all the wisdom, understanding and power of the Spirit you are. You would be a fully realized being.


This is the goal of your soul. This is its purpose—to fully realize itself while in the body; to become the embodiment of all that it really is. This is My plan for you. This is My ideal: that I should become realized through you. That thus, concept is turned into experience, that I might know my Self experientially.


The Laws of the Universe are laws that I laid down. They are perfect laws, creating perfect function of the physical.


Have you ever seen anything more perfect than a snowflake? Its intricacy, its design, its symmetry, its conformity to itself and originality from all else—all are a mystery. You wonder at the miracle of this awesome display of Nature. Yet if I can do this with a single snowflake, what think you I can do—have done —with the universe?


Were you to see the symmetry of it, the perfection of its design—from the largest body to the smallest particle—you would not be able to hold the truth of it in your reality. Even now, as you get glimpses of it, you cannot yet imagine or understand its implications. Yet you can know there are implications—far more complex and far more extraordinary than your present comprehension can embrace. Your Shakespeare said it wonderfully: There are more things in Heaven and Earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy.


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N:Then how can I know these laws? How can I learn them?


It is not a question of learning, but of remembering.


N:How can I remember them?


Begin by being still. Quiet the outer world, so that the inner world might bring you sight. This in-sight is what you seek, yet you cannot have it while you are so deeply concerned with your outer reality. Seek, therefore, to go within as much as possible. And when you are not going within, come from within as you deal with the outside world. Remember this axiom:


If you do not go within, you go without.


Put it in the first person as you repeat it, to make it more personal:


If I do not go within, I go without.


You have been going without all your life. Yet you do not have to, and never did. There is nothing you cannot be, there is nothing you cannot do. There is nothing you cannot have.


N:That sounds like a pie-in-the-sky promise.


What other kind of promise would you have God make? Would you believe Me if I promised you less?


For thousands of years people have disbelieved the promises of God for the most extraordinary reason: they were too good to be true. So you have chosen a lesser promise—a lesser love. For the highest promise of God proceeds from the highest love. Yet you cannot conceive of a perfect love, and so a perfect promise is also inconceivable. As is a perfect person. Therefore you cannot believe even in your Self.


Failing to believe in any of this means failure to believe in God. For belief in God produces belief in God’s greatest gift—unconditional love—and God’s greatest promise—unlimited potential.


N:May I interrupt you here? I hate to interrupt God when He’s on a roll… but I’ve heard this talk of unlimited potential before, and it doesn’t square with the human experience. Forget the difficulties encountered by the average person—what about the challenges of those born with mental or physical limitations? Is their potential unlimited?


You have written so in your own Scripture—in many ways and in many places. Give me one reference.


N:Look to see what you have written in Genesis, chapter 11, verse 6, of your Bible.


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N:It says, “And the Lord said, ‘Behold, the people are one, and they have all one language; and this is only the beginning of what they will do: and now nothing will be restrained from them, which they have imagined to do.’ ”


Yes. Now, can you trust that?


N:That does not answer the question of the feeble, the infirm, the handicapped, those who are

limited.


Do you think they are limited, as you put it, not of their choice? Do you imagine that a human soul encounters life challenges—whatever they may be—by accident? Is this your imagining?


N:Do you mean a soul chooses what kind of life it will experience ahead of time?


No, that would defeat the purpose of the encounter. The purpose is to create your experience—and thus, create your Self—in the glorious moment of Now. You do not, therefore, choose the life you will experience ahead of time.


You may, however, select the persons, places, and events—the conditions and circumstances, the challenges and obstacles, the opportunities and options—with which to create your experience. You may select the colors for your palette, the tools for your chest, the machinery for your shop. What you create with these is your business. That is the business of life.


Your potential is unlimited in all that you’ve chosen to do. Do not assume that a soul which has incarnated in a body which you call limited has not reached its full potential, for you do not know what that soul was trying to do. You do not understand its agenda. You are unclear as to its intent.


Therefore bless every person and condition, and give thanks. Thus you affirm the perfection of God’s creation—and show your faith in it. For nothing happens by accident in God’s world, and there is no such thing as coincidence. Nor is the world buffeted by random choice, or something you call fate.


If a snowflake is utterly perfect in its design, do you not think the same could be said about something as magnificent as your life?


N:But even Jesus healed the sick. Why would he heal them if their condition was so “perfect”?


Jesus did not heal those he healed because he saw their condition as imperfect. He healed those he healed because he saw those souls asking for healing as part of their process. He saw the perfection of the process. He recognized and understood the soul’s intention. Had Jesus felt that all illness, mental or physical, represented imperfection, would he not have simply healed everyone on the planet, all at once? Do you doubt that he could do this?


N:No. I believe he could have.


Good. Then the mind begs to know: Why did he not do it? Why would the Christ choose to have some suffer, and others be healed? For that matter, why does God allow any suffering at anytime? This question has been asked before, and the


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answer remains the same. There is perfection in the process —and all life arises out of choice. It is not appropriate to interfere with choice, nor to question it. It is particularly inappropriate to condemn it.


What is appropriate is to observe it, and then to do whatever might be done to assist the soul in seeking and making a higher choice. Be watchful, therefore, of the choices of others, but not judgmental. Know that their choice is perfect for them in this moment now—yet stand ready to assist them should the moment come when they seek a newer choice, a different choice —a higher choice.


Move into communion with the souls of others, and their purpose, their intention, will be clear to you. This is what Jesus did with those he healed— and with all those whose lives he touched. Jesus healed all those who came to him, or who sent others to him supplicating for them. He did not perform a random healing. To have done so would have been to violate a sacred Law of the Universe:


Allow each soul to walk its path.


N:But does that mean we must not help anyone without being asked? Surely not, or we would never be able to help the starving children of India, or the tortured masses of Africa, or the poor, or the downtrodden anywhere. All humanitarian effort would be lost, all charity forbidden. Must we wait for an individual to cry out to us in desperation, or for a nation of people to plead for help, before we are allowed to do what is obviously right?


You see, the question answers itself. If a thing is obviously right, do it. But remember to exercise extreme judgment regarding what you call “right” and “wrong.”


A thing is only right or wrong because you say it is. A thing is not right or wrong intrinsically.


N:It isn’t?


“Rightness” or “wrongness” is not an intrinsic condition, it is a subjective judgment in a personal value system. By your subjective judgments do you create your Self—by your personal values do you determine and demonstrate Who You Are.


The world exists exactly as it is so that you may make these judgments. If the world existed in perfect condition, your life process of Self creation would be terminated. It would end. A lawyer’s career would end tomorrow were there no more litigation. A doctor’s career would end tomorrow were there no more illness. A philosopher’s career would end tomorrow were there no more questions.


N:And God’s career would end tomorrow were there no more problems!


Precisely. You have put it perfectly. We, all of us, would be through creating were there nothing more to create. We, all of us, have a vested interest in keeping the game going. Much as we all say we would like to solve all the problems, we dare not solve all the problems, or there will be nothing left for us to do.


Your industrial-military complex understands this very well. That is why it opposes mightily any attempt to install a war-no-more government— anywhere.


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