はちみつレモンのリアリティ

大崎忍

日常と新しい出会い


ミサキ、ねえ起きて、朝だよという声がする。

今何時・・?と寝ぼけて尋ねる。7時だよと答えがある。

アラームをセットしたのは私なんだから7時なのはあたり前だけれど、それがわからないのが朝。


左を横を見るとドロイドのユーヒチが優しげな顔でこちらを見下ろしている。彼は今日昨日私が作ったホログラムを着ている。緑のスパンコールが彩る羽がついた上着。足の形が出るパンツ。顔の左側には同じく緑のフェイスペインティング。良くてきている。仕事終わりに毎夜モデリングして1月かけた甲斐があった。ただ、朝に見るにはちょっと派手すぎたかと反省して、ユーヒチの腰回りにあるダイヤルをTE8057にセットする。この番号は少し前まで流行っていた中世騎士ものファンタジーの主人公のホログラムだ。普段クールで剣技も学問もこなし、主人公に対しては甘い言葉を吐くことで一世を風靡した。一瞬ユーヒチの顔が煙にまかれたように歪み、明るい青髪の彫刻のような顔が出現する。さっきまで緑だった服は、生成色のシャツに変わった。この方が幾分か日常で見るのに向いている。

私はおはよう、と言ってユーヒチにキスをする。甘い味。ドロイドには通常汗や唾液といった体液はないが、カートリッジをセットすれば味をつけることができる。最近ははちみつ味にしている。

「ユーヒチ、クロックムッシュとカフェオレが飲みたい」

「OK」

ユーヒチは私をひと撫ですると台所に立った。他の普通の大人たちと同じように、私はドロイドのユーヒチと二人暮らしだ。ユーヒチはそろそろ借り始めてから2年が経つから、リースで新しいものに変えてもらう必要があるかもしれない。コーヒーの入れ方の好みや掃除のやり方も覚えているし、記憶を移植して、体型も好みだから同じモデルの最新型に変えてもらうのがいいだろう。


私も立ち上がってディスプレイに目をやる。

通知を確認すると昨日販売サイトにアップロードしたホログラムはすでに15件のビューと3件の注文を得ていた。インディーズのホログラム作家としてはかなり売れていると言える。ホログラムは服であり顔であるもので、個人の外観をすべて変えてしまうものだ。VR世界のアバターにもできるし、専用の服にセットしてリアルの世界で身に着けることもできる。私が作っているのは嗜好性の強いホログラムで、今回は緑色のマスカレード風の服だ。顔のペインティングと、袖を振ったときに残像が残るところが気に入っている。


とはいえ、今日の私は普通に仕事なのでそんな派手なものは着られない。


洗濯済みの服を着て、出勤するときのホログラムを選択する。RS1856。RSシリーズはいわゆるホワイトカラーの女性にふさわしいとされるホログラムで、シンプルなオフィスカジュアル。顔は理知的だが、生意気に見えないものを選択し、すこし目を大きくしている。あまり平均から外れない程度で色々試したが、背が比較的低く155センチしかないうえに、職場では若いとされる私にとっては、これくらいが仕事がしやすいことがわかった。来年あたりにはもう少しチューニングする必要があるかもしれない。


クロックムッシュとカフェオレを適当に腹に詰め込んでユーヒチに別れのキスをする。はちみつの味がする。

「今日は何時に帰る?」

「いつも通り。多分18時」

「じゃあ待ってるね」

彼はにっこり微笑んで私の頭を撫でた。


アパートを出て、右手をあげると自動運転車が止まった。仕事である。

人はある程度の頻度で他人と顔を合わせないと生産性が上がらない、ということがわかったのはリモートワークが普及した50年前のことだった。一日中引きこもってドロイドとばかり話していると思考が単調になるし、VRではリアルなコミュニケーションの代わりにならないらしい。いずれにせよ、私みたいな貧乏人はあくせく働かなければいけない、というのは1万年前から変わらない。


私の仕事は食品工場のオペレーションの設計である。


弊社の第3工場がある500haくらいの敷地には、植物、動物、魚類、海藻、菌類を含む複数の食材が培養されている。大抵の食材は1㎡角の細胞ブロックの形に生成され、それらを組み合わせて料理をするところまで一つのプラントの中で行うのが普通だ。


私の仕事は食料生産の最後の段階である「調理」の、オペレーションの設計とプログラムのディレクションである。膨大な種類の原料細胞をどのように組み合わせるのか、どのように搬入し、何の機械を用いて調理を行うのか、その機械のプログラムはどのようなものかを設計する。うちの会社だけで常時30チームが新メニューの開発に勤しんでいる。

現在のメニューのリリースは間近だ。すでに搬入ルートも設計も終えているので、採算性がチェックできれば終わる。席についてカバンを置くと向かいの席からリーダーに声をかけられた。「改良版青椒肉絲の財務レポートできた?」彼は来週31日の部長会での起案するようにと言った。「明日MTGを入れさせていただきますので、資料のチェックお願いします」と答える。財務シミュレーションはギリギリ利益基準ラインを突破した。あぶないところだ。

シミュレーションを行うのは無論コンピューターの仕事だが、組み合わせと生産の順番はちょっとしたコツがいる。変数の入れ方を少し変えると結果が変わるし、材料一つ分量を少し変えるだけでがらりと変わる。計算結果を確認すると、コストがかかっているのはピーマンだということがわかる。生産量が少ない上に、ピーマンの培養プラントだけ遠いんだよな。私はさらに複数パターンのシミュレーションをセットして、午前の仕事を終えた。


少し遅めの昼を食べに食堂に行くと、バイキングの皿を取る美夜がいた。

彼女は私の同期で渉外担当。主に保健省に対して新種の材料の認可をとるのが仕事だ。今日もメガネをかけて理知的な雰囲気を漂わせている。彼女が本当に目が悪いのか私は知らない。たとえ近眼だとしても、メガネをわざわざ表示させないでホログラムだけで視力改善は可能だ。わざわざその見た目を選択するのは、その方が仕事がしやすいんだろう。

「あ、いいところに。愚痴らせてよ」と美夜は言った。

「何?」

「今日はひどい目にあった。見学者対応をおしつけられた」

「なんで見学者対応なんかしてるの?」

見学者自体は珍しくない。修学旅行生も来るし、社会貢献の一環として広報が精力的に取り組んでいるところだ。ただしその対応に人間が出て行くことはほとんどない。愛想よく振る舞うことは人間よりもむしろドロイドの方が向いている。

「どこかの政治屋さんの後援者がまじっていたらしくて。しかも、食料プラント反対派ときた」

「へー。それはお疲れ。自然派か何か?」

自然派というのは、食料にせよ生殖にせよ自然のままが良いと考える人々のことだ。いまだに畑で作られた野菜や牧畜された肉、川で釣った魚を食べたりする。コストもバカにならないし、何より感染症が怖くないんだろうかと私は思う。アニサキスとか。牛海綿状脳症とか。それに、人間が人の腹から出てくることを許容するというのも意味不明である。通常人間は納税者から集められた細胞をランダムに配合して人口子宮の中で作られる。セックスを人間同士がすることは基本的にはない。やるとしたら、イキがったティーンエイジャーくらいのものだ。性行為はドロイドとするべきもので、人間同士が触れ合うなんて、感染症の危機しかない。だいたい10ヶ月も腹のなかに異生物を飼うなんてまったく想像の外のことだ。

「違う自然派じゃないのよ」と左手でチキンカツを取りながら美夜は言った。食堂は弊社製品のバイキングで、毎日メニューが変わる。

「ベジタリアンの過激派だった。培養された細胞であれど、動物を殺害することは神の意思に反する行為らしい」

「ああそっちか」

私はボウルにフォーを入れた。

「適当に肯定しても、培養細胞には苦痛がないことを説明しても、植物細胞での代用の研究が進められていることを説明しても納得していただけなくて、結局愛想笑いしかできなかった」


席につくと、美夜はチキンカツを方ばりながら言った。

「ねえ、ミサキ、今日付き合ってよ」

「は?何に?」

「ライブ。複数バンドの対バン。クイーンズホール。行こうか迷っていたけれど疲れたから気晴らしがしたい」

「うーん、めんどくさい」

パパイヤサラダを咀嚼しながら答える。

「見たよ昨日あんたがアップロードしたホログラム。せっかく作ったんでしょ、どっか着て行こうよ」

それを言われると弱い。私の趣味であり生きがいであるホログラム制作は着てはじめて役にたつとも言える。

しかたがないな、ともごもご答えると。美夜は勝ち誇ったような顔をした。


会社の出口で美夜と落ち合った時、彼女はすでに濡れたような黒いドレスに着替えていた。髪の毛はアップにしていて、化粧も濃い。ただしメガネはそのままだ。

自動運転車の中で、私も自作のホログラムにダイヤルを合わせる。光る緑の服、顔にもペインティングが入り、顔の造作そのものが変わる。

「私は美夜が人間の演奏をわざわざ生で聞こうと思うのかいつも不思議になる」

「だって、不完全なものが何かを目指そうとして足掻いている姿って素敵じゃない?あとエルザムと音楽のマッチは最高だと思う」

エルザムというのはアッパー系のドラッグで、コンビニでも買える。普及したのはここ数十年だろうか。酒よりも短期的な悪酔いがなく、長期的にも肝臓に負担がかからないという奇跡の薬物で、一気に酒や大麻に取って代わった。味はハッカみたいな匂いがするだけで基本的には無味で、シロップとソーダで割って飲む。


会場に着くと宣言通り、美夜はコーラフレーバーのエルザムを注文し、私はスパークリングワイン味にした。会場にはエルザムを片手に、体を揺らす人々がいる。半分くらいがドロイド連れか。見た目では判別できないが、ドロイドは飲食できないし、単独で行動しないから観察すればわかる。舞台上ではテクノポップのミュージシャンが、色が切り替わるLEDライトと共にシンセサイザーを叩いている。頭の中に残っていた仕事の残渣がすこしずつ薄れて行く。さらば青椒肉絲。


美夜が耳元で、

「ほらね。音楽とエルザムがあればトべるでしょ?」と言う。

「それはわかるけど、テクノをわざわざ人間が演奏する必要なくない?組み込みだけやるほうがニュアンスも出せて良いと思うんだけど」

「まあ、今日の目当てはそっちじゃないの」

その瞬間会場から歓声が沸き起こった。今日のメインイベントらしい。

「お、きたきた」

と美夜は雑踏をかき分けてステージの方に進んでいく。

出てきたのは、男女5人組のバンドだった。フリフリの服を着た少女が、ピアノの音を出す。それに合わせてイケオヤジといった風貌のドラムが撥を叩きつける。

超絶技巧だ。ベースとギターが相乗りして早いテンポの旋律が流れる。ピアノの音が多い。リストかと思うくらい早い。男性ボーカルがそれに乗せて歌う。エフェクトがかかっていて、女のようになったり男のようになったりする。歌詞の内容はほとんどデタラメに英語と日本語が混じっていた。


「あの、すいません」

バンドに見入っていると、知らない男に声をかけられた。

「おそろいですね」

ユーヒチがいる、と思ったが違う。私が作ったホログラムを着た人だ。映画の登場人物だったり、流行りのホログラムを着ている人に複数会うのは全然珍しいことじゃないけれど、自分が作ったホログラムを着ている人に町で会ったのは初めてだ。

「miZakiさんのホログラム・・・昨日発売されたばかりなのに、まさか同じホログラムを身につけている人に会えるなんて感動です」

にっこり笑って彼は言った。miZakiというのは私のクリエーターネームだ。自作のホログラムを着ている人が目の前にいる。その感動にどう反応していいかわからなくて、私は黙ってしまった。

「せっかくなのであっちで飲みませんか?」彼は私のほぼ空になったカップを見て、スパークリング、彼自身にレモンスカッシュエルザムを注文する。

舞台上では、ボーカルが恋人との関係の不確実性を歌い上げる。「貴方の心は私にないの。きみはもう神話だから」


「僕は、ホログラムっていうのは自分の内面を表すものだと思うんです。だってそうでしょう?服だけじゃなくて、顔や髪色まで変えられるんだから、その選択はその人そのものと言ってもいいじゃないですか。だから僕は毎日違うホログラムを使うし、インディーズの作家さんのホログラムを着るのが好きなんです。自分だけのものって感じがするから」

バーカウンターからエルザムが出てきて、私はスパークリングワインを受け取った。お金を払おうとしたけれど、彼は「いいんです。記念ですから」と言って、会場の2階にあるテーブルに私を誘導する。

「僕が思うに、同じホログラム、それも珍しいホログラムを身にまとっている人っていうのはきっと、どこか似たところがあるんだと思うんです。だから嬉しくなっちゃって」

「ホログラムが自分自身を表しているという気持ちについてはとてもよくわかります。でも、それが本当にその人自身を表しているかどうかはわからないのでは?私はつい1時間前まで量産型のOLの格好をしていましたし、その姿と今で私自身は何も変わっていないけれど、知っていなければ同一人物と判断することも難しいでしょう」

彼は少し考えるようなふりをして、レモンスカッシュを飲んだ。

「そうですね・・では触れればいいのでは?」

「触れる?感染症の危険があるでしょう」

「触れてその体温と形を感じれば、それはその人そのものと断定できるでしょう。そりゃ、ティーンエイジャーじゃないんだからキスやセックスをドロイド以外とすることは僕だってしませんよ。でも握手くらいなら?1世紀前まで初対面の人との挨拶としてよく使われていたことはご存知でしょう?すぐに手を洗えば大丈夫です」

そう言って彼は右手を差し出した。握手なんて、歴史の教科書の写真で、政治家がはりついた笑顔でしているところしか見たことがない。

けれど、私も右手を差し出してその手を取った。

手のひらの柔らかさと体温が指先から伝わるのがわかった。顔をあげると私がコンピューターでデザインした通りの薄い金色の瞳が見えた。朝家を出るときのユーヒチとのキスを思い出した。あれは私の指定したはちみつの味がした。今めの前のこの人とキスをしたらレモンの味がするだろうか。

階下の舞台でドラムが煽るように音を鳴らす。シンバルの音がして歓声が上がった。

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