さくらさんが――――卑下したとしても。

 僕とさくらさんがふたりで会う時は、待ち合わせ場所で時間ぴったりに着くようにしている。

 以前はお互いに早めに来るようにしていたのだけど、ふたりで相談して、それはやめることになっていた。

 かつての僕は五分前に着いてたりしたのだけれど、さくらさんが十分前には既に到着しているので、彼女を待たせるわけにはいかないと思った僕は十五分前に着くように行動し始めて……そうするとさくらさんも彼氏を待たせるのは可哀想だと思ったのか二十分前に来るようになり……そういう流れを繰り返して、ふたりとも一時間前行動みたいになり始めた頃に、「決めた時間ジャストに会おうよ」ということになったのだ。


 僕は街のシンボルである入道雲のオブジェクトへと向かって歩いていた。


 世間ではハロウィンも終わってさっそくクリスマス商戦を開始している。この街にも飾られている色とりどりのイルミネーションが、目をちかちかとさせてくる。気が早すぎると思いつつ、僕はやがて訪れるクリスマスに思いを馳せた。


 さくらさんと過ごすクリスマスかあ……。


 雪とか降ったらいいなあ……。しんしんと降る粉雪を窓の外に見ながら、お店でケーキを食べて……プレゼントを贈りあって……帰り道には手を繋いで……いい雰囲気になって……別れ際、寒さでさくらさんの頬が赤くなっていて……僕はなんだかドキドキして……さくらさんの唇の間から白い吐息が漏れて……それで……

 その……

 あの……

 キ……

 キキキキキ、ス……


「うおおおおおお!!」


 僕は猛然と走った。雄叫びを上げながら突如猛ダッシュする青年の姿は通行人にとっては奇怪に映っただろう。そのまま入道雲のオブジェに到達。今回はここがさくらさんとの待ち合わせ場所だ。


 息を落ち着かせ、深く溜息をつく。

 だめだよな……。

 こんな煩悩を見せたら、純粋無垢なさくらさんをきっと怖がらせてしまう。

 衝動は、まだ封印しておかないと。


 スマホの時計を見る。あと数秒で待ち合わせ時刻だ。ということは、さくらさんはもう近くに来ているはず。僕は周囲をきょろきょろと見回した。


「兵太くん」

「わっ!?」


 背後から声をかけられて、僕は変な声を出して振り返った。

 僕の胸元の高さに、さくらさんの頭があって、僕を見上げていた。

 ふにふにとした色白の頬。首元で自然にばらけたセミショートの黒髪。小顔をはじめ、手のひらなどひとつひとつのパーツが小さくて可愛らしい。私服も秋らしいベージュのカーディガンやブラウンのパンツで、僕は思わずふわわ~! かわい~! と叫びそうになった。


 しかし叫べなかった。

 さくらさんが、真剣な目をしていたからだ。


「来て」

「えっあっ、さくらさん?」


 さくらさんの小さな手が僕の手首をはっしと掴み、引っ張って、僕をどこかへ連れていこうとする。背負った大きめの楽器ケースの中には、おそらくスナイパーライフルが入っている。仕事人モードなのだ。

 僕は訝しんだ。

 今日はデートの日なのに、どうして?


 さくらさんも、今日のデートを楽しみにしてくれていたはずだ。お互いが自宅にいる時、楽しみだね~と伝え合ったのだから、それはたぶん間違いがない。じゃあなぜ、こんな状況に? 掴まれた手首から、さくらさんの冷たい体温が伝わってくる。血の気が引いているようにも思える。


「さくらさん」

「…………」

「さくらさん! 何かあったの?」

「…………」

「落ち着いて、さくらさん。何かがあったのなら、話してよ。僕、力になるよ」

「……こっち」


 さくらさんが人気のない路地に入り込む。手を引かれるまま、僕も慌ててそこへ足を踏み入れた。

 次の瞬間、さくらさんが振り返った。

 泣いていた。

 スナイパーモードのまま顔を歪ませまいとし、それでもダムが決壊を始めたように、ぷるぷると震えて大粒の涙を流していた。


「兵太くん……!」


 そして僕に抱きつくと、僕の胸に顔をうずめる。

 押し殺そうとして、押し殺しきれず、嗚咽を漏らしている。


「さくらさん……?」

「うじゅ……ひぐっ……兵太くん、たすけて……」


 しがみついてくるさくらさん。

 僕は、驚きつつも、頭がすうっと静かに澄み渡るのを感じた。

 さくらさんはスナイパーだ。人以外を撃つのが仕事とはいえ、それは本来なら戦場で力を発揮する職業。殺し合いのある危険な世界とは縁がなかったとしても、紙一重で、隣り合わせになっているのかもしれない。

 だからさくらさんがその重圧に耐えきれなくなる時がきたら、全力で助けるつもりでいた。

 僕は、さくらさんに日常を鮮やかにしてもらえた。

 恩返しをする、今がその時だった。


「さくらさん。大丈夫だよ。僕がいるよ」

「うぅっ、はうぅ……兵太くん……!」


 抱き締め返すと、さくらさんの荒い息が徐々に落ち着きを取り戻していく。僕はさくらさんの背中をできるだけ優しく撫でた。

 小さな身体は、スナイパーなんてすごい職業を持つ女の子とは思えないほどに今は弱々しく震えている。

 さくらさんが弱くなってしまった分だけ、僕が強くならなくちゃ。

 きみは本当は、すごく可愛くてカッコ良くて、強い女の子なんだって、伝えなきゃ。

 そう思いながら、僕はさくらさんが事情を話し始めるのをゆっくりと待った。

 しばらくすると、さくらさんが「じつは……」と切り出してくれる。


「リンゼちゃんと……二日間も連絡がつかないの……」


 さくらさんの姉貴分の武器商人、リンゼさん。

 彼女との連絡手段はスマートフォンしかないのだが、二日前の「今からサクラの家まで武器を持っていくよ」というメッセージを最後に音沙汰がないのだという。


「どうしよう、兵太くん……。心配だよ……。リンゼちゃん、きっと、敵も多いと思うから……」

「リンゼさんがどこに住んでいるのかはわかる?」

「詳しくは……わからないの。いまは日本に住んでて……メッセージくれた時も、日本にいたはず……」


 僕は思案する。武器商人という職業は、仕事柄、最新武器やら国家間の情勢やらといった情報をたくさん持ってそうなイメージだ。その情報を狙って、悪い奴らがリンゼさんを……。僕も最悪の想像をしそうになる。自分の顔が歪むのがわかった。


「兵太くんっ……」


 さくらさんが、ぎゅ、と僕のシャツを掴む。

 焦燥の濁流に流される中で、最後の命綱を頼るかのような、そういう掴み方だった。


「わたし……何もできないのかな……。リンゼちゃんが、大変な目にあってるのかもしれないのに……。だめな子だ、わたし。スナイパーを名乗ったって、こんな、だめだめな人間……いる価値なんて、ないんだ……」

「さくらさん」


 僕は無力だ。

 何の解決策も浮かばない。

 でも目の前の大好きな人が自分を卑下するのには耐えられない。

 さくらさんの心の支柱でありたかった。


「さくらさんはダメな子じゃないよ」

「でも……」

「だけど、そう思っちゃうのはもしかしたら、今は止められないのかもしれない。だから、どんどん言っていい。自分をダメな子だって言っていい。僕はそんなさくらさんを全部受け止める」

「兵太くん……」

「さくらさんが自分をダメだと言うたびに、僕が『それでも』って言うよ」


 僕はさくらさんを再び抱き締める。痩せ気味の頼りない腕かもしれないけれど、精一杯、温もりを伝えたい。


「何度でも弱音を吐いていい。そんな時は必ず僕がそばにいて、さくらさんはできる子だって、言うよ。だって、知ってるんだ。さくらさんが小さな幸せに気づける細やかな人だっていうこととか、虫も殺せないくらい優しい子だっていうこととか。人以外を撃つスナイパーを始めたのも、人の役に立ちたいからなんでしょ? 僕はさくらさんの良いところをたくさん知ってるよ」

「うぅ……へいた、くん……」

「さくらさんが自分のダメなところを百個挙げたなら、僕がさくらさんの好きなところを千個挙げるよ。簡単だよ、だって、百個はさくらさんが挙げてくれるからね。僕はさくらさんのダメなところも含めて好きなんだ。だからこそ、さくらさんはダメな子じゃないって、言うよ」

「わ……わたし……わたしは……!」


 さくらさんが抱きついたまま、潤んだ瞳で僕の顔を見上げる。


「ダメな子なの……いつも良くしてくれるリンゼちゃんに何もおかえしできてないの……!」

「さくらさんはダメな子じゃないよ。リンゼさんは絶対、さくらさんといるだけでも癒やされていたと思うよ」

「わたし……ばかだから、リンゼちゃんを助ける方法がわからない……どうしたらいいのかわかんないの……!」

「さくらさんはばかな子じゃないよ。必ずリンゼさんを助ける糸口を見つけられるよ。僕と、さくらさんがいれば」

「わたし……ダメで、ばかで……ぜんぜん、ダメダメなのに……」


 さくらさんが目を細めるから、そこから涙がこぼれ落ちる。

 口元が緩み、頬が綻ぶ。

 微笑んでいた。

 ああ、やっと……笑ってくれた。

 さくらさんの、薄ピンクの唇が、言葉を紡ぐ。


「そんなわたしに、勇気をくれて……ありがとう……」


 さくらさんが僕から離れた。

 楽器ケースを背負い直し、目つき鋭く僕を見る。

 研ぎ澄まされた、スナイパーモードだった。


「どこか建物の屋上に行こう」


 さくらさんは決然と言った。


「屋上?」

「できるだけ高いところがいい。そこで、スナイパーライフルを使う」

「何をする気なの?」

「わたしの〝未来予知〟を応用する」


 異能のスナイパー・砂井さくら。

 彼女は、未来予知に近い洞察力により標的を確実に撃ち抜くことができる。

 さくらさんによると、その能力は、ライフルのスコープを通して見える範囲限定で使えるものだという。


「屋上からスコープで街を視る。スコープ越しに探していれば、わたしの洞察が発揮されて、手がかりが見つかるかもしれない」

「わかった。行こう!」


 僕とさくらさんは頷き合うと、走りだした。


 走りだして……


 すぐに、立ち止まった。


 街角、人々の往来のある道の真ん中で、金髪ツインテールの長身な女性が目の前を歩いていた。


 リンゼさんだった。


 彼女が僕らに気づく。


「お。サクラとヘイタじゃないか! 奇遇だなこんなところで。ああ、そういえばサクラ、二日前に連絡した件だが、あの後スマホを水没させてしまってな。更に仕事も忙しくなって連絡できなかったんだ。悪いな。……ん? どうしたんだオマエたち。お、おいサクラ、どうして泣く!? 痛っ、泣きながら殴るな! おいヘイタ止めさせろ! おい……いや何故ヘイタまで殴り始める!? 痛いが!? 何だっていうんだよオイ!?」




     ◇◇◇




 翌週の日曜日。

 僕とさくらさんは、デートのやり直しをしていた。

 大きな商業施設でショッピングして回る。さくらさんはあれも欲しいこれも欲しいと、意外な物欲を見せた。なら僕も負けないぞと、それも欲しいどれも欲しいと欲望の忠実なしもべと化す。

 最終的に、どっさりといろいろなものを買ってしまった。

 今回だけは、気兼ねなく物を買うことにしていたのだ。

 お金を出すのは、リンゼさんなので。


「あー楽しかった! ありがとう、リンゼちゃん!」

「さすがリンゼさん、世界の武器商人なだけあって太っ腹だな~」

「……なあ。サクラを泣かせたのは謝るが……」


 リンゼさんは、背中に巨大なペンギンのぬいぐるみを背負い、両手に持ちきれないくらいの荷物を持たされていた。


「ここまでやらせるほどなのか!?」

「そろそろ反省しましたか、リンゼさん?」

パートナーpartnerを泣かせた奴に容赦がなさすぎる……。わかったわかった、以後は報告連絡相談は怠らない。反省した」


 素直にしょげるリンゼさん。僕はさすがにやりすぎたかなと我に返り、慰めの言葉をかけようとするが、それより先にさくらさんが一歩リンゼさんの方へと踏み出した。


「リンゼちゃん」

「サクラ」

「もう……いなくなったりしないでね」


 さくらさんは、すがる子供のように懇願した。

 そんな彼女の頭に、リンゼさんの手が置かれる。


「……ああ。もうオマエに心配はかけない。ごめんな……サクラ」


 ぎゅっ、とさくらさんがリンゼさんを軽く抱擁する。

 それからすぐ離れて、僕の元へ戻ってきた。


 僕とさくらさんは自然に手を触れ、手を繋ぎ合う。


「行こ……! リンゼちゃん、兵太くん……っ!」

「うん。あっ、最後に宝石店とか行く?」

「オマエなあ!? やめろよ!?」


 そうして三人で歩いていく。

 秋の風が涼しげに通り抜けていった。

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