短編「炎帝と蛞蝓」

朶稲 晴

【創作小話/炎帝と蛞蝓】

 道はう斧の粘膜は、どぅるりぬりぬりどぅるりぬり。天突くふたつの尖塔は、くゅるりころころくゅろりころ。乾いた道筋たどってみれば、そこにはそこにはなりそこない。どこ行くどこ行くなりそこない。娘が待っているのさぁ。妻がまっているのさぁ。家に帰らんなりそこない。家に帰らん我は父。


 灰色のコンクリィトの道の上をはう蛞蝓は、じりじりとみずからの体を焼く太陽を見上げ悪態をついた。

「梅雨のあいだもこう照っちゃぁたまったもんじゃないなぁ。苗もわたしらも欲するのは天の恵みというに。いつになったらお天道様は使いの者をよこしてくれるのだろうなぁ。」

 息をするあいだにも、蛞蝓の体はしうしうと音を立ててコンクリィトに吸い込まれるようだった。熱い、熱い。けれども行こう。えいやえいやと斧を進め、必死に道をはうその姿は一所懸命だったがどこか滑稽で。実にゆっくりとした足取りは他から見ればこそ無駄の様にも思えるものの、蛞蝓からすればそれら牛歩でもなんでもなく、ただそれは一歩なり。

 さてここまで蛞蝓が張るのにも理由がありまして。長い長い晩期があけ、やっとこさ来た明期の折りに、愛しい愛しい愛しい妻と、かあいいかあいい娘のために。遠路はるばるえんやこら。梅雨を選んでやってきたのにも、蛞蝓には蛞蝓なりの理由がありまして。白いハコベの花を冠に、青とした葉を食べようと。妻と娘とで食べようと。一緒にならんで食べようと。そう思ってのことだった。

「おいおいどこ行くなりそこない。」

 鷹揚とした声が降ってきた。そちらを見てみれば声は日を背にして真黒の影となり、顔はどうやら見えないようだった。

「おいそこのなりそこない。」

「へぇ、わたしでございましょうか。」

「お前の他に何がいる。」

「あいにくわたしは自分をなりそこないと思ったことはありません。」

「ふんっ。生意気ななりそこないだな。」

「何とでも。」

 蛞蝓は会釈をして妻娘のもとへ急ごうと一歩を踏み出しかけました。

「待て待て俺が悪かったよ蛞蝓。そう急ぐな。俺は炎帝だぞ。」

 蛞蝓は目をぱちくりさせくりかえした。

「エン様?」

「応とも。」

 ひらりと黒い影が木の上を通って降りてきて、蛞蝓の前に立ち塞がった。なるほど日の影になって顔が見えなかったのではない。最初からないのだ。その実体はまさに名のとおり炎のように真っ赤に燃え盛る焔。気味が悪いほど紅く、神々しいほど朱い。そんな焔だった。近づくとわかる。彼もまた、父であるお天道様の様に熱を発していた。乾いた、熱だった。

「ところでエン様。一介の蛞蝓であるわたしに何の用で?」

「下々の願いを叶えるのも、また王の役目なり。と、思てな。」

 王であるは彼ではなく、彼の父であろうに。蛞蝓は目を眇めた。

「願いを、叶える?」

「応とも。」

 蛞蝓は思わず笑ってしまった。願いを叶えるなんて。なんて傲慢なのだろう。どうしたものか。


 あぁ。妻よ娘よ。父は最期まであなた方を想っていたぞ。


「お言葉ですがエン様。」

 蛞蝓はしゃんと背筋を伸ばし、はっきりとした声で続けた。およそ、目の前にいるのが炎帝ではなく同等か、それ以下のものかであるくらいに。

「ではわたしが雨を連れてこいといったらあなたは連れてくることができましたか。無理でしょう。」

「無理だろうな。雨には雨の都合がある。」

「ではなぜあたかもあなたは連れてくることができるかのようにふるまったのですか。とうてい、できもしないくせに。」

「なんだと……?」

「あなたは下々の願いを叶えるといっていましたがそれは偽りです。いえ。それ自体は偽りではないかもしれませんが、その先にあるのはわたしたちの幸福などではなく、あなたの幸福でしょう。」

 炎帝が肩をいからせました。

「おまえ……ッ!なにを!」

「あなたは父であるお天道様に認めてもらいたかっただけでしょう。」

 彼の赤々とした腕がのび、蛞蝓の首を絞め上げた。骨などはないのでミシミシと音を立てることはなかったが、炎帝が触れた場所から水分は奪われ、蛞蝓は枯れてゆきました。

「あぁ、炎帝よ……。あなたは……なりそこないの虫けらの命まで……奪うか。」

「俺を愚弄した罪、その命をもってあがなえッ!」

「……ふふ。」

「なにがおかしい。」

「愚弄……ね。炎帝よ。あなたは、おろか、しい。」

 炎帝の指が蛞蝓の首に食い込み、やがてそれは粘膜を貫き、血管を焼き払い、そしてとうとう蛞蝓は絶命しました。ぼとりと足元に横たわった蛞蝓の亡骸は、蛞蝓らしからぬ熱を持ち、乾ききっていた。炎帝はその骸を一瞥し、ふんと鼻をならしたかと思うと、お天道様のもとへ帰ってゆきました。


 炎帝は永遠にお天道様にかわって黄道の十二戦士のあとを追いかけることはなく、また蛞蝓の妻と娘は、二人きりで食事をするのでした。


 道はう斧の粘膜は、どぅるりぬりぬりどぅるりぬり。天突くふたつの尖塔は、くゅるりころころくゅろりころ。十二黄道たどってみれば、そこにはそこにはなりそこない。天駆け星みるなりそこない。娘を待っているのさぁ。妻をまっているのさぁ。輪廻に帰らんなりそこない。渦に帰らん我は命。


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短編「炎帝と蛞蝓」 朶稲 晴 @Kahamame

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