終章


 小石川養生所。宅預かりの個室。


「あふ……あふ……あふ……」


 唇の端から蟹の泡のようなよだれを垂らしながら、若槻一馬は意味不明の言葉をぶつぶつとつぶやいていた。


「あとは頼みます」


 留衣は係の女中に世話を頼むと、別の患者の面倒をみるべく部屋をでていった。

 係の女中は水桶に濡らした手ぬぐいを絞り、寝台に腰掛け諸肌を脱いだ一馬の背中の垢を丹念に拭き取ってゆく。

 途中でぴたとその手がとまった。

 女中が聞き取れぬほどの低い声でいった。


「本日、公方様は二名の詰問使きつもんしを尾張様の上屋敷に遣わしました。詰問使の護衛にあたっているのは、この度、新たに剣王位となられた松浪剣之介です」


 すると――

 一馬の双眸に意志の光が宿り、口角の泡は消えた。


「わかった。委細承知と伝えよ」


「は!」


 係の女中は煙のごとく消えた。

 そして一馬も、その日を境に養生所から姿をくらますのであった。




 享保十七年九月某日。

 将軍・吉宗は質素倹約令に異を唱える尾張公・徳川宗春を糾すべく二名の詰問使を市ヶ谷にある尾張藩上屋敷に派遣した。

 これが吉宗による最後通牒アルティメイタムと受け取った宗春は、詰問使に対しいっさい抗弁することなく、ひたすら恭順の意を示した。

 だが、それはあくまで表向きに過ぎず、以後、血で血を洗う暗闘が江戸の闇で繰り広げられたことを知るものはいない。



    大江戸アルティメイタムⅡ

    烈風! 天下無双武術会



              了


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大江戸アルティメイタムⅡ烈風!天下無双武術会 八田文蔵 @umanami35

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ