第3話 "Conversations with God" Book 1:1章-2:P17-26

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┌《注記》

・対話上の「ニールの言葉」には、文頭に「N:」を付けました。

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P17


しかしあなたは、「自分とは何者か」を知っていれば、決して恐れることはないだろう。


あなたは、神が今までに創造したものの中で最も雄大で、際立つほどの、素晴らしいものなのだ。


誰がそのようなすばらしいものを拒絶できるだろうか?


神でさえ、そのような存在に欠陥を見つけることはできないだろう。


しかしあなたは、「自分とは何者か」が分からず、自分は大したものではないと思っている。


自分はすばらしくないものだと、あなたはどこで思わされたのか?


全ての言葉にあなたが耳を傾ける唯一の人々、つまりあなたの母親、父親によってだ。


両親はあなたを最も愛している人々だ。なぜ彼らはあなたに嘘をつくのだろうか?


両親は、あなたに、これはやり過ぎ、それは足りないと言わなかったか?


両親は、あなたは親の言うことを聞いていればいいと、言われなかったか?


両親は、あなたがもっとも活動的な時に、叱ったりしなかったか?


そして両親は、あなたの熱狂的な想像をやめさせようとしなかったか?


これら親の言葉は、あなたが受け取ったメッセージだ。メッセージは基準を満たしていないし、神からのメッセージではないけれど、そうかもしれないとあなたは思った。


なぜならそれらは、宇宙の神々からのメッセージのようだったからだ。


愛が条件付きであることを教えたのは、あなたの親だ。


あなたはその条件を何度も感じてきた。


その経験を、あなたは自分自身の愛の人間関係に取り入れる。


その経験を、あなたは神との関係にも持ち込む。


この経験から、あなたは神についてのあなたの結論を引き出す。


この枠組みの中で、あなたは自分の真実を語る。


「神は愛の神だが、神の戒めを破るなら、永遠の追放と地獄行きであなたを罰するだろう」と。


あなたは親に追放された経験はないか?


親の罰による苦痛を知らないか?


そんなことはないだろう。


それなら、親と神の違いをあなたは想像できるだろうか?(できないだろう)


あなたは条件なしで愛されることを忘れてしまっている。


あなたは神の愛の経験を思い出せない。


それであなたは、世界一般に見られる愛を基準にして、神の愛がどのようなものかを想像しようとする。


あなたは神に、"親"の役割を投影しており、あなたが善良かどうかで、神は裁きをし、報酬を与えたり、罰したりすると想像する。


しかし、これはあなたがたの神話に基づく神についての単純な見方だ。


「私は誰(真の神)」とは何の関係もない。


このようにして、霊的な真実というより人間の経験に基づいて、神についての考え方を作り出した。


そして愛を取り巻く現実全てを創造した。


それは不安に基づく現実で、不安に満ち、復讐する神という考えに根ざしている。


その背後にある思考は間違っているが、その考えを否定すれば、あなたがたの神学全体が破壊されるだろう。


それに取って代わる新しい神学は、真にあなたがたの救いにはなるだろうが、あなたがたはそれを受け入れられない。


なぜなら、恐れのない神、判断しない神、罰しない神という考えはあまりにもすばらしくて、あなたがたのもっとも偉大な神の概念からしても、受け入れられないからだ。


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P18


この不安に基づく愛は、現実にあなたがたの愛の経験を支配している。


実際に愛の経験を創造してもいる。


あなたがたは条件付きの愛を受け取るだけでなく、同じ方法で与えているのを見るからだ。


そして、あなたがたがその条件を保留したり、後退させたり、設定したりしている間でさえ、心のある部分で、これは本当の愛ではないことを知っている。


それでもあなたがたは、愛し方を変えることはできないと思っている。


あなたがたは難しい愛し方を学んできたから、もし自分がまた傷つく状況になれば、ひどくけなされるだろうと、自分に言い聞かせる。


しかしほんとうは、あなたがたが変えなければ、もっとひどいめに合うだろう。


愛についてのあなたがた自身の(誤った)考えによって、純粋に愛を経験することは決してできない。


かつまた、あなたがたは、真の神を知ることは決してできない。あなたがたが変わるまで。


だが、あなたがたは永遠にわたしを否定することはできないだろうし、いつか私たちの和解の瞬間が来るだろう。


人間が取るあらゆる行動は、愛か不安に基づいている。単に人間関係の中だけではない。


ビジネス、産業、政治、宗教、若者の教育、国家の社会的課題、社会の経済的目標、戦争、平和、攻撃、防衛、侵略、降伏に影響を及ぼす決断、熱望したり放ったり、蓄えたり分け合ったり、統合したり分裂したりする決定、そして今までに行ったあらゆる自由な選択は、あり得る2つのうちのたった1つの考えから生じる。愛の考えか不安の考えか、からだ。


不安とは縮小、閉鎖、引き締め、逃亡、隠蔽、蓄積、危害などのエネルギーだ。


愛は、拡大、開放、送出、滞在、出現、共有、癒しのエネルギーだ。


不安は私たちの体を衣服に包み込み、愛は私たちを裸にする。


不安は私たちが持っているものすべてにしがみついて、しっかりつかむ。


愛は、私たちが持っているものをすべて与える。


不安はきつく抱き、愛はやさしく抱く。


不安はつかみ、愛は放つ。


不安は苦しめ、愛は和らげる。


不安は攻撃し、愛は改めさせる。


あらゆる人間の思考、言葉、行為は、どちらか一つの感情に基づいている。


あなたは選択する必要はない。なぜなら、それ以外の選択肢がないからだ。しかし、どちらを選択するかは自由だ。


N:とても簡単そうにおっしゃいますが、決断の瞬間には、不安が勝つことの方が多いですよ。なぜでしょうか?


あなたがたは不安の中で生きるように教えられた。適者生存、最も強い者の勝利、そして最も賢明な者の成功について聞かされてきた。


最高に愛することの栄光については、ほとんど語られていない。


そこであなたは、一番の適任者で、最強で、最も賢い者になろうと、あらゆる方法で努力する。


どんな状況でも、自分が劣っていると思うと敗北してしまうと、あなたは恐れる。


なぜなら、劣っていると負けると、聞かされてきたからだ。


もちろん、あなたがたは不安に支えられた行動を選択する。そう教えられてきたからだ。


しかし、私はあなたがたにこう教える。


愛に支えられた行動を選ぶなら、生き残る以上のことを、勝利以上のことを、成功以上のことをあなたがたはするだろう。


そして、「本当の自分とは何者」で、何者になれるかという最高の栄光を、あなたがたは経験するだろう。


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これを行うには、善意だが間違っている世間の教師の教えを離れ、別の情報源からの知恵を持つ人々の教えを聞かなければならない。


あなたがたの中には、このような教師がたくさんいたし、今もいる。


あなたがたを案内し、教え導き、これらの真理を思い出させる者がいないなら、私はあなたがたを放っておきはしない。


しかし、思い出させる最も偉大なものは、あなたの外にいる人ではなく、あなたの内なる声だ。


これは、私が最初に使うツールだ。なぜなら、これは最もアクセスしやすいからだ。


内なる声は私が話す最も大きな声だ。なぜならあなたに一番近いからだ。


それは、すべてのことについて、あなたがたが定義した、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを伝える声だ。


あなたがたが任せるなら、針路を設定し、船を操縦し、旅を導くレーダーだ。


それは、あなたがたが読んでいる言葉が、愛の言葉か、不安の言葉かを、たった今、教えてくれる声だ。


この基準によって、心に留める言葉か無視する言葉かを判断できる。


N:いつも愛に支えられた行動を選ぶと、「自分とは何者か、何者になれのるか」という、最高の栄光を経験するとあなたは言われました。これについてもっと話してくださいませんか?


すべての人生の目的は一つだけだ。それはあなた、そして生きるもの全てが、最高の栄光を経験することだ。


あなたが言うこと、考えること、あるいは行うことは、すべてそのためだ。


あなたの魂がやるべきことは他にないし、他にしたいことは何もない。


この目的のすばらしいことは、決して終わりがないということだ。


終わりとは限界であり、神の目的にはそのような境界はない。


最高の栄光の中で、自分自身を体験する瞬間が来たら、その時に、さらに大きな栄光の実現をあなたは想像するだろう。


あなたが栄光であればあるほど、もっと大きく栄光になれ、栄光になればなるほど、もっと大きな栄光であれる。


最も深遠な秘密は、人生は発見のプロセスではなく、創造のプロセスであるということだ。


あなたは自分自身を発見するのではなく、自分自身を新たに創造しているのだ。


したがって、「自分とは何者か」を知ろうとするのではなく、何者になりたいかを決めなさい。


N:人生は学校だ、特定の授業を学ぶために私たちはここにいる、私たちが「卒業」したら、もはや身体に縛られることなく、より大きな探求に進むことができる、と言っている人たちがいます。これは正しいですか?


それは、人間の経験に基づいた、あなたがたの神話の一つだ。


N:人生は学校ではないのですか?


違う。


N:私たちは授業を学ぶためにこの世にいるのではないのですか?


いや、違う。


N:じゃあ、なぜここにいるのですか?


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「自分とは何者か」を思い出し、再創造するためだ。


私は何度もあなたがたにそう言ってきた。あなたがたは私を信じていない。しかしそれはそれでいい。


本当のところ、「自分とは何者か(真の自分)」にならって自分自身を創造しなければ、再創造はできない。


N:ああ、あなたは私を見失ってしまいました(分からなくなりました)。この、学校というところに戻りましょう。私は、教師が口々に、「人生は学校だ」と教えるのを聞いてきました。あなたがそれを否定するのを聞いて、私は率直に言ってショックを受けています。


学校は、知らないことがあって、それを学びたい時に行くところだ。


すでに知っていて、知っていることを体験したい時には、行くところではない。


人生(あなたがたがそう呼んでいるように)は、概念的にすでに知っていることを体験的に知る機会なのだ。


何も学ぶ必要はない。


あなたは、ただあなたがすでに知っていることを思い出して、それにそって行動するだけだ。


N:よく理解できません。


ここから始めよう。魂-あなたの魂-は、知るべきことはいつも、すべて知っている。


隠されたことは何もなく、知らないことも何もない。


しかし、知っているだけでは不十分だ。魂は体験を求めている。


あなたは自分が寛大であることを知っているが、寛大さを示す何かをしなければ、それは概念でしかない。


あなたは自分が親切であることを知っているが、親切な行為をしなければ、それは自分自身についての考えでしかない。


あなたの魂の唯一の願いは、偉大な概念を最大の経験に変えることだ。概念が経験となるまでは、すべては推測に過ぎない。


私は長い間、自分自身について推測してきた。


あなたがたと私がともに過ごした時間よりも、この宇宙の年令よりも長く、私は推測してきた。


だから、私が自分自身を体験し始めたのが、いかに若い-新しい-ことかが分かるだろう。


N:また分からなくなりましたよ。あなたがあなた自身を体験するのですか?


そうだ。


あなたにこのように説明してみよう。


最初は、すべてがそこにあって、他には何もなかった。


しかし、「存在のすべて(All That Is)」は自分自身を知ることができなかった。なぜなら、すべてはそこにあるが、他に何もなかったからだ。


だから、「存在のすべて(All That Is)」もなかった。


何か他のものがなければ、「存在のすべて(All That Is)」もないことになるからだ。


これは神秘主義者が時の初めから言ってきた、偉大なる「有って/無い (Is / Not Is)」ということだ。


さて、「存在のすべて(All That Is)」は、あるのは自分だけだということは分かっていたが、それでは満足できなかった。


体験的ではなく概念的にしか、その完全なすばらしさを知ることができなかったからだ。


そして、自分自身を経験することを、強く望んだ。なぜなら、それがどれほどすばらしいのかを知りたかったからだ。


だが、これは不可能だった。なぜなら、「すばらしい」という言葉は相対的な言葉だったからだ。


「存在のすべて」は、すばらしくないものが現れない限り、すばらしいと感じることができなかった。


そうでないものがなければ、そうであるものもないことになるからだ。


これは分かるかな?


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N:そう思います。続けてください。


さて、「存在のすべて」が知っていることはただ一つ、自分の他には何もないということだった。


そして、「存在のすべて」は、自分の外側の基準点からは、自分を知ることはできなかった。


そのような基準点が存在しなかったからだ。


基準点はただ1つ、その内側にのみ存在した。


それが「有って-無い」(Is-Not Is)ということであり、「私であって-私でない」( Am-Not Am)ということだ。


それでも「存在のすべて」は、体験的に自分を知ることを選んだ。


「存在のすべて」のエネルギーは、純粋で、目に見えない、聞こえない、観察されない、それゆえに誰にも分からないエネルギーだったが、自分のすばらしさを体験することを選んだのだ。


このためには、内側にある基準点を使う必要があると考えた。


「存在のすべて」は、自分のどの部分も全体よりも小さいはずだと、まさしく適切に考えた。


そして、自分自身を部分に分割した場合、部分は全体よりも小さくなり、残りの部分を振り返ることで、自分のすばらしさを見ることができると考えたのだ。


そこで、「存在のすべて」は自分を細分化し、栄光の瞬間に、「これ」と「あれ」とになった。


初めて、「これ」と「あれ」は、互いに離れて存在した。


それでも、どちらも同時に存在していた。


さらに、「これ」と「あれ」でないものも存在した。


こうして、3つの要素が突然存在したのだ。


「ここ」にあるもの、「あそこ」にあるもの、そしてここにもあそこにもないが、それらが存在するために必要なものの3つだ。


すべてを内包するものは、「nothing(無)」だ。


空間を内包するのは非空間だ。


部分を内包するのは全体だ。


理解できるかな?ここまではいいかな?


N:できていると思います。私が理解できるように明解な説明をしてくださったので。


先に進めよう。


さて、すべてを内包するこの「無」は、ある人々が神と呼ぶものだ。


しかし、それも正確ではない。なぜなら、それは神ではないもの、つまり「無」ではないものが、存在することを示唆するからだ。


私はすべてのものであり、見えるものでも、見えないものでもあるのだ。


偉大なる見えざるもの、「the No-Thing(無)」、「the Space Between(空)」といった神についての東洋的な神秘的定義は、見られるものすべてを神とする西洋的な記述よりも、正確というわけではない。


神は、すべてのものであって、すべてのものではない、と信じる人の理解の方が正しい。


さて、「ここ」と「あそこ」にあるものを創造するにあたって、神は自分でそれらを知ることができるようにした。


この内からの大きな爆発の瞬間に、神は相対性というものを創造した。これは、神がこれまで自分自身に与えた賜物の中でも最大のものだ。


したがって、相対関係というのは、神があなたがたに与えた最大の贈り物なのだ。


これはいつか、詳しく説明しよう。


「無(the No-Thing)」からこのようにすべてのものが飛び出した。これは偶然にも、科学者がビッグバン理論と呼んでいる超自然的な出来事と一致する。


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すべての要素が現れるにつれ、時間が創造された。


最初は、ものはここに存在し、それから、あそこに存在し、ここからあそこに行くまでの時間は測定可能だからだ。


神の見える部分が、自分自身を定義して、それぞれ「相対的」になったように、見えない部分も相対的になった。


神は、愛が存在するためには、そして純粋な愛である自分自身を知るためには、その正反対のものが存在しなければならないことを知っていた。


それで、神は自発的に、偉大なる対極、つまり愛の絶対的な対極を創造した。それが、愛ではないあらゆるもの、不安と呼ばれるものだ。


不安が生まれた瞬間に、愛は経験できるものとなったのだ。


人間がさまざまな神話の中で、悪魔の誕生、アダムの堕落、サタンの謀反などと語っているのは、愛とその対極つまり不安という二元性の創造のことをいっているのだ。


あなたがたは、純粋な愛を擬人化して「神」と呼んだように、強大な不安を「悪魔」と呼んで擬人化した。


地上のある者は、この出来事を巡って、やや緻密な神話を作り上げた。


それは、天使の兵士と悪魔の戦士の戦い、善の勢力と悪の勢力、光の勢力と闇の勢力の戦いというシナリオだ。


この神話は、人間の魂はしっかり認識しているが、精神はほとんど理解できていない宇宙の出来事について、人々が理解できる方法で伝えようとする、人類初の試みだったのだ。


自分を分割して宇宙を表現するにあたって、神は純粋なエネルギーから、現在存在している、見られるものと見えないものの両方を作り出した。


言い換えれば、物質的な宇宙だけでなく、形而上学的な宇宙(霊的世界)も創造したのだ。


「私であって/私でない( Am/Not Am)」存在である神の、私でない部分もまた爆発して、全体よりも小さい無数の部分になった。つまりあなたがたが「霊」と呼ぶエネルギー単位だ。


あなたがたの宗教的神話の中で、「父なる神」は多くの「霊の子供」を産んだと語られているのはこのことだ。


「天国」の無数の霊の突然の出現や存在という現象を、人々が理解できる唯一の方法は、生命が自己増殖するという人間の体験に対比することだった。


この例では、あなたがたの神話上の話しや物語は、究極の現実とそれほど違ってはいない。


なぜなら、私の全体を構成する無数の霊は、宇宙的意味で、私の子供だからだ。


自分を分割する神である私の目的は、十分な部分を創ることによって、自分自身を体験的に知ることができるようにすることだった。


創造主が、自分自身を創造主として体験的に知る方法は、創造するということだけだった。


それで私は、自分の無数の部分(全ての霊の子供たち)に、私が全体として持っているのと同じ創造力を与えた。


これはあなたがたの宗教で、人間は「神の姿をかたどり、神に似せて」創造されたと語られている。


しかしこれは、ある人々が示唆したように、神が人間の身体と同じような形をしているということではない(神は、特定の目的のためには、どんな物質的な形になることはできるが)。


神と人間の本質は同じもので、同じもので構成されているということなのだ。


私たち神と人間は 、「同じもの」なのだ!薄い空気から物理的な現実を作り出す能力を含めて、すべて同じ性質と能力を備えているのだ。


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私の霊の子供であるあなたがたを創造した私の目的は、神としての自分を知ることだった。


あなたがたを通してしか、方法がなかったのだ。


それゆえ、あなたがたを創造した私の目的は、あなたがたが神としての自分自身を知ることだと言える(そう何度も言われてきた)。


これはとても驚くほどシンプルに見えるが、非常に複雑でもある。


なぜなら、あなたがたが神としての自分自身を知る方法は一つしかなく、それは、神でない自分自身をまず知ることだからだ。


さて、ここはよく聞いてついてきなさい。非常に複雑になるから。準備はいいかな?


N: そう思います。


よろしい。覚えておきなさい。この説明を求めたのはあなただということを。


あなたは何年も答えを待っていた。あなたは、神学的教義や科学理論ではなく、素人の言葉でそれを求めた。


N: そうです。私が求めたことは知っています。


求めたなら、答えを受け取るべきだ。


さて、物事をシンプルにするために、議論のベースとして、「神の子たち」という神話モデルを、使ってみよう。


それは、あなたがたに馴染みのあるモデルだし、多くの点で、それほどかけ離れているわけではないからだ。


だから、この自己認識のプロセスがどのように機能するかに、話しを戻そう。


霊の子たちすべてに、私の一部として自分自身を知るように私がした方法が、1つある。


それは単純にそう告げることだった。


これを私は行なった。


しかし、分かると思うが、霊が自分自身を神、あるいは神の一部、神の子、王国の継承者(あなたがたが引用したい神話ならどれでもいい)と単に知るだけでは不十分だった。


すでに説明したように、何かを知ることと、それを体験することとは、全く別のことなのだ。


霊は、自分自身を体験的に知ることを強く望んだ。(私がそうだったように!)


概念的な認識だけでは十分ではなかったのだ。


そこで私は計画を練った。


それはすべての宇宙の中で、並はずれたアイデアで、目を見張る共同作業だ。


私が共同作業と言うのは、あなたがた全てが私と共に行うからだ。


その計画の下で、純粋な霊であるあなたがたは、今いま創造されたばかりの物質的な宇宙に入る。


概念的に知っていることを体験的に知る唯一の方法は、物質的な世界に入ることだからだ。


実際に、私が最初に物質的な宇宙を創造し、それを制御する相対性のシステム、そしてすべてのものを創造したのは、そのためだ。


物質的な宇宙に入ると、あなたがた、つまり私の霊の子供たちは、自分自身について知っていることを体験することができた。


しかしまず、あなたがたは、その反対のものを知らなければならなかった。


これを簡単に説明してみよう。


背が低いということを知らないかぎり、自分が背が高いということは、知ることができない。


痩せていることを知らない限り、太っている自分を経験することはできない。


究極の論理に基づけば、自分でないものに出会うまで、自分自身を体験することはできない。


これは、相対性の理論の目的であり、かつ、すべての物質的な生命の目的なのだ。


自分でないものによって、自分自身は定義されるのだ。


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さて、あなたがたが究極的に知る、つまり、自分を創造主として知る場合には、創造という行為をしなければ、自分を創造者として体験することはできない。


そしてあなたがたは、自分自身を創造しないということを体験するまで、自分を創造することはできない。


ある意味では、「在る」ためには、まず、「ない」でなければならないのだ。


分かるかな?


N: そう思います。


いいだろう。


もちろん、あなたがたが何者でもなくなる方法はない。


あなたがたは、いつでも純粋で創造的な霊であり、これからもそうだ。


だから、あなたがたは次善の策をとった。


あなたがたは、自分は本当は何者なのかを忘れたのだ。


物質的な宇宙に入る時、あなたがたは自分の記憶を捨てた。


これにより、いわば城の中で単に目を覚ますのではなく、自分が何者なのかを選ぶことができる。


それは、あなたがたが神の一部であることを単に告げられるのではなく、神の一部であることを自ら選択することなのだ。


それであなたは、全ての選択肢(それが神だ)の中で、自分自身が神の一部であることを体験できる。


しかし、何も選択肢がないところで、何かを選択することはできない。


どんなに頑張っても、あなたがたは、私の子でなくなることはできないが、私の子であることを忘れることはできる。


あなたがたは、今までも、今も、これからもずっと、神の全体の聖なる一部、つまり神の身体の一員であり続ける。


それで、神に戻ること、つまり、全体に再び復帰することを、「思い出すこと(リメンバランス)」と言われる。


あなたがたは、「自分とは本当は何者か」を思い出すことを、実際にやっている。


あるいは、あなたがたの様々な部分とー体となり、自分のすべて、つまり私・神のすべてを体験している。


したがって、地上でのあなたがたの仕事は、(すでに知っているので)学ぶことではなく、「自分とは何者か」を思い出すことだ。


そして「他の人々は何者か」を思い出すことだ。


それで、あなたの仕事の大きな一つは、他の人々に気づかせることだ(つまり、再び心に留めることだ)。それで彼らもまた思い出すことができる。


すばらしいスピリチュアルな教師はみんな、その仕事をしてきた。


それがあなたがたの唯一の目的だ。つまり、あなたがたの魂の目的だ。


N: ああ神様、この説明はとてもシンプルで、きちんとしています。つまり、それですべてが収まります!突然にすべてが!今私には、これまでに見たことのない全体像が見えています。


よろしい。それはよろしい。


それがこの対話の目的だから。


あなたは私に答えを求めた。私はあなたに答えることを約束した。


あなたはこの対話を本にして、多くの人々が私の言葉にアクセスできるようにするだろう。


それもあなたの仕事の一部だ。


さて、あなたは人生についての多くの疑問を持っている。


私たちはここに基盤を置いた。私たちは他の事柄の理解のために土台を築いた。


他の質問に行こう。心配することはない。対話する中で、あなたがしっかりと理解していないことがあるなら、すぐにすべてはっきりとするだろう。


N: 私には尋ねたいことがたくさんあります。非常に多くの質問です。大きなもの、明瞭なものから質問したいと思います。例えば、なぜ世界はこんな状態になっているのでしょうか?


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人間が神に尋ねてきたすべての問いのうち、これは最も頻繁に尋ねられたものだ。


時の初めから、人間はそれを神に尋ねてきた。


あなたは、対話の最初から今まで、どうしてこうでなければならないのか、知りたがった。


その典型的な質問は、いつも次のようなものだ。


神が完全かつ愛であるなら、なぜ疫病や飢饉、戦争や病気、地震や竜巻、ハリケーン、あらゆる種類の自然災害、深い個人的な失望、世界的な災難を、神は作り出すのだろうか?


この問いに対する答えは、宇宙のより深い謎と、人生の最も崇高な意味の中にある。


私は、私の善良さを現すのに、あなたがたの周りにあるもの全てを、完全であるように創造してはいない。


私は、あなたがたが愛を実証できないようにして、神の愛を実証したりはしない。


すでに説明したように、愛していないことを実証するまで、愛を実証することはできない。


絶対的な世界以外では、物事は、その反対のものなしに存在することはできない。


絶対的な領域は、あなたがたや私にとっては十分なものではなかった。


私はいつもそこに存在していたし、あなたがたもそこから来たのだ。


絶対というものには、体験はなく、知識があるだけだ。


知っていることは神聖な状態だが、最も大きな喜びは、「在ること(being)」の中にある。


「在ること」は、体験の後にのみ達成される。


進化とは、知ること、体験すること、在ること、だ。


これは神聖な三位一体、神の三位一体だ。


「父」なる神は、「知ること」だ。すべての理解の親、すべての体験の親だ。


なぜなら、知らないことを体験することはできないからだ。


「息子」なる神は、「体験」だ。父なる神が、自分について知っているすべてを体現化、行動化することだ。


体験していなければ、「在ること」はできない。


「聖霊」なる神は、「在ること」だ。


息子なる神が、自分自身を体験したすべてのものから、超越することだ。


単純ですばらしく「在る」ということは、知識と体験の記憶を通してのみ可能なのだ。


この単純に「在る」ということは、無上の喜びだ。


自分自身を知り体験した後は、「神の状態」だ。


それは神が最初に切望したものだ。


もちろん、神のところで、父、息子と表現したが、それは、ジェンダー(性)とは関係のないことは、説明しなくてもよく分かるだろう。


ここでは、あなたがたが用いている最も新しい聖書の美しい表現を使っている。


かなり前の聖書では、母と娘という比喩で、これを説明していた。


どちらも正しくない。


親と子の関係という方が、最もしっくりくるだろう。


あるいは、出現させるものと出現するものと言えよう。


三位一体の第三の部分を加えることによって、この関係が生み出される。つまり、出現させるもの、出現するもの、在るもの。


この三位一体の現実は神のサインだ。神のパターンだ。


三位一体は崇高な領域のどこにでも見られる。


時間と空間、神と意識、あるいは、微妙な関係を扱うどんな事柄の中にも、それは見られる。


一方、人生の大まかな関係では、三位一体の真実を見つけることはできない。


三位一体の真実は、人生の微妙な関係を扱うすべての人が認識している。


ある宗教家らは、三位一体の真実を、父と子と聖霊として記述している。


ある精神科医らは、超意識、意識、潜在意識という言葉を使っている。


ある心霊術者らは、精神、身体、霊魂と言う。


ある科学者らは、エネルギー、物質、エーテルと見る。


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P26


ある哲学者らは、物事は、思考、言葉、行為において真実になるまでは、真実ではないと言う。


時間を議論するときは、過去、現在、未来の3つの時だけを語る。


同様に、認識的には、前、今、後の3つの時がある。


空間関係では、宇宙の点にしろ自分の部屋のさまざまな点にしろ、それを考える時、「ここ」、「あそこ」、「その間」と認識する。


大まかな関係の事柄では、「その間」は認められない。


大まかな関係は常に二者関係であるのに対し、より高い領域の関係は常に三者関係だからだ。


二者関係には、左-右、上-下、大-小、速い-遅い、暑い-寒い、があり、そして今までに創造された最大の二者関係、つまり男-女がある。


これらの二者関係には、「その間」はない。


1つのものかその他のものか、どちらかだ。


あるいは、これら二者の関係で、バージョンの大小の差があるだけだ。


大まかな関係の領域内では、概念化されていないものは、その反対の概念なしに存在することはできない。


あなたがたの日々の体験のほとんどは、この現実に基づいている。


崇高な関係の領域内に存在するものには、それと反対のものはない。


すべてはひとつで、すべてが終わりのない循環で一方から他方へ進む。


時間は、あなたがたが過去、現在、未来と呼ぶものが相互関係的に存在している崇高な領域だ。


つまり、それらは対極ではなく、むしろ同じ全体の一部なのだ。同じ考えの進歩、同じエネルギーの循環、同じ不変の真実の側面だ。


これから、過去、現在、未来が同じ「時」に存在すると結論すれば、それは正しい。 (今はそれについて議論する時ではない。時間の概念全体を探るときに、もっと詳細に説明しよう)


世界が今のよう状態なのは、他の状態であることができず、依然として大まかな物質的な領域に存在するためだからだ。


地震とハリケーン、洪水と竜巻、そしてあなたがたが自然災害と呼ぶ出来事は、1つの極から他の極への要素の動きなのだ。


誕生と死の循環全てが、この動きの一部なのだ。


これらは生命のリズムであり、生命そのものがリズムであるため、大まかな現実のすべては、それらの影響を受ける。


それは、「存在のすべて(神)」の核心となる波、振動、波動だ。


不調と病気は、好調と健康の対極であり、あなたがたの要請で現実に現れる。


あなたがたは、自分のどこかのレベルで、引き起こさなければ、病気になることはない。


そして、ただそうあろうと決めるだけで、再び元気になれる。


深い個人的な失望は、自ら選択した結果であり、世界的な災害は世界的な意識の結果なのだ。


あなたの質問では、私がこれらの出来事を選んだり、神の意志や願望で世界的な災害が起こるのだと推測している。


しかし私は、これらのことを起こそうとは思わない。あなたがたがそうすることをただ観察しているだけだ。


そして私は、それをやめさせることはしない。やめさせれば、あなたがたの意志を妨げることになるからだ。


それでは、あなたがたと私がいっしょに選んだ体験、神の体験を奪うことになる。


したがって、世界の中であなたがたが悪と呼ぶものを、どれも非難しないことだ。


むしろあなたがたは、何事にせよ、それについて何を悪いと判断したのか、変えるために何をしたいのかを、自分に問うべきなのだ。


P26

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"Conversations with God" Book 1:Chapter 1-2:P17-26

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《Notice》

The words of Neale on the conversation are expressed by attaching "N:" to the beginning of the sentence.

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P17


Yet if you knew Who You Are—that you are the most magnificent, the most

remarkable, the most splendid being God has ever created—you would never fear.

For who could reject such wondrous magnificence? Not even God could find fault in

such a being.


But you do not know Who You Are, and you think you are a great deal less. And

where did you get the idea of how much less than magnificent you are? From the

only people whose word you would take on everything. From your mother and your

father.


These are the people who love you the most. Why would they lie to you? Yet have

they not told you that you are too much of this, and not enough of that? Have they

not reminded you that you are to be seen and not heard?


Have they not scolded you in some of the moments of your greatest exuberance?

And, did they not encourage you to set aside some of your wildest imagining?


These are the messages you’ve received, and though they do not meet the criteria,

and are thus not messages from God, they might as well have been, for they have

come from the gods of your universe surely enough.


It was your parents who taught you that love is conditional—you have felt their

conditions many times—and that is the experience you take into your own love

relationships.


It is also the experience you bring to Me.


From this experience you draw your conclusions about Me. Within this framework

you speak your truth. “God is a loving God,” you say, “but if you break His

commandments, He will punish you with eternal banishment and everlasting

damnation.”


For have you not experienced the banishment of your own parents? Do you not

know the pain of their damnation? How, then, could you imagine it to be any

different with Me?


You have forgotten what it was like to be loved without condition. You do not

remember the experience of the love of God. And so you try to imagine what God’s

love must be like, based on what you see of love in the world.


You have projected the role of “parent” onto God, and have thus come up with a

God Who judges and rewards or punishes, based on how good He feels about what

you’ve been up to. But this is a simplistic view of God, based on your mythology. It

has nothing to do with Who I Am.


Having thus created an entire thought system about God based on human

experience rather than spiritual truths, you then create an entire reality around love.

It is a fear-based reality, rooted in the idea of a fearful, vengeful God. Its Sponsoring

Thought is wrong, but to deny that thought would be to disrupt your whole theology.

And though the new theology which would replace it would truly be your salvation,

you cannot accept it, because the idea of a God Who is not to be feared, Who will

not judge, and Who has no cause to punish is simply too magnificent to he

embraced within even your grandest notion of Who and What God is.


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This fear-based love reality dominates your experience of love; indeed, actually

creates it. For not only do you see yourself receiving love which is conditional, you

also watch yourself giving it in the same way. And even while you withhold and

retreat and set your conditions, a part of you knows this is not what love really is.

Still, you seem powerless to change the way you dispense it You’ve learned the

hard way, you tell yourself, and you’ll be damned if you’re going to leave yourself

vulnerable again. Yet the truth is, you’ll be damned if you don’t.


[By your own (mistaken) thoughts about love do you damn yourself never to

experience it purely. So, too, do you damn yourself never to know Me as I really am.

Until you do. For you shall not be able to deny Me forever, and the moment will

come for our Reconciliation.]


Every action taken by human beings is based in love or fear, not simply those

dealing with relationships. Decisions affecting business, industry, politics, religion,

the education of your young, the social agenda of your nations, the economic goals

of your society, choices involving war, peace, attack, defense, aggression,

submission; determinations to covet or give away, to save or to share, to unite or to

divide—every single free choice you ever undertake arises out of one of the only two

possible thoughts there are: a thought of love or a thought of fear.


Fear is the energy which contracts, closes down, draws in, runs, hides, hoards,

harms.


Love is the energy which expands, opens up, sends out, stays, reveals, shares,

heals.


Fear wrap our bodies in clothing, love allows us to stand naked. Fear clings to and

clutches all that we have, love gives all that we have away. Fear holds close, love

holds dear. Fear grasps, love lets go. Fear rankles, love soothes. Fear attacks, love

amends.


Every human thought, word, or deed is based in one emotion or the other. You have

no choice about this, because there is nothing else from which to choose. But you

have free choice about which of these to select.


N:  You make it sound so easy, and yet in the moment of decision fear wins more often than not. Why is that?


You have been taught to live in fear. You have been told about the survival of the

fittest and the victory of the strongest and the success of the cleverest. Precious

little is said about the glory of the most loving. And so you strive to be the fittest, the strongest, the cleverest—in one way or another— and if you see yourself as

something less than this in any situation, you fear loss, for you have been told that

to be less is to lose.


And so of course you choose the action fear sponsors, for that is what you have

been taught. Yet I teach you this: when you choose the action love sponsors, then

will you do more than survive, then will you do more than win, then will you do more

than succeed. Then will you experience the full glory of Who You Really Are, and

who you can be.


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To do this you must turn aside the teachings of your well-meaning, but misinformed,

worldly tutors, and hear the teachings of those whose wisdom comes from another

source.


There are many such teachers among you, as always there have been, for I will not

leave you without those who would show you, teach you, guide you, and remind you

of these truths. Yet the greatest reminder is not anyone outside you, but the voice

within you. This is the first tool that I use, because it is the most accessible.


The voice within is the loudest voice with which I speak, because it is the closest to

you. It is the voice which tells you whether everything else is true or false, right or

wrong, good or bad as you have defined it. It is the radar that sets the course, steers

the ship, guides the journey if you but let it.


It is the voice which tells you right now whether the very words you are reading are

words of love or words of fear. By this measure can you determine whether they are

words to heed or words to ignore.


N: You said that when I always choose the action that love sponsors, then I will experience the full glory of who I am and who I can be. Will you expand on this please?


There is only one purpose for all of life, and that is for you and all that lives to

experience fullest glory.


Everything else you say, think, or do is attendant to that function. There is nothing

else for your soul to do, and nothing else your soul wants to do. The wonder of this

purpose is that it is never-ending. An ending is a limitation, and God’s purpose is

without such a boundary. Should there come a moment in which you experience

yourself in your fullest glory, you will in that instant imagine an ever greater glory to

fulfill. The more you are, the more you can become, and the more you can become,

the more you can yet be.


The deepest secret is that life is not a process of discovery, but a process of

creation.


You are not discovering yourself, but creating yourself anew. Seek, therefore, not to

find out Who You Are, seek to determine Who You Want to Be.


N: There are those who say that life is a school, that we are here to learn specific lessons, that once we “graduate” we can go on to larger pursuits, no longer shackled by the body. Is this correct?


It is another part of your mythology, based on human experience.


N: Life is not a school?


No.


N: We are not here to learn lessons?


No.


N: Then why are we here?


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To remember, and re-create, Who You Are.


I have told you, over and over again. You do not believe Me. Yet that is well as it

should be. For truly, if you do not create yourself as Who You Are, that you cannot

be.


N: Okay, You’ve lost me. Let’s go back to this school bit. I’ve heard teacher after teacher tell us that life is a school. I’m frankly shocked to hear You deny that.


School is a place you go if there is something you do not know that you want to

know. It is not a place you go if you already know a thing and simply want to

experience your knowingness.


Life (as you call it) is an opportunity for you to know experientially what you already

know conceptually. You need learn nothing to do this. You need merely remember

what you already know, and act on it.


N: I’m not sure I understand.


Let’s start here. The soul—your soul—knows all there is to know all the time.

There’s nothing hidden to it, nothing unknown. Yet knowing is not enough. The soul

seeks to experience.


You can know yourself to be generous, but unless you do something which displays

generosity, you have nothing but a concept. You can know yourself to be kind, but

unless you do someone a kindness, you have nothing but an idea about yourself.


It is your soul’s only desire to turn its grandest concept about itself into its greatest experience. Until concept becomes experience, all there is is speculation. I have been speculating about Myself for a long time. Longer than you and I could

collectively remember. Longer than the age of this universe times the age of the

universe. You see, then, how young is—how new is—My experience of Myself!


N: You’ve lost me again. Your experience of Yourself?


Yes. Let me explain it to you this way:


In the beginning, that which Is is all there was, and there was nothing else. Yet All

That Is could not know itself—because All That Is is all there was, and there was

nothing else. And so, All That Is… was not. For in the absence of something else,

All That Is, is not.


This is the great Is/Not Is to which mystics have referred from the beginning of time.


Now All That Is knew it was all there was—but this was not enough, for it could only

know its utter magnificence conceptually, not experientially. Yet the experience of

itself is that for which it longed, for it wanted to know what it felt like to be so

magnificent. Still, this was impossible, because the very term “magnificent” is a

relative term. All That Is could not know what it felt like to be magnificent unless that which is not showed up. In the absence of that which is not, that which IS, is not.


Do you understand this?


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N: I think so. Keep going.


Alright The one thing that All That Is knew is that there was nothing else. And so It

could, and would, never know Itself from a reference point outside of Itself. Such a

point did not exist. Only one reference point existed, and that was the single place

within. The “Is-Not Is.” The Am-Not Am.


Still, the All of Everything chose to know Itself experientially.


This energy—this pure, unseen, unheard, unobserved, and therefore unknown-byanyone-else energy—chose to experience Itself as the utter magnificence It was. In

order to do this, It realized It would have to use a reference point within.


It reasoned, quite correctly, that any portion of Itself would necessarily have to be

less than the whole, and that if It thus simply divided Itself into portions, each

portion, being less than the whole, could look back on the rest of Itself and see

magnificence.


And so All That Is divided Itself—becoming, in one glorious moment, that which is

this, and that which is that. For the first time, this and that existed, quite apart from

each other. And still, both existed simultaneously. As did all that was neither.


Thus, three elements suddenly existed: that which is here. That which is there. And

that which is neither here nor there—but which must exist for here and there to exist.


It is the nothing which holds the everything. It is the non-space which holds the

space. It is the all which holds the parts.


Can you understand this?


Are you following this?


N: I think I am, actually. Believe it or not, you have used such a clear illustration that I think I’m actually understanding this.


I’m going to go further. Now this nothing which holds the everything is what some

people call God. Yet that is not accurate, either, for it suggests that there is

something God is not—namely, everything that is not “nothing.” But I am All Things—seen and unseen—so this description of Me as the Great Unseen—the No-Thing, or the Space Between, an essentially Eastern mystical definition of God, is no more accurate than the essentially Western practical description of God as all that is seen. Those who believe that God is All That Is and All That Is Not, are those whose

understanding is correct.


Now in creating that which is “here” and that which is “there,” God made it possible for God to know Itself. In the moment of this great explosion from within, God

created relativity—the greatest gift God ever gave to Itself. Thus, relationship is the

greatest gift God ever gave to you, a point to be discussed in detail later.


From the No-Thing thus sprang the Everything—a spiritual event entirely consistent,

incidentally, with what your scientists call The Big Bang theory. As the elements of


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all raced forth, time was created, for a thing was first here, then it was there—and

the period it took to get from here to there was measurable.


Just as the parts of Itself which are seen began to define themselves, “relative” to

each other, so, too, did the parts which are unseen. God knew that for love to exist

—and to know itself as pure love—its exact opposite had to exist as well. So God

voluntarily created the great polarity—the absolute opposite of love—everything that

love is not—what is now called fear. In the moment fear existed, love could exist as

a thing that could be experienced.


It is this creation of duality between love and its opposite which humans refer to in

their various mythologies as the birth of evil, the fall of Adam, the rebellion of Satan,

and so forth.


Just as you have chosen to personify pure love as the character you call God, so

have you chosen to personify abject fear as the character you call the devil.


Some on Earth have established rather elaborate mythologies around this event,

complete with scenarios of battles and war, angelic soldiers and devilish warriors,

the forces of good and evil, of light and dark.


This mythology has been mankind’s early attempt to understand, and tell others in a

way they could understand, a cosmic occurrence of which the human soul is deeply

aware, but of which the mind can barely conceive.


In rendering the universe as a divided version of Itself, God produced, from pure

energy, all that now exists—both seen and unseen. In other words, not only was the

physical universe thus created, but the metaphysical universe as well. The part of

God which forms the second half of the Am/Not Am equation also exploded into an

infinite number of units smaller than the whole. These energy units you would call

spirits. In some of your religious mythologies it is stated that “God the Father” had

many spirit children. This parallel to the human experiences of life multiplying Itself

seems to be the only way the masses could be made to hold in reality the idea of

the sudden appearance—the sudden existence—of countless spirits in the

“Kingdom of Heaven.”


In this instance, your mythical tales and stories are not so far from ultimate reality—

for the endless spirits comprising the totality of Me are, in a cosmic sense, My

offspring.


My divine purpose in dividing Me was to create sufficient parts of Me so that I could

know Myself experientially. There is only one way for the Creator to know Itself

experientially as the Creator, and that is to create. And so I gave to each of the

countless parts of Me (to all of My spirit children) the same power to create which I

have as the whole.


This is what your religions mean when they say that you were created in the “image

and likeness of God.” This doesn’t mean, as some have suggested, that our

physical bodies look alike (although God can adopt whatever physical form God

chooses for a particular purpose). It does mean that our essence is the same. We

are composed of the same stuff. We ARE the “same stuff”! With all the same

properties and abilities—including the ability to create physical reality out of thin air.


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My purpose in creating you, My spiritual offspring, was for Me to know Myself as

God. I have no way to do that save through you. Thus it can be said (and has been,

many times) that My purpose for you is that you should know yourself as Me.


This seems so amazingly simple, yet it becomes very complex— because there is

only one way for you to know yourself as Me, and that is for you first to know

yourself as not Me.


Now try to follow this—fight to keep up—because this gets very subtle here. Are you

ready?


N: I think so.


Good. Remember, you’ve asked for this explanation. You’ve waited for it for years.

You’ve asked for it in layman’s terms, not theological doctrines or scientific theories.


N: Yes—I know what I’ve asked.


And having asked, so shall you receive.


Now, to keep things simple, I’m going to use your children of God mythological

model as a basis for discussion, because it is a model with which you are familiar—

and in many ways it is not that far off.


So let’s go back to how this process of self-knowing must work.


There is one way I could have caused all of My spiritual children to know themselves

as parts of Me—and that was simply to tell them. This I did. But you see, it was not

enough for Spirit to simply know Itself as God, or part of God, or children of God, or

inheritors of the kingdom (or whatever mythology you want to use).


As I’ve already explained, knowing something, and experiencing it, are two different

things. Spirit longed to know Itself experientially (just as I did!). Conceptual

awareness was not enough for you. So I devised a plan. It is the most extraordinary

idea in all the universe—and the most spectacular collaboration. I say collaboration

because all of you are in it with Me.


Under the plan, you as pure spirit would enter the physical universe just created.

This is because physicality is the only way to know experientially what you know

conceptually. It is, in fact, the reason I created the physical cosmos to begin with—

and the system of relativity which governs it, and all creation.


Once in the physical universe, you, My spirit children, could experience what you

know of yourself—but first, you had to come to know the opposite. To explain this

simplistically, you cannot know yourself as tall unless and until you become aware of

short. You cannot experience the part of yourself that you call fat unless you also

come to know thin.


Taken to ultimate logic, you cannot experience yourself as what you are until you’ve

encountered what you are not. This is the purpose of the theory of relativity, and all

physical life. It is by that which you are not that you yourself are defined.


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Now in the case of the ultimate knowing—in the case of knowing yourself as the

Creator—you cannot experience your Self as creator unless and until you create.

And you cannot create yourself until you uncreate yourself. In a sense, you have to

first “not be” in order to be. Do you follow?


N: I think…


Stay with it.


Of course, there is no way for you to not be who and what you are—you simply are

that (pure, creative spirit), have been always, and always will be. So, you did the

next best thing. You caused yourself to forget Who You Really Are.


Upon entering the physical universe, you relinquished your remembrance of

yourself. This allows you to choose to be Who You Are, rather than simply wake up

in the castle, so to speak.


It is in the act of choosing to be, rather than simply being told that you are, a part of

God that you experience yourself as being at total choice, which is what, by

definition, God is. Yet how can you have a choice about something over which there

is no choice? You cannot not be My offspring no matter how hard you try—but you

can forget.


You are, have always been, and will always be, a divine part of the divine whole, a

member of the body. That is why the act of rejoining the whole, of returning to God,

is called remembrance. You actually choose to remember Who You Really Are, or to

join together with the various parts of you to experience the all of you—which is to

say, the All of Me.


Your job on Earth, therefore, is not to learn (because you already know), but to remember

Who You Are. And to re-member who everyone else is. That is why a big

part of your job is to remind others (that is, to re-mind them), so that they can remember also.


All the wonderful spiritual teachers haw been doing just that. It is your sole purpose.

That is to say, your soul purpose.


N: My God, this is so simple—and so… symmetrical. I mean, it all fits in! It all suddenly fits! I see, now, a picture I have never quite put together before.


Good. That is good. That is the purpose of this dialogue. You have asked Me for

answers. I have promised I would give them to you. You will make of this dialogue a

book, and you will render My words accessible to many people. It is part of your

work. Now, you have many questions, many inquiries to make about life. We have

here placed the foundation. We have laid the groundwork for other understandings.

Let us go to these other questions. And do not worry. If there is something about

what we’ve just gone through you do not thoroughly understand, it will all be clear to you soon enough.


N: There is so much I want to ask. There are so many questions. I suppose I should start with the big ones, the obvious ones. Like, why is the world in the shape it’s in?


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Of all the questions man has asked of God, this is the one asked most often. From

the beginning of time man has asked it. From the first moment to this you have

wanted to know, why must it be like this?


The classic posing of the question is usually something like: If God is all-perfect and

all-loving, why would God create pestilence and famine, war and disease,

earthquakes and tornados and hurricanes and all manner of natural disaster, deep

personal disappointment, and worldwide calamity?


The answer to this question lies in the deeper mystery of the universe and the

highest meaning of life.


I do not show My goodness by creating only what you call perfection all around you.

I do not demonstrate My love by not allowing you to demonstrate yours.


As I have already explained, you cannot demonstrate love until you can demonstrate

not loving. A thing cannot exist without its opposite, except in the world of the

absolute. Yet the realm of the absolute was not sufficient for either you or Me. I

existed there, in the always, and it is from where you, too, have come.


In the absolute there is no experience, only knowing. Knowing is a divine state, yet

the grandest joy is in being. Being is achieved only after experience. The evolution is

this: knowing, experiencing, being. This is the Holy Trinity—the Triune that is God.


God the Father is knowing—the parent of all understandings, the begetter of all

experience, for you cannot experience that which you do not know.


God the Son is experiencing—the embodiment, the acting out, of all that the Father

knows of Itself, for you cannot be that which you have not experienced.


God the Holy Spirit is being—the disembodiment of all that the Son has experienced

of Itself; the simple, exquisite is-ness possible only through the memory of the

knowing and experiencing.


This simple being is bliss. It is God-state, after knowing and experiencing Itself. It is

that for which God yearned in the beginning. Of course, you are well past the point

where you must have it explained to you that the father-son descriptions of God

have nothing to do with gender. I use here the picturesque speech of your most

recent scriptures. Much earlier holy writings placed this metaphor in a motherdaughter

context. Neither is correct. Your mind can best hold the relationship as:

parent-offspring. Or: that-which-gives-rise-to, and that-which-is-risen. Adding the

third part of the Trinity produces this relationship: That which gives rise to / That

which is risen / That which is. This Triune Reality is God’s signature. It is the divine pattern. The three- in-one is everywhere found in the realms of the sublime. You cannot escape it in matters dealing with time and space, God and consciousness, or

any of the subtle relationships. On the other hand, you will not find the Triune Truth

in any of life’s gross relationships.


The Triune Truth is recognized in life’s subtle relationships by everyone dealing with such relationships. Some of your religionists have described the Triune Truth as

Father, Son, and Holy Ghost. Some of your psychiatrists use the terms

superconscious, conscious and subconscious. Some of your spiritualists say mind,

body, and spirit. Some of your scientists see energy, matter, ether. Some of your


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philosophers say a thing is not true for you until it is true in thought, word, and deed.

When discussing time, you speak of three times only: past, present, future. Similarly,

there are three moments in your perception—before, now, and after. In terms of

spatial relationships, whether considering the points in the universe, or various

points in your own room, you recognize here, there, and the space in between.


In matters of gross relationships, you recognize no “in-between.” That is because

gross relationships are always dyads, whereas relationships of the higher realm are

invariably triads. Hence, there is left-right, up-down, big- small, fast-slow, hot-cold,

and the greatest dyad ever created: male-female. There are no in-betweens in these

dyads. A thing is either one thing or the other, or some greater or lesser version in

relationship to one of these polarities.


Within the realm of gross relationships, nothing conceptualized can exist without a

conceptualization of its opposite. Most of your day-to-day experience is

foundationed in this reality.


Within the realm of sublime relationships nothing which exists has an opposite. All Is

One, and everything progresses from one to the other in a never-ending circle.


Time is such a sublime realm, in which what you call past, present, and future exist

inter-relationally. That is, they are not opposites, but rather parts of the same whole;

progressions of the same idea; cycles of the same energy; aspects of the same

immutable Truth. If you conclude from this that past, present, and future exist at one

and the same “time,” you are right. (Yet now is not the moment to discuss that. We

can get into this in much greater detail when we explore the whole concept of time—

which we will do later.)


The world is the way it is because it could not be any other way and still exist in the

gross realm of physicality. Earthquakes and hurricanes, floods and tornados, and

events that you call natural disasters are but movements of the elements from one

polarity to the other. The whole birth-death cycle is part of this movement. These are

the rhythms of life, and everything in gross reality is subject to them, because life

itself is a rhythm. It is a wave, a vibration, a pulsation at the very heart of the All That Is.


Illness and disease are opposites of health and wellness, and are made manifest in

your reality at your behest. You cannot be ill without at some level causing yourself

to be, and you can be well again in a moment by simply deciding to be. Deep

personal disappointments are responses which are chosen, and worldwide

calamities are the result of worldwide consciousness.


Your question infers that I choose these events, that it is My will and desire they

should occur. Yet I do not will these things into being, I merely observe you doing

so. And I do nothing to stop them, because to do so would be to thwart your will.

That, in turn, would deprive you of the God experience, which is the experience you

and I have chosen together.


Do not condemn, therefore, all that you would call bad in the world. Rather, ask

yourself, what about this have you judged bad, and what, if anything, you wish to do

to change it.


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