扉の先の世界
僕の隣には、まるで艶やかな雪を思わせるような白い髪を、うなじ辺りで大きな赤いリボンで結ぶ、双子の妹のイルがいる。
妹のイルは、まるで物珍しい様子で周りを見渡しているが、僕もイルを真似して周りを見るが何が楽しいのだろうかと思う。
いつも見ていたものと、何一つ変わらない。
周りは、僕にとっては見飽きるほど見ている薄い壁がある。
それは『氷』で出来ていると、いつどこで知ったのかは分からないけど、僕の頭の中に、そこにあるのが当たり前のように『氷の壁』と定着している。
その壁が、僕らの村を囲む『壁』であり、今僕達が歩いている床でも天井でもある。
細い、子供の僕らが二人並んでちょうどくらいの細い道を僕らは手を繋いで歩いている。
その道は、時には曲がり、時にはくねる。
歩きづらいところはあったけど、それでも僕らは前に進んでいる。
その、氷の壁の向こう側は、何があるのか誰も知らない。『水』という物があるということは分かっているけど、それが何なのか僕らには分からない。
誰一人として、氷の壁の向こう側に行ったことがないからだ。
その水は、ただ青く。遥か彼方まで青い世界が広がっているだけ。
この青い世界がいったい何なのか、僕は知らない。
イルは、僕と違い、いつもそのことを気にしている。
「この、青い世界って、綺麗で優しい感じがするね」
ふと、一度だけ彼女がそう呟いたことがある。
「僕には、イルの考えが分からないよ。僕はむしろ……」
僕は、そこで言葉を打ち切った。
イルとは違い、僕は青い世界には綺麗だなと思いながらも恐怖を覚えている。言い伝えが僕の記憶をよぎるからかもしれない。でもそれとは違い、
冷酷。
僕は見るたびにそう思う。
どこまでも続くかのようなその大きな青い世界は、いつも突き放すように、ゆらゆらと恵みの光を嘲け笑うように僕たちに贈り続ける。
「ねえ、スイ」
今では遠く感じる過去を思い出していた僕は、自分の名を呼ぶ、ふわっとした、温かな温もりを感じさせる優しい声で我にかえる。
「……私たち、あの、青い世界に出れるんだよね?」
イルは、今にも飛び出していきそうに、うきうきと擬音が出そうなほど胸を弾ませている。
「……ああ」
僕は、そっけなくイルに返事を返し、目の前を見つめる。
僕が見つめる先は、イルが長年知りたがっていた青い世界への入り口のように見える。
見えるのだが……
目の前には、大きな口のような、暗い氷の壁で出来た空洞――どこよりも薄い壁で作られた暗い空洞が広がっている。
イルはまだ気づいていない。
ここからは僕らが通ってきた氷の道は、この先には、ない。
一本道だ。道を間違えるといったこともない。
でも、僕らを囲む氷の壁は青い世界と一体化しているように見えることがあって、もしそこに別の道があったとしたら、壁に触れながら歩かなければ見つからないような気もしていた。
そして僕は、そんなことをして歩いてなんかいない。
ずっと、先に進むイルを逃さないように、手を繋いでいたから。
僕は、氷で出来た天井を見上げる。天井から差し込むように注がれる恵みの光は、いつもの少し黄色のかかった光とは違い、稀に見る、僕らが忌み嫌い、触れようともしない禁断の赤き光だった。
僕らは赤を最も嫌う。
それは、僕らの村の言い伝えで語られる、青い世界から来るといわれる『青き竜』が最も嫌う色であり、憤怒する色が赤という為。
青き竜がひとたび憤怒すると、僕らはなす術もなく絶滅すると言われており、僕らは赤色を作る技術を全く持っていなかった。
とはいっても、結局はあの青い世界にいる影が僕らの壁を突き抜けてくればそれで終わりだろうとも思う。
本当に、僕の住んでいたあのちっぽけな世界はいつ滅んでもおかしくないんだな、と改めて感じた。
だからといって、ここまで来て戻ろうとも思えない。
戻りたいと、思えない。
あの扉から出て行った少数の皆が、ここまで来て同じことを思っていたのではないかと思った。
イルのように、周りの青い世界に感嘆し、小さな村以外で、自由に歩けたこの開放感。この先にある、まだ見ぬ世界への期待感。
それらがあるからこそ、知ってしまったからこそ、もう戻れない。
僕も、イルではないが、少なからずそういう想いが芽生えていた。
「スイ。この世界の外には、どんな世界があるんだろうね」
「……知らないよ」
見たことのない世界を早く見たくてうずうずしているイルとは逆に、僕はまだ見ない世界に恐怖し、今一歩踏み出せないでいる。
戻りたくない。戻れない。でも、この先を知るには怖い。
僕の心の中はぐちゃぐちゃだ。
自分がこれほど臆病とは思ってもいなかった。
知らない世界に自ら飛び込んでいこうとするイルが、僕は凄いと思った。
「……どうかした? スイ」
「……別に……」
そんな僕の気を知らず急かしてくるイルに、苛立ちを覚えた。
もちろん、それに答えられない、後一歩踏み出せない自分にも苛立ちが募る。
「ね。行こうよ」
そう言い、イルは僕の腕を引っ張り、無理やり空洞へと連れ込んでいこうとする。
僕は、その口のように広がる空洞が、自分を食べてしまうのではないかと思ってしまい、イルの腕を力任せに引き離す。
力任せに離されたイルがひどく驚き、動きが止まった。
「自分でいける」
僕はそう言い、天井を見上げる。光はいつの間にか消えうせ、僕たちの敵であり、絶対に逆らうことの出来ない『深遠の闇』が訪れようとしていた。
僕の背筋に、冷たい感触が伝う。
逃げたい。
ふと、僕はそう思った。
逃げればいい。
続けて耳元で誰かが囁いたような気がした。
「……逃げちゃ、駄目なんだ……」
僕は自分に言い聞かせるようにそう呟き、勇気を出して一歩足を踏み出す。
イルが僕の隣で寄り添うように歩き始める。
気づけばまた僕の手を握り締めてくれているイルがとても心強かった。
目の前に広がる空洞の前へと、僕達は進んでいく。
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