夕やけ色をまた明日

陽澄すずめ

第1話 うすもやいろ

「この四月からみんなと一緒に勉強することになった、杉浦奈々実さんです」


 見慣れない教室。見知らぬクラスメイトたちの視線が、すべて自分に注がれている。

 担任の渡辺先生に呼ばれて教壇の上に立った奈々実は、カチコチに緊張していた。

 細い銀縁の眼鏡をかけ、色褪せたようなピンク色のスーツをもったりと着た渡辺先生が、ちらりと目配せしてくる。

 奈々実はからからに乾いた唇をどうにか開いた。


「す、杉浦、奈々実です。よろしくお願いします」


 上ずった、変な声になってしまった。頬がかあっと熱くなり、脇の下を冷たい汗が伝っていく。心臓はばくばくとすごい音を立てていて、呼吸が苦しかった。


「杉浦さんはお父さんの仕事の関係で、東京から引っ越してきました。これから一年——」

「東京やって!」


 渡辺先生の言葉を遮って、男子の一人が叫んだ。教室が急に騒がしくなる。


「はい! みなさん!」


 先生がパンパンと両手を打つ。


「これから一年、杉浦さんもこの四年二組の仲間ですので、みなさん仲良くしていきましょう」


 はーい、とクラスメイトたちが返事をする。


「じゃ、杉浦さんは席に戻って」


 先生に促されて、奈々実はそろりと段から降りた。

 教室が再び静かになる。みんなの注目を浴びながら、奈々実は自分の席へと戻っていく。

 きっちりと敷き詰められた正方形の床板は、まだワックスがきれいにかかっていてピカピカだ。それを一歩ずつ踏んでいくごとに、上履きの底でベタベタと足跡を付けているような気分になった。


 出席番号順に割り当てられた席は、よりによって教室のど真ん中だ。奈々実は自分の苗字が『杉浦』であることを恨んだ。

 できるだけ音を立てないように椅子を引き、そっと腰を下ろす。机の表面に目を落としていても、教室じゅうの意識が自分に向いているのがわかった。


「はい、このあと九時から始業式ですので——」


 渡辺先生の話が再開されて、奈々実はようやく息をついた。



 始業式が終わって教室に戻ってくると、奈々実はさっそく三人の女の子たちに囲まれた。声が大きくて、ちょっと派手な感じの子たちだ。それぞれ、興味津々の顔で質問をしてくる。


「ね、杉浦さんて東京住んどったの? 渋谷とか原宿とかって行ったことある?」

「えっと、ううん、行ったことない」

「東京って芸能人いっぱいおるんやろ? 誰か会ったことある?」

「ううん、ない……」

「アイドルやったら誰が好き?」

「えっと……あ、あんまり、アイドルとか詳しくなくって……」


 耳慣れない方言がなんだかきつく聞こえて、奈々実はたじろいでいた。三人の勢いに気圧されたということもあり、すべての返答がしどろもどろになってしまった。女の子たちは少し困ったように顔を見合わせている。


 何か、何か言わなきゃ。

 頭の中で話題を探してみても、気ばかりが焦ってどんなことを話したら良いのかさっぱりわからない。また頬が熱くなるのを感じた。

 そうこうしているうちに、三人は昨日のテレビ番組の話をし始め、背を向けてしまった。


 せっかく声をかけてくれたのに。

 奈々実はうつむき、誰にも気づかれないように小さくため息をついた。きりきりと胃が痛む。


 つまらない子だと思われただろうな。

 東京の小学校でもそうだった。ああいう、クラスの中心にいるような、おしゃれで活発な女の子たちの話題に、奈々実はとてもついていけなかった。教室の片隅で、同じように大人しいタイプの友達と固まって、自由帳に絵を描いたりして過ごすのが好きだった。

 だからただでさえ転校してきたばかりのよそ者なのに、その上こんな教室のど真ん中の席というのは、どうにも身の置き場のない気分だ。


 そのとき、丸めた奈々実の背中を、誰かがつんつんとつついた。

 びくりとして振り返ると、後ろの席の女の子が身を乗り出すようにして奈々実のことを見ている。妙に距離が近くて、思わず少し身を引いた。

 ぎょろりとした目に、小さな鼻と大きな口。天然パーマの髪をひっつめにして後ろでひとつに結んでいる。魚みたいな顔の子だな、と奈々実はこっそり思った。

 魚の子が、にっと笑って言った。


「わたしね、千田夕希っていうの。前後ろの席やでよろしくね」


 妙に甲高い声。しかも早口だったので、奈々実は一瞬ぽかんとしてしまった。


「ね、ななみちゃんて呼んでもいい?」


 夕希と名乗った女の子は、ますます前のめりの姿勢になり、目を真ん丸にして奈々実の顔をじっと見ている。

 奈々実は落ち着かない気持ちになり、「うん」と小さな声で返事をするついでに、視線を夕希の目から口もとへと逸らした。


「やった! わたしのことは、ゆうきちゃんでいいよ」


 三日月型になった唇の間から、ずらりと並んだ歯列矯正の金具が覗いている。

 奈々実は戸惑いながらもどうにか笑みを作った。


「あ、うん……よろしくね」


 そこでようやく、渡辺先生ががらりと扉を開けて教室へ入ってきた。立っておしゃべりしていた子たちが慌てて自分の席に戻っていく。奈々実も、おずおずと夕希に背を向けた。

 ほっとした反面、心臓はさざめき立っていた。

 今の会話や態度、おかしくなかっただろうか。相手の子は、気を悪くしていないだろうか。

 初対面だと特に距離の取り方がわからず、どぎまぎしてしまう。そして後からうじうじと気にするのが、奈々実の癖だった。

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