第2話 あおぞらいろ
始業式の次の日からは、もう普通授業だ。奈々実は真新しい教科書をランドセルに入れて、緊張しながら教室に入った。
朝の会が始まる前の教室は、席の後ろのスペースで上履きを飛ばして遊ぶ男子たちや、あちこちで固まっておしゃべりする女子たちで、ざわざわしていた。
昨日最初に話しかけてきた三人組は、教卓を陣取って大きな声で笑っている。
誰も奈々実を気に留めない。だから少しほっとして、机の間を走り回る男子を避けながら自分の席へと向かった。
四年二組は、三年生からの持ち上がりの学級らしい。クラスメイトの女子たちはみんな、それぞれ仲良しグループに分かれている。
そうでなくとも友達を作るのは苦手なのに。
クラス替えのタイミングで転入したのであればまだチャンスがあったかもしれない。だけど、既にでき上がっているグループの輪に加わるなどということは、奈々実にはとてもじゃないが無理だった。
奈々実がランドセルの中身を机にしまっていると、背後から声をかけられた。
「ななみちゃん、おはよ!」
「あっ……おはよう」
後ろの席の夕希だ。
どこから出ているのかわからないような甲高い声にはまだ慣れなくて、内心びっくりした。だけど、挨拶してくれたことが素直に嬉しかった。強張っていた気持ちが、ふわりと緩んだ気がした。
ほどなくして渡辺先生がやってきて、朝のざわめきは収まっていった。
一限目は学級会で、学級委員や係決めがあった。
委員長に立候補したのは、三年生のときと同じ子であるらしい。
「賛成の人は手を挙げてください」
そんな渡辺先生の言葉に、ほとんど全員の手が挙がった。奈々実は置いてけぼりの気分だったが、みんなに合わせて賛成した。
係決めが始まると、教室は騒がしくなった。友達同士で一緒の係になりたい女子たちの間で、激しいじゃんけんが繰り広げられたのだ。
「やったあ!」
ひときわ大きい歓声を上げたのは、あの三人組の中心らしき子だ。三人で保健係に決まったようだ。
「こら大谷さん、もうちょっと静かにね」
先生がそう言うと、大谷と呼ばれたあの子が「うちだけやないやん」と先生を睨みつけた。
不満顔の大谷がぶつぶつ言いながら席へ戻るころには、教室は徐々に落ち着きを取り戻していた。
残るのは人数の多い配膳係や、誰もやりたがらないごみ捨て係などだ。無難に配膳係でもやろうかと考えていると、つんつんと背中をつつかれた。
振り向くや否や、夕希が口を開く。
「ねぇななみちゃん、一緒にごみ捨て係やんない?」
「えっ?」
奈々実は面食らった。よりにもよって、ごみ捨て係とは。
「だめ?」
夕希がじっと見つめてくる。そう言われると、とても断れない。
「うん、じゃあ、いいよ」
「ほんと? ありがと!」
夕希がにっと笑う。
まぁ、いいか。別にどうしても配膳係になりたかったわけでもないし。奈々実はそう思うことにした。
どうせどの係でも、何かしら面倒な仕事があることに変わりはないのだ。
その後も休み時間がくるたび、夕希が背をつついてきた。
あの特徴的な甲高い声で、いつも早口で、いきなり質問を投げかけてくる。しかも距離が近い。奈々実が返事をすると、矯正の金具を見せて笑う。
ちょっと変わった子だな、と奈々実は思った。だけど夕希が話しかけてくれるおかげで、見知らぬ教室でも一人ぼっちにならずに済んでいたのだった。
その日の帰り道。奈々実が一人で東門を出て通学路を歩いていると、後ろから声が飛んできた。
「なーなーみーちゃーん!」
夕希だった。ランドセルの肩帯を両手で握り締めながら、力いっぱい駆けてくる。
「ゆうきちゃん、どうしたの?」
問いかけると、夕希は息を切らせながら笑顔を見せた。
「ななみちゃんが見えたから! 一緒に帰ろっかなと思って!」
「ゆうきちゃんちも、こっちのほうなの?」
夕希がぱちぱちと瞬きをする。
「うん、そうだよ」
「そっか、じゃあ一緒に帰ろう」
「やったぁ、ありがと!」
二人で並んで歩き始める。夕希はちょっと強引な感じがするけれど、だんだんそのペースにも慣れてきていた。
夕希がにこにこしながら言った。
「ななみちゃんが転校してきてくれて嬉しいな」
「ほんと?」
「ほんとやよ。また明日からいっぱい遊ぼうね」
「うん」
奈々実は笑顔で頷いた。
「あっ、そうだ。仲良くなったしるしに、わたしの宝物見せたげるね」
夕希が肩越しに自分のランドセルを見やる。
「これ!」
ランドセルの側面には、キーホルダーが付いていた。透き通ったオレンジ色で、金魚の形をしている。目がぎょろりとしていて、ちょっと夕希に似ていた。
「へぇ、可愛いね」
なんと言ったら良いのかわからず、奈々実はとりあえずそう返した。
「へへ、ありがと! お母さんがくれたやつなんや。お守り代わりにずっと付けてるの」
「そうなんだ」
夕希の歩調に合わせて、キーホルダーの金魚が踊る。それはあたたかな春の日差しを弾いて、きらきらと光っていた。
やがて、大通りの交差点に差しかかる。
「じゃあ、わたしこっちやから。また明日ね、ななみちゃん」
「うん、また明日」
手を振り合って、二人は別れた。
歩道の桜並木から、ひらひらと花びらが舞い落ちる。見頃を過ぎた枝には、新しい緑が芽吹いていた。
また明日、だって。思わず口もとがほころんだ。
一人で帰路を行く奈々実の足取りは軽い。新しい学校生活が始まって、すぐに友達ができた。なんだかみぞおちの辺りがくすぐったくて、胸に吸い込む空気が甘かった。
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