その4 『刻のオアシス』

お題……「雷」「オアシス」「いてつく時の流れ」

ジャンル……「王道ファンタジー」


 砂漠の中を、虚ろな目をした男が行く。砂塵避けの布にくるまった姿は、苦難に満ちた旅人を思わせる。


 実際に、彼の人生は苦難と呼ぶに相応しいものだった。

 幼い頃に捨てられた彼は、孤児院では虐待によって育てられ、周りの人間からは常に憎まれ続けた。

 それに応えるかのように彼も荒み、死刑になってもおかしくないほどの罪を重ねた。


 だからこそ、彼は砂漠を行く。


 遠くから雷鳴の音が聞こえる。迫る雨雲は彼の人生そのものだ。

 暗く、恐ろしく、そして激しい。

 それから逃げるように、彼は足を速めた。

 しかし足を砂に取られ、もたついている間に追いつかれてしまった。


 暗く厚い雲が彼を覆う。かつて歩いた路地裏の闇を思い出す。

 豪雨が彼の身を打つ。かつて人々から投げかけられた罵倒を思い出す。

 雷がすぐ近くに落ちる。かつて負った傷の痛みを思い出す。


 しかし彼は、歩みを止めない。

 ここで止められるのならば、最初からこの地の果てまで辿り着けるはずがない。

 だが、何のために?


「…………!!」


 雨に霞む視界の中、一筋の光を見つけた。足元の悪さなど気にせず走る。

 次第に身を打つ雨が減り、やっとの思いで陽の光の元に出た。


「……あった……!!」


 その目を流れたのは、雨なのか。彼の目の前には、緑溢れるオアシスがあった。

 ふらふらとした足取りで向かう。が、あと少しという所で彼は気を失った。



「……ここは?」


 彼が目を覚ますと、そこは簡素な小屋の中だった。


「目が覚めたネ?」


 小麦色の肌をした少女が声をかける。

 持っている籠の中には、様々なフルーツが盛られていた。

 もう何日も食べていなかった彼は、思わず唾を飲む。


「君が、助けてくれたのか?」


「アナタ、倒れてタ。大変だったでしょ? 休むといイ」


 やや訛りの強い喋りと共に、少女は見慣れぬ果実を差し出した。

 彼はそれを受け取ると、少し迷った後に、一口齧った。途端に、今まで食べた事のない甘みが口の中に広がる。

 続いて二口目、三口目が自然と早くなる。

 勢い余って喉に詰まらせると、少女が笑いながら水をくれた。木の実の器に入った水を呷り、息を落ち着かせる。


「ありがとう、助かった」


「いいよいいヨ。元気なったなら十分ネ」


 下品さも計算もない、純粋な少女の笑顔を見ていると、自然と涙腺が緩んだ。

 どれもこれも、少女の全てが、彼の人生にはなかったものだ。

 それでも、見苦しい所だけは見せるまいと堪えると、彼はここに来た目的を告げた。


「『例の水』を飲みに来た。このオアシスにあるんだろう?」


 それを聞くと、笑顔だった少女の顔が途端に曇った。


「そう、アナタも……。いいよ、ついてきテ」


 少女の案内で歩く事数分、青い水を湛えた大きな湖に辿り着いた。

 心地いい冷気が彼の肌を撫でる。


「これが……」


「『ときの水』。飲めば不死になる水ヨ」


 少女の言う通り、ここには『凍てつく時の流れ』が溶けた水に満ちた湖がある。

 『凍てつく時の流れ』とは、かつて世界を支配した魔王の魔法の一部だ。

 文字通り、魔法にかかった者の時を芯まで凍てつかせ、その結果死に至らしめるものであったと伝わっている。


 ……だが、この水にそこまでの強い魔力は無い。『凍てつく時の流れ』の欠片から無限に湧き出る水は、飲んだ者の時を表面だけを凍らせる──すなわち、不老不死をもたらすとされる水なのだ。


「……本当に、それ飲みたいネ?」


「ああ。そのためだけに、わざわざこんな所まで来たんだ。このしみったれた人生をやり直す……。いいや、オレを苦しめた奴ら全員に地獄を見せてやる」


 彼の顔が醜く憎悪に歪む。それを見て少女は少し悲しげな顔をしながら、それでも水を掬うための器を渡した。


「それで掬って、やりたい事願いながら飲むといいヨ」


「……分かった」


 言われた通りに彼は水を掬い、脳裏に憎々しい者達の悲鳴と絶望を思い描く。

 そして、一気に飲み干した。

 次の瞬間、


「ごめんネ」


 少女の呟きと共に、彼は氷像となって砕け散った。


『貴方のような邪悪な心の持ち主に、この水は祝福をもたらさない……。そのまま凍ってしまうの』


 流暢な妖精語で言いながら、少女は氷像の欠片を湖に沈めた。


『これで貴方も、凍てつく時の流れの一部になるわ。いつか訪れる救いの日まで、そこに囚われるのよ』


 沈め終わると、少女は去っていった。

 人のいなくなった湖は、再び元の静けさを取り戻した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る