第2話

 翌日の放課後、僕は図書室で試験勉強をしていた。明後日からは期末試験が始まる。それが終われば、夏休みとなる。

 図書室の端に設けられている自習席にて、僕は世界史の教科書を漫然と捲る。太字で書かれている単語や人名などを目で追うが、本当に目で追っているだけで、頭に入っているという感覚はない。


 高校生の多くがそうであるように、僕は世界史に興味はない。

 日本の歴史にもさして興味が湧かない僕のような人間が、世界の歴史にまでその視野を広げられるはずもなかった。

 歴史を学ぶ意義は、過去を知り、未来に活かすことにある。世界史の授業で、担当の先生が言っていた言葉だ。

 一理あった。より善い未来を築くためには、同じ過ちを繰り返してはならない。それをまだ子どもの僕たちが学ぶのは、とても重要なことだろう。


 けれど、歴史の授業で学んだことを、自分の現在や未来に活かせる人間がどれほどいるだろう。自分と直接には結びつかない過去の事柄に関心を持てる人間は、どのくらいいるのだろう。僕の偏見になってしまうが、とても少ないと思う。

 少なくとも僕は、過去や未来に関心を持つことができない。たとえそれが、自分に関わることであったとしても。だから僕は、歴史に興味が持てなかった。

 しかし、興味が無いことは、やらない理由にはならない。それが学校の試験という、点数でしか評価されないような事であれば尚更だ。だから僕は勉強をする。どれだけ暗記して、どれだけ高い点数を取ったかで全てが評価されるのなら、それに従う。その仕組みをおかしいとも思わないし、疑問を抱くこともない。疑問を抱くだけ、無駄だからだ。


 試験日が近いという事もあってか、いつもなら空いている図書室の自習席は、ほとんどが埋まっていた。なかには友人と一緒に来ているのか、周囲を憚らず雑談をしている生徒もいて、少し騒がしかった。

 音楽を聴きながら勉強をしようか、と制服のポケットからウォークマンを取り出そうとして、僕は背後に誰かが立っていることに気が付いた。誰だろう。


「元気?」


 振り返ると、そこに居たのは篠原だった。彼女はここの図書室で借りたのであろう、文庫本の小説を二冊、その手に抱えていた。


「勉強中だったかな?」

「僕は勉強をしているのかな」

「それを私が訊いてるんだけど」

「どうなんだろう。世界史の勉強をしているような気もするし、していないような気もする」

「それはもう、勉強してないに入るんじゃないかな」

「君は?」

「私は本を借りに。そうしたら自習席に君が座ってるのを見つけて、ものすごく退屈そうにしていたから、こうやって近くまで来てみたってわけ。私も暇だしね。遊ぼうよ、三枝君」


 そんな話をしていると、周囲から僕たちを窺っているかのような視線を感じた。

 小声で話しているとはいえ、ここは図書室だった。普段より少し騒がしいが、それでも―さっきまでの僕のように、勉強や読書に勤しむ生徒が多くを占めていることは間違いない。それが図書室という場所の本来の用途であり、雑談をする場所ではなかった。


「とりあえず、場所を変えよう。ここだと周りの迷惑になる」


 心の中で反省をしつつ、声を潜めて僕は言った。けれど、僕の言葉になぜか篠原は不思議そうな顔をする。


「さっきの、そういう視線じゃないと思うけど」

「?」

「というか、勉強はいいの? 今回の世界史、そこそこが範囲が広いはずだけど」

「勉強をしているときは適度に休憩を挟んだほうが、効率が良いらしい」


 教科書を捲るだけの行為がはたして勉強と呼べるかは怪しいが、それはひとまず棚に上げ、僕は静かに世界史の教科書を閉じて鞄にしまう。


「それ、もうやらないやつだね」


 試験前になって急に部屋の片づけをするのと同じだよ、と篠原は笑った。

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