第2話 フルチン裁判.2
「裁判長様。左手になんの動きもなかったというのは、発電行為説を否定する何よりの証拠ではないだろうか」
「却下です」
「なん……だと?」
俺の完璧な理論は、なんと一秒も経たずに却下された!
「お兄様、論理的推論という言葉をご存知でしょうか」
紅華は無意識に左ももの上に置かれている右足首をグルグルと回しているので、俺の目線は強制的にそのつま先に固定された。
なんと卑怯な行為でしょう。俺の思考能力は否応なしに奪われた。
「今回の案件になぞって説明してくれ、紅華先生」
俺は従順に話した。
「人間が服を着る意味は、寒さを凌ぐことにあります。服装の文化が今の今までどれぐらい別の用途や意味を発展させたとしても、原初的な意味は寒さを凌ぐことにあると思います。ここまでは同意しますか、お兄様?」
「もちろんだ。同意するよ」
何の問題もない正論だと思う。
「そして人間は現代社会の礼儀と道徳の規範下において、特殊な理由がない限り、大部分の時間は服を着ていると見た方が自然でしょう。ここまでは同意しますか、お兄様?」
「ああ。同意するよ」
これも弁論になり得ない正論だと思う。家で裸族かどうかはともかくとして、家に出かけるとそりゃ服ぐらい着るだろう。
「当然ながら、自宅にいる時、温度差や、風呂や着替えという状況、個人の趣味趣向も鑑み、服は着るも着ないのも自由であると思います。何せプライベートな空間ですから、他人に影響を及ぼしていないのです。例え一日中全裸でうろつくとしても、誰もその人を責める権利などあるはずがありません。ここまでは同意しますか、お兄様?」
「もちろんだよ、マイシスター」
正論中の正論さ、何も異議を唱える空間はない。
「……では罪を認める気になりましたか、被告人」
「ちょちょちょちょ、流石に飛躍しすぎだ!何も言わずに俺を断罪する気なのか?」
興奮する俺を見て、紅華は小さくため息を漏らした。
「全部言わせようとするお兄様の責任ですからね」
うん?何やらいやな予感がしてきたぞ?
「……そうです。『全裸』なら、いいのですよ。例えお兄様は私が起こしにくるタイミングを見計らって、猛然と衣服を脱ぎ捨てたとしても、私がそれを証明することもできなければ、その動機を追及することもできないでしょう」
鋭くなった彼女の視線に、俺は悪寒を覚えた。
「この『半裸』というところが肝心です。いえ、例え半裸でも大丈夫なのでしょう。男性の方の立場からすると、上半身裸は温度を調節するなど多種多様な理由が成り立ちますので、何の問題もないのです。重要なのは、お兄様は上半身にシャツを着用しておきながら、下半身に何も着ていなかったのです」
紅華の視線の鋭さが増すに連れ、俺はちょっと頭が上がらないので、彼女の太ももを凝視することにした。
「百歩譲って、下半身裸でも、必ずしも問題になり得る訳ではありません。何故なら、お兄様は『半分脱いた』状態ではなく、逆に『半分着た』という状態にあった可能性は十分あります。すなわち、このような気まずい状況下でも、『着替え』という理由が成立すれば、下半身だけ裸だろうと、お兄様に非は一切ありません。強いて言えば、ノックもせずに入室した妹の方に責任があると見た方がいいでしょう。そのような状況に直面した場合、私は即座に下半身に着ている物を脱ぎ捨てる決断をしたのでしょう。それで両方は平等になり、お兄様だけが損をすることにはならないのですから」
いや、それはその異常極まりないエロ行動をとっていい理由にならないから、親愛なる妹よ。
どんな変態家族に育てられたらこんな子になるんだ。
「そして、私たちは結論に辿り着きました。ベッドやテーブルの上にお兄様が今日着るべき寒桜高校の制服らしき物は見当たらず、トランクス一枚さえ出しておりません。それはつまり、お兄様は着替えている状態にないところか、下着を履く気すらありませんでした。ならば、意図的に下半身を露出しながら、パソコンの前に座る原因も、簡単にわかるのでしょう」
紅華は脛を上げて、踵を裁判長の木槌代わりに俺の肩に軽く叩きつけた。
……スカートの中身丸見えなんだが、妹よ。兄の前だからって、少しは慎みをだな……
「わざとです」
思考を読まれた!
しかもわざとかよ!
「いえ、そこは重要じゃありません。コホン。では、被告人の『入学初日にちゃんと睡眠も取らず、登校の準備もせずに朝っぱらから自主発電する』という罪状に、もはや不成立する理由はないと見えます」
「最後の抗弁をしたい、裁判長様!」
辛うじて視線を妹のスカートの中から逸らせ(彼女は足を下ろすつもりは欠片もないと見える)、俺は苦しくも右手を上げて、最後の発言権を欲した。
「いいでしょう、お兄様。言い終わったら刑に処しますから」
「もう執行が確定されている!しかも刑って言葉を言い終わったら妖艶に唇を舐めまわした!」
「安心して、お兄様。痛くしませんから。痛いのは何時だって女の方よ」
「何をしようとしているんだ?!」
「お兄様の大切な物を奪います。それはそれは、奪われたら戻ることのない物です」
「や、やめろおお!いったい何を奪うというのだ!」
「男性ホルモンとか?お兄様を奇行に走らせた元凶は男性ホルモンでしょう?」
「難易度高すぎだろ!しかも女の方が痛い云々についてはまったく説明されていない!」
「じゃ男性ホルモンを製造する器官などどうでしょう?」
「死ぬよ!」
「お兄様のようなドMは快楽で昇天するだけです。そして私は摘出手術で筋肉痛になります」
「そんな牽強付会はいらないんだよ!しかも兄を超高度なプレイも難なく受け入れるドMにしないでくれ!何より俺が言いたいのは、パソコンのモニターを見れば、俺の潔白は証明されるんじゃないのか?」
紅華は眉を顰め、俺が言ったことも一理あると思ったのだろう。
「それもそうですね。ではモニターに何が映り出されているのか見てみましょう」
彼女の言葉にのっとり、俺たちはモニターの方に目をやった。
そこには、俺がこれから二年間在籍する予定の、寒桜高校のホームページ。
そこには、丁度いい長さで太ももの露出を抑えたスカートを着ている……
中等部と思われる女の子二人の姿がありました。
うむ。そうだな。
寒桜高校の制服は色といい設計といい、優雅さの中で慎ましさを残し、典雅でありながも遊び心が施されているとても良いデザインだ。
裕福な家庭の若者がこの高校に来たがる理由の一つでもあるのだろう、この制服は。
「中等部の女の子にそのような目で……いえ、そのような『用途』で……見損ないました、お兄……いや、
妹はとても失望した顔で俺を見て、俺は罪悪感で……
いやいやいやいや!
「ちょっと待ってくれ!勝手に話を進まないでくれ!そして勝手に兄の行為を解釈しないでくれ!更に更にお兄様という甘美な呼び方を諦めないでくれ!この画面の内容はあなたと苦楽を共にして早十年の兄を諦めさせる衝撃が果たしてあるのだろうか?俺はただこれから二年、色々と学ぶために在籍する予定の学校のホームページを閲覧して、時の流れの速さを感嘆し、新環境へ向けとの意気込みをしていただけだ!」
俺は必死に弁明したが、聞き入れてもらえなかったらしい。
「そうですよね……男の子はいずれ大人になる存在です。誠実な振る舞いを見せかけて、その裏は会話している女子のあられもない姿を想像したりして……分かっていましたよ、お兄様。安心して下さい。今のは、動揺してのちょっとした失言に過ぎませんので」
紅華はおもむろにその瞳を潤ませ、俺は慌てふためいた。
「何があろうと私はお兄様の味方です!」
突然として、妹はそう、宣言した。
強く、断固として、揺ぎ無く、永遠にこの俺の味方で居続けると。
何と暖かくも悲しい言葉だろう。
凄絶な思いと共に、妹の言葉は俺の胸を貫いた。
「お兄様がどこまで堕ちようと、穢れた心になろうと、私はお兄様のたった一人の妹です!世の人々が兄の事をどんな目で見ようと、兄がどんな目で制服の中学生を見ようと、お兄様は私のお兄様です!」
彼女は激昂し、俺も思わず目に涙を溜めていた。
「兄が犯罪者になろうとしている時、その薄汚い獣慾を受け止めるのが妹たるものの務め!私はもう自分の純潔を犠牲にする覚悟が出来ています!」
涙ながら最後の一撃を放つ彼女の姿は、まさしく献身的な聖女であった。
こんな……こんな心優しい、麗しの少女を泣かせる男など万死に値する!
「紅華ァァァァ!お兄ちゃんが悪い気がしてきた!どういうことなのかまた理解していないが謝るよ、紅華!お兄ちゃんが悪かった!お兄ちゃんが苦労をさせたね。お兄ちゃんは改心して、いいお兄ちゃんになるよ!」
そんなこんなで。
慌ただしい茶番のお陰で、俺自身もシャツ一枚しか着ることが出来なかったのは、「朝起きたら妹がそれ以外のすべての衣服類をクロゼットの中から盗んだ」という多分重要じゃないことを忘れた。
こうして、いつものように、平和な紅城家の朝は幕を開けた。
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